原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

絵むすび (朝日新聞2013.11.16編)

2013年11月18日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞11月16日別刷「be」に掲載されたパズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。 いつもながら、応募期間締切日に先立ち解答を公開しましたことをお詫び申し上げます。)


 「原左都子エッセイ集」に於いて、朝日新聞「絵むすび」解答を公開するのは今回で4度目となる。

 実にありがたい事に、朝日新聞がパズル「絵むすび」を紙面で公開する都度、本エッセイ集“絵むすびバックナンバー”の閲覧数が大幅に増加するのだ。  この現象とは、ネット各社の検索画面に於ける「絵むすび」検索上位に我が「原左都子エッセイ集」がランクアップされていることを物語るものであろう。

 私の場合、土日の新聞に目を通すのが大抵の場合週明けの月曜日となるのだが、既に土曜日から我がエッセイ集バックナンバーの「絵むすび」検索が急増する現象が起きる。 これを一見して、「ははあ、今週の朝日新聞パズルに『絵むすび』が取り上げられてるな」と直感するのだ。

 本日月曜日になり昼過ぎに朝日新聞土曜日版別刷「be」を開いたところ、案の定、先週のパズル課題の一つが「絵むすび」だった。
 もうそろそろ「絵むすび」解答は個人趣味範疇で楽しもうとの考えもあるのだが、上記のごとく各社検索画面上位に本エッセイ内で公開した「絵むすび」が複数ランクアップされている事実を勘案して、解答を公開するのも我が使命かと思い直し、今回もそれを実行する事とした。


 さて、11月16日版朝日新聞「絵むすび」は“レベル3”である。

 前回公開した「絵むすび(レベル3編)」解答以降、朝日新聞「絵むすび」はレベルが相当上がっているのではなかろうか?との印象を抱いている。
 今回の設問も一見して、今までの“レベル3”にしては難易度が高そうだと判断した。

 いずれにせよ、我が解答方式はいつもと変わりない。

 まずは、一方向のみにしか線をのばせない対象物に着眼した。
 今回の場合、「にんじん」「とっくり」「いか」がその対象となろうか。 特に「にんじん」の場合2個共に一方向へ進むしか手立てが無いため、とりあえずそれを直角線で結んだ。
 次なる標的は右下の「いか」である。これもとりあえず左に線をのばさざるを得ないであろう。 それを実行した後に、下から2~4段目部分に空白が多い事に着眼した。 「いか」はこの空白部分を通せば何とか繋がると予想したと同時に、その合間の横線を「串」の通路と決定した。
 後は簡単。 まずは「どんぶり」を結び、その他の空間を「とっくり」「ふぐ」とつなげば完成だ。

 参考のため、原左都子が今回の解答に要した時間は5分程度だったであろうか。


 などといつも解説しつつ、我が解法が少しも「絵むすび」の基本解法指針とは成り得ていないことなど承知の上だ。
 
 私が思うに、この種の課題を提出されるシチュエーションにより、各自の解答方針が異なってよいのは当たり前と心得る。
 例えば、朝日新聞が“お遊び”範疇で毎週「be」の記事としているパズルなど、まさに読者側も“お遊び”で解答すれば済む話であろう。 何も必死の覚悟で解答する必然性など何ら無い。
 もしも、これが子どもの受験や若者の入社試験の一課題として課された場合には、その意味合いが大きく異なって来る事は私にも理解可能だ。(実際そんな実態があるのかどうかは不明だが…)
 我がバックナンバー検索元の情報を少しだけ得ているのだが、老人福祉施設等でこの種のパズルに皆が挑む事を強制しているらしき記述が過去に存在した。 一旦集団現場でこの種のパズルを自己実現の一端として取り上げた場合、集団施設ならではの“下手な競争”が勃発してしまうことは想像可能だ。 もしかしてその競争を勝ち取るために我がエッセイ集から解答情報を得ているとすれば、人為的競争反対派である私は、今後「絵むすび」解答を当エッセイ集内で公開することを自粛するべきであろう。


 「パズル」とは、元々それに趣味がある人物が楽しむための一娯楽手段に過ぎない。

 過去の学校現場に於ける、まさにパズルごときの「知能指数検査」を児童生徒全員に課した過ちはとがめられるべきであろう。 (原左都子は「知能指数検査」とは単にパズルの延長に過ぎないとの印象を持っていることに関しては、2013.4.22 バックナンバー 元祖「絵むすび」に於いても綴っておりますのでご参照下さい。)


 そうだとしても、「絵むすび」検索により多数の方々が「原左都子エッセイ集」を閲覧下さる事により、大いなる活性化を受けていることも事実だ。

 今後共、朝日新聞「絵むすび」を解答する事により私自身も引き続き脳内活性化を図って参る所存です!

70歳過ぎてビンボーにはなりたくないが…

2013年11月18日 | 時事論評
 先だって朝日新聞下欄の雑誌広告内に、現在の我が身につまされるようなタイトルを発見した。

 「週刊現代」の一記事であるそのタイトルとは…

 「70歳からのビンボーはこんなに怖い(第3弾) 私はこうして70歳過ぎてビンボーになった <実例集> -幸せだった老後は簡単に瓦解したー」

 この記事を実際に読んではいない。  だが、定年退職後の亭主を自宅内に抱え“老後生活”に突入していると表現できる原左都子の日々の暮らしを鑑みるに、このタイトルは「明日は我が身」なる切実なインパクトをもって身近に迫ってくる。

 いえいえ、私の場合は、貧乏(というより“チマチマ生活”と表現するべきか?)には十分に慣れている。
 何分、子ども時代から「貯蓄」を一趣味としている私だ。  しがない庶民である私が趣味の貯蓄に励むには、日々の生活をチマチマと営む以外に方策はない。
 それでも、上京後の長い独身時代には全ての財産管理を自身が単独で執行可能だったため、その力量手腕によりそれ相応の華やかな時代も演出し得た。
 ところが、一旦家庭を持ち子どもを育てる立場ともなれば、やはり子どもの教育費の負担を第一義とせざるを得なくなるのは何処の家庭も同様であろう。 我が家の場合晩婚だったことがネックであろうが、亭主定年退職後の今現在尚、娘の大学学費等の膨大な費用が発生している。 その大まかな費用の蓄えは一応あるのだが、子どもが既に独り立ちして優雅な老後を送っている定年後のご家庭とは大幅に事情が異なることを実感させられる日々だ。

 加えて「原左都子エッセイ集」バックナンバーでも綴っているが、我が家は亭主定年退職後は夫婦間での「独立採算制」を挙行している。
 とは言え、これには一定の条件を設定した。 婚姻後子どもを産んだ後はその教育指導活動故に大した収入を得られなかった妻側の私であるため、一家の生活費に関しては亭主の企業年金に依存する事とした。 その他の公的年金に関して、お互いの「独立採算制」を挙行したのである。 要するに亭主の厚生・国民年金は亭主のもの。 私の厚生・国民年金(加えて私は独身時代に個人年金保険にも加入しているが)は私の自由裁量にするとの条件だ。(私の方は年金は未だ一銭ももらっていないどころか、60歳までの保険料負担が我が身にずっしりとのしかかっているが。)

 そうだとして、やはり亭主定年退職後の生活は厳しい現実であるのは当然だ。
 アベノミクス経済政策により、今現在自動車業界が再活性化して過去最高の利益を上げているとのニュース報道を見聞するにつけ、(実は我が亭主も定年まで自動車業界人だったのだが)あの過去の栄光を再び!と叫びたくもなる我が家が現在置かれているノスタルジー実態だ…。
 ただし、若き現役世代こそが厳しい現実を突きつけられていることも認識可能である。 今時晩婚・高齢出産が世に蔓延っている現実であろう。 それらの家庭が近い将来我が家同様、老後に及んで子どもの膨大な教育費負担を抱え込む事態も想像がついてしまうのが、ある意味空恐ろしくもある…。


 片や、現在保証人を引き受けている我が身内親族の年寄り達の暮らしぶりを考察すると、過去の政権政策のいい加減さの恩恵に与り、結構な年金を得てそれを老後の豊かな財源としている様子であるのは揺ぎ無い事実だ。
 義母の場合は、自分自身で実業家として経営を全うして得た財産を今現在有効利用し有料高齢者介護施設に入居しているため、他人である私がとやかく異論を唱える筋合いはまったくない。
 一方で我が実母など、自民党政権が勝手気ままに金権政治を築き上げ、年金も社会保障も“どんぶり勘定”のいい加減な時代に公務員を定年までまっとうした世代だ。 その歪んだ政権の恩恵の下で実力以上の年金を現在尚ゲットし続けている。  原左都子としては、この現状は自分の親とて許し難いものがある。 それを時折親に訴えるのだが、既に年老いた我が母はまったく聞く耳を持たない…。 現役世代こそが過去の政権政策失策のお荷物を膨大に背負わされている事実を私が母に理路整然と訴えようが、悲しいかな「あんたはあんたの自己責任で頑張れ」の一言で済まされてしまう…。


 ここで、上記「週間現代」の記事内容に関するネット上の反応の一部を要約して紹介しよう。

 <その1>  「週刊現代」はこのところ立て続けに「貧困老後」特集を打ってますねー。 この雑誌の定番コーナー化するんじゃないかと私の予想。貧しい老人が増え続けることは確実だから。 今週号は、「相続」「老人ホーム入居金」トラブル。 老親が死んで、さあ相続・・・となったときに骨肉化する兄弟の争いとかシリアスだけど、そういう話って老親が認知症になる前にちゃんと書類をつくっておけば回避できるトラブルですがね。
 「節約」って若い人の文化なんですよね・・・いくら節約しまくっていても、自分がいよいよ体の自由がきかなくなって、有料老人ホームに入ってしまえば”一律月生活費20万円以上”で、節約生活とは呼べない生活費になってしまう。
 祖父母は孫にお金なんかやらんでもよろしい。やっぱ親だよね、親がきちんと「おじいちゃんからお金をもらってはいけない」と日頃から子育てやっていないと。

 <その2>  「週刊現代」で70歳を過ぎてビンボーになった特集を連載していますが、共通しているのは長期的な資産防衛をしてきていないということです。 10年、20年、30年という期間を決めて資産をどのように運用し、どのように取り崩すかを予め決めていないために、70歳を過ぎて悲惨な老後となっているのです。
 仮に50歳の人が70歳になった時から資産を取り崩して老後を送る場合、一体いくらのお金が必要なのか自分で計算し、そのお金をいかに増やすか自分で研究し、そして一度決めたらその日がくるまで10年間触らないことにつきます。10年、20年、30年間じっと保有し続けることが、結果的に資産を増やし守ることにつながるからです。
 目先、目先を追い求めれば、結果リスクを背負いこみ、損を被るリスクが高まります。 『自分の資産は自分で守る」という事を実践し、決して3年、5年といった短期では運用収益を見ないということを徹底すれば、悲惨な老後はないかも知れません。
 (以上、ネット情報より引用。)


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 「週刊現代」の「70歳…… 」の特集記事をご覧になり、ネット上で持論を展開しておられる上記2名の方の言及にほぼ同意する私だ。
 <その1>の方に関しては、我が家も既に公証役場にて義母の「遺言」を作成しているのに加え、いざ自分がケア施設に入居する場合には月20~30万円の節約生活とは言えない巨大な生活費を課せられる事実である事も十分承知している。
 <その2>の方のご意見に関しても、この世において長期展望の資産運営をせずして老後を迎えようとしている世代に警鐘を鳴らそうとのご見解に、賛同申し上げたい。

 今後老後を迎える人々にとって、政権が如何に移り変わろうが厳しい時代が待ち受けている事は揺ぎ無い事実だ。 
 家庭を抱えていようが独り身であろうが、僕(しもべ)の国民皆が自分自身の老後は自ら責任を持てずして成立し得ない程に、国家財政が厳しい現状であることを再認識しよう。