原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

市民ランナーは如何に市民と共存するべきか?

2013年11月14日 | 時事論評
 私にはランニングの趣味があることを、本エッセイ集に於いて幾度か披露している。
 日々のランニング練習成果の程を確認するべく、年に2,3度のペースで公的に開催される素人ランナー向けの大会にエントリーし出場してきている。
 先だっての日曜日にも、都内某公立公園内で開催されたロードレースに娘と共にエントリーし出場した。

 
 今回の我がエッセイに於いては(当該ロードレースでの自分の“ヘボい”結果の程は後回しにして)、自治体が管理運営する公共公園内(及びその外周公道)等々でランニング大会を開催する事の是非に関しての私論展開を主眼とする。

 と言うのも以前より私自身が公共公園内等戸外でランニング練習する度に、重々気にしている事があるのだ。
 今現在、ランニング(及びウォーキング)愛好者市民は数多いのに加えて、今後益々増加の一途を辿るであろう。
 そのうちウォーキングに関してはさほどのスピードが出ないため、一般市民に迷惑を及ぼす事態の発生危険性頻度は少ないのかもしれないと捉える。
 一方、ランニングともなるとそのスピードが速い(私の場合決して速くはないのだが)ため、例えば公園内を散歩中のお年寄り達やベビーカーを押している親子連れを抜き去る場合など、大回りする等配慮して恐怖心を煽らないように気遣うべきと心がけている。

 そういった配慮に欠けていると思しき市民ランナーに遭遇する機会が多い現状である。
 上記のごとく原左都子の場合ランニングスピードが遅い事を認めるが、その真横を「こののろま野郎、邪魔だよ!」とでも言いたげに猛スピードで抜き去る市民ランナーに出くわす場面もあるのだ。  相手はおそらく相当のランニングつわものなのだろうが、ちょっと待って欲しい思いを募られる。 
 この場を一体何処とわきまえてるの? 一般市民が集う公園だよ。 そこを個人的ランニング練習場所にするならば、公的施設故の整合性も視野に入れたらどうなのよ! 

 中高学校陸上競技部に関しても、私は同様の感覚を持っている。
 特に都会に於いては、陸上競技部の練習の場が公共公園や公立陸上競技場にまで及ばざるを得ない実態は理解可能だ。 それにしても、一般市民が下手なランニング練習をしている場で、「そこどけ!」とばかりに一丸となって高速で真横を駆け抜ける事態は危険極まりない。
 一体どっちが悪い? 中高生陸上部員達の今後の成長を見守るべきなのに、公立公園内でよたよたとランニング練習などしている年寄りの私が悪いのか??


 そんな肩身の狭い思いを日々繰り返しつつ公的公園内等でランニング練習を重ねた後に、いよいよ都内某公立公園内及びその外周一般道を舞台として開催されたロードレースへ出場する当日と相成る。

 昨年もこの大会に出場した私だが、今年の会場の印象はどうやら(ボランティアも含めた)係員が激減しているのか??との事だった。 レースをスタートしてみると、案の定昨年に比して各所各所で対応する係員の数が目に見えるように少ない。
 例えばこの公園の場合、公園内のメインストリートやサブ道路が一般道の役割も果していて自転車及び歩行者の通行が多い。 昨年の場合、それをロードレース大会のためにほぼ全面「通行止め」にする措置が採られていたのだが、今年は様子が異なった。

 私がエントリーした5kmロードレースなど、何故か公園内の一般市民の通行路がスタート地点だ。
 その“道路”の両側に自転車が数多く駐輪している。 ちょうどスタート5分前に駐輪している自転車に乗って帰ろうとしたご婦人が、スタートラインに立つ大勢のランナーで道を占領され自転車を出せなくて困惑している場面に出くわした。 これ、どっちが悪い?  もちろん、こんな場所をスタート地点としたロードレース主宰者側が悪いに決まっているだろ!  私も直ぐ様そう判断した。  同じ思いの高齢者ランナー女性達が、スタートラインに立っているランナー側こそが場を譲るように指南した。 そして、自転車のご婦人は難儀しつつも帰路につけたとの話だ。

 あるいは私が5km終盤地点でメイン道路を横切ろうとした時、お年寄りボランティア係員の通行止めの措置が遅れたために、危うく自転車通行人と接触しかけた! これには一瞬驚くと同時に失速せざる得なかったものの、私の脳裏に「ここは公道、自転車通行者こそを優先して当然!」との思いが過ぎり、道を譲ると同時に自らを奮起し直せた。  10秒ほどのロスがあったもののそれが功を奏し、私は最終場面の陸上競技場ゴール手前で一人を抜き去れた事に、大いなる達成感をもらえた今回の大会だった。 


 ランニング及びウォーキング人口が急激に膨大する我が国である。 
 何故その種のスポーツ人口が膨大するのか、阿倍政権は認識されているだろうか?

 原左都子の結論を述べるならば、(我が身に照らして)カネがかからず実行可能なスポーツであるからに他ならない。 そして人間関係が希薄化した今の時代に於いて、単身で十分に楽しめるスポーツであるからこそに違いないであろう。

 そうだとしても、公立公園等の公共施設を自治体はこのままの形で野放図にランニング大会の会場として使用許可を出し続けて許されるのであろうか?

 市民の皆が人間関係の希薄化現象に悩み続けている実態の中、各世代及び多様な趣味を持つ市民の皆がそれぞれの立場や個性を活かしつつ公共施設を有効利用したいものと私は心得る。
 そういう意味では、一部のランニング団体が休日の一時に公的公園をロードレース会場として使用してもよいのかもしれない。
 
 それでもそれに出場した一市民の立場から、一般人の通行を塞き止めてまで「単なる素人趣味の“お遊び”でこんな事やってて許されるのか??」との申し訳ない思いを抱く人間が存在する事実にも、思いを馳せて欲しいものだ。