原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

STAP不正確定で尚下村文科相は小保方氏をかばい続けるのか?

2015年01月06日 | 時事論評
 この元旦に理研に勤務する複数の職員の方から年賀状を頂戴した。
 その一枚に、「昨年は理研もなかなか大変でした。」との直筆一文が記された賀状があった。 
 「ご迷惑の程を重々お察し致します。」とご返答申し上げたい思いだ。

 私が理研にアルバイトの身分で勤務していた10年少し前の時代にも、研究不正(米国研究機関よりの理研研究者著作権侵害)等の事件があった事を記憶している。
 それら過去の研究不正に比し、昨年理研にて発生した「STAP事件」の悪質性や世界を騒がせた不祥事レベルとは、おそらく理研創設以来初めての驚くべき出来事だったのではあるまいか。


 本日(1月6日)昼のNHKニュースによれば、6日時点で小保方晴子氏のSTAP研究不正が確定したとのことだ。 以下に、その内容を紹介しよう。
 STAP細胞の問題で理化学研究所は、小保方晴子元研究員が実験データを捏造したとする調査委員会の報告書に対し期限の5日までに不服申し立てを行わず、不正が確定したことを明らかにした。 今後、懲戒処分が検討されるが、小保方元研究員はすでに退職しており、実質的な処分はできないということである。
 理化学研究所の調査委員会は先月26日、報告書を公表し、STAP細胞を培養・凍結保存していたものは、実際にはES細胞だったとしたうえで、小保方元研究員が論文の2つの図で新たに捏造を行っていたと認定した。 これに対し、小保方元研究員には不服申し立てを行える期間が5日まで設けられていたが、理化学研究所に対し申し立てはなかったということだ。
 これで小保方元研究員の不正が確定したことになり、理化学研究所は今後、懲戒委員会を開き関係者の処分を検討する。
 ただ小保方元研究員は、みずから行った検証実験でもSTAP細胞を作り出すことができず、先月すでに退職していて実質的な処分はできない。
 (以上、本日昼のNHKニュースをまとめたネット情報より引用。)


 当該ニュースに関しては既に年末の12月下旬頃より繰り返し報道されているため、国民の皆さんにとって特段目新しくもないであろう。

 そんな中、昨年12月20付朝日新聞にて(元科学者の端くれである)我が私論と一致する「検証実験 科学界異論も」と題する記事を見つけスクラップを保存していた。 以下にその内容を(原左都子の私論を前面に押し出しつつ)要約して紹介しよう。
 監視カメラ付きの部屋に電子カードによる入退室の記録管理。 理研による小保方氏のSTAP検証実験は異例の環境下で3ヶ月近く続けられた。 
 科学界では実験の意義がそもそも無かったとの見方が強い。 STAP論文を撤回し、それを科学誌ネイチャー(及びその他)が撤回を認めた時点で既にSTAP細胞が存在しなかったことは明白だ。 にもかかわらず、何故小保方氏を特別扱いしつつ長い時間と(国民の血税による)研究費をかけて検証実験を実行する意味があったのか?!  某分子免疫学分野の大学教授(私はこの人物を我が20代の頃免疫学に携わっていた頃より存じ上げているのだが。)は、「STAP論文のデータは不十分で科学的には間違いであった事など論文提出当初より明白だった。理研内での検証実験とは、科学者以外の人達を納得させるための儀式でしかなかった。」
 (以上、朝日新聞記事より一部を原左都子の私論を前面に出しつつ紹介したものであるが、私自身が我がエッセイ集バックナンバーに於いて幾度となく公開してきた論述と一致する。)

 上記朝日新聞記事の中には、それに反発する意見も掲載されているのだが、割愛させて頂いた。


 そうしたところ、今回の小保方氏研究不正を受けて文科省大臣であられる下村氏より小保方氏を弁護するべく弁舌がなされた。 以下にその内容を紹介しよう。
 STAP論文で小保方晴子氏の新たな研究不正が確定したことについて、下村博文文部科学相は6日(本日)の閣議後の記者会見で「1人だけの問題ではない」と指摘し、理化学研究所の今後の対応を見守る考えを示した。 下村氏は理研を「組織全体としてずさん」と批判し「国民に対する説明責任も問われる」と述べた。

 私の記憶によれば、下村文科相はSTAP事件が発生した当初より小保方氏弁護に回っているようだ。 下村氏の主張点とはいつもいつも「小保方氏一人の問題ではない」……  
 それを発言せずして、下村大臣は文科相を貫けない何らかの裏事情でも抱えているのか?? と私が心配する程に、大臣の立場の発言として信じられない程にこればかりに執着しておられる。
 もしかしたら下村大臣とは小保方氏の関係者なのか???  と国民から勘繰られたとてそれは自己責任であろうに。

 そこで私は下村博文氏の経歴に関して、ウィキペディア情報を検索した。
 なるほど、一切の理化学分野の経歴がない人物であられるようだ。 ならば、ここは自民党政権が12月に国民により再選された事だし、少しはその分野を勉強し直してから一国家閣僚の立場として「STAP事件」を再論評し直すべきだったのに、いつまでも小保方氏弁護に明け暮れるとは一体どうしたのか!?

 下村さん、あなた一体国家省庁の長として、国内最大規模にして最高の位置付けにある科学研究機関である理化学研究所の今後の運営を如何に捉えているの?? 
 小保方氏など今回の理研STAP事件に於いては“末端研究者”の立場だよ。 国民皆が小保方さんを知っているからと言って、それを前面に出してかばえば国民の評価が得られるとでも今更ながら目論んでいるのか?!

 それより、この事件を契機として我が国の理化学研究の在り方を見直そうではないか、下村さん。
 まずは、科学者を目指す人物の教育の充実こそが文科省が一番優先するべき課題であろう。 
 世には底辺(小学生時代)から理系教育を見直そうの動きがあり、その一環として義務教育課程の“理科実験”を充実させるべきなる考えあるようだ。 ところが残念ながら、私はその意義は低いと結論付けている。(当エッセイ集バックナンバー「実験好きと理系頭脳とは相関し得るのか?」を参照下さい。)

 むしろ、大学院(特に博士課程の現状)レベルから見直すのが即決力があるのではなかろうか?
 それが証拠に小保方晴子氏の早稲田大学博士課程に於ける博士論文がずさんだったとの結論で、論文撤回されているのが事実だ。
 何をやってる早稲田は?! と責める以前の問題として、文科省大臣たる者、そんな大学院を認可している事実を反省・再構築することからスタートし直しても決して遅くないはずだよ!!

おみくじで「凶」を引く恐怖

2015年01月04日 | 自己実現
 私は、神社のおみくじで「凶」を引いた経験がある。


 今から6年前の当エッセイ集2009年1月3日バックナンバー 「今年も大吉で行こう!」 に於いてその詳細を綴っているため、以下に今一度一部を要約して紹介しよう。

 私は普段は星座や血液型、手相等々の「占い」にはさして関心のない人間なのだが、新年の初詣の際に「おみくじ」だけは毎年欠かさず引く習慣がある。  これには私なりの隠された“苦い過去”があるためだ。  
 今を遡ることウン十年前の高校生時代に、私は神社のおみくじで「凶」を引いた。  学校の夏休み中に、遠方の友人の家に別の友人と2人で泊りがけで遊びに行った。 真面目で健全な(?)高校生だったため、喫煙したり飲酒したりということは一切ないのだが、友人宅にルーレットやダーツなどの“賭博おもちゃ”がいろいろと装備されていて、それに3人ではまり深夜まで楽しんでいた。 おそらくチョコレートやキャンディなどのお菓子を賭けて遊んでいたのだと思う。
 不思議現象は既にその時から始まっていた。  どうしたことか、私が大当たり大儲けの連続なのである。 それはもう“神がかり”としか言いようのない程、当たって当たって当たりまくるのだ。 例えば、ルーレットでは数字そのものがズバリと連続で何度も当たる! 他の友人達も負けて悔しいと言うよりも、私の当たり様がまさに“神がかり的”で皆で怖くなるほどだった。
 さて次の日、宿泊させてもらったお宅の友人のお父上(開業医であられた)が、私達のために仕事を中断して隣県までドライブに連れて行って下さった。 道中に神社があり、そこでお参りをすることになった。高校生故にまだまだ子どもの私達は「占い」に関心がある。 3人で「おみくじ」を引いて比べっこすることしにしたところ、そこで私が引き当てたのが「凶」だったのだ。  
 神社にもよるようだが、おみくじで「凶」を引き当てる確率は至って低い(あるいは元々「凶」を入れていない神社もあるらしい)と聞いている。 その「凶」をまたまた引き当てた私に友人の一人が言う。「○ちゃん(私の名前)、昨日の“神がかり”がまだ続いてるね……」  まだまだ子どもである事が幸いして、「凶」を引き当てた事が物珍しい程度で、さほど気にするでもなく時間が過ぎた。
 その後、列車で自宅への帰路に着くのだが事件はそこから始まる。
 ターミナル駅でのバスへの乗り換え待ち時間に、友人とショッピングをしてから帰ろうということになり、無謀にも手荷物(お土産も入れて一人3個ずつ計6個)を駅構内に置きざりにしたまま街へ出かけた。 ショッピングを終えて駅に帰ると、私の荷物3個が跡形もなく全部消え去っている!! 友人の荷物はすべて残っているのに、何とも不思議な光景だ。
 少し心当たりがあった。 列車の中で、薄着のTシャツ、ミニスカート姿で友人よりも体を露出していた長身の私は、見知らぬ男に目をつけられているような気配を感じていた。 列車を降りた後も、その男が後からついて来ているような不気味感があった。 後にその事実を警察の事情聴取にて話したのだが、結局荷物は見つからずじまいだった…。 忽然と消えた旅行かばんの中には私の身分が証明できる学生証や学習教材等々と共に、汚れた服や下着が沢山入っていた。
 後々まで不気味感は続いた。 未だ未成年のうら若き私にとって、「凶」を実感させられた事件だった。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)

 その事件後表立った被害には遭わなかったものの、忽然と消えた旅行かばんが発見される事は無く、不気味さを引きずる日々を送った。
 それに懲りた私は、その後長年に渡って神社のおみくじを引く事はなかった。


 さて、今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、1月3日付朝日新聞 別刷「be」between 「おみくじで『凶』が出たらヘコむ?」 との記事だ。
 そのアンケート結果によれば、「はい」が38%、「いいえ」が62%と、「いいえ」優勢である。
 おそらく「いいえ」と答えた人種とはそもそも「凶」を引いた経験が無いのではあるまいか?
 片や「はい」と回答した人の中にも「凶はほとんど出ないはず」との楽観視派が多いのに加えて、「それ相応の理由があるはず」なる自己否定派や、「神仏のお告げ」なる信心深い人種も多いようだ。

 ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 私の場合上記アンケート結果のいずれにも属さない事は明白だ。
 一つ言えるのは、若き時代に神社で「凶」を引いた直後に偶然犯罪被害に遭遇した事態が、後々我が恐怖心を煽り続けている事は間違いない。 それが“神の思し召し”だったのか“必然性があった”のかに関しては我が専門外の事象であり論評不能である。  とにかく未熟な時代に経験した犯罪事件と「凶」とが今尚我が心理面で一つのトラウマとして合体してしまっている事は、揺るぎない事実である。


 そんな私も、(おそらく娘を産んだ頃からと心得るが)正月には神社へ行って、おみくじを引くとの行動を再開したものだ。
 それには、私なりの理由がある。
 「凶」を引き当てる事実から逃げていてはならない! いつまでも過去のトラウマに囚われているのではなく、神社のおみくじくらい引いても罰が当たらない、と思い直したのだ。
 その後、私はおみくじで「凶」を引き当てた事はない。

 ところが、昨年(2014年)私は神社でおみくじを引いていない。
 それが何故だったのかに関して記憶が薄いのだが、おそらく娘の成人の日の準備等で多忙だった故かもしれない。 それでも一応小さな神社で娘と共に初詣だけはしたのだが、何分小規模神社故に「おみくじ機械」すら設置されていなかった… 
 そうしたところ昨年(2014年)私は、我が人生に於いて稀にみる災難に幾度も見舞われる事態と相成った。  複数箇所の同時骨折に加え、我が所有賃貸物件入居者からの恐喝まがいの金銭請求による多大損失計上。  そして現在面倒をみている義母・実母が確実に老け込み我がケア負担が増大する始末だ…。


 生粋の無宗教者にして、原左都子の論理で思う事があるのだ。
 困難から逃避してはならないと。

 我が人生に於ける最大の犯罪被害、高校生時代の(汚れた下着が一杯入った旅行鞄の)“置き引き事件”をいつまでもトラウマとして心理内に持ち続けるのではなく、私は私らしく強く生き抜くべきだ!
 そのリベンジとして私は今後共、新年には神社参りをしておみくじを引こうと志している。

 ところが本年に至っては、未だそれを実現する暇がないのが実情だ。
 “七草粥”の1月7日までには近くの神社へ初詣して、是非おみくじを引いて来よう! 

戦後70年激動の時代を生き延びて

2015年01月02日 | 時事論評
 (写真は、2015年正月用に我が家が予約購入した京都祇園某割烹料亭制作の和風おせち。 全55品目のうち塩分が強過ぎる品目もあったが、全体的にはまあまあの出来だった。  本文とは無関係です。)


 皆様、新年明けましておめでとうございます。 
 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 

 昭和30年未年生まれ年女の原左都子は、今年還暦を迎える。
 表題には「戦後70年」とのテーマを掲げたが、戦争を知らない世代である。 終戦後10年が経過し、「もはや戦後ではない」とのスローガンが掲げられた時代にこの国に生まれ出て、60年間私なりの激動の歴史を刻みつつ世を生き延びている。


 冒頭から話題を変えよう。
 私は元々テレビ好き人種ではないが、年末年始のテレビ番組のお粗末さには毎年辟易とさせられる。
 地上波は、お笑い系やジャニーズ系にAKBグループが繰り広げる長時間バラエティや再編集ものばかり。 BSも旅番組や映画、スポーツの再放送に全面的に依存している始末だ。
 放送業界も年末年始くらいは職員が休みたい故に番組制作を手抜きしたい思いは理解可能だ。 それにしても低俗番組を垂れ流しておけばアホ国民どもがうだうだと時間潰しをするだろうとのコンセプトは、安易過ぎやしないか?!?
 結局いつも以上にテレビからは離れざるを得ず、ニュースと天気予報以外はスイッチを切る有様だ。

 音楽好きな私としては、大晦日の「紅白歌合戦」は一部を除き視聴した。 
 ここでもジャニーズ系とAKBグルーブの“学芸会”が鬱陶しいのだが、そんな中、「ラフ」が今年のテーマと私は捉えた。 番組全般を通して出演者全員がバックコーラスやバックダンスを務め、皆が楽曲を楽しみ合う演出は音楽番組にして一応成功だったのではなかろうか?  どうせ低俗番組であるなら、何ももったいぶって体裁を繕うより、肩肘張らずに出演者皆が年末をエンジョイすればそれで済むとも考察出来よう。
 中森明菜 v.s 松田聖子対決は、私は中森明菜勝利と判定した。 大トリの力量無くして上手とは言えない歌を、最後に感涙しつつ披露した松田聖子氏の印象が薄っぺら過ぎて、それを見せられる方にこそ“気の毒感”が漂った…。   これに対し、米国のレコーディングスタジオに黒の革ジャン普段着姿で登場し、ヘッドホンとマイクで顔を隠しつつ小声で歌った明菜氏の演出には意表を突かれたが、かえってインパクトがあったと言えよう。
 番組最後の総評の場で審査員の一人であるタモリ氏が、「ペンライトを客席で振ったのは初体験だったが面白かった」なる“どうでもよい”コメントを述べたのに、私は唸った。  低俗番組には低俗コメントで応えるべきであり、タモリ氏の力量を改めて評価申し上げたい思いだ。


 さて、そろそろ今回のエッセイ本題に戻そう。

 年末年始のテレビ番組がくだらなさ過ぎる中、昨夜9時からNHK総合テレビにて放映された 「NHKスペシャル どう生きた?戦後70年」 に私は一抹の光を見た思いだ。 
 この番組とて陳腐な内容である事は否めないし、普段ならもっと中身の濃いNHKスペシャルが放映されるべきであろう。 ただ昨夜のNHKスペシャルは年始番組にして、とにかくゲスト出演者の歯に衣着せぬ率直な発言に助けられたのではなかろうか。

 以下に、NHKがネット上で公開している当該番組に関する紹介文面をコピーして紹介しよう。
 戦後70年の節目の年を迎える2015年。 これからの日本や日本人に何が必要なのかを考えるために、戦後日本人の70年間の歩みを振り返る。
  1945年8月、終戦の1週間後に生まれ、今年70歳になるタモリさん、高度経済成長期に生まれた堺雅人さんなど、各世代を代表するゲストをスタジオに招き、戦後復興から高度成長、バブル崩壊、そして現在に至るまで、NHKの豊富な映像や全国3600人に行った世論調査の結果をもとに日本人の生き様についてじっくりと語る。
【ゲスト】  タモリ、堺雅人、中園ミホ、半藤一利


 私事及び私見に入ろう。

 (大変失礼ながら)私は半藤一利氏なる人物が存在する事実を昨夜初めて認識させて頂いた。 そこでウィキペディア情報を頼りつつ氏に関する補足説明をしておこう。 半藤 一利(はんどう かずとし 1930年5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。
 半藤氏が1930年生まれとの事は今年85歳になられる人物だ! (今回のメインゲスト)タモリ氏よりも更に15年も人生の先輩であられる。 それにしては、忌憚無きコメントをバシバシと番組内で投げかけて来るその勢いに圧倒された私だ。

 それにしても番組ゲスト出演者全員が、番組の趣旨を外さず尚且つストレートに直言出来るその勢いが素晴らしかった!

 例えば(私の記憶によれば)、昭和20年終戦直後米国より“他力本願”にもらった「日本国憲法」の内容が最高に素晴らしいにもかかわらず、今に至って我が国日本はこの憲法改正論が表立ってしまっている。 何故日本国民は憲法改正を主たる政策とする政党になど、貴重な一票を入れたのか! 決して我が国は他国に戦争をし掛けてはならない事は歴然であるのに加えて、過去に侵略した近隣国にその過ちを詫び続けるべき。 とゲスト数人が同意した事を私は見逃していない。

 あるいは、バブル期に日本人が歩んだ“過ち”にも言及があった。
 タモリ氏の発言が具体的だった事が印象に残っている。 タモリ氏曰く、「バブル期に某金融機関から、20億円のビルを買わないか」との勧誘があった。 「その資金繰りをどうするの?」と尋ねると、「もちろん融資します。」との回答だ。 「もしもその融資資金が返済不能な暁には?」とのタモリ氏の質問に「売却すればいいじゃないですか!」と融資金融機関よりの強気の回答だったらしい。  ところがバブル経済は、瞬く間に早期にはじけるべくしてはじけた。  その後タモリ氏が、そのビルの現在価値を調査したところ、何と“3億円”にまで落ちぶれていたらしい… 
 ここで原左都子の私事に入り恐縮だが、我がバブル経済期は(偶然ではあるが)私は次なる学問に燃えた時期だった。 それが幸いしたと後で考察するのだ。 もしも、私が新卒入社の上場企業で医学専門社員を続けていたのならば、おそらく給料が大幅に上昇したことであろう。 それを良い事として甘んじ、つまらない人生を送ったかもしれないのだ。
 今思えばバブル期などものともせず、一時の貧乏を厭わず新たな学問に挑戦してそれを成就出来た実績こそが、その後の我が人生の大きな支えとなっているとも考察可能だ。

 上記NHK特集番組では、「阪神淡路大震災」「東日本大震災」にも言及があった。
 両者共に、番組が提示した通り我が人生に於ける大いなるインパクトだったものだ。

 どうして日本人とは、このような地球上に稀に勃発する巨大自然災害にすら、直ぐに免疫力が出来てしまうのか? それこそが今後戦争をしてもいいなる短絡的な選択を募っているのではあるまいか??

 そんな日本(及び身の程知らずの日本人どもの安直な習性)が置かれている切実な現実を訴える番組であったと、昨夜放映された“戦後70年を振り返る”「NHKスペシャル」を原左都子は高く評価するのだが、如何だろうか。