10月から始まったNHK連続テレビ小説 「ごちそうさん」 が何とも素晴らしい!
いや原左都子の場合個人的趣味により、前作の「あまちゃん」が世間では“高視聴率”との指標にもかかわらず、物語の最後の最後に至るまでその作風の安直さに失望させられてばかりだったため、今回の「ごちそうさん」が特別輝いて映るのかもしれない。
申し訳ないが、私にとって「あまちゃん」とは一切の論評に値しない存在だったと言い切れる。 それ故、番組終了後も本エッセイ内で「総評」を記述する気になど到底なれずして時が経過した。
あれ程に“流行り病”のごとく「あまちゃん」を奉ったファン達も、実はその後の沈静化が急速である。 その衰退の激しさを今現在痛々しくも認識させられるのは私だけだろうか? 当ドラマに出演した俳優の中でその後のNHK番組に取り上げられている人物も存在するようだが特段再ブレイクするでもなく、時の流れとは残酷である事を実感させられる…。
冒頭の話題に戻るが、「ごちそうさん」を日々感情移入して見つつ涙を流す私だ。
「料理嫌い」で名高い原左都子にして、料理を取り上げたこの番組内で主人公はじめ家族や従業員の皆が一生懸命料理作りに励む姿に感動させられるのだ。
番組開始からこの1ヶ月間に於いて描かれた主たるテーマとは、主人公「めいこ」と下宿人である帝大生「ゆうたろう」さんとが出会ってから結婚に至る道程だったと私は認識している。
時は明治時代である。 男は仕事、女は飯炊きを中心とした家事に励むのがアプリオリの職責との、現在とは大きく価値観が異なる時代背景だったはずだ。 それにもかかわらず、今の時代に生きる我々にも通じる人間の繊細感情視点を大事にしつつ、実に実に細やかに二人が結婚に至るまでの道程を丁寧に描写し切れているドラマと私は賞賛する。 (料理嫌いのこの私とて、主人公「めいこ」が「ゆうたろう」さんの日々の弁当作りを通じて自ずと成長し、結果として結婚をゲットできた事に大拍手なのである。)
要するに、「ごちそうさん」主人公の「めいこ」は自らの良縁を自らの力で紡ぎ出せたのだ!
だからこそ、視聴者の感動を煽るのだと私は分析する。
話題を変えよう。
本日11月2日朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、43歳女性による 「この先良縁に恵まれますか」だった。
ここで原左都子の私論を少しだけ述べるならば、43歳にもなって他者に自分の良縁の未知数を相談する以前に、NHK「ごちそうさん」でも見て主人公の生き様を見習えばどうか、とアドバイスしたくもなるという事だ。
以下に、その相談内容を要約して紹介しよう。
私は現在43歳で、過去にお付き合いした方は数人いる。 30過ぎてからは特に好きな人が出来るわけでもなく、今に至るまできちんと付き合いをした男性はいない。 勤務先には既に独身男性はいないし、友だちに紹介してもらった相手にピンと来る男性もいない。 自分磨きをしようと思い習い事など多く経験して一通りの事は出来ると自負している。 結婚が出来るかどうかは縁だと思うが、この先私は良縁に恵まれるのか? 私には何が足りないのか?
(以上、“悩みのるつぼ”より要約引用。)
原左都子の私論を少し語ろう。
いやはや驚かされるばかりだ。 既に43歳にして、まるで少女のごとくの相談内容である。 善意に解釈すれば、この女性は本気で心が少女なのかとも推測する。 その手の女性を好む高齢男性はこの国にはごまんと存在しそうだ。 その純粋さを売りにして、見合い結婚を志しては如何かとアドバイスしたい思いだ。
では、今回の回答者であられる三輪明宏氏は如何に回答されているかについて、「まず自分を省みることです」 と題する回答内容の一部を以下に紹介しよう。
結婚とは、互いに相手に責任を持つことである。 健康、経済、精神等あらゆる面で相手をかばい思いやって助けてあげるということだ。 まずそこを理解しよう。 相談者自身が変わらない限り、永遠にこのままだろう。 職場には出会いがないということだから、今後は結婚相手を紹介するサービスを利用してもいいだろう。 習い事も一通りやったと言うが、そこから交際が広がらなかったのはどうしてなのか。 男性が多く通っているような習い事(例えばダンス教室等)の場を探してみてはどうか。
(以上、三輪明宏氏の回答内容より一部を紹介したもの。)
ここで原左都子の私事を語ろうと埒が明かないことは承知の上で、我が私事を少し記させていただこう。
私の場合は相談者とはまったく逆で、30歳前後からの男性との付き合いこそが濃厚になったと言える。 元々結婚願望に乏しかった我が20代の恋愛などほぼ少女時代の延長でしかなく、ミーハー的にチャラチャラした付き合いしか経験していないといっても過言ではない。
そんな折、28歳時点で知り合った男性の影響力を多いに受けたことには間違いない。その付き合いはお互いの意思で結婚には至らなかったものの、互いに培って来た専門力に感動しつつ当時の若さにして素晴らしい関係を築けた自負がある。 この経験こそが、その後の我が恋愛関係の礎になったとも言える。
結果として40歳近くして晩婚に至った私だが、その結婚は見合いに頼る事とした。 それは何故かというと、三輪明宏氏がおっしゃる通り「結婚」とはその後の一生に於いてお互いに“責任を持ち合える事”に他ならないためだ。 (上記「ごちそうさん」に於いても、若き二人のお互いの責任意識がピックアップされていた。)
「習い事」ねえ。
それに本気で打ち込めたら素晴らしい出会いもあるかもしれないが、私論としては絶望感が漂ってしまう…
確かに三輪氏が示唆されているように、「ダンス教室」などは男女が出会うきっかけを与えてくれるのかもしれない。 ところがこのような場とは、ひと昔前の若き男女が出会う場所だった「ディスコ」を私など思い描くのだが…。 何の責任も無い若き二人が一時の出会いを楽しんで済むのならば、それも一つの出会いの場所かもしれないが…。
もしも、“悩みのるつぼ”相談者である43歳女性が今後本気で結婚に至る出会いを願っておられるのであれば、それこそ本気で自分を磨き直してこの世を渡ってみられては如何かと私はアドバイス申し上げたい。
「本気」の人間には誰某氏かがなびいてくるものだ。 私の見合い晩婚の事例を挙げるならば、現在の配偶者の母親が「この(しっかり者の)女性こそ!」となびいてくれ成婚に至ったと表現して過言ではない。 今現在、ケアマンション暮らしの義母の財産管理まで一任されている私である。
邪道である事は承知だが、自分自身に何某かのセールスポイントがあれば、人とは結婚にありつけるのかと考察する原左都子である。
いや原左都子の場合個人的趣味により、前作の「あまちゃん」が世間では“高視聴率”との指標にもかかわらず、物語の最後の最後に至るまでその作風の安直さに失望させられてばかりだったため、今回の「ごちそうさん」が特別輝いて映るのかもしれない。
申し訳ないが、私にとって「あまちゃん」とは一切の論評に値しない存在だったと言い切れる。 それ故、番組終了後も本エッセイ内で「総評」を記述する気になど到底なれずして時が経過した。
あれ程に“流行り病”のごとく「あまちゃん」を奉ったファン達も、実はその後の沈静化が急速である。 その衰退の激しさを今現在痛々しくも認識させられるのは私だけだろうか? 当ドラマに出演した俳優の中でその後のNHK番組に取り上げられている人物も存在するようだが特段再ブレイクするでもなく、時の流れとは残酷である事を実感させられる…。
冒頭の話題に戻るが、「ごちそうさん」を日々感情移入して見つつ涙を流す私だ。
「料理嫌い」で名高い原左都子にして、料理を取り上げたこの番組内で主人公はじめ家族や従業員の皆が一生懸命料理作りに励む姿に感動させられるのだ。
番組開始からこの1ヶ月間に於いて描かれた主たるテーマとは、主人公「めいこ」と下宿人である帝大生「ゆうたろう」さんとが出会ってから結婚に至る道程だったと私は認識している。
時は明治時代である。 男は仕事、女は飯炊きを中心とした家事に励むのがアプリオリの職責との、現在とは大きく価値観が異なる時代背景だったはずだ。 それにもかかわらず、今の時代に生きる我々にも通じる人間の繊細感情視点を大事にしつつ、実に実に細やかに二人が結婚に至るまでの道程を丁寧に描写し切れているドラマと私は賞賛する。 (料理嫌いのこの私とて、主人公「めいこ」が「ゆうたろう」さんの日々の弁当作りを通じて自ずと成長し、結果として結婚をゲットできた事に大拍手なのである。)
要するに、「ごちそうさん」主人公の「めいこ」は自らの良縁を自らの力で紡ぎ出せたのだ!
だからこそ、視聴者の感動を煽るのだと私は分析する。
話題を変えよう。
本日11月2日朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、43歳女性による 「この先良縁に恵まれますか」だった。
ここで原左都子の私論を少しだけ述べるならば、43歳にもなって他者に自分の良縁の未知数を相談する以前に、NHK「ごちそうさん」でも見て主人公の生き様を見習えばどうか、とアドバイスしたくもなるという事だ。
以下に、その相談内容を要約して紹介しよう。
私は現在43歳で、過去にお付き合いした方は数人いる。 30過ぎてからは特に好きな人が出来るわけでもなく、今に至るまできちんと付き合いをした男性はいない。 勤務先には既に独身男性はいないし、友だちに紹介してもらった相手にピンと来る男性もいない。 自分磨きをしようと思い習い事など多く経験して一通りの事は出来ると自負している。 結婚が出来るかどうかは縁だと思うが、この先私は良縁に恵まれるのか? 私には何が足りないのか?
(以上、“悩みのるつぼ”より要約引用。)
原左都子の私論を少し語ろう。
いやはや驚かされるばかりだ。 既に43歳にして、まるで少女のごとくの相談内容である。 善意に解釈すれば、この女性は本気で心が少女なのかとも推測する。 その手の女性を好む高齢男性はこの国にはごまんと存在しそうだ。 その純粋さを売りにして、見合い結婚を志しては如何かとアドバイスしたい思いだ。
では、今回の回答者であられる三輪明宏氏は如何に回答されているかについて、「まず自分を省みることです」 と題する回答内容の一部を以下に紹介しよう。
結婚とは、互いに相手に責任を持つことである。 健康、経済、精神等あらゆる面で相手をかばい思いやって助けてあげるということだ。 まずそこを理解しよう。 相談者自身が変わらない限り、永遠にこのままだろう。 職場には出会いがないということだから、今後は結婚相手を紹介するサービスを利用してもいいだろう。 習い事も一通りやったと言うが、そこから交際が広がらなかったのはどうしてなのか。 男性が多く通っているような習い事(例えばダンス教室等)の場を探してみてはどうか。
(以上、三輪明宏氏の回答内容より一部を紹介したもの。)
ここで原左都子の私事を語ろうと埒が明かないことは承知の上で、我が私事を少し記させていただこう。
私の場合は相談者とはまったく逆で、30歳前後からの男性との付き合いこそが濃厚になったと言える。 元々結婚願望に乏しかった我が20代の恋愛などほぼ少女時代の延長でしかなく、ミーハー的にチャラチャラした付き合いしか経験していないといっても過言ではない。
そんな折、28歳時点で知り合った男性の影響力を多いに受けたことには間違いない。その付き合いはお互いの意思で結婚には至らなかったものの、互いに培って来た専門力に感動しつつ当時の若さにして素晴らしい関係を築けた自負がある。 この経験こそが、その後の我が恋愛関係の礎になったとも言える。
結果として40歳近くして晩婚に至った私だが、その結婚は見合いに頼る事とした。 それは何故かというと、三輪明宏氏がおっしゃる通り「結婚」とはその後の一生に於いてお互いに“責任を持ち合える事”に他ならないためだ。 (上記「ごちそうさん」に於いても、若き二人のお互いの責任意識がピックアップされていた。)
「習い事」ねえ。
それに本気で打ち込めたら素晴らしい出会いもあるかもしれないが、私論としては絶望感が漂ってしまう…
確かに三輪氏が示唆されているように、「ダンス教室」などは男女が出会うきっかけを与えてくれるのかもしれない。 ところがこのような場とは、ひと昔前の若き男女が出会う場所だった「ディスコ」を私など思い描くのだが…。 何の責任も無い若き二人が一時の出会いを楽しんで済むのならば、それも一つの出会いの場所かもしれないが…。
もしも、“悩みのるつぼ”相談者である43歳女性が今後本気で結婚に至る出会いを願っておられるのであれば、それこそ本気で自分を磨き直してこの世を渡ってみられては如何かと私はアドバイス申し上げたい。
「本気」の人間には誰某氏かがなびいてくるものだ。 私の見合い晩婚の事例を挙げるならば、現在の配偶者の母親が「この(しっかり者の)女性こそ!」となびいてくれ成婚に至ったと表現して過言ではない。 今現在、ケアマンション暮らしの義母の財産管理まで一任されている私である。
邪道である事は承知だが、自分自身に何某かのセールスポイントがあれば、人とは結婚にありつけるのかと考察する原左都子である。