原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

良き人間関係とは自然発生的に形成されるもの

2016年04月16日 | 人間関係
 一昨日4月14日夜より発生している熊本県熊本地方を震源とする大地震は、その後本日16日午前1時25分頃に発生したマグニチュード7.3の地震こそが本震と、気象庁が発表し直すに至っている。
 その本震の大きさたるや、1995年の阪神大震災と同規模。 エネルギーは14日夜に益城町で震度7を観測した地震(M6.5)の約16倍。 16日正午現在、新たに19人が死亡し、これで熊本県内の死者は28人となった。 国道で橋が崩落し、同県宇土市役所が倒壊の恐れがあるなど建造物に大きな被害が出ている。
 14日の地震と合わせた県内の避難者数は6万8911人(16日午前7時現在)、インフラへの打撃も深刻で、南阿蘇村の国道325号に架かるアーチ状の阿蘇大橋(全長約200メートル)が崩落した。
 熊本空港ビルディング(益城町)によると、空港ビルの天井約2〜3平方メートルほどが落ち壁にひびが入るなどしたため、客の安全を確保できないとして16日午前4時45分、ビルを閉鎖し、同日の熊本空港発着便全てとなる国内線72便、国際線2便が欠航した。
 (以上、ネット情報を要約引用したもの。)

 熊本県・大分県を中心に九州地方に於いて予期せぬ大地震災害に直面されている被災者の皆様、私どもよりも御見舞申し上げます。
 今後も激震余震が続くとの危機状態の下、くれぐれもご自身の命を守る事を第一義として行動されます事をお祈り申し上げます。


 またもや地震列島我が国内にて発生した歴史的大地震に際し、九州地方から距離がある大都市東京で暮らす原左都子の周辺はいつもと変わらぬ安穏とした時空間が保たれている…。
 被災地の皆様のご心情を察するとそれだけでも実に心苦しい限りだ。
 その心苦しさに上塗りするかのように今回の我がエッセイでは地震発生とまったく無関係の「人間関係」をテーマに取り上げさせて頂く事を、ひとまずお詫びしておく。


 当該エッセイ集に於いて1年少し前に綴り公開した 2015.6.1バックナンバー 「自分自身が寂しい限り友達は出来ない」 に、ここ一両日少なからずのアクセスを頂いている。
 その現象を受けて、このエッセイを自分自身で読み直してみた。 エッセイの趣旨と表題に若干のミスマッチがあることを認めるが、なかなかまとまった私論を展開出来ていると我ながら唸った。

 そこで、以下に上記エッセイの一部を今一度紹介させて頂こう。

 朝日新聞2015.5.30“悩みのるつぼ”回答者は、歌手・俳優であられる三輪明宏氏だ。 その回答内容たるや、まさに100%(120%かも!) 原左都子の私論と一致するため、冒頭から三輪氏のご回答を要約して紹介しよう。
 あなたが幸せでいる時には遠くから眺めて応援してくれる。 病気の時には看病してくれ、悩み事、金の貸し借りも相談に乗ってくれ、愚痴や泣き言も受け入れてくれて、腹蔵なく欠点をさらけ出しそれを全部受け入れてくれるような、「悩みのゴミ箱」みたいな人はこの世に存在しない。 それを求めるから皆が迷惑に思い逃げて行く。 
 腹心の友とは、人生に一人か二人現れれば幸運な事。 今、高齢化社会で孤独死する人が多い。その理由を友達がいないせいと考える人が多いから悩むのだ。 世の中が「絆」「絆」と言って美談を宣伝したりドラマ化しているが、実際はそれ程甘いものではない。  趣味や何らかの集いで「心の友」を探そうとしても難しい。 向こうも“人に寄りかかりたい”故だ。 こちらから寄りかかっていくと相手は離れる。 相手にすべてを受け入れてくれる“鉄の扉”を要求しようが、実質両者共に“破れ障子”状態だからだ。
 相手にばかり見返りを求める人には感謝がない。 相談者の場合も、食べるに困らないお金があって大病もせず、優しく見守ってくれる夫もいる。 何も言う事はない。   友人がいないがために、人の悪口を言ったり愚痴をこぼしたりが出来ないから何だと言うのか。 たとえ友人が出来てそんな事をしたとて、清々するどころか一人になった時に自己嫌悪に陥るだけだ。  今後は自分の幸せを数えたらどうか。(以上、“悩みのるつぼ”回答者 三輪明宏氏の回答を要約引用。)
 ここから、原左都子の私事に入ろう。
 上記のごとく三輪明宏氏が我が私論をすべて言い当ててくれたお陰で、今更ながら私が付け加えねばならない事柄もさほどない。
 我が20代後半の1980年代初頭頃、女性陣がまだまだ就職した社内で結婚・出産を契機とした“寿退社”を虎視眈々と狙う時代だった。 結婚願望が希薄な私としては“結婚を前提としない”男性との付き合いを常に愛好していたのだが、その恋愛相談を同年代の女性に持ちかけようが、皆が皆自分の“寿退社”へ向けた狭い視野思考で凝り固まっていた。  ただ私の頭の切り替えは早かった。 元々人生観やポリシーが180度異なる女性陣とは今後の我が人生に於いてお付き合いを続行するのは難しい、との結論に早期に至っていた。
 その後まさに男世界で職業人として生き貫く中で、私は30代半ばにして人生に於ける女性の“腹心の友”と出会った。  私と同じ「独身の身」どころか、彼女は私以上に“独身に対する強い意思”がある人物だった。 この女性との出会いは、実に我が独身時代を豊かにしてくれた。  結果として、彼女ほど独身にこだわっていなかった私は晩婚に至り子供も設けた。 そんな私を一番に祝福してくれたのも彼女だった。
 ところが人生とは無常だ。 やっと我が子が成人に達しようとしている頃、“腹心の友”は一人暮らしの自宅で“くも膜下出血”にてこの世から忽然と去ってしまったのだ…   彼女にはもっともっと生きていて欲しかったとの無念感が募った。 そうしたならば、娘を自立させた暁に今一度女友達二人の老後を満喫出来たのに…
 ただ、人生とはそんな風に過ぎ去るものなのであろうことは、“腹心の友”が他界して3年の月日が流れた現在に至った今、納得可能だ。
 とにもかくにも“腹心の友”など、小心者であろうがこの世を図太く生き抜いている者であろうが、そう簡単に突然降って湧くものではあり得ない。  「孤独死」が辛いと言うが、原左都子など身内や周囲の誰にも迷惑を及ぼさない「孤独死」こそが理想像だ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 本日上記我がエッセイを読み直した私は、自分が書いた私事及び私論に改めて涙すると共に、厳しい現在の現実を再認識させられた。
 我が人生に於いて、もはや「腹心の友」を得る事など皆無であろうと。 
 そしてその人生を受け入れつつ余生(とは言っても十分に長いが)に於いてやはり「孤独死」目指し、身を立て直そう!と自覚し直した。

 ところが嬉しいことに、そんな私にも新たな出会いはある。(ここでは、あくまでも相手は女性の話だが。)
 現在継続的に通っている某場所で、自然に会話が成り立つ女性と知り合ってから既に数カ月程の月日が流れたであろうか。  昨日も当該女性と会ったのだが、互いに自然体で会話が出来る事が実に心地良い。
 そうとは言えども、お互い還暦を過ぎ様々なしがらみを抱える身としてこの関係がいつまで続くのか、何処まで発展するのかは未知数である。 それでも自分が相手を肯定出来て、今後も付き合いを続けたいとの思いを抱ける人物に巡り会えるなど、今の時代奇跡に等しいのではなかろうか!? 
 今更相手の腹の内を探りつつ如何にかかわっていくべきかを考慮せねばならない付き合いなど、「まっぴら御免!」と言いたいものだ。


 話題を冒頭の現在勃発している九州地方の大震災に戻そう。

 特に避難所へ避難せざるを得ない方々の、今後の避難所にての「人間関係」を心配申し上げる私だ。
 とりあえず命からがら避難所に辿り着いた方々にとっては、ご自身の生命を繋ぐことが最優先課題であろうことは十分心得ている。
 もしも、その避難生活が長引く場合の避難所にての「人間関係」を懸念してやまない。
 国家関連団体や自治体には、是非とも避難者皆さんのプライバシーを守るべく機能して欲しいものである。

市川市内保育園建設断念問題、住民側の心情を支持する

2016年04月14日 | 時事論評
 2年少し前の2014.7.16に、当該「原左都子エッセイ集」に於いて私は 「可愛い子供の声が“騒音”となる場合もあり得る」と題するエッセイを綴り公開した。 (参考のため、このエッセイには今尚アクセスが多く少なからずの賛同を頂いている。)

 冒頭から、今一度その内容の一部を以下に紹介させていただこう。

 少し前の朝日新聞「声」欄に、 「子供の声は騒音ではなく癒し」 と題する高齢男性よりの投稿があった。  その内容を紹介すると…
 近所に幼稚園や保育所等の児童施設が建設されると子供の声等の「騒音」が発生するため、地域住民より反対運動が起こる場合もあるようだ。 これがどうも解せない。 我が家の隣にも小さい子供達が住んでいて時には大声で泣いたり喧嘩をしたりの元気ぶりだが、その音声は私にとっては「癒し」であり微笑ましくもある。  世には少子化問題もあれば、高齢者の老後を若き世代に支えてもらわねばならない事情もある。 子供達の声を利己的に「騒音」と位置付けて排除するのではなく、少しは肝要になれないものか。
 一旦、私論に入ろう。
 子供の声等に関する騒音問題を取り上げるに当たり、如何なる立場や観点からそれを問題視するかの視点こそがまずは検証されるべきであろう。  朝日新聞投稿者の場合、あくまでもご自身の知り合いである近所の子供達の声を「癒し」と捉えられている。 片や、近隣に幼稚園等が建設される事案の場合、その「集団性」や騒音被害を受ける住民との「無関係性」こそが議論の要点となろう。
 第二の課題として、この投書者の議論が「少子化問題」や「老後の社会制度」にまで飛躍してしまっている事態を私は大いに懸念する。
 次に、原左都子の私事を述べよう。
 現在の我が家も公立小学校から目と鼻の先の位置にあり、日々小学校からの「騒音」に悩まされている立場だ。 我が娘が過去に於いて3年程お世話になった小学校でもあり、物申すのは控えるべきと理性では判断しつつ、実際問題日々の「騒音」のけたたましさには辟易とさせられる。   元々私自身が学校嫌いである事にも端を発しているが、日々授業開始のチャイム音や校内放送の音声を聞かされ続けると、(何でこんな場所に住居を買い求めたのか?!?)との自責の念にすら駆られる始末だ…
 これが運動会やプール指導時期ともなると、それが屋外で実施されるが故の物凄い騒音に苛まれるのだ。 それを耐えろ!と言われるならば窓を閉め切るしか手立てが打てない。 今時のような真夏の時期はエアコンに頼るためそれが可能だが、それ以外の時期には騒音を許容するしか方策が模索出来ない状態だ…
 ついでに言うなら、どういう訳か我が家の集合住宅の前が入居当初より複数“私立幼稚園バス”のバス停ともなっている。 恐らく安全性に基づいて“バス停”場所の判断が下されたのであろうが、これが日々大騒音事態だ!   毎朝毎朝9時頃より30間程、幼稚園児達の大騒ぎ音声に苛まれる。 集合住宅前に公道があるのだが、この道を通行する車両が少ない事を親達が安堵しているのか、幼稚園児達を公道で遊ばせつつ日々親達は自分達の会話に夢中だ。 たまに車が来ると「あっ、危ないから気を付けて!」なる声をかけるものの、公道を我が子の遊び場とする事自体を禁止する親がいない事に辟易とさせられる日々だ。
 私事だが、私自身の我が子に対する「騒音」教育は厳しかった。 我が子は元々“静か”な部類の子供なのだが、それでも公共場面に連れていくと幼少時は訳が分からず騒ぐこともあった。 (中略) 我が子のように、コンサート会場での子供の騒音などは稀な事例であろう。 だが、もしも親の立場で我が子に対して幼い時期より「騒音教育」が可能ならば事は簡単であろうし、世の中がもっと静かに機能するのではないかとの期待もある。
 (以上、長くなったが本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 本日今一度、原左都子自身が上記高齢男性投稿を読み直してみての感想だが、もしかしたらこのお爺ちゃん、ご自身が可愛がり、ご自身に懐いている近所の少数の子供達だけを観察して新聞投稿をしたものと推測する。 
 その一方で現在、保育所、幼稚園、あるいは小学校や中学校、さらには高校現場(大学もか?!)等々雑多な子どもが集まる大集団現場で繰り広げられている想像を絶するけたたましい(気狂いじみた)奇声、騒音に直に一度でも接した経験があるならば、こんな投稿はしなかったのではなかろうか??


 さて話題を表題に戻し、現在ニュース報道がなされている市川市保育園建設断念問題に関するネット情報を以下に紹介しよう。

千葉・市川市で4月(2016年)に開園を予定していた私立保育園が、近隣住民の反対で断念した。「子供の声がうるさい」「交通が危険だ」などが反対の理由だが、住民への説明より先に園児募集をかけるなど建設予定業者にも手続き上の問題があり、待機児童が問題になる中で論議を呼びそうだ。
  開園を予定していたのは社会福祉法人「成未会」(松戸市)で、0~5歳児を対象に定員108人の保育園を市川市菅野の住宅地にある空き地に建設予定だった。 昨年3月に建設を市に申請し、市の承認を経て8月に予定地に看板を設置した。 直後に近隣住民から市に反対の申し入れがあった。
 
 
 最後に、私論でまとめよう。

 上にも記したが、今回の市川市保育所建設断念問題に関しても、自治体は元よりその自治体の議員どもが子ども集団現場が発する騒音問題を、「保育所待機児童問題」ひいては「少子化問題」にまで論点を飛躍させることはひとまず避けるべきだ。

 特に今回の市川市内保育園建設断念騒動に関しては、地域住民達が「子ども集団現場が発する騒音」のみならず、保育園へ通う道路の不備が子供達に及ぼす危険性に関して提示している点も重視するべきであろう。
 幅3メートルに満たない狭き道路(歩道の無い車道)を通行せずして保育園へ通えない場所に、そもそも保育園を建設しようとした団体こそに決定的な落ち度があったと判断するのが適切だ。

 しかも我が持論として今一度繰り返したいのは、子どもが絡む問題に関して直ぐに自治体や議員候補者が「地域論」を持ち出す事態をもうそろそろ終焉するべきとの事だ。
 地方過疎地の事情は心得ない私だが、特に大都会に於いては既に“地域の連帯”など実質死語化している。
 隣に誰が住んでいるかも心得ない、と言うより、例えば集合住宅エレベーター内でたまたま会った人物に挨拶をしても迷惑がられるのが関の山だ。 それでも還暦過ぎて年季が入った原左都子など相手が嫌がろうが執拗に挨拶だけはするのだが、おそらく嫌われ者に成り下がっている事だろう。

 ましてや、「地域の子ども達を地域の皆で育てよう!」なる嘘臭いスローガンを無責任に発している張本人の真の意図の程を知りたい思いすら抱く。 (自治体選挙にでも立候補したい策略なのだろうが…) 
 そういう奴ら程、地域の実態をまったく把握せず物事を本気で考えようとしていないことが見え見えで、せせら笑いたくもなる。

 市川市に於ける保育園建設断念に関しては、その決着に安堵する私だ。
 今後共、公私を問わず保育園等々子ども関連施設建設時には、その事業主体は必ずや周辺住民に対する事前折衝を入念に実施するべきである。

 更には(特に大都会では)、地域住民の善意のサポートやボランティア精神に深い思慮なく無責任に依存する事は避け、自治体が自力で保育園を運営可能との強靭な意志と見識の下、子どもの生命を守れるべく施設を公民問わず建設する事を望みたい。

 (保育所待機児童問題に関しては、別の機会に私論を述べる予定です。)

一体誰が如何なる策略で小保方氏に公式サイトを開設させた?

2016年04月12日 | 時事論評
 そもそも、著名(世間に名が売れている)個人が開設した「公式サイト」なるものを見たいと欲する人間とは如何なる人種なのか?? 
 それは、おそらくその人物のファンなのであろう。
 
 私など、著名個人サイトをわざわざ見たいと思う程に感情移入出来る人物が存在しない事が一番の理由だが、「公式サイト」なる文言が掲げられているだけで“低レベル俗もの”印象を抱かされ “避けて通るべき”対象と決定付けているのだが…


 先だって、ネット上で“捨て置きならない情報”を発見した。
 それは元医学関係者である私が一昨年、1年間に渡りレポートしてきた「小保方氏及び理研等 STAP細胞事件」に関する一連の話題に関する情報である。
 何でも小保方晴子氏は本年1月に「自伝」出版後、その売れ行きの程を慶ぶべき事実と捉えたのか、その後3月に自身の「公式サイト」を開設したのとニュースだ。


 そのネット情報記述者とは「某ジャーナリスト」名となっていた。 小保方STAPレポートを1年に渡り実施した私としては、その人物の“人となり”を知りたく思いネット検索したところ、どうやら胡散臭さが漂っている… (そのため本エッセイ集では匿名扱いとした。)
 この人物が小保方氏に「公式サイト」開設を促したのかどうかは不明だが、要するに早い話が「某ジャーナリスト氏」とは“小保方氏支援派”の様子だ。


 とにもかくにも、以下に当該某ジャーナリスト氏によるネット情報に、原左都子が注釈を加える形式で上記の小保方氏「公式サイト」情報を紹介しよう。 
 (  )内は原左都子の注釈。

 一連のSTAP細胞論文問題をめぐり2014年12月に理化学研究所を退職した小保方晴子氏が3月31日、自身の公式サイトとなる『STAP HOPE PAGE』を開設した。 STAP細胞の詳細なプロトコル(作成手順)や、1月に出版された小保方氏の手記『あの日』(講談社)にも書かれている検証実験の結果が英文で記載されている。
 (ちょっと待った!  原左都子の認識によれば、小保方氏とはご自身の実験ノート記載に際して、例えば“テラトーマ”なる安易な専門用語すら英語で記すことが出来ないレベルの英語力だったと記憶している。 その小保方氏が自身の公式サイトに於けるSTAP検証実験の結果を「英文」で記載したとのことだが、誰かが英訳でもしたのか?? )
 
 小保方氏は、STAPサイト開設の目的を「将来、STAP現象に興味を持った科学者が研究に取り組めるように可能性を残すことにあり、未来の科学者がSTAP現象の研究を始める手助けにしたい」としている。
 (おっとっと。 未来の科学者の手助けをするよりも、小保方氏ご本人が今後立派な科学者に成り直すべく精進する事こそが先決問題じゃないの? その夢は小保方氏自らが既に全面的に放棄したのか??  そもそも小保方氏のサイトを見たいと欲するのは決して未来の科学者ではなく、申し訳ないがおそらく個人的に貴方に“歪んだ興味”を抱いている人物がほとんどと推測するのだけど…)

 しかし、STAPサイトが公開されてわずか数時間でサイトの閲覧ができない事象が起き、その原因が「サイバー攻撃」であったことが小保方氏の代理人・三木秀夫弁護士への取材でわかった。 三木弁護士によると、これはDDoS攻撃(複数のネットワークに分散する大量のコンピュータが一斉に攻撃すること)によるものと推定され、まだ犯人は特定できていないが、特定後も攻撃が続くようなら刑事告訴を検討するという。
 (えーー!? 小保方氏って今尚三木弁護士のお世話になっているんだね。 おそらく1月出版した本の売れ行きが良かったからそれが叶うのだろうが。 それにしても、三木弁護士側も小保方対応の報酬が莫大なのかなあ??)

  (中略)

 「ネイチャー」に投稿されたSTAP論文では、小保方氏が自身のパソコンに保存していたテラトーマの写真を間違って掲載してしまい、ゲル写真を見やすいように加工したことで不正認定されてしまう。 小保方氏は、このことに関して不注意で未熟だったと幾度も謝罪している。 ちなみに、科学論文において図表等の間違いを修正することは、よくあることである。
 (いやそれは絶対にあり得ない。 元科学者の端くれで国内医学学会発表を幾度かこなしている原左都子から言わせてもらうならば、通常、国内であれ公式医学学会発表ともなると発表者本人のみならず共同研究者や研究最高責任者が必ずや論文監修作業を実施する。  ましてや小保方氏の場合、世界に名立たる「ネイチャー」誌への論文発表だ。 テラトーマ写真間違いやゲル写真の加工ミスなど、後に幾らでも監修可能だったはずだ。 結論を言うと今回の小保方氏論文は明らかに、本人を含めた周囲科学者達の故意の不正・捏造以外考えられない。)

   (再度 中略)

 小保方氏は、STAP論文に関する実験を若山研で行っていた際、ポストドクター(ポスドク)という不安定な身分であり、上司は若山照彦氏(現山梨大学教授)だった。 部下である小保方氏に対する責任は当然、上司である若山氏にあった。 若山研では若山氏のストーリーに合わせた実験が行われ、ストーリーに合わないデータは採用されないという強引な研究が行われていたことは、前回の記事で指摘したとおりである。
 (原左都子の亭主も物理学分野で短いと言えない“ポスドク”時代を経験している。 確かにネット筆者が言う通り“ポスドク”とは不安定な身分である事は我が亭主からも見聞している。  かと言って、問題を小保方氏弁護にすり替えないで欲しものだ。  この私とて修士論文を提出して修士を取得しているが、その際の審査とは実に厳しかったものだ。  小保方氏ポスドク時代に指導した若山氏にももちろん責任はあろうが、むしろ若山氏は当該STAP事件に関して早期にその失敗を認め、ネイチャーSTAP論文撤回を一番に提唱した人物と捉えている。
 やはり一番の元凶は、力足らずも博士を目指しその後「STAP細胞」の存在を周囲の科学者達の意のままに自分自身は訳が分からず認めてしまった小保方氏にもある事は歴然であり、その責任の程は多大であろう。 

 (以上、ネット情報を原左都子の私論を交える形式で紹介した。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 それにしてもだ。

 小保方氏もそろそろ営利目的他者(他企業)に利用される事実を自身の意思で拒否してはどうなのか? 
 今回の公式サイト設営とやらとて、あくまでも我が推測によれば小保方氏本人の意思の部分は少なく、営利目的企業の誘導の下に他力本願に開設した事実など誰しも推測可能と察する。

 小保方氏は“若気の至り”で深い思慮なく、悲しいかな結果として周囲の著名科学者達に利用されつつ挫折との敗北を味わったとは言えども、私から見ればまだまだ若き世代だ。
 一応、早稲田大学博士課程(博士論文は取下げ措置)を修了する過程で、短いとは言えない学業遍歴を自分なりに精進しつつ歩んで来たのならば、おそらく科学者になるべく基礎は少しは身についているはずだ。 たとえ論文審査は却下されたとしても、自らの内心意思として科学者志向が少しでもあるのならば、その思いは必ずや未来に通じるものと私は理解・応援するのだが…。

 にもかかわらず、その若さにして何故自分が欲した科学者の道程を一から再スタートして目指し直さないのだろう??

 他力本願に自伝を出版し、それが少し売れたからと言って、どうして安直に“得体不明”の「公式サイト」を立ち上げたりするのか?
 小保方氏が現在やっている事とは、まさに“名前だけちょっと売れた”タレントどもと同様、得体の知れない“水物”ファンに安易に依存するべく道程を歩もうとしているに他ならない。

私もデニス・テン選手の味方派だ!

2016年04月09日 | その他オピニオン
 今回のテーマは、先週末米国ボストンに於いて開催された フィギュアスケート世界選手権 公開練習の最中に起った「事件」に関する私論結論を公開せんとするものである。

 このエッセイを先週早期に公開したかったのは山々なれど、不本意にも抜歯後の発熱によりほぼ1週間を無駄に過ごしてしまった私だ…
 それでも、当該「事件」に関して白黒決着を自分なりに付けたい!とずっと考えていたため、1週間遅れとなったものの本日その“決着”について公開する。


 早速、当該「事件」に関するその後の追加情報をネットより引用しよう。

 フィギュアスケート世界選手権の公式練習中に、ソチ五輪金メダリストの羽生結弦選手がカザフスタンのデニス・テン選手から「妨害」を受けたとされる問題が注目を集める中、テン選手がインスタグラムを更新した。 そこでテン選手は、自身のメールボックスに嫌がらせや脅し、人種差別的なメールがいくつも届いていることを打ち明けた。
 「事件」が起きたのは、男子ショートプログラムが行われた2016年3月30日(現地時間)の公式練習。 羽生選手がSPに使用する曲を流して滑走していたところ、進路上でテン選手がスピンをしていた。 公式練習では、曲をかけている選手の動きを優先させることがマナーになっている。 羽生選手は前日29日にも、曲使用中にテン選手と接触しそうになったばかり。 そのためか、直後には「それはねえだろ、お前!」と珍しく声を荒げ、SP後には「あれはたぶん故意だと思う」と述べた。 一方のテン選手は、「妨害問題」が故意であることを否定したと報じられた。
 この問題をめぐり、テン選手のもとには誹謗中傷メールがいくつも届いているようだ。 4月2日夜にインスタグラムを更新したテン選手は、「私のメールボックスは、脅しや見知らぬ人からの嫌がらせ、人種差別的に私を非難するメールで溢れています。『何が起きたの?』と自問しています」と明かした。
 騒動については「この件については何も話すことはありません。一方的な根拠に基づいてではありますが、すでに各国のメディアが情報のお祭り騒ぎのごとく取り上げているので」と具体的な言及を避け、「妄想に基づくスキャンダルを議論することは好きではありません」とも述べた。 
 一部の心ない日本人からの罵り??  さらに「そして、私は韓国系カザフスタン人ですが、曽祖父も私自身にとっても嫌韓的な侮辱は脅威ではありません。その他全ての非難への答えはNOです」とコメント。
 インスタグラムの投稿には、さまざまな言語でコメントが寄せられ、3日18時時点で1400件を超えている。 中には「一部の心ない日本人からの罵り。本当に悲しいです」 「テンくんの素晴らしさ、優しさをたくさんの日本のファンが知っています」 といった日本語のコメントもある。
 「当時の状況は羽生選手の言い分のみで詳細はまだ不明だが、テン選手のインスタへの嫌がらせと脅迫メールに関しては申し開きが出来ない」といった声が寄せられている。
 (以上、ネット情報より一部を要約して引用したもの。)


 ここで、原左都子の私事(デニス・テン選手に対する支持)及び私見に入ろう。

 私には十数年来クラシックバレエ観賞の趣味がある流れで、フィギュアスケートの観賞も大いに好んでいる。 今回の米国ボストン世界選手権大会も、男女のシングル・フリーに関してはテレビにて放映されるすべての場面を視聴した。

 カザフスタン代表のデニス・テン選手に関しては、前回のソチ五輪にて銅メダルに輝いた時点から個人的に注目している。
 小柄ながらもしっかりとした技術力と表現力を兼ね備えた選手だ。 ソチ五輪に関して言うならば、金銀の上位2名(羽生結弦選手とパトリック・チャン選手)が期待されつつも最後のフリー本番で失敗また失敗を繰り返し、傍で見るに忍びない程のろくでもない演技となったのに引き換え、デニス・テン選手のみが完璧な演技を披露したとの記憶がある。

 そのテン選手に対して、羽生結弦選手が練習中に「それはねえだろ、お前!」と怒鳴りつけただと!?!
 しかも、その後テン選手の行為を「妨害」と決定付けて、公式に日本スケート連盟より即刻国際スケート連盟へ異議申し立てをしたという。

 私見だが、何故羽生選手はそれ程までに事を大袈裟にしたかったのか?!? 
 自分こそが五輪金メダリストでありフィギュアスケート界のトップに君臨している王者なのだから、皆自分を敬え。 決して練習中に自分の練習の妨害などするな。 したものならば、即刻国際スケート連盟へ訴えるぞ! との特権自意識に羽生選手は支えられているのか??
 いやはや、羽生選手とはわずか21歳にして何様なのだ??  例えテン選手の練習中の行為が「妨害」に当たるとしても、ヤクザもどきに練習会場で大声でテン選手を乱暴な言葉で罵倒し他の選手にまで迷惑を及ぼすより、後に冷静にそれを指摘すれば事が済んだような気もする。 その方がテン選手側も事の次第を理解出来ただろうに…。

 ここで我が別の私事を語らせて頂こう。
 高校教員経験がある私だが、羽生選手のような“勘違い教師”ほど、教育現場で生徒に向かって自分の感情丸出しに大声で暴言を吐く現場を何度も経験している。 あの大声暴言を末端教員の立場で幾度となく聞かされた私としては、生徒の保護にこそ回りたくなったものだ。
 
 そもそもあらゆる人間関係に於いて、「上下関係」などあるはずもない。
 もしそれが許される場面に於いても、上部の人間が“上から目線”で感情的に暴言を吐いて下の人間をたしなめるよりも、冷静に話し合いの場を持ち互いに語り合った方がより良い結果が導けるなど歴然だ。 


 ましてや、このデニス・テン選手宛に日本の(おそらく羽生結弦選手ファンより)人権差別めいた誹謗中傷メールが多数届く事態などもっての他だ!

 と言うより、原左都子などその種の馬鹿げた行為に出る愚かな日本人が存在する事自体に、何だか笑える思いもする。
 日本人達よ、少しは恥を知り国際感覚を身に付けようではないか。 貴方達が羽生選手ファンであってもよいが、その彼とて国際試合で勝利を挙げようとしている。
 羽生氏本人は、日々厳しい練習を重ねつつ国際間を行き来して“真の”国際感覚を身に付けにくい立場であろう。 それをファンの皆さんがフォローしてあげてはどうなのか。
 今回の貴方達からの誹謗中傷の意味が“訳が分からず”困惑しているテン選手の身にもなろうよ。
 
 世界は実に広い。
 世界中には多種多様な混血人種が混在し、大活躍している。 
 そんな事実に日本人として少しでも接したり体験出来たならば、こんなくだらない「事件」など発生しなかっただろうに、と残念でならない思いだ…

鬼の霍乱、10年ぶり38℃超発熱でダウン

2016年04月07日 | 医学・医療・介護
 原左都子は、生まれながらに「歯」が弱いというDNA資質を運命付けられている。


 今冬実行したイタリア旅行出発直前にも微熱を出したが、その原因は歯の痛みと歯茎の腫れによるものだった。
 ここ10年程は高熱こそ出していないものの、微熱は何度か繰り返している。 2年程前に経験した右手首、左鎖骨同時骨折時にも38℃近い熱が出たが、その他のほとんどは「歯」を原因とする発熱だった。


 今回の発熱もその例外ではない。
 去る4月4日(月)午後に歯科医院にて抜歯を施したが、その夜から徐々に熱が上がりその後2日間に渡り38℃超の発熱に苦しめられた。
 昨日朝になってやっと微熱まで下がり、午後に歯科医へ抜歯後点検のため受診したところ、発熱原因はやはり“抜歯”によるものとの医師の判断だ。  今回抜いたのは上顎奥歯の大臼歯なのだが、元々すべての歯がドデカい私の口の中で一番の面積を占めている奥歯だった。  先生がおっしゃるにも、「抜いた後の傷口が大きいため、発熱もやむを得なかったでしょう」との説明だ。
 参考だが、今回抜いた歯はイタリア旅行前に痛んだ歯とは別である。 私の奥歯は“親知らず4本”を含め既に10本抜歯済みだが、現在ブリッジを支えている残された奥歯のすべてがX線映像によれば根が傷んでボロボロ状態…  いつまた抜歯の運命を辿るやら…  との心細さだ。


 今回の場合2日間で高熱が下がってくれたため、まだしも命が繋がり助かったとホッとする思いだが、これが何日も続いたら…  と、布団の中で我が命の絶える近き日を想像し、もだえ苦しんだりもした。
 還暦を過ぎる事とは、自分の身体に関して弱気にならざるを得ない病人にそんな心理状態をもたらす事を実感だ。

 しかも今回運が悪い事には、一番苦しんだ火曜日に2名の訪問者を予定していた。
 (参考だが元々亭主と娘には依存しない生活を営んでいる我が家の場合、雨が降ろうが槍が降ろうが家中のほとんどの業を私一人で執り行っている。 今後も我が命の終期が迫ろうとその状況は永遠と続くだろう…
 
 訪問者の一人は、ダスキンの交換目的だった。
 月1回の交換日には必ずダスキンモップで家中の一番汚れた箇所(窓サッシや玄関ポーチ、ベランダの排水溝付近等々)を掃除した後交換するスケジュールと決めている。 
 今日のこの日、それをこなして新しいモップに取り替えてもらわない事には、この先1ヶ月間汚れたモップで掃除せねばならない。 潔癖症の私はその事態がどうしても気持ち悪く耐えられず、寝込んでいる訳にはいかない。 布団から這いずり起きてそれを実行し無事に交換し終えた。

 次なる訪問者とは、2週間ほど前より約束があった我が個人年金死亡受取人変更手続きのため担当者が我が家に来る予定なのだが、それも自力でこなさねばならない。
 この事案に関しては一旦日程を変更しようかとも考えた。 だが、その日程変更願い電話を掛けてヘラヘラ丁寧に喋る負担の方こそ高熱の私にとっては勘弁して欲しい気分だ。 10分もあれば済む手続きと承知していたため、約束通り来訪して頂き、その手続きを実施した。
 その際38℃の発熱がある事を担当者に告げつつ、「還暦過ぎますと何の病気を患いいつ何時命を落とすやもしれませんから、早めに死亡受取人を実母から娘に変更して良かったです。」と朦朧とした頭で話した。 「何をおっしゃいますやら。○さんはお若いですよ。 直ぐ治るでしょうが、くれぐれもお大事に。」とお世辞を言いながら、(インフルエンザでもうつされたら大変!)との危機迫る様相で他の営業は一切せず、資料のみ置いてそそくさと我が家から去ったのには結果として幸いした。


 さて今回の発熱原因だが、医学経験者の私の診断によっても直接の要因は「抜歯」である事には間違いないと断定している。
 ただ我が推測によれば、別の心理的要因が抜歯でダメージを受けた体に追い打ちをかけ、我が身に予想以上の高熱をもたらし、解熱までに長時間を要したものと自己分析している。 

 その要因とは??

 やはり、我が最愛の娘だ。

 そもそも、私が“ボロ奥歯”の抜歯を4月4日に実行したのには理由がある。
 何分、母の私がサリバン業を貫いて来た娘が無事大学を卒業し、4月1日から新人として社会に旅立つまではその姿を見守る事を最優先課題として実施して来た。
 その間も、我が(抜歯奥歯)の“ボロぶり”がとてつもなく悪化の一途を辿っていることは当然自覚していた。 ボロ歯の根っこが歯茎を貫き飛び出て上顎が痛むし、腐った根っこが異様な悪臭を発しその匂いに私自身が耐えられない程だ。 それに拍車をかけ歯茎から飛び出た歯の根っこがぐらつき始めた1ヶ月前頃より、私自身が既に「抜歯」を視野に入れていた。

 そうだとしても、娘の新社会人としてのスタートを是が非でもサリバンが見守ってやりたい!
 その間に抜歯した場合、その後サリバンの私が発熱する恐れがある事など想定済みだ。 ここは、娘が無事に入社を迎えるまで自分の歯の治療は控えるべきと心を決めていた。

 そして、やっと娘が4月の新年度に入り入社を遂げた。
 ここぞとばかり、先だっての4月4日に歯科医を訪れ抜歯したとのいきさつだ。


 その我がサリバン判断は一応正解だったと言えようが、私の歯に関しても、娘の新社会人入社後の成り行きに関しても、今尚様々な懸念を抱える現状だ…

 ただ、本日この通り「原左都子エッセイ集」を綴ろうとの気力が我が心身に復活した事実だけでも大いなる前進と捉え、公開させていただいた今回のエッセイである。