原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

市川市内保育園建設断念問題、住民側の心情を支持する

2016年04月14日 | 時事論評
 2年少し前の2014.7.16に、当該「原左都子エッセイ集」に於いて私は 「可愛い子供の声が“騒音”となる場合もあり得る」と題するエッセイを綴り公開した。 (参考のため、このエッセイには今尚アクセスが多く少なからずの賛同を頂いている。)

 冒頭から、今一度その内容の一部を以下に紹介させていただこう。

 少し前の朝日新聞「声」欄に、 「子供の声は騒音ではなく癒し」 と題する高齢男性よりの投稿があった。  その内容を紹介すると…
 近所に幼稚園や保育所等の児童施設が建設されると子供の声等の「騒音」が発生するため、地域住民より反対運動が起こる場合もあるようだ。 これがどうも解せない。 我が家の隣にも小さい子供達が住んでいて時には大声で泣いたり喧嘩をしたりの元気ぶりだが、その音声は私にとっては「癒し」であり微笑ましくもある。  世には少子化問題もあれば、高齢者の老後を若き世代に支えてもらわねばならない事情もある。 子供達の声を利己的に「騒音」と位置付けて排除するのではなく、少しは肝要になれないものか。
 一旦、私論に入ろう。
 子供の声等に関する騒音問題を取り上げるに当たり、如何なる立場や観点からそれを問題視するかの視点こそがまずは検証されるべきであろう。  朝日新聞投稿者の場合、あくまでもご自身の知り合いである近所の子供達の声を「癒し」と捉えられている。 片や、近隣に幼稚園等が建設される事案の場合、その「集団性」や騒音被害を受ける住民との「無関係性」こそが議論の要点となろう。
 第二の課題として、この投書者の議論が「少子化問題」や「老後の社会制度」にまで飛躍してしまっている事態を私は大いに懸念する。
 次に、原左都子の私事を述べよう。
 現在の我が家も公立小学校から目と鼻の先の位置にあり、日々小学校からの「騒音」に悩まされている立場だ。 我が娘が過去に於いて3年程お世話になった小学校でもあり、物申すのは控えるべきと理性では判断しつつ、実際問題日々の「騒音」のけたたましさには辟易とさせられる。   元々私自身が学校嫌いである事にも端を発しているが、日々授業開始のチャイム音や校内放送の音声を聞かされ続けると、(何でこんな場所に住居を買い求めたのか?!?)との自責の念にすら駆られる始末だ…
 これが運動会やプール指導時期ともなると、それが屋外で実施されるが故の物凄い騒音に苛まれるのだ。 それを耐えろ!と言われるならば窓を閉め切るしか手立てが打てない。 今時のような真夏の時期はエアコンに頼るためそれが可能だが、それ以外の時期には騒音を許容するしか方策が模索出来ない状態だ…
 ついでに言うなら、どういう訳か我が家の集合住宅の前が入居当初より複数“私立幼稚園バス”のバス停ともなっている。 恐らく安全性に基づいて“バス停”場所の判断が下されたのであろうが、これが日々大騒音事態だ!   毎朝毎朝9時頃より30間程、幼稚園児達の大騒ぎ音声に苛まれる。 集合住宅前に公道があるのだが、この道を通行する車両が少ない事を親達が安堵しているのか、幼稚園児達を公道で遊ばせつつ日々親達は自分達の会話に夢中だ。 たまに車が来ると「あっ、危ないから気を付けて!」なる声をかけるものの、公道を我が子の遊び場とする事自体を禁止する親がいない事に辟易とさせられる日々だ。
 私事だが、私自身の我が子に対する「騒音」教育は厳しかった。 我が子は元々“静か”な部類の子供なのだが、それでも公共場面に連れていくと幼少時は訳が分からず騒ぐこともあった。 (中略) 我が子のように、コンサート会場での子供の騒音などは稀な事例であろう。 だが、もしも親の立場で我が子に対して幼い時期より「騒音教育」が可能ならば事は簡単であろうし、世の中がもっと静かに機能するのではないかとの期待もある。
 (以上、長くなったが本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 本日今一度、原左都子自身が上記高齢男性投稿を読み直してみての感想だが、もしかしたらこのお爺ちゃん、ご自身が可愛がり、ご自身に懐いている近所の少数の子供達だけを観察して新聞投稿をしたものと推測する。 
 その一方で現在、保育所、幼稚園、あるいは小学校や中学校、さらには高校現場(大学もか?!)等々雑多な子どもが集まる大集団現場で繰り広げられている想像を絶するけたたましい(気狂いじみた)奇声、騒音に直に一度でも接した経験があるならば、こんな投稿はしなかったのではなかろうか??


 さて話題を表題に戻し、現在ニュース報道がなされている市川市保育園建設断念問題に関するネット情報を以下に紹介しよう。

千葉・市川市で4月(2016年)に開園を予定していた私立保育園が、近隣住民の反対で断念した。「子供の声がうるさい」「交通が危険だ」などが反対の理由だが、住民への説明より先に園児募集をかけるなど建設予定業者にも手続き上の問題があり、待機児童が問題になる中で論議を呼びそうだ。
  開園を予定していたのは社会福祉法人「成未会」(松戸市)で、0~5歳児を対象に定員108人の保育園を市川市菅野の住宅地にある空き地に建設予定だった。 昨年3月に建設を市に申請し、市の承認を経て8月に予定地に看板を設置した。 直後に近隣住民から市に反対の申し入れがあった。
 
 
 最後に、私論でまとめよう。

 上にも記したが、今回の市川市保育所建設断念問題に関しても、自治体は元よりその自治体の議員どもが子ども集団現場が発する騒音問題を、「保育所待機児童問題」ひいては「少子化問題」にまで論点を飛躍させることはひとまず避けるべきだ。

 特に今回の市川市内保育園建設断念騒動に関しては、地域住民達が「子ども集団現場が発する騒音」のみならず、保育園へ通う道路の不備が子供達に及ぼす危険性に関して提示している点も重視するべきであろう。
 幅3メートルに満たない狭き道路(歩道の無い車道)を通行せずして保育園へ通えない場所に、そもそも保育園を建設しようとした団体こそに決定的な落ち度があったと判断するのが適切だ。

 しかも我が持論として今一度繰り返したいのは、子どもが絡む問題に関して直ぐに自治体や議員候補者が「地域論」を持ち出す事態をもうそろそろ終焉するべきとの事だ。
 地方過疎地の事情は心得ない私だが、特に大都会に於いては既に“地域の連帯”など実質死語化している。
 隣に誰が住んでいるかも心得ない、と言うより、例えば集合住宅エレベーター内でたまたま会った人物に挨拶をしても迷惑がられるのが関の山だ。 それでも還暦過ぎて年季が入った原左都子など相手が嫌がろうが執拗に挨拶だけはするのだが、おそらく嫌われ者に成り下がっている事だろう。

 ましてや、「地域の子ども達を地域の皆で育てよう!」なる嘘臭いスローガンを無責任に発している張本人の真の意図の程を知りたい思いすら抱く。 (自治体選挙にでも立候補したい策略なのだろうが…) 
 そういう奴ら程、地域の実態をまったく把握せず物事を本気で考えようとしていないことが見え見えで、せせら笑いたくもなる。

 市川市に於ける保育園建設断念に関しては、その決着に安堵する私だ。
 今後共、公私を問わず保育園等々子ども関連施設建設時には、その事業主体は必ずや周辺住民に対する事前折衝を入念に実施するべきである。

 更には(特に大都会では)、地域住民の善意のサポートやボランティア精神に深い思慮なく無責任に依存する事は避け、自治体が自力で保育園を運営可能との強靭な意志と見識の下、子どもの生命を守れるべく施設を公民問わず建設する事を望みたい。

 (保育所待機児童問題に関しては、別の機会に私論を述べる予定です。)