原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

売られたケンカ、受けて立ちます!- vol.2-

2017年04月22日 | 仕事・就職
 原左都子は短気だ。 

 それはおそらく生まれ持ってのDNAに由来する我が性分であろうが、私は物心ついた頃より“理性”でカバー出来るキャパを備えているため、その性質が表面に出る事は少なかったかもしれない。

 むしろ、子供の頃ほどその理性に自分自身が翻弄される機会が多かったように記憶している。 周囲の子供達が痴話ゲンカ(女子の場合、殴り合いバトルをすることは稀だ)を始めた場合など、なるべく見ないふりして第三者を演じ、ケンカの関係者とならないように身を守ったものだ。
 この習性は、高校卒業頃まで続いてしまっただろうか… 
 故に私は周囲より、冷静で客観的な子供との評価をもらっていたように記憶している。 片やそんな私の“策略”を見抜いていた友人などは、さぞや“陰湿な奴”との印象を抱いた事であろう。

 その実、私自身が“計算高い”とも表現可能な上記の我が気質を内面で嫌い続けていた。 人間もっと勇気を持って自分の気持ちに素直に行動する事こそが、真の人生開花のきっかけかもしれない。 などと思い始めたのは、遅ればせながら成人して以降の事と記憶している。

 その後就職し社会人となった私は、企業内での様々なバトルに直面してきている。
 ある先輩曰く、「たとえ一下っ端社員とて冷静に対応してばかりいては限界が訪れる。 ある時には感情を表に出し、組織管理者側に牙をむいてでも訴えねばならない使命が底辺労働者にはある!」  この先輩の言葉こそが、未だ若き私の五臓六腑に響いたものだ。
 その後、私はそれを実行して来たとも言えよう。 まさに社会人として自立した後には真に我が“怒り”を実力に転嫁しながら、私は民間企業で上司の立場をも経験しつつ生き延びて来ることが叶ったと振り返る。

 更にその後の我が人生は、むしろこちらから喧嘩を売る側に回る立場が多いとも表現出来よう。
 ただしそれは「意見書提出」等、書面にての冷静沈着な“喧嘩を売る行為”に過ぎないのだが…

 上記記述は、本エッセイ集2014.11.13公開 “元祖”「売られたケンカ、受けて立ちます!」の冒頭部分を再掲載したものだ。


 ほんのつい先程の事だが、短気で喧嘩っ早い原左都子の神経を逆なでするがごとくの“喧嘩を売る”電話が某営利業者より掛かって来た。
 まさしく“腸が煮え返る”程の喧嘩を電話で売られた私は、負けじと大声でその喧嘩を受けて立ったものの相手もひるまず、最後にはこちらから途中で電話をブチ切る!結果となってしまった。

 実は、本日のエッセイは他のテーマを用意していたのだが、未だ先ほどの電話に対する我が怒りが収まらないため、エッセイにして公開する事で“おとしまえ”を付けようとの魂胆だ。


 今回の電話の主は、20年程前よりお世話になっている某大手ウィッグ企業の我が担当者氏の上司(?)だった。
 バックナンバーでも幾度か公開しているが、私は40歳時に頭部に皮膚癌を患い、その摘出手術後一生頭部に残る手術痕を抱える運命を背負っている。
 その手術痕カバー対策として選択採用したのが、ウィッグの使用である。
 この20年に渡り、当該某大手ウィッグ企業にて完全オーダーウィッグを作り続け、既に十数個のウィッグを作成して来ている。 ウィッグも完全オーダーともなれば、(私の場合は一個数十万円の値段になるが)今後一生我がウィッグに投資する費用総額が如何程になるかは、計算して頂ければお分かりだろう。

 今現在、ウィッグは男女を問わず大流行の様子だ。
 私のように手術等により頭部に瑕疵がある事例は元より、脱毛や薄毛に悩む人々は男女を問わず増加の一途を辿っている。 あるいは芸能人を筆頭に見栄えやお洒落目的でウィッグを利用する人も増えているようだ。

 私など既に20年利用の長期顧客の位置付けにあろうが、どうも、いつまで経っても大手ウィッグ企業よりの“営業攻勢”が物凄いものがある。 
 頭部に瑕疵がある私の場合、まさか他者も来店している一般美容院へ行けない。 そのためいつもウィッグ会社直営の完全予約美容個室に通わざるを得ないのだが。
 そこで困惑させられるのが、「ウィッグの営業」である。 わずか1年前に新しいウィッグを作ったばかりなのに、やれどこが痛んでいる、やれ早めに新しいウィッグを作り替えないといざという時に被るものがなくなる、等々と、まるで個室内で“ヤクザもどき”に次なるウィッグ作成の営業活動に入るのだ。 そうこうして、このしっかり者の私ですら20年間で十数個のウィッグを作るはめとなってしまった。 しかも完全オーダーとは言えども、個々に出来上がって来るウィッグの装着感がいつも異なるのが困りものだ。 一応1年間の保証期間がありその間に作り直す事も可能だが、どうしても気に入らず一度も使用せずして“お蔵入り”しているウィッグが我が家の押し入れに数個存在する。

 1年程前に当該個室美容室へ行った頃より、未だ新しいウィッグを作って2年しか経過していない私に新たなオーダーウィッグ作成の営業が展開し始めた。 この鬱陶しさを回避したいために、私は半年前より個室美容室へ通うのを中断した。

 そうしたところ、本日我が家に電話が掛かって来たと言う訳だ。

 A氏と名乗る男性ウィッグ企業担当者が電話口で言うには、「半年程美容室へお見えになっていないようですが、来店されて定期的にウィッグの点検をしませんと痛みが激しくなりますよ~。」
 そこで私が正直に応えて「店舗へ行きますと、必ずや新しいウィッグの営業活動が始まるのが鬱陶しくて来店を遠慮しているのです。」
 A氏応えて「だから、今回は現在お使いのウィッグを点検しませんかと言っているじゃないですか!」
 私が反応して「それは既に20年に渡り貴社のウィッグを使用している私が自宅でちゃんと実施してますよ。 むしろ貴美容室でウィッグの洗浄をして頂くと痛む事も経験しています。 それよりも何よりも、個室美容室での新ウィッグ営業活動をやめてもらえませんか?! 新しいウィッグを作る時期は顧客である私にお任せ下さい!」 
 この辺から、私の怒りが心頭に達していたが…
 怒っている私に追い打ちをかけるがごとく電話担当A氏曰く、「本当にウィッグを大事にされているお客様は、月に1度は来店されてウィッグのチェックをされているんですよ~~。 結局貴女は担当美容師が気に入らないという事ですか~。ならば美容師を交替しますし~~。 あるいは経済的に新しいウィッグを購入する能力がないんでしょうか~~。」とまるで子供相手のごとくヘラヘラ問題をすり替え始める。
 「何度も言ってるでしょ! 美容師を誰に交替しようが結局美容室へ行くと新しいウィッグの営業活動に入るということでしょ!! それが気に入らないという私の訴えが何故分からないのか!? ウィッグ購入経済力に関しても自分で判断したいからこそ、私の方から購入時期を決定すると何度も言っていますよ!」
 A氏が、「それでは次回は私が貴女を担当しますから、予約日決定…」 どうのこうの言い始めた時点で私は「貴方とはまったく話にならないので今日はこれで電話を切ります!」と捨てセリフを残し、電話を切ったという次第だ。

 まあ要するに某大手ウィッグ企業にとっては、高額の完全オーダーウィッグ販売こそが企業存続の主柱であり、その営業活動を一顧客からやめよ!と言われたところで、それに受け答え出来るすべもないとの事実なのだろう。

 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 前回2014年に綴った元祖「売られたケンカ、受けて立ちます!」の場合、主張したい事を双方で訴えられたとの意味合いで、売られた喧嘩を私が買って出た事で一応の決着をみたものだ。
 
 片や、今回の某ウィッグ大手企業からの電話の場合、明らかに大手企業側が“墓穴を掘った”と私は判断している。 
 顧客に対し他の顧客と比較する行為は元より、「当社の商品を購入する経済力がないのではないか?」なる顧客に対する直接の問いかけは“禁句中の禁句”ではあるまいか? (確かに私は貧乏だ。が、一応自分が一生ウィッグに消費する金額を試算して、既に手元にその総額を“老後資金とは別枠で”金銭資産にて保有してるよ。とはこんな貧弱営業マンには言いたくもない。) これに関して、まさに営業担当者の資質と人格の程を問いたいものだ。
 この大手ウィッグ企業は東証一部上場を果たしているのだが、美容室現場にて顧客と直に対応する末端美容師氏達の教育を怠っているとしか捉えられない。

 まあそれにしても、私もたかが電話口で末端営業マン氏相手に言い過ぎた事は反省材料だろう。
 
 まさに世界規模の戦争とて、こういった末端の馬鹿げた言い争いから生じるのかもしれない。
 前回のエッセイにて、私は戦後72年が経過した現在に於いて歪み合う世界の現状を訴えたばかりだ。

 ここは冷静に対応しつつ、20年来利用しているウィッグ企業に今後も反省の意思がないのならば、同種別企業へ鞍替えする事も考慮に入れるべきだろう。  
 ただ、何処もその経営姿勢や経営能力の程に大差がなさそうなのが困りものだ……

戦争とはこうして始まるものと、戦後72年目にして実感…

2017年04月20日 | 時事論評
 戦争が始まる日が近い、と実感せざるを得ない空恐ろしい日々が続いている……


 一週間程前だっただろうか。 そんな我が恐怖心と一致する情報をネット上で見つけた。

 賀茂明「北朝鮮、シリア 日本の危機が安倍総理のチャンスになる不可思議」 と題するネット記述の一部を要約して紹介しよう。

 北朝鮮と中東における緊張が急激に高まっているが、日本人が戦後初めて戦争に巻き込まれる危機が、すぐそこまで迫っているということに、どれだけの人が気付いているだろうか。
 北朝鮮が頻繁にミサイル発射実験を行い、「射程距離を延ばした」「一度に何発も同時発射した」「移動式発射装置が多用されている」「潜水艦からの発射技術が格段に向上した」「北朝鮮が在日米軍基地攻撃を明言した」「把握が難しい移動式発射装置や潜水艦から、一度に数発発射されては、日米の迎撃体制でも対応しきれない」という報道が続いている。
 予測不能のトランプリスクが日本を戦争に巻き込むのか? 
 しかし、「危機」という言葉が報じられる一方で、国民に本当の「危機感」が広がっているようには見えない。その原因はどこにあるのだろうか。
 昨年、米国大統領選でドナルド・トランプ氏が勝利すると、マスコミは、「トランプは日本の防衛に責任を持ってくれないかもしれない」「在日米軍経費をもっと負担しろと言ってくるに違いない」などと報道をして、国民の不安を煽った。 官邸が流す情報をその注文通りに垂れ流したのだ。
 大統領選が終わると、安倍総理はトランプ氏へのおべっか外交で得点稼ぎを試みた。 トランプ氏の「日本を100%守る」という言葉を引き出し、安倍官邸は「大成果」だと喧伝した。

 こうした報道を繰り返し聞かされた国民は、次のように考えた。
 ――北朝鮮はいつ日本にミサイル攻撃を仕掛けるかわからない。もし米国が日本を見放したらと思うと背筋が寒くなる。幸い安倍さんがうまくやってくれた。何かあったらトランプさんが守ってくれる。安倍さんはトランプさんの親友になったのだから――  日本の国内には、このような奇妙な安心感が生まれたのだ。
 さらに、この思考回路は、暗黙のうちに次のような論理を肯定する。
 ――安倍さんとトランプさんが仲良くすることが何より大事。 そのためには、多少譲歩しても仕方がない。トランプさんが望むことを日本自ら進んでやることによって、向こうに恩を売り、さらに両国の絆を強いものにして欲しい――
 こうした米国追従外交への暗黙の了解の醸成が進むのに合わせて、安倍官邸と自民党は呼吸を合わせて、一気に「朝鮮戦争」への参戦に備える体制整備に入った。

 3月30日、自民党は「日本も敵基地を攻撃する能力を持つべき」との提言をまとめ、安倍政権に提出した。 国会での議論が全く行われないまま、話がどんどん進んでいる。  表向きは、敵基地「攻撃」能力ではなく、敵基地「反撃」能力という言葉を使って、あくまでも敵が攻撃してきた時だけのための敵基地攻撃だと言っているが、それにとどまると考えるのは人が好過ぎるだろう。 例えば米国が、「北朝鮮が在日米軍基地を攻撃するという確実な情報を入手した」と称して、日本を守るために北朝鮮を攻撃してやるから一緒に戦おうと言った場合、自衛のための戦争だとして、日本が北を攻撃することにつながるであろう。そうなれば、日本が事実上の先制攻撃を行うことにつながる。

 これまで一貫して堅持してきた、日本の「専守防衛」という安全保障政策が完全に放棄されることになるわけだ。
 もちろん、トマホークなどの整備には時間がかかる。「今そこにある危機」への対応とは別問題だ。しかし、こうした動きの根底には、日本が積極的に米国とともに戦争に参加することが日本の安全のためになるという考え方、さらには、対北朝鮮では、先制攻撃でミサイル戦争に勝つことが良策であるという危険な考え方が存在する。  もちろん、米国が要請しても自由に日本が断れるのであれば、その心配も少しは小さくなる。しかし、「世界中のメディアの前でここまですり寄ったのだから、安倍は今後、トランプのどんな要求も断ることができなくなった」という米国共和党関係者の見方がある。 確かに、あれだけ派手にすり寄って固い握手を交わし、抱擁し合った姿を世界中に晒しておいて、トランプ氏の「一緒に戦おう」という誘いを断ることなど誰にも想像できない。 日本に選択の自由はないというのが実情だ。
 これは日本国民から見ると極めて心配な状況だが、安倍総理本人はまったく気にしていないだろう。 なぜなら、米国が潜在的に要求している日本の自主防衛努力(防衛費の抜本的増額)、それによる米国製武器の大量購入、さらには、自衛隊の海外派遣による米軍への貢献は、米国の要求を待つまでもなく安倍総理自らが進めたい政策だからだ。

 つまり、日本国民にとっての危機が、むしろ安倍総理にとってはチャンスなのである。 この「国民にとっての国益」と「安倍総理にとっての国益」のズレこそが、今日本が抱えている最大の危機なのかもしれない。
 米中首脳会談を目前にした4月3日にトランプ大統領は、「中国が解決しなければ、我々がやる」と、北朝鮮の核基地への「先制攻撃」を示唆する発言をした。 さらに6日の首脳会談中には、シリアのアサド政権への初めてのミサイル攻撃を実施して世界を驚かせた。これは北朝鮮に対する威嚇でもある。
 トランプ政権が北朝鮮を攻撃すれば。金正恩委員長はすぐ対米報復に動く。しかし、米本土を攻撃する能力はないので、ターゲットの最有力候補は在韓あるいは在日米軍基地ということになる。
 この時トランプ大統領は、盟友安倍総理に「一緒に戦おう」と声をかけるだろう。 安倍総理は、日本は攻撃を受けていないという理由で参戦を断れるだろうか。 前述したとおり、首脳会談で異常なまでのトランプ氏へのすり寄りを見せておいて、いまさら「別行動」などとは口が裂けても言えないはずだ。 何らかの理由を作って参戦するだろう。

 その時、国民はどう反応するのか。
 マスコミが、「今は戦時。国民が一致団結することが大事。政権批判は北朝鮮を利するだけだ」という論調を展開し、国民も漫然とそれに従うことを心配している。
 しかしひとたび参戦すれば、日本はまさに米国と並び北朝鮮の敵となり、在日米軍基地だけでなく、日本全土の原発や東京などの大都会が攻撃されることになる。
 マレーシアで白昼堂々金正男氏をVXガスで殺害したのは、戦争にVXを使用すると宣言したとも理解できる。 VXガス搭載ミサイルが何十発も飛んでくることを覚悟するべきだろう。 
 日米韓が協力し、ロシア、中国が北朝鮮を支援しなければ、日米韓連合軍が北朝鮮に勝つことは確実かもしれない。しかし数千の犠牲者を出して「勝った、勝った」と喜べるのだろうか。
 もちろん、北朝鮮を米国が攻撃するのはそう簡単な決断ではない。 中国やロシアが反対するのは確実だし、韓国も大きな被害を受ける。 韓国や日本の米軍基地の被害も覚悟しなければならない。
 そう考えれば、今すぐにもこうした事態が生じるとは考えにくい。 しかしそれでも予測不能なのが、トランプ氏である。 最悪のシナリオは想定しておくべきだろう。
 いずれにしても、日本人が本当に安倍政権の対米追随路線の怖さに気づくのは、やはり前述した北朝鮮とのミサイル戦争に巻き込まれて、日本の国土が戦場と化し、数千人の死傷者を出すときまで待たなければならないのかもしれない。

 そういう事態になって、初めて日本の国民は気づく。
 ――あの時、日本は米国を止めるべきだった。中ロと協力してでも、北朝鮮との戦争を止めて欲しかった――と。
 そして、私たちは次のような疑問に突き当たるだろう。
 日米安保条約と在日米軍基地があるから日本の安全が守られるというのは間違いだったのではないか。日米安保条約と在日米軍基地があったからこそ、日本が無用な戦争に巻き込まれることになったのではないか。
 ――政治の役割は二つある。一つは国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争しないこと――  これは、菅原文太さんが亡くなる約4週間前に沖縄で行った最後のスピーチの有名な一節だ。
 今日本人はこの言葉をかみしめて、日本が進むべき道について根本から考え直すべきではないだろうか。(文/古賀茂明)

 (以上、長くなったがネット情報より一部を引用したもの。)


 上記ネット情報を見聞してから一週間程の日々が過ぎ去った。

 現在、ペンス米副大統領が来日している。 昨日(4月19日)ペンス氏は米海軍横須賀基地に停泊中の原子力空母ロナルド・レーガンを訪れ、演説した。
 その演説の中でペンス氏は北朝鮮に対し、「米国は圧倒的かつ効果的にいかなる攻撃も打破し、通常兵器や核兵器に対処する」と述べ、経済・外交で圧力をかけると同時に、軍事力行使も選択肢にあるとの考えを改めて強調した。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 「日本国民にとっての危機が、むしろ安倍総理にとってはチャンスなのである。 この『国民にとっての国益』と『安倍総理にとっての国益』のズレこそが、今日本が抱えている最大の危機」
 この上記ネット著者の記述に、私もまったく同感だ。

 にもかかわらず、こんな危機状態に置かれている我が国の国民の多数が、未だ安倍内閣の支持派であることに我が目を疑わざるを得ない。
 朝日新聞の最近の世論調査によれば、現在安倍内閣を支持している国民は50%、その理由を「首相が安倍さんだから」「自民党中心の内閣だから」「政策の面」「他よりよさそう」 と応えているのだ。
 これら国民の50%は本気でそう考えているのか?!?
 国民の半分は戦争肯定派なのだろうか!?!

 特に、なんとなく「他よりよさそうだから自民党を支持している」と応えた人達に、今一度主体的に自分のポリシーを持つよう促したい。

 “なんとなく”生きている内に、この国が戦禍に巻き込まれる日はそう遠くない。

「ここに来たらいつも友達だよ」 と言ってくれる人

2017年04月17日 | 人間関係
 何だか、幼き頃に夕焼け空の下で友達と指切りげんまんしながら、「明日も友達でいようね!」と“契りを交わし”今日の別れを惜しんだ光景を思い起こすような表題のセリフだ。

 
 表題の言葉を某男性が私に言ってくれたのは、先週末にいつも通っているスポーツジムへ行った時の事である。

 ここのところ急に春の陽気が訪れ野外でランニング練習をする機会が増えていること、それに我が持病である「腰痛」が寝返りを打っても下を向いても痛む程に激しくなったこともあり、しばらくジム通いを控えていたのだが…


 さて久しぶりにジムへ行くと、いつも私を掴まえては話しかけて来るお爺ちゃんが一目散に私に近づいて来て、「随分と来なかったけど、どうしたの??」と心配して下さる。
 「腰が痛くて、しばらく運動を自粛していたのよ。」と私が応えると、「大丈夫か? あまり無理をしないように運動したようがいいよ。」と労わってくれる。  「今日はゆっくりめにランニングして、筋トレも無理のない範囲でします」と私が返すと、「その方がいいよ。」と優しい。

 この“お爺ちゃん”も私も当該ジム通い年数は長く、ずっと以前よりお互いにその存在を認識していたと私は理解している。 とにかく明るくフレンドリーで、誰彼問わず気さくに声を掛けるキャラの人物だ。
 その“お爺ちゃん”が私に一番最初に声を掛けて来たのは、今から1年半程前の事だっただろうか、私がトレーニング走路にてランニング練習を終えた直後に床に倒れ込んだ後、起き上がった時だ。
 「大丈夫か?」とお爺ちゃん。  「大丈夫です。いつも全力で走るので5キロ走り終えた後はしばらく床に倒れ込む程に疲労困憊しています。」と私が応えると、「オリンピックに出る訳じゃあるまいし、そんなに頑張らなくともいいんじゃないの?」 それに今一度私が応えて「それでは達成感が得られないのです。たとえド素人ランナーのヘボ練習であれ、全力勝負しない事には自分の気が済まないのです!」等々と本気の多言を吐くと、お爺ちゃんはその話に乗って来たようだ。 
 その後、ジムにてのお互いのトレーニングメニュー等々を話し合いすぐに意気投合した。

 このお爺ちゃんこそ素晴らしくて、現在78歳であられるらしいが、ずっと以前より登山やロッククライミングの趣味をお持ちだそうだ。 そのためジムでは筋トレを欠かさず、腹筋1日100回、懸垂同じく数十回等々の筋トレメニューをいつもこなしておられるようだ。
 そのせいか筋骨隆々で背筋もまっすぐならば、闊達な話しぶりは私も負けそうである。 


 久しぶりに会った先週末、お爺ちゃんがちょっぴり寂しそうに私に訴える。
 「近頃の人間は、会話をしなくなってしまったなあ。 こちらが話しかけても、直ぐに会話が終わってしまう。 どうも若い世代もそのようだ。 何だか寂しいよ。 僕はパソコンがこれ程までに普及してしまったのがその一番の原因だと思うのだけど。」
 私がすぐさま応えて、「まったくその通りですよ! 老若男女問わずいずれの世代でも同じ現象がありますね。 まさにパソコンのせいでもあるし、私は個人情報保護法が法制化されたことも大きな要因と考えています。 今の時代は個人情報保護が過度に叫ばれて、相手にそれを尋ねる事も遠慮せねばならないし、こちらがプライバシーを語る事も許されなくなってしまいました。 これじゃあ、話題が自ずと表面化するばかりで、人と人が知り合って仲良くなれる訳もないですよねえ。」
 お爺ちゃん応えて、「僕など、人と話したいのも目的でいろんな場所へ行くんだけど、本当に友達が得られにくい時代になってしまった。」 「まったくその通りと私も実感します。」


 その後、お互いの筋トレが終了する頃、またお爺ちゃんは私の所へやって来た。
 「もう帰るけど、僕は家へ帰っても夜が長いのが嫌になる」 これに応えて、「私は夜お酒を飲むので時間が過ぎるのは早いですよ~~」と言いつつお爺ちゃんがお酒を飲めない人だったと思い出し、悪い事を言ったと自己反省…  
 そうしたところお爺ちゃんが「女房が今いなくてね」と寂しそうに言うので、「どちらかへ行かれているのですか?」と私が尋ねると、「姨捨山へ行っちゃってね…」  爆笑しながら応えて、「姨捨山は自分で行くところじゃないですよ。 あっ、もしかしたら入院されたのですか??」 これが大正解だったようだ。 
 参考だが、お爺ちゃんご夫妻には子供さんが生まれなかったとの事だ。 それに伴い必然的にお孫さんもいない。  その話も随分前に聞いている。 だからこそご自身より若い世代と会話を持ち楽しむ事を欲し、それを普段から実行せんと努力されている様子だ。

 そんなお爺ちゃんが、やっと長話が通じる相手の一人の位置付けであろう私をジムで見つけた、との成り行きなのだろう。

 お爺ちゃんが帰り際に繰り返す。
 「もう腰の痛みは大丈夫そうだね。 来週以降も来れるね。 また話そうね。 ここに来たらいつでも友達だよ。」

 満面の笑みで私も応えた。
 「そうですね。 ここではいつも友達ですね!」

 「友達」という言葉の輝きに、何十年かぶりに触れた気がした。

学校保護者会人事のあり方を問う

2017年04月15日 | 教育・学校
 “真実は小説よりも奇なり” とは、まさにこの事だ。

 千葉県松戸市立六実(むつみ)第二小学校3年生だったレェ・ティ・ニャット・リンさん(9)=ベトナム国籍=の遺体発見から19日が経過した昨日(4月14日)、容疑者の男が逮捕された。
 その容疑者が、なんと同校の現役保護者会会長だったというのだ。


 早速、今朝発見したこの容疑者に関するネット情報の一部を以下に引用しよう。

 リンさん(9)の遺体発見から19日。 14日に逮捕された容疑者(46)は事件発覚後、同小の保護者会「二小会」の会長として、リンさん家族がベトナムへ帰国する費用の寄付を依頼する文書を保護者らに配布していた。 「まさか会長とは……」「何を信じたらいいのか」。保護者や児童らは強い衝撃を受けた。 周辺住民らによると、容疑者は東武野田線六実駅近くにある所有マンションの4階に住み、2人の子供を毎朝同小に送っていた。 しかし、リンさんが行方不明になった3月24日朝、ほぼ毎日参加していた見守り活動には姿を見せなかった。
 「子供思いの人だったのに」。 渋谷容疑者の逮捕の一報を聞いた近隣住民は、驚きを隠さない。 自身も同小出身で、昨年度からは二小会の会長を務め、11日の入学式では保護者代表として「学校では勉強やスポーツを楽しんでください」と新入生に呼びかけたという。
 登校時間帯には、交通量の多い学校近くの丁字路の交差点で、見守りボランティアとして旗を持って児童を誘導していた。リンさんもこの交差点を通っており、複数の保護者や住民は「(容疑者は)見守り活動でリンさんのことを知っているはず」と証言する。
 小2の子供を持つ30代の母親は「会長は他にやる人がいなくて、昼間に時間がある容疑者がやることになったと聞いた」と話す。 20日には二小会の総会が予定されており、渋谷容疑者は今年度も会長に承認されるはずだった。
 保護者の男性会社経営者(33)によると、始業式があった5日、渋谷容疑者が呼びかけた募金の案内文が、児童を通じて保護者に配布された。 「ご遺族の帰国費用がかなりの金額に上るとのことで、少しでも助けになればと皆様にご協力をお願いしております」。リンさん家族がベトナムに帰国する費用の援助を保護者に依頼する内容だった。
 一方、事件後には周囲に「疑われている」とも漏らしていた。地域の防犯活動をしている男性は今月上旬、渋谷容疑者とすれちがった時に突然、「俺が疑われている」と話しかけられたという。「笑いながらだったので、冗談だと思って気にもとめなかった。今考えれば後ろめたい気持ちがあったのかもしれない」と語った。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 ここで、学校の保護者会(一般にはPTAと呼称されることが多いが)に関して、原左都子が認識している範囲で記述してみよう。
 子どもを持つ多くの国民が、このPTAと何らかのかかわりを持っている(持った)事であろう。 その割には、その法的位置付けを理解していない保護者が大多数と捉えるため、今一度復習しよう。
 学校とPTAとは法律上の組織が異なる。(学校要覧等で学校の組織図をご覧いただきたい。) 学校によってはPTAを学校の下位組織と位置づけ学校長を最高責任者としている例もあるが、多くの場合はPTAは学校とは別組織となっている。(「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。) 
 そのため、大抵は(上記ネット情報内にも記載されているがごとく)PTA会員同士で会長を“擦り合いう”事になり、「会長は他にやる人がいなくて、昼間に時間がある容疑者がやることになったと聞いた」との事態も発生するのだろう。

 私事だが、我が娘が最初に通った公立小学校では、PTA組織は「先生と父母の会」と称して例外的にその組織が学校と一体化していた。 組織の最高責任者はあくまでも学校長であり、父母会会長は学校長が最終的に任命する形となっていたように記憶している。
 そのため、もしも今回の松戸市のような事件が発生した場合は、父母会会長が犯した事件に関して学校長こそが最終責任を取る事となったのだろう。

 我が記憶によれば、娘が当該小学校在校中の「先生と父母の会」会長氏は、人格の優れた人物であられた。 と言うのも、私は当該会長氏宛に父母会の運営に関する“意見書”を提出した事があるのだが、実に誠意ある回答書を会長より返送いただいたのだ。 その結果として、我が意見が「先生と父母の会」で採用され、その運営が旧態依然とした状態から進化して、今の時代の現実に即した方式に改善された。

 とは言えどもそれは例外中の例外であり、大抵の保護者会ではリンさんが在籍していた小学校のごとく、PTA役員を擦り合い、その延長線上で“得体の知れない”会長が任命されている事例が大多数であろう。
 あるいは、地元の地権者達が売名・営利目的でPTA会長に立候補する場合もある事実も経験している。 地方自治体議会選挙で、立候補者の経歴欄に「地元小学校PTA会長」と堂々と記載している候補者がいたが、申し訳ないが「それが経歴になると思ってるの??」と私など冷めた視線で見たものだ。


 今回のエッセイ表題は、「学校保護者会人事のあり方を問う」と掲げたが、もっと根本的な議論に戻すと、私は「そもそも学校に保護者会は要らない」と考えている人種だ。
 現状の義務教育課程保護者会とは、その実、“学校の下働きボランティア団体”としてしか機能していないのが現実だろう。 この私も娘が小学校在学中には、「登校時の旗振り」「下校時の見守りパトロール」「運動会の準備作業」等々、駆り出されればそのボランティア活動にいそいそと励んだものだ。

 ただ、本来の保護者会の使命とは、学校とあくまでも対等な立場で教育のあり方に関して議論する場であるべきと考える私だ。 ところが保護者会に出席しても、まさかそんな議論に持ち込めない雰囲気であるのは娘が小学校1年生の頃より十分に理解出来ている。  やむなく、その議論は個別に「意見書提出」との手段を取って来た。


 最後に、こと今回の松戸市の小学生だったリンさん殺害事件容疑者に話を戻そう。

 保護者会会長(本年度も再任されるはずだったらしい)が、その殺害を実行した張本人!?!!
 特に未だ幼き児童が通学している小学校現場に於いて、絶対に発生してはならない事件だ。

 学校の保護者会など、今の時代背景に於いて保護者にとっては“鬱陶しく出来るならば避けて通りたい!存在でしかないのは大方の保護者の正直な思いだろう。

 ただ一旦、幼き子供達に目を移したならば…
 幼き視点からは、保護者会会長は入学式でも「皆さん、元気で勉強したり遊んだりしましょう」と言っていたし、登校時には見守ってくれるし、いつも優しいし、この人は信頼できる!、との結論に達するには時間がかからないだろう。

 だからこそ、たとえ保護者会(PTA)が法的には学校と別組織であれ、学校長とはその任命に当たり他人事では済まされない事実を今一度認識して欲しいものだ。 
 今までのように、学校側が保護者会(PTA)をあくまでも単なる “学校の僕のボランティア団体” と捉え続ける限り、この種の事件が再発しないとは限らないと私は警告する。

振り込め詐欺多発の中、ATMで困惑する人を助ける勇気

2017年04月13日 | 時事論評
 昨日、私が自宅近くのATMへ行った時の事だ。


 参考だが、近年警視庁による振り込め詐欺撲滅対策作戦により、振り込め詐欺被害総額に於いては一時よりその金額が多少減少しているようだ。 とは言えども、その被害総額は406億円超に上っているとのことだが。
 ただし被害件数に関しては、平成28年の振り込め詐欺全体の認知件数は前年に比べて約2%増と、現在尚増加の一途を辿っているとのネット情報である。
 

 さて、私が昨日行ったATMは金融機関内に設置している形式ではなく、独立小部屋形式というのか、要するにATMだけが2台設置されていている建物だ。

 その建物内にも、振り込め詐欺撲滅目的の目立つ色彩の大きなポスターが所狭しと何枚も貼られている。
 「ATM操作中に後ろや横から話しかけられても無視して、すぐに電話で知らせるように」「還付金が返ってくるなど大嘘」等々、特に振り込め詐欺のターゲットとなり易い高齢者相手に強いメッセージを訴え掛けているようだ。

 私がそのATM建物に入った当初、ATM操作中の人が2名、順番待ちの人が3名の状態だった。 その一番後方に並ぶ形で私は順番を待った。
 1名が操作を終了し、順番待ちの人に入れ替わった頃だっただろうか。
 ATM操作中のもう1名の高齢ご婦人が困惑したような様子で、「すみません。どうすればよいか分からないのですが…」と不安げに後ろを向かれる。

 当時室内にいたのは合計5名だったが、皆さんの反応は無い。 その時室内の一番後ろにいた私の心が、咄嗟に「助けてあげねば!」と私の体を押し動かした。


 ここで参考だが、どうも私はそういうシチュエーションに直面すると、「私こそが助けねば!」と“正義感に燃える”キャラのようだ。
 いえ、そのシチュエーションが例えば「海に飛び込まねばならない」だとか「火中に身を投じねばならない」等々、命の危険が伴う場合は決して身を挺する程の無謀者ではない。  ただただ、自分の手に負えそうな事案の場合、率先して行動を起こすタイプかもしれないとの範疇に過ぎない。
 例えば、少し前のエッセイに綴った「体育館内走路で遊ぶ子供達を叱った事件」なども、その我がキャラに基づく行動だったと言えよう。

 生まれ持って私がそのキャラだったのかと言えば、決してそうではない。
 自己分析によれば、大人になり社会に出て以降、特に職場の上司に任命されたり高校教員を経験したりする事により、あくまでも後天的に “ここで(特に“弱き他者”)を助けるのは我が使命!”と自然に習得した資質であると考察する。


 ATM内の高齢婦人に話を戻そう。

 私がご婦人に近づき「どうされましたか?」と話しかけると、やっと少し安堵された様子だ。
 「お金が機械に入らないのですが」と私に伝えつつ、「嫁が今日病気で寝ていて来られなくて、仕方がなく私が来たのだけどどうしても機械の扱い方が分からなくて…」とおっしゃる。

 「それは大変ですねえ」などと応えつつ、我が脳裏には一瞬周囲のポスターの文言が過る。「ATM操作中に後ろや横から話しかけられても無視して、すぐに電話で知らせるように」等の…。
 これ、下手をすると後にATM部屋へ入って来た人々が一見したら、まるで“振り込め詐欺犯”の私が高齢婦人に横で詐欺を働いている実行犯と見間違わないだろうか?!? 
 ああ、そういう事ね。 誰もご婦人を助けないのは、皆さんそれを危惧しての行動なのか…… 

 と思っても後の祭り…、 ではなく、今の私の任務はATMに戸惑う高齢婦人を今助けることだ! と我に帰り、今一度ご婦人が実行されようとしているATM操作を尋ねてみた。
 そうしたところ、ご婦人から「入金したいがお金が機械に入らない」なる回答が来た。 ここでやはり私が画面を見ずして次の動作に入れないと判断し、(周囲には詐欺犯と疑われても仕方ない!と腹をくくり)ご婦人にもっと近づき操作中の画面を横から見た。 そこで判明したのはご婦人が通帳を機械に投入していない事態だ。 それを指摘したのだが、どうしてもご自身で複数ページに渡る通帳を狭い空間に投入する事が叶わない。 これまたやむを得ない。私が手助けしてやっとこさ通帳を機械へ投入出来た。 
 その後ご婦人の機械への現金投入が叶ったのだが、無情にも機械が画面で聞いてくるのが、「入金金額が正しいですか?」だ。 要するに釣銭が欲しい顧客に対応せんとしてそれを聞き返しているのだろう。 またもや、私が具体的金額をご婦人に告げねばならない。 「入金は10万円でよろしいでしょうか?」 ご婦人応えて「はい。そうです。」 「その場合は、この『確認』ボタンを押すと取引は終了します」と応え、ご婦人にその『確認』ボタンを押すように指南した。
 取引終了後、通帳が機械から出て来てご婦人がそれを手で取るまで見守った後、「お忘れ物はございませんか?」と声を掛けると、ご婦人は「嫁が病気で私が今日は来なくていけなくてね」を繰り返し私に伝えてくれた。 「どうかお大事に」と声掛けすると、ご婦人はATMを去って行かれた。
 
 その後、ATM部屋の我が順番待ち場所へ戻ろうとすると、既に後に来ていた3名の客が並んでいる。 その後ろに並び直しつつも、 どうやら、私を「振り込め詐欺犯」と感じた人物は幸いにもいなかった様子で安堵した。


 最後に、原左都子から金融機関に「振り込め詐欺」撲滅高齢者対策に於ける今後の提案をしよう。

 真に金融機関に於いて「振り込め詐欺」を撲滅したいのならば、まずは高齢者の行動様式から理解するべきである事に間違いない。
 現在義母及び実母2名の高齢者保証人を担当し日々関わっている私の経験から物申すならば、貴方達が考えているより高齢者が置かれている立場はずっと厳しく難しいものがあろう。
 金融機関は高齢者の「認知症状」や「耳の聞こえの悪さ」「心身の老化具合」等々を実体験として如何程に捉えているのだろうか!?!
 その実態を金融機関が我が事として理解出来ているのならば、既に不具合を生じている高齢者はもちろんの事、そうではない高齢者であれ“ATM操作”を課す事とは元々無謀であり、そもそもそれ自体に無理があることに気付くはずだ。

 どうか、(特に大手金融機関は)安倍政権に操られるままに安穏として、自らの業務簡略化を最優先するよりも、高齢者顧客を筆頭として真に“弱者”に優しい組織として生まれ変わって欲しいものだ。

 そんな金融機関の今後の姿勢こそが、振り込め詐欺撲滅に直結するものと私は信じる。