原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

絵むすび(朝日新聞2014.3.8編)

2014年03月09日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2014年3月8日別刷「be」に掲載された パズル 「絵むすび」 に原左都子が解答したもの。)



 今回の朝日新聞「絵むすび」は、レベル4にしては簡単でしたね。

 チャチャッと、3分程度で解答出来てしまいました。 



 本日これから、東京有楽町 東京国際フォーラムで開催中の「アートフェア東京2014」(本日3月9日が最終日です。)を観賞しに出かけますので、今回の「絵むすび」は解答の公開のみにさせていただきます。 

 

身内高齢者達を“あの世”に送った後も一人で飯を食える女でありたい

2014年03月08日 | 時事論評
 本日(3月8日)先ほどNHKテレビで放映された 連続ドラマ「ごちそうさん」内で、主人公め以子の義理姉 和枝が、め以子に向かって発したセリフが現在の我が身とピタリとダブる思いだ。

 「女とはなあ、家族皆を一人ずつ(あの世に)見送ってまた見送って、その後我が身だけ残された後に(この世で)一人でご飯を食べつつ生き残る宿命を背負ってるんや。 あんたも若気の至りで“一人でご飯を食べるのが寂しい”などと言うとらんと、ちょっとは一人でご飯を食べれるようになりや。」
 (原左都子の記憶のみに頼り綴っておりますので、ドラマ内セリフと多少異なっているであろう事をお詫び申し上げます。)


 冒頭から原左都子の私論に入ろう。

 まさに和枝さんがおっしゃる通りの宿命を、女性は背負って生まれてきていると実感させられる今日この頃の私だ。

 そんな私にとっても、め以子の軟弱さはふがいないし鬱陶しい。 
 と言うよりも、この場面のドラマシナリオ自体が不自然との実感を抱かされる。
 何故、“いけず”の義理姉と一緒に食事をしたいとの発想がめ以子側から出るのか?  今までの習慣でめ以子が家族と共に食卓を囲んで来たことはずっとドラマを見てきた私も知っているが、何も好き好んで自分を敬遠しようとしている相手(和枝)と本気で食事を一緒にしたい訳などあり得ないだろうに…。
 もしも私が和枝の立場であるとて、め以子と一緒に食事をする事など断じて御免蒙りたい思いだ。


 ここで私事を語るが、私は過去に於いて40歳近くまでの約17年間に及ぶ単独独身生活を貫いてきている。
 その間、気心知れた彼氏や友人や職場の上司や仲間と一緒に外食(そのほとんが飲み会なのだが…)をする機会を数多く経験している。

 そんな私が一番苦手だったのが、彼氏からの我が家にて食卓を囲みたいとの嘆願だった。
 それを訴える相手には必ずや断固としてお断りした。  一緒に食事をしてもいいけれど、何故我が家でそれを実行せねばならないのか?  外で二人で食事をすれば十分だし、あるいは貴方の家ででもいいでしょ??  なる我が正直な希望に沿ってくれる相手も結構存在して、私は彼氏の家でよく食事をしたものだ。 その際も私と同様に多忙な相手の立場を思いやり、必ずや何某かの食材や酒を買い求めて彼氏の自宅を訪ねたものだ。

 我が若かりし時代のノスタルジーを語ろうが、らちが明かない事など承知の上での話題だが…。


 悲しいことに現自民党安倍政権とは憲法解釈等により、極論を言うならば、我が国を「戦争が出来る国」に仕立て上げようとしている事実に、その政権運営実態から推し量る国民が少なくない事であろう。

 現在放映中のNHKドラマ「ごちそうさん」とは、後半に於いて昭和戦時中に庶民が国家から理不尽や不自由を強いられた時代背景を描くことにより、現在政権を担っている安倍政権へ“ささやかな抵抗”を試みようとの趣旨と受け取っているのは原左都子だけだろうか??

 戦争の過ちや理不尽さを、それにより家族を失う悲しみや憎しみを表現することで、主人公め以子をはじめとする登場人物を通して実に繊細に描写しているドラマと解釈して、私は「ごちそうさん」を高評価している。


 話題が変わるが、一昨日、私は保証人を担当している親族の一人である義理母を伴った旅行から帰宅した。
 人生の終盤にさしかかっている(?)義母から、「人生最高の旅行だった!」との感想を頂戴したことが何よりの私の喜びとも実感している今現在だ。
 同時にいつ訪ねても私に“悪態”を突き続ける、同じく人生終盤の我が実母が郷里で一人暮らしであることにも思いが及ぶ。

 そんな私は、近い未来に親族皆を“あの世”へ見送った後にも“一人でご飯を食べる”事など容易な事として今は認識している。
 次世代を力強く生き抜かねばならない我が娘に、我が老後の支援など一切頼りたくない思いが強靭だ!
 加えて、集団嫌いな私がまかり間違っても将来「ケアマンション」で集団生活など出来る訳もない。(これ程までに国家の年金事業がダメージを受けている現実を鑑みた場合、私にはその金力もないだろうし…)

 ドラマ「ごちそうさん」の和枝さんがおっしゃる通り、女である私は身内皆をあの世に送った後の老後も“一人飯”を堪能し続けるであろうし、そうして生き延びるしか選択肢がない現実を今から切実に実感させられる思いでもある。

頼ってくれる人がいる幸せ

2014年03月03日 | 人間関係
 どうやら原左都子とは、人からの“信頼・人望が厚い”人間であるようだ。

 いえいえ、それは親族内に限った話である事を最初にお断りしておこう。


 先週航空機便にて旅に出た私だが、その第一目的とは我が郷里の実母を訪ねることにあった。

 そして立て続けに明日から再び旅行に出発するが、今回は義母を引き連れての親孝行目的旅である。

 両方の母共々、娘(あるいは嫁)の私の存在など二の次、“可愛い孫”の成長した姿こそを一見したいであろうとの私の配慮から、今回は娘の大学春期休暇を利用しての間髪入れずのハード旅程となってしまった。 
 と言うのも、可愛い孫の姿を見てこそ両母共に心底心が安らぐ事など重々承知の上である。
 娘(あるいは嫁)である私が果たす役割とは、両母に成長した孫の姿を見せつつ、「要支援」の身の二人の現状を医学的及び人道的観点から観察し、今後ご両人が死に至るまで充実した人生が歩めるよう最大限の支援を実行する事に他ならないのだ。


 幸いなことに、80代前半に至っている二人の母共々、心身共に比較的元気に推移しているようだ。

 実母に関しては実娘の私に対する我がままからか、たった2日間の滞在にもかかわらず悪態を突いてくるのはいつもの事だ。 それでも孫である我が娘に対しては一歩退いて、成長を祝う視線に安堵させられる。
 実母の場合、米国に長女(私にとって実姉に当たるが)もいる。 ところが、この実姉に老後の支援を頼ろうとの考えが一切ないようだ。 母曰く、「長女は米国暮らしだから易々と日本に戻れない」との理由のようだが、私に言わせてもらうと、航空機便が世界規模で目覚ましいまでの進化を遂げている今現在、私が住む東京と米国西海岸の距離差は母の思惑程大きくないはずだ。
 なのに何故実母は私を“終(つい)の後見人”にしたいのか?  それは、実母にとっては姉よりも私の方が“扱い易い”からに他ならない事ぐらい認識できている。 それでも、それは我が“人徳”と捉えることにより、実母の期待に応えつつ母の最終章を私が見守り切りたい思いでもある。

 もっと有り難いのは、義母もまた“終(つい)の後見人”の位置付けとして私を頼ってくれている事実だ。
 義母の場合は、それまで面倒を看てくれていた義理姉を昨年6月に壮絶な癌闘病の後に亡くすとの、突然の不運に見舞われた。
 そこで義母の後見人を名目上引き継いだのが長男である我が亭主だ。 ところが義母が提案した事実とは、“実質的に”面倒を看て欲しいのは息子である長男よりも、嫁の私との事だ。
 これにも大いにガッテン!の私であったし、それこそが義母が老けていない証拠と受け取った。 何と言っても、高齢者を総合的に看る能力とは女性の方が長けていると私も感じる。
 加えて義母の場合、ある程度の財産を所有していることが一番の判断材料となったと判断する。 財産管理をその学術的背景(参考のため私は「経営法学修士」を取得しているのに加えて、税理士試験税法3科目免除申請も通過している)のある私に一任したいと言ってくれたことこそが、私のプライドを呼び起こす原動力ともなった。

 先週実母が住む田舎へ出発直前日に、私は義母の「青色申告」を滞りなく済ませた。 
 それを義母に電話にて報告した際、どれ程義母が安堵し喜んでくれた事か!


 親孝行とはこういう風にしていくことが、原左都子なりの特性や人生経験に応じた生き様なのであろう。

 そんな私を頼ってくれる高齢者が身内に複数存在する事実こそが、我が今後の“幸せ”を紡ぎ続けてくれることと信じ、明日から再び旅に出ます。

航空機座席の運・不運どうにかならないものか!

2014年03月01日 | 旅行・グルメ
 昨夜旅行から帰宅した原左都子だが、復路航空機便座席でとんでもない「不運」に見舞われ、せっかくの旅行が台無しとなってしまい腹立たしいやら落胆させられるやらの後味の悪さである。


 そこで今回は、マイナーな内容の旅行記を読者の皆様に公開し恐縮だが、昨日私が航空便復路で味わわされた機内座席の「不運」に関して論評させて頂く事とする。

 そもそも航空機に限らず、劇場であれ映画館であれ居酒屋であれ、はたまた学校教室の席順であれ、予約したり案内されたりくじ引きで決まったりの自分の座席に関する「不運」とはつきものだ。 ろくでもない輩やグループの前後左右座席の“外れくじ”を引かされた時の無念に関しては、誰しも経験があるであろう。
 人為的なミスによるものでない限り、たとえ“外れくじ”を引かされたとて、その「無念」のはけ口が何処にもなく、ストレスを自身の内部に溜め込み胃を痛めつつ時を過ごすしか方策がとれないものだ。


 旅行に際し航空便を頻繁に利用する私だが、大抵の場合はネット検索により早期に自分自身で航空機座席を予約する。
 その際の最大の留意点とは、当然ながら他の旅行客に邪魔されずに快適に過ごせそうな座席を如何にセレクトするかである。 ところが座席予約の際の情報とは限られているのに加えて、結果として満席になる場合は当然ながら何処の席を予約したとて「不運」は避けられない運命にある。 それは致し方ない事として私も耐え忍ぶ事が可能だ。
 
 昨日帰宅した旅行に際しては(敢えて実名を挙げさせてもらうが)ANA便を利用したため、同じ目的地を往復するJAL便よりも空席が多いことを私はあらかじめ周知していた。
 今回は娘との二人旅のため、3席並列の座席を通路側から2席予約しておけば、空席が多いANA便でまさかその横の窓側席を敢えて予約する人物はいないだろうと予測していた。

 往路に関してはこれが大正解で、3席の空間を二人で独占でき娘と水入らずの片道旅程が叶った。


 ところが、どうしたことか!?!
 復路便では、信じられない「不運」が降りかかる運命となったのだ! 

 帰路の空港に到着すると、案の定我々親子が乗り込むANA便の搭乗者数が少ないようだ。 「これはまた、3席並列座席を独占できそうだね!」と娘と共に喜びつつ飛行機に乗り込んだ。
 やはり搭乗者が少ない様子で、座席に着いてすぐに「まもなく離陸」案内がアナウンスされた。

 その時である。
 離陸間際に搭乗してきた男性客の座席が我々の横の窓側席だったようだ。  女性客室乗務員に「お席はこちらです」と案内されつつ、なんと前後左右に空席が目立つ機内で何故か我々の横の窓側座席に入り込もうとするではないか!?
 
 その時、私の脳裏に様々な思いが過った。  空席が目立つ機内シチュエーションに於いて、何故、客室乗務員は「よろしければこちらのお席はどうですか?」と別空席を男性に勧めないのか??
 もしかしてこの男性自らが座席を予約したとして、この客は如何なるルートで座席を予約したのか? もしかしたら人に囲まれたい性質の人間なのか??  まさか予約画面で隣席が女性2人だからその隣席を希望する、なる個人情報を得られないことに期待したいが、ANAでは例えばVIP客にはその種の特権でも与えているのか???
 あるいは現地空港予約の際にANA担当者が“意地悪観点”から、機内空席が余りあるにもかかわらずあえてその男性に我々母娘の横の席を指定したのか????


 原左都子のANA疑惑は行きつくところを知らない。
 ANA機内に於いて搭乗客が少なく空いているにもかかわらず、味わわされた航空機座席に関する「不運」を今尚根に持ち続けている。

 もちろん我々母娘の方から、ANA客室乗務員へ“座席変更”願いを持ち出す事など周知の上だ。
 ただ不運な事には、上述のごとく搭乗客が少ないが故すぐさま離陸体制に入ってしまったのだ。 その状況下でまさか非常識に“座席変更”など言い出せる訳がない。
 それに加え、たかが1時間程度の飛行距離において、離陸体制が解除された後に至って“座席変更”など嘆願する乗客も皆無であろう。
 結果として、周囲の乗客が3席分の座席を独占してゆったりしている機内風景を見るにつけ、「何で我々は空いている航空機内でこんな窮屈な空旅を課せられなきゃならないの!?!」なる理不尽とも言えるANAから課せられた行脚に耐え忍ばされたのが事実だ。 (帰宅から1日経過した今現在もANAには“恨みつらみ”の感覚が消え去らない。
 (しかも、その窓際席男性の「チック神経症状」とも捉えられる“鼻すすり”大音声が1時間の飛行時間真横の席から絶え間なく繰り返された事実にも、元医学関係者の私としては耐えがたい屈辱を味わわされ辟易としたのだが…)


 最後に、原左都子からの航空機会社への提案で締めくくろう。

 近年は日本国内のみならず、世界各国大小規模にかかわらず航空機各社も「空席」を出来るだけ最小限に留めるべく経営努力をしている様を実感している。

 それでも、機内で空席が出てしまった場合の対策をもっと吟味してはどうなのか?
 たかが国内零細便一般席座席に関しても、杓子定規ではなく臨機応変な対応を実行出来ないものなのだろうか??

 今回我々親子が昨日ANAで経験したような、「周囲の乗客は空席たっぷりの機内でゆったり寛いでいるのに、何故我々親子のみが3席との狭い空間で他人と同席せねばならないのか」なる“不公平感”のみは即刻解消して欲しい思いだ。

 その際、一番に採るべく対応策とは、客室乗務員の再教育であろう。
 現在では航空機業界に於いて客室乗務員のパート化が急激に進んでいるようだ。 たとえパート乗務員であろうが、機内空席状態を一瞬に見定め、すべての顧客に不公平なくより快適な空旅が叶うようなシステム作りを(特にANAには)早急に願いたい思いを持って、今回このエッセイを綴った次第だ。