先だって朝日新聞下欄の雑誌広告内に、現在の我が身につまされるようなタイトルを発見した。
「週刊現代」の一記事であるそのタイトルとは…
「70歳からのビンボーはこんなに怖い(第3弾) 私はこうして70歳過ぎてビンボーになった <実例集> -幸せだった老後は簡単に瓦解したー」
この記事を実際に読んではいない。 だが、定年退職後の亭主を自宅内に抱え“老後生活”に突入していると表現できる原左都子の日々の暮らしを鑑みるに、このタイトルは「明日は我が身」なる切実なインパクトをもって身近に迫ってくる。
いえいえ、私の場合は、貧乏(というより“チマチマ生活”と表現するべきか?)には十分に慣れている。
何分、子ども時代から「貯蓄」を一趣味としている私だ。 しがない庶民である私が趣味の貯蓄に励むには、日々の生活をチマチマと営む以外に方策はない。
それでも、上京後の長い独身時代には全ての財産管理を自身が単独で執行可能だったため、その力量手腕によりそれ相応の華やかな時代も演出し得た。
ところが、一旦家庭を持ち子どもを育てる立場ともなれば、やはり子どもの教育費の負担を第一義とせざるを得なくなるのは何処の家庭も同様であろう。 我が家の場合晩婚だったことがネックであろうが、亭主定年退職後の今現在尚、娘の大学学費等の膨大な費用が発生している。 その大まかな費用の蓄えは一応あるのだが、子どもが既に独り立ちして優雅な老後を送っている定年後のご家庭とは大幅に事情が異なることを実感させられる日々だ。
加えて「原左都子エッセイ集」バックナンバーでも綴っているが、我が家は亭主定年退職後は夫婦間での「独立採算制」を挙行している。
とは言え、これには一定の条件を設定した。 婚姻後子どもを産んだ後はその教育指導活動故に大した収入を得られなかった妻側の私であるため、一家の生活費に関しては亭主の企業年金に依存する事とした。 その他の公的年金に関して、お互いの「独立採算制」を挙行したのである。 要するに亭主の厚生・国民年金は亭主のもの。 私の厚生・国民年金(加えて私は独身時代に個人年金保険にも加入しているが)は私の自由裁量にするとの条件だ。(私の方は年金は未だ一銭ももらっていないどころか、60歳までの保険料負担が我が身にずっしりとのしかかっているが。)
そうだとして、やはり亭主定年退職後の生活は厳しい現実であるのは当然だ。
アベノミクス経済政策により、今現在自動車業界が再活性化して過去最高の利益を上げているとのニュース報道を見聞するにつけ、(実は我が亭主も定年まで自動車業界人だったのだが)あの過去の栄光を再び!と叫びたくもなる我が家が現在置かれているノスタルジー実態だ…。
ただし、若き現役世代こそが厳しい現実を突きつけられていることも認識可能である。 今時晩婚・高齢出産が世に蔓延っている現実であろう。 それらの家庭が近い将来我が家同様、老後に及んで子どもの膨大な教育費負担を抱え込む事態も想像がついてしまうのが、ある意味空恐ろしくもある…。
片や、現在保証人を引き受けている我が身内親族の年寄り達の暮らしぶりを考察すると、過去の政権政策のいい加減さの恩恵に与り、結構な年金を得てそれを老後の豊かな財源としている様子であるのは揺ぎ無い事実だ。
義母の場合は、自分自身で実業家として経営を全うして得た財産を今現在有効利用し有料高齢者介護施設に入居しているため、他人である私がとやかく異論を唱える筋合いはまったくない。
一方で我が実母など、自民党政権が勝手気ままに金権政治を築き上げ、年金も社会保障も“どんぶり勘定”のいい加減な時代に公務員を定年までまっとうした世代だ。 その歪んだ政権の恩恵の下で実力以上の年金を現在尚ゲットし続けている。 原左都子としては、この現状は自分の親とて許し難いものがある。 それを時折親に訴えるのだが、既に年老いた我が母はまったく聞く耳を持たない…。 現役世代こそが過去の政権政策失策のお荷物を膨大に背負わされている事実を私が母に理路整然と訴えようが、悲しいかな「あんたはあんたの自己責任で頑張れ」の一言で済まされてしまう…。
ここで、上記「週間現代」の記事内容に関するネット上の反応の一部を要約して紹介しよう。
<その1> 「週刊現代」はこのところ立て続けに「貧困老後」特集を打ってますねー。 この雑誌の定番コーナー化するんじゃないかと私の予想。貧しい老人が増え続けることは確実だから。 今週号は、「相続」「老人ホーム入居金」トラブル。 老親が死んで、さあ相続・・・となったときに骨肉化する兄弟の争いとかシリアスだけど、そういう話って老親が認知症になる前にちゃんと書類をつくっておけば回避できるトラブルですがね。
「節約」って若い人の文化なんですよね・・・いくら節約しまくっていても、自分がいよいよ体の自由がきかなくなって、有料老人ホームに入ってしまえば”一律月生活費20万円以上”で、節約生活とは呼べない生活費になってしまう。
祖父母は孫にお金なんかやらんでもよろしい。やっぱ親だよね、親がきちんと「おじいちゃんからお金をもらってはいけない」と日頃から子育てやっていないと。
<その2> 「週刊現代」で70歳を過ぎてビンボーになった特集を連載していますが、共通しているのは長期的な資産防衛をしてきていないということです。 10年、20年、30年という期間を決めて資産をどのように運用し、どのように取り崩すかを予め決めていないために、70歳を過ぎて悲惨な老後となっているのです。
仮に50歳の人が70歳になった時から資産を取り崩して老後を送る場合、一体いくらのお金が必要なのか自分で計算し、そのお金をいかに増やすか自分で研究し、そして一度決めたらその日がくるまで10年間触らないことにつきます。10年、20年、30年間じっと保有し続けることが、結果的に資産を増やし守ることにつながるからです。
目先、目先を追い求めれば、結果リスクを背負いこみ、損を被るリスクが高まります。 『自分の資産は自分で守る」という事を実践し、決して3年、5年といった短期では運用収益を見ないということを徹底すれば、悲惨な老後はないかも知れません。
(以上、ネット情報より引用。)
最後に原左都子の私論に入ろう。
「週刊現代」の「70歳…… 」の特集記事をご覧になり、ネット上で持論を展開しておられる上記2名の方の言及にほぼ同意する私だ。
<その1>の方に関しては、我が家も既に公証役場にて義母の「遺言」を作成しているのに加え、いざ自分がケア施設に入居する場合には月20~30万円の節約生活とは言えない巨大な生活費を課せられる事実である事も十分承知している。
<その2>の方のご意見に関しても、この世において長期展望の資産運営をせずして老後を迎えようとしている世代に警鐘を鳴らそうとのご見解に、賛同申し上げたい。
今後老後を迎える人々にとって、政権が如何に移り変わろうが厳しい時代が待ち受けている事は揺ぎ無い事実だ。
家庭を抱えていようが独り身であろうが、僕(しもべ)の国民皆が自分自身の老後は自ら責任を持てずして成立し得ない程に、国家財政が厳しい現状であることを再認識しよう。
「週刊現代」の一記事であるそのタイトルとは…
「70歳からのビンボーはこんなに怖い(第3弾) 私はこうして70歳過ぎてビンボーになった <実例集> -幸せだった老後は簡単に瓦解したー」
この記事を実際に読んではいない。 だが、定年退職後の亭主を自宅内に抱え“老後生活”に突入していると表現できる原左都子の日々の暮らしを鑑みるに、このタイトルは「明日は我が身」なる切実なインパクトをもって身近に迫ってくる。
いえいえ、私の場合は、貧乏(というより“チマチマ生活”と表現するべきか?)には十分に慣れている。
何分、子ども時代から「貯蓄」を一趣味としている私だ。 しがない庶民である私が趣味の貯蓄に励むには、日々の生活をチマチマと営む以外に方策はない。
それでも、上京後の長い独身時代には全ての財産管理を自身が単独で執行可能だったため、その力量手腕によりそれ相応の華やかな時代も演出し得た。
ところが、一旦家庭を持ち子どもを育てる立場ともなれば、やはり子どもの教育費の負担を第一義とせざるを得なくなるのは何処の家庭も同様であろう。 我が家の場合晩婚だったことがネックであろうが、亭主定年退職後の今現在尚、娘の大学学費等の膨大な費用が発生している。 その大まかな費用の蓄えは一応あるのだが、子どもが既に独り立ちして優雅な老後を送っている定年後のご家庭とは大幅に事情が異なることを実感させられる日々だ。
加えて「原左都子エッセイ集」バックナンバーでも綴っているが、我が家は亭主定年退職後は夫婦間での「独立採算制」を挙行している。
とは言え、これには一定の条件を設定した。 婚姻後子どもを産んだ後はその教育指導活動故に大した収入を得られなかった妻側の私であるため、一家の生活費に関しては亭主の企業年金に依存する事とした。 その他の公的年金に関して、お互いの「独立採算制」を挙行したのである。 要するに亭主の厚生・国民年金は亭主のもの。 私の厚生・国民年金(加えて私は独身時代に個人年金保険にも加入しているが)は私の自由裁量にするとの条件だ。(私の方は年金は未だ一銭ももらっていないどころか、60歳までの保険料負担が我が身にずっしりとのしかかっているが。)
そうだとして、やはり亭主定年退職後の生活は厳しい現実であるのは当然だ。
アベノミクス経済政策により、今現在自動車業界が再活性化して過去最高の利益を上げているとのニュース報道を見聞するにつけ、(実は我が亭主も定年まで自動車業界人だったのだが)あの過去の栄光を再び!と叫びたくもなる我が家が現在置かれているノスタルジー実態だ…。
ただし、若き現役世代こそが厳しい現実を突きつけられていることも認識可能である。 今時晩婚・高齢出産が世に蔓延っている現実であろう。 それらの家庭が近い将来我が家同様、老後に及んで子どもの膨大な教育費負担を抱え込む事態も想像がついてしまうのが、ある意味空恐ろしくもある…。
片や、現在保証人を引き受けている我が身内親族の年寄り達の暮らしぶりを考察すると、過去の政権政策のいい加減さの恩恵に与り、結構な年金を得てそれを老後の豊かな財源としている様子であるのは揺ぎ無い事実だ。
義母の場合は、自分自身で実業家として経営を全うして得た財産を今現在有効利用し有料高齢者介護施設に入居しているため、他人である私がとやかく異論を唱える筋合いはまったくない。
一方で我が実母など、自民党政権が勝手気ままに金権政治を築き上げ、年金も社会保障も“どんぶり勘定”のいい加減な時代に公務員を定年までまっとうした世代だ。 その歪んだ政権の恩恵の下で実力以上の年金を現在尚ゲットし続けている。 原左都子としては、この現状は自分の親とて許し難いものがある。 それを時折親に訴えるのだが、既に年老いた我が母はまったく聞く耳を持たない…。 現役世代こそが過去の政権政策失策のお荷物を膨大に背負わされている事実を私が母に理路整然と訴えようが、悲しいかな「あんたはあんたの自己責任で頑張れ」の一言で済まされてしまう…。
ここで、上記「週間現代」の記事内容に関するネット上の反応の一部を要約して紹介しよう。
<その1> 「週刊現代」はこのところ立て続けに「貧困老後」特集を打ってますねー。 この雑誌の定番コーナー化するんじゃないかと私の予想。貧しい老人が増え続けることは確実だから。 今週号は、「相続」「老人ホーム入居金」トラブル。 老親が死んで、さあ相続・・・となったときに骨肉化する兄弟の争いとかシリアスだけど、そういう話って老親が認知症になる前にちゃんと書類をつくっておけば回避できるトラブルですがね。
「節約」って若い人の文化なんですよね・・・いくら節約しまくっていても、自分がいよいよ体の自由がきかなくなって、有料老人ホームに入ってしまえば”一律月生活費20万円以上”で、節約生活とは呼べない生活費になってしまう。
祖父母は孫にお金なんかやらんでもよろしい。やっぱ親だよね、親がきちんと「おじいちゃんからお金をもらってはいけない」と日頃から子育てやっていないと。
<その2> 「週刊現代」で70歳を過ぎてビンボーになった特集を連載していますが、共通しているのは長期的な資産防衛をしてきていないということです。 10年、20年、30年という期間を決めて資産をどのように運用し、どのように取り崩すかを予め決めていないために、70歳を過ぎて悲惨な老後となっているのです。
仮に50歳の人が70歳になった時から資産を取り崩して老後を送る場合、一体いくらのお金が必要なのか自分で計算し、そのお金をいかに増やすか自分で研究し、そして一度決めたらその日がくるまで10年間触らないことにつきます。10年、20年、30年間じっと保有し続けることが、結果的に資産を増やし守ることにつながるからです。
目先、目先を追い求めれば、結果リスクを背負いこみ、損を被るリスクが高まります。 『自分の資産は自分で守る」という事を実践し、決して3年、5年といった短期では運用収益を見ないということを徹底すれば、悲惨な老後はないかも知れません。
(以上、ネット情報より引用。)
最後に原左都子の私論に入ろう。
「週刊現代」の「70歳…… 」の特集記事をご覧になり、ネット上で持論を展開しておられる上記2名の方の言及にほぼ同意する私だ。
<その1>の方に関しては、我が家も既に公証役場にて義母の「遺言」を作成しているのに加え、いざ自分がケア施設に入居する場合には月20~30万円の節約生活とは言えない巨大な生活費を課せられる事実である事も十分承知している。
<その2>の方のご意見に関しても、この世において長期展望の資産運営をせずして老後を迎えようとしている世代に警鐘を鳴らそうとのご見解に、賛同申し上げたい。
今後老後を迎える人々にとって、政権が如何に移り変わろうが厳しい時代が待ち受けている事は揺ぎ無い事実だ。
家庭を抱えていようが独り身であろうが、僕(しもべ)の国民皆が自分自身の老後は自ら責任を持てずして成立し得ない程に、国家財政が厳しい現状であることを再認識しよう。