NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」は、ネット情報によれば60代以上の世代と関西地方で前作の「あまちゃん」を超える人気のようだ。
どうりで、私もこのドラマに感情移入できるという訳か??
(参考のため、原左都子は還暦一歩手前の年齢であるのに加えて、関西地方出身ではない。 ただし言葉のイントネーションに関しては関西弁の方が感情移入し易いと言える。)
早速、以下に「ごちそうさん」に関する一ネット情報の一部を要約して紹介しよう。
大人気を博した「あまちゃん」よりも、「ごちそうさん」の方にこそ視聴率の軍配が上がりそうだ。(「ごちそうさん」の平均視聴率の最高は10月16日放送の27,3%) 放送開始後15回目にして、早くも「あまちゃん」超えを果たしてしまった。 週毎の平均視聴率でも今のところ「ごちそうさん」の方が優勢だ。
「“わかる奴だけわかればいい”という小ネタが満載の『あまちゃん』は、コテコテの笑いやストーリーを好む関西では視聴率が悪かった。 一方『ごちそうさん』は大阪放送局制作ということもあって関西人の心をガッチリとつかんでいる。 これからはヒロインのめ以子(杏)が大阪に嫁いでからの話になるので、この傾向はさらに強まるはず」 との論評があるのに加えて、
「『ごちそうさん』の好調は中高年の支持によるところも大きい。」と上智大学文学部教授(メディア論)も言う。 「ごちそうさん」は、朝ドラらしいゆったりとしたスピードに戻って、爽やかな恋愛やヒロインの成長を楽しめる。 その“ゆるさ”が本来の朝ドラの視聴者層にとっては見やすく、心地がいいのでしょう」
(以上、ネット情報より一部を要約して引用。)
このエッセイを綴るきっかけを得たのは、本日(11月11日)NHK昼のトーク番組「スタジオパーク」のゲストが、「ごちそうさん」に於ける嫁のメイコの“いびり役”である(義理姉カズエ役の)キムラ緑子氏であったからに他ならない。
そのトーク内容を紹介する前に、ここで一旦原左都子の私論に入ろう。
ドラマ内で主人公メイコが嫁ぎ先である大阪の西門家に転居した直後は、さすがに義理姉カズエの“いけず”ぶりに一時メイコの肩を持ちそうになった私だ。
ただ、その後私は冷静にドラマを観察し続けている。
確かにカズエの態度には(せっかくメイコが作ったメンチをひっくり返したり、東京から持参した糠床を処分する等)行き過ぎかつ倫理面で責められるべき部分はあるものの…。 要するに脚本家氏としては、あえて義理姉カズエの“いけず”ぶりをオーバーアクションで描写することによりカズエを悪者に仕立て上げ、主人公であるメイコファン視聴者を番組序盤から失わない方策を採ったのであろう。
そうであることなど百も承知だが、それでも私は義理姉カズエの論理こそを支持したいのだ。
嫁いで来た矢先の新米嫁がその嫁ぎ先の見知らぬ家族達相手に、少しばかり実家で習ったフォンのだしを取った料理を披露するなど、現在の時代に於いても“もっての他”と私も判断する。 新入りの嫁がなすべき事とは、まずは嫁ぎ先の様子を伺いつつ出された料理をいただきお礼を述べるのが常識ではなかろうか。
糠床に関しても同様だ。 そもそも何故そんなものを実家の親が娘に持たせたのかの責任こそを私は問いたい。 娘が見知らぬ土地や家に嫁ぐにあたり、とりあえず親とはその家に馴染むよう娘に教育するべきであり、娘が嫁ぎ先に慣れた暁に糠床を手渡し自己主張するべく指南しても遅くはなかったのではあるまいか。
明治時代の物語であるにせよ現代の平成の世の中であるにせよ、あるいは世界各国の文化宗教が異なる場面に於いてであるにせよ、人間関係における「礼儀」や「配慮」には共通した基本があると私は心得ている。 それは、歴史文化を超越して他者を気遣う視点ではなかろうか。
「ごちそうさん」のメイコには、明らかにそれが欠けていた。 大阪の嫁ぎ先へ行った直後から、若気の至り故に“自己の表出”を第一義としたことには間違いない。 そうではなく、人間とはまずは一歩退いて周囲の人間の出方を観察するべきではなかろうか。
話題を本日のNHK番組「スタジオパーク」に戻そう。
本日ゲストのキムラ緑子氏のトークが興味深かった。
氏曰く、「意地悪役をいただき演ずる事に関しては役者冥利範疇と言える。 その演技をまっとうするため、今春台本を自分が出演しない場面まですべて読み尽くした。 舞台が大阪版になり、東京場面とは一転して主人公をいたぶらねばならない使命を理解しつつ、とにかく意地悪役に集中した。 その結果として本日スタジオパークでプラスマイナスの反応をいただけることに感慨する。」
(あくまでも原左都子の観点で上記番組内容をまとめておりますため、キムラ氏の意思に沿っていない点がありましたらお詫び申し上げます。)
話題がテーマから逸れるが、このNHK番組「スタジオパーク」に関する疑義をここで一視聴者である原左都子から提案させていただこう。
本日のキムラ緑子氏のトーク対応に於いて、NHK司会者側が幾度となく同様の質問を繰り返す場面が見苦しかった。 それは「いびり役」に関しての質問だが、番組冒頭そして主たる司会者から同様の質問が既にあり、それにキムラ氏も十二分に回答されているにもかかわらず、何故女性アシスタント氏からまたもや視聴者からの質問として繰り返したのであろうか??
NHKが高視聴率を得ている「ごちそうさん」を売り物にしたい思いは理解できるが、生放送とは言え、もう少しゲスト氏こそを主役と捉えたトーク番組作りを展開できないものか?
最後に表題に掲げたテーマに戻ろう。
古い人間と後ろ指をさされようが、原左都子は「嫁に行きては嫁ぎ先の風習に従う」べくポリシーを持って、今現在も我が嫁ぎ先の人間関係の充実にこそ全力を尽くしている。
と言うのも、人生のステップとは過去の取るに足りない栄光に捕らわれるよりも、更なる上昇気流に乗る事を目的として日々精進するのが人間の基本と捉えているからに他ならない。
それは「結婚」とて例外ではない。 もしも何らかの障害を抱えた結婚であったとしても、自分なりの上昇気流に乗せるためにはその障害を乗り越える事こそが我が身に課せられた課題となろう。 それは時代の変遷や文化の差異によらず永遠普遍の人間のテーマかと私は心得る。
そういう意味では、「ごちそうさん」主人公メイコも力強いまでの努力を番組内で重ねているではないか。
弛まない努力とは必ずや人に伝わるものだ。
そんな一女性の努力の日々を、地道に丁寧に表現しようと試みているドラマ「ごちそうさん」はやはり素晴らしい。
(人間とは、「あまちゃん」のごとく大した努力も能力もなくして突如としてタレントになどなれるわけがないし、そうしてなったタレント生命などはかなく虚しいものだ…)
どうりで、私もこのドラマに感情移入できるという訳か??
(参考のため、原左都子は還暦一歩手前の年齢であるのに加えて、関西地方出身ではない。 ただし言葉のイントネーションに関しては関西弁の方が感情移入し易いと言える。)
早速、以下に「ごちそうさん」に関する一ネット情報の一部を要約して紹介しよう。
大人気を博した「あまちゃん」よりも、「ごちそうさん」の方にこそ視聴率の軍配が上がりそうだ。(「ごちそうさん」の平均視聴率の最高は10月16日放送の27,3%) 放送開始後15回目にして、早くも「あまちゃん」超えを果たしてしまった。 週毎の平均視聴率でも今のところ「ごちそうさん」の方が優勢だ。
「“わかる奴だけわかればいい”という小ネタが満載の『あまちゃん』は、コテコテの笑いやストーリーを好む関西では視聴率が悪かった。 一方『ごちそうさん』は大阪放送局制作ということもあって関西人の心をガッチリとつかんでいる。 これからはヒロインのめ以子(杏)が大阪に嫁いでからの話になるので、この傾向はさらに強まるはず」 との論評があるのに加えて、
「『ごちそうさん』の好調は中高年の支持によるところも大きい。」と上智大学文学部教授(メディア論)も言う。 「ごちそうさん」は、朝ドラらしいゆったりとしたスピードに戻って、爽やかな恋愛やヒロインの成長を楽しめる。 その“ゆるさ”が本来の朝ドラの視聴者層にとっては見やすく、心地がいいのでしょう」
(以上、ネット情報より一部を要約して引用。)
このエッセイを綴るきっかけを得たのは、本日(11月11日)NHK昼のトーク番組「スタジオパーク」のゲストが、「ごちそうさん」に於ける嫁のメイコの“いびり役”である(義理姉カズエ役の)キムラ緑子氏であったからに他ならない。
そのトーク内容を紹介する前に、ここで一旦原左都子の私論に入ろう。
ドラマ内で主人公メイコが嫁ぎ先である大阪の西門家に転居した直後は、さすがに義理姉カズエの“いけず”ぶりに一時メイコの肩を持ちそうになった私だ。
ただ、その後私は冷静にドラマを観察し続けている。
確かにカズエの態度には(せっかくメイコが作ったメンチをひっくり返したり、東京から持参した糠床を処分する等)行き過ぎかつ倫理面で責められるべき部分はあるものの…。 要するに脚本家氏としては、あえて義理姉カズエの“いけず”ぶりをオーバーアクションで描写することによりカズエを悪者に仕立て上げ、主人公であるメイコファン視聴者を番組序盤から失わない方策を採ったのであろう。
そうであることなど百も承知だが、それでも私は義理姉カズエの論理こそを支持したいのだ。
嫁いで来た矢先の新米嫁がその嫁ぎ先の見知らぬ家族達相手に、少しばかり実家で習ったフォンのだしを取った料理を披露するなど、現在の時代に於いても“もっての他”と私も判断する。 新入りの嫁がなすべき事とは、まずは嫁ぎ先の様子を伺いつつ出された料理をいただきお礼を述べるのが常識ではなかろうか。
糠床に関しても同様だ。 そもそも何故そんなものを実家の親が娘に持たせたのかの責任こそを私は問いたい。 娘が見知らぬ土地や家に嫁ぐにあたり、とりあえず親とはその家に馴染むよう娘に教育するべきであり、娘が嫁ぎ先に慣れた暁に糠床を手渡し自己主張するべく指南しても遅くはなかったのではあるまいか。
明治時代の物語であるにせよ現代の平成の世の中であるにせよ、あるいは世界各国の文化宗教が異なる場面に於いてであるにせよ、人間関係における「礼儀」や「配慮」には共通した基本があると私は心得ている。 それは、歴史文化を超越して他者を気遣う視点ではなかろうか。
「ごちそうさん」のメイコには、明らかにそれが欠けていた。 大阪の嫁ぎ先へ行った直後から、若気の至り故に“自己の表出”を第一義としたことには間違いない。 そうではなく、人間とはまずは一歩退いて周囲の人間の出方を観察するべきではなかろうか。
話題を本日のNHK番組「スタジオパーク」に戻そう。
本日ゲストのキムラ緑子氏のトークが興味深かった。
氏曰く、「意地悪役をいただき演ずる事に関しては役者冥利範疇と言える。 その演技をまっとうするため、今春台本を自分が出演しない場面まですべて読み尽くした。 舞台が大阪版になり、東京場面とは一転して主人公をいたぶらねばならない使命を理解しつつ、とにかく意地悪役に集中した。 その結果として本日スタジオパークでプラスマイナスの反応をいただけることに感慨する。」
(あくまでも原左都子の観点で上記番組内容をまとめておりますため、キムラ氏の意思に沿っていない点がありましたらお詫び申し上げます。)
話題がテーマから逸れるが、このNHK番組「スタジオパーク」に関する疑義をここで一視聴者である原左都子から提案させていただこう。
本日のキムラ緑子氏のトーク対応に於いて、NHK司会者側が幾度となく同様の質問を繰り返す場面が見苦しかった。 それは「いびり役」に関しての質問だが、番組冒頭そして主たる司会者から同様の質問が既にあり、それにキムラ氏も十二分に回答されているにもかかわらず、何故女性アシスタント氏からまたもや視聴者からの質問として繰り返したのであろうか??
NHKが高視聴率を得ている「ごちそうさん」を売り物にしたい思いは理解できるが、生放送とは言え、もう少しゲスト氏こそを主役と捉えたトーク番組作りを展開できないものか?
最後に表題に掲げたテーマに戻ろう。
古い人間と後ろ指をさされようが、原左都子は「嫁に行きては嫁ぎ先の風習に従う」べくポリシーを持って、今現在も我が嫁ぎ先の人間関係の充実にこそ全力を尽くしている。
と言うのも、人生のステップとは過去の取るに足りない栄光に捕らわれるよりも、更なる上昇気流に乗る事を目的として日々精進するのが人間の基本と捉えているからに他ならない。
それは「結婚」とて例外ではない。 もしも何らかの障害を抱えた結婚であったとしても、自分なりの上昇気流に乗せるためにはその障害を乗り越える事こそが我が身に課せられた課題となろう。 それは時代の変遷や文化の差異によらず永遠普遍の人間のテーマかと私は心得る。
そういう意味では、「ごちそうさん」主人公メイコも力強いまでの努力を番組内で重ねているではないか。
弛まない努力とは必ずや人に伝わるものだ。
そんな一女性の努力の日々を、地道に丁寧に表現しようと試みているドラマ「ごちそうさん」はやはり素晴らしい。
(人間とは、「あまちゃん」のごとく大した努力も能力もなくして突如としてタレントになどなれるわけがないし、そうしてなったタレント生命などはかなく虚しいものだ…)