原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校の特殊行事運営は専門筋に委ねるべき

2017年04月11日 | 教育・学校
 3月27日に発生した、栃木県那須スキー場付近で登山講習会に参加中の高校生ら8名が雪崩事故で死亡した痛ましい事件より、2週間ほどの日々が経過した。

 時が過ぎ去るのは実に早いもの。
 その後学校は新学期を迎え、わずか2週間にして世間では既に当該雪崩事故の記憶が薄れ去り行く感すらあるこの頃だが…


 そんな折、一昨日(4月9月)の朝日新聞「声」欄で、当該事故犠牲者高校生のご親族であられる88歳男性の投書を発見した。
 早速、当初内容の一部を以下に転記させていただこう。
 
 私は、かわいい孫をあの事故で失った。 雪崩注意報が出ていたのに、主催した県高体連登山専門部がなぜ中止にしなかったのかがわからない。 責任者は3人で話し合って訓練の実施を決め、経験から「絶対安全だと判断した」と話した。 改悛の態度には見えなかった。
 孫は私にとって初孫。 我が家の近くの病院で生まれ、優しく賢く育った。 あの日、「おじいちゃん、くるしいよ」との悲鳴が脳裏を走ったが、身代わりにはなれなかった。 孫の父は冷静かつ穏やかに、「二度とこのような悲惨な事故の犠牲者を出さないような社会にすることをただ祈っている」と述べている。
 前途有望な少年達を死に追いやった事故は明らかに人災であり、裁かれなければならないという思いを拭い去ることはできない。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書より一部を転記したもの。)

 原左都子の私論だが、まったく投書者のおっしゃる通りだ。
 これは明らかに「人災」であると、私も事故発生当初より憤っていた。 にもかかわらず、学校側から最初に発表された、まさに“改悛の態度には見えない平然とした会見”に私も呆れ果てたものだ。
 その後しばらくして学校への家宅捜索が実施された事実に、やっと救いをみる思いだった。
 今後は刑事事件として、加害者である県高体連や学校側が正当な裁きを受けることを祈っている。


 我がエッセイ集バックナンバーに於いて、私は幾度か「学校の特殊行事運営は専門筋に任せるべき」趣旨の私論を主張している。

 例えば 2009.5.26 公開バックナンバー 「逆上がりの屈辱」 に於いて、以下のような文章を綴り公開している。 一部を紹介しよう。
 話を冒頭の小学校の頃の「逆上がり」に戻すが、この私もなかなかクリア出来ずクラスで最後の2、3人にまで残った“「逆上がり」落ちこぼれ”児童だった。   あれは、我が幼き日の屈辱的な光景として今尚忘れずにいる。
 まず我が折れそうな細腕が体を支えられない。
 それ以前の問題として、昔の小学校には体育専任教師など配備されていなかったため、技術的に「逆上がり」を指導できる指導者が誰一人いないのだ。 そんな劣悪環境下で、ただただ周囲の児童が成功するのを見よう見真似で頑張るのだが、どう足を上げても成功には程遠く疲れ果てるばかりだ。
 更に極めつけは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた。「皆出来るのに、何であんたは出来ないの!」との教員の罵声が「逆上がり」が出来ない児童の劣等感に追い討ちをかける。 「だったら、あんたがちゃんと教えろよ!」と今なら言い返すだろうが、当時の幼き私に教員に逆らう手立ては何もない。
 それでも、その“出来の悪い”2、3人で日が暮れるまで学校の校庭で毎日頑張った。 一緒に残って元気に遊び回っている“出来る子”をお手本にしつつ、ある日、何とか「逆上がり」が出来た私であった。  残念ながら“ひねくれ者”の私には何の達成感もなく、豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手と、“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残った。
 昔の小学校の体育教育において、何故にたかだか鉄棒の一種目でしかない「逆上がり」ごときに、教育行政があれ程までにこだわったのかは不明である。(当時教員経験等がおありで、その教育的理念の背景をご存知の方がいらっしゃれば是非ともお教えいただきたいものである。)
 もしかしたら、東京オリンピックで男子体操チームが大活躍したことに単に浮かれたて連動した安易な教育行政だったのだろうか??? 
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さらに、1年程前の 2016.3.3 に綴り公開したエッセイ 「学校に子どもを殺される程やるせない事はない」の記載からごく一部を以下に紹介しよう。
 追随して、現在小学校現場で全員に強制され全国各地で毎年何名かの死者を出し続けているプール指導に関して。
 娘も小6時点で未だ泳げないにもかかわらずプールに強制的に入れられ、適切な指導がなされないまま毎時間プール内で立たされ凍えた事も経験している。
 この話を娘から聞いた私は居ても立っても居られず、すぐさまプール指導のあり方に対して学校と話合いを持ちたい思いが山々だった。 ところが当時の担任が残念ながら“話せる”相手ではない事を承知していたため、「体を冷やさないためにプール内でウォーキングをしていなさい」とサリバン母の私から娘に直接指導した。 それに素直に従った娘に浴びせられたのは、「歩いてないで泳げ!」との担任よりの無常な言葉だった。 幸いプール指導は9月上旬で終了するため、「あと少しの我慢」と娘を励ましつつ、学校からの非情な仕打ちに耐えさせた。 まったくもって、指導力が無いなら全員強制で正規の授業としてプール指導など実施するな!と吐き捨てたいものだ。
 (以上、再度我がエッセイ集バックナンバーより引用したもの。)


 私事及び私論に入ろう。

 私はそもそも、学校(特に義務教育課程)の教育能力を “信用していない” 人種であるかもしれない。
 我が子が生まれ持って若干(あくまでも若干の範疇だが)の不具合を抱えているとの特殊事情が背景にある事も大きいのかもしれない。 が、とにかく我が娘の教育に関して義務教育現場に一任していたのでは、弊害こそ大きかれ娘の真の成長が望めないと早期に判断した私は、娘小学校入学前から高校2年生頃までずっと娘の学習に主体的に付き添って来た。 娘高3時点では、志望大学公募制推薦入試合格に向け“鬼のサリバン”と化し、娘の実力を磨き上げ見事一発合格に持ち込んだ。
 元々学問好きで高校教員経験もあり、(IQ168を誇る?)私にとっては「学習指導」は得意分野だ。  一方その他のサリバンの専門ではない分野に関しては、外部の専門筋に娘の教育を依存するとの方策を採用した。 例えば音楽分野や美術分野等々。 それが功を奏して、我が娘は一度は美大進学を志した程だ。(結局挫折して、別分野へ進んで現在に至っているものの。)

 とにかく、こと研ぎ澄まされた専門力を要する特殊分野に関しては、学校(特に義務教育課程)現場の指導力の程が貧弱であるのは否めない事実だろう。
 もちろん児童生徒が個々に持って生まれた個人的天才性や家庭環境により、自ら潜在能力ある人材はそれだけで開花出来る事もあるにはあろう。 ただそれとて奇跡的確率に過ぎず、決して学校現場の教育力の快挙ではない事実を学校側は真摯に認めるべきではなかろうか? 


 最後に、冒頭の栃木県雪崩事故に戻そう。
 報道等で見聞する限り、今回犠牲になった高校生達は優秀な人材に成長する素質を秘め、将来に渡る活躍を切望されていたと認識している。
 それら人材の尊い命を、思慮なき判断により一瞬にして失った高体連や学校現場の責任は計り知れない程に重い。 
 まさか加害者達が “教育者側に立てば自分こそが偉い” などとの未熟かつ無謀な感覚を長年その職種に従事する間に無意識に身に付け、安穏と過ごしてしまっていたとは思いたくもないが…。

 とにかく今後下される司法の判断に従い、学校や自治体側は自己の犯した罪の裁きを静粛に受け入れて欲しいものだ。

夢見る “おばさん” じゃいられない

2017年04月10日 | 恋愛・男女関係
 世の中には、48歳子持ちの母親にして、しかも自身に経済力もなさそうなのに、「夫と離婚して恋がしたい」 とぬけぬけと新聞に相談する呆れた女が存在するようだ。

 
 それでは早速、朝日新聞2017.4.8 “悩みのるつぼ” 48歳女性による「離婚して恋がしたい」なる相談内容を要約して紹介しよう。
 48歳女性だが現在離婚に向け夫と別居している。 理由はお互いの浮気とか借金問題ではなく、私が一番困っているのは「恋がしたい」ことだ。 離婚後の経済状況や子供たち(成人している)の事など考えねばならい問題が山積しているが、しかし、私は「恋がしたい」。 とは言え、結婚はこりごりで婚活パーティや相談所を頼って結婚する気などさらさらない。 地域のサークルで知り合うのは後々面倒なためごめんだ。 仕事の休みの日に少しお洒落をして食事をしたり、小旅行に出かけたりするパートナーが欲しいのだ。 かと言って「レンタル恋人」類は自分が惨めだし、お金でその体験をしたくもない。 ただ、都合よくそんな既婚者でもない相手が見つかるとは思えず、残りの人生を恋愛をしないで過ごす事に絶望感を覚える。 話し相手なら女性の友達でもいいのでは、とも思うが、私は異性の友達が欲しい。 どうすればよいか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を要約したもの。)


 一旦原左都子の私論に入ろう。

 要するに、現在別居中のご亭主との復縁が一切考えられないのだろう。 
 子供さん達も無事成人しているようだし、自身が仕事をしているため自分一人で生活できる程度の収入もある。
 そうだ。 今の私に欠落しているのは “男性パートナー” だ! とふと気付いた現状かと推し量る。

 この女性の一番悪しき点は、復縁したくもない現在別居中の夫との婚姻関係を清算しない事ではあるまいか? それ程までに現在の夫が受け入れられないのならば、さっさと自分から婚姻関係を断ち切って、次のパートナー募集に躍起になればいいはずだ。 
 ところが相談女性がその行動を取らない事情を、私は見抜いている。 要するに、相談女性は現在の夫を「保険」として抱えていたいのだろう。(今日の昼間たまたまその類のテレビCMを見たぞ。
 ただ、世の中そう甘くはないなあ。
 その証拠に、相談女性は未だにパートナー候補男性に出会えていないからこそ、こんなくだらない相談を新聞に投稿したのであろう?
 もしも相談女性が本気で次なるパートナー男性に巡り合いたいのであれば、まずは現夫との関係をスッパリと清算して、本気で次なるパートナーを探すに限る!と私ならアドバイスしたいところだ。
 あるいは相談女性である貴方の根底にある “軽薄さ加減” を周囲に見抜かれている恐れもあるぞ。 人間関係とは、いつも「信頼」から始まるものだ。 貴女には何らの「信頼」の資質も無いと感じるのは私だけだろうか…  


 今回、この相談に回答されたのは、社会学者であられる上野千鶴子氏だ。
 未だ独身であられる上野氏が、素晴らしい回答をされているため、その回答を以下に要約して紹介しよう。

 相談者は40代後半にして、私の人生は何だったのだろう?と不全感に悩んでおられる。 そこまでは健全だし、結婚はこりごりも賢明だろう。 で、その不全感をチャラにするのが恋愛ですか? ギャルじゃあるまいし、いい大人の悩みとは思えないが、恋愛をした事がないのだろうか? 恋愛が人生を変えるなんて、小娘のような妄想をまだ持っているのか。
 相談をよく読むと、相談者が欲しいのは「休日にお洒落をして食事や映画・小旅行に行く」程度の相手。 こんなものを恋愛と勘違いしてはいけない。 恋愛とはもっと自我に食い込む闘いだ。 欲望やエゴイズムなどがむき出しの食ったり食われたりの関係を、今になって味わいたいのか?
 何でも経験した事がないものは美しく見えるもの。 やりたい事をやって思い遺しのない人生を送りたいのならば、どうぞお好きに。 ただし愛も恋も自分から動かない限り、待っていては始まらない。
 今まで貴女は本気で男を愛した事があるのか? そんな本気の恋愛をして何もかも人生をリセットしたいという妄想を抱いているのではないのならば、話は簡単だ。 まめに自分から相手を誘えばいいのだ。
 再婚する気がないのなら、未婚の男性に限る必要もないはずだ。 かえって既婚男性の方が付き合い易くて安心だろう。 とにかく貴女は、恋に恋する年齢をとっくに過ぎている。 妄想に浸っている暇があったら行動に移す事だ。 


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 いやはや60代後半に至って尚独身を貫いておられる上野千鶴子先生の生き様が、何とも羨ましくもあるなあ。
 私も40近くまでそれを目指していたはずなのに、方向が違ってしまったようだ…
 ただ40近くまで独身を貫いた身として、上野先生が記されている “本気で恋愛をする凄み” は存分に何度も経験して来ている。
 まったくもって上野氏がおっしゃる通り、「恋愛とは自我に食い込む闘い。欲望やエゴイズムなどがむき出しの食ったり食われたり」の凄まじいまでの関係だ。 この修羅場を(幾度も?)通り越す経験を抱える事が出来たからこそ私は大人になれ、現在の人格を築けていると信じている。

 さてさて、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談者女性氏よ。
 貴女の場合、別居中だが離婚に至っていない現夫氏と復縁するのが一番の方策と私は思うのだが…
 ただもしかしたら、実は夫氏の方から離縁を迫られている現状なのかもしれないのが悲しいところだね……

終末期の延命措置、認知症者の意思をどう確認するの?

2017年04月08日 | 時事論評
 昨日(4月7日)のNHK7時のニュース題材の一つは、「終末期の延命処置、臨床救急医学会が提言」だった。


 冒頭から私事に入ろう。

 我が家は数年前より、義母と実母両人の高齢者施設保証人を担当している。
 そして両人共に、現時点では「延命措置を希望しない」旨を保証人である我々に告げてくれている。

 本エッセイ集2月のバックナンバーにても記載したが、義母に関しては施設のケアマネジャー氏と我々保証人とで、“終末期の看取り”に関して最初の話合いの機会が持たれた。 
 義母の場合、既に認知症状が悪化の一途を辿っているとの理由もあり、早いうちに保証人の意向を聞きたいとのケアマネ氏のご提案だった。

 
 昨日のNHKニュースを視聴していて疑問に感じたのが、その点だ。

 ニュースは特に高齢者終末期の救急搬送に際し、高齢者本人の延命措置希望の意思確認をした上で、高齢者自身の意思に沿って延命措置実施・不実施を決定するとの内容だった。
 例えば、重い心臓病で救急車を呼んだような事態に際しその患者が高齢者であった場合、本人が延命措置を希望しないのならば心臓マッサージ等の措置をしない、との事のようだ。

 一言で“高齢者”と言えども、その年齢にかかわりなく健康面で抱える問題は人それぞれ多様性があろう。
 そんな中、我が義母のように認知症状が日毎悪化している高齢者の場合、救急搬送事態に直面した時に自身が「延命措置をするか否か」の咄嗟の判断が可能とは到底思えない。
 その場合は家族が判断する事になるのだろうか? 
 昨日のNHKニュースに於いては、その辺の高齢者が個別に抱える事情に関するレポートが何一つなかったように記憶しているのだが。


 そこで今一度ネット情報より “本人が望まなければ救命措置せず” と題する、昨日のNHKニュース「終末期の延命措置」に関連する記述を以下に紹介しよう。

 病気などで終末期にある人が、積極的な治療を望まないのに救命措置などを受けるケースが少なくないとして、日本臨床救急医学会は心肺停止の状態の患者について救急隊員がかかりつけ医などを通じて意思を確認できた場合は、救命措置を取りやめることができるなどとする提言をまとめた。
 終末期の人の中には回復が見込めず、積極的な治療を望まない人もいるが、容体が急変した際に医療機関に搬送され、救命や延命の措置が取られるケースも少なくない。 このため日本臨床救急医学会は、末期癌や高齢などで終末期にある人が心肺停止の状態になった場合の救急搬送に関する提言をまとめ、7日に公表した。
 提言では、救急隊員が駆けつけた際には心肺蘇生などの救命措置を取ることを原則としたうえで、かかりつけ医などに連絡して救命措置を望まないという患者の意思を確認できた場合は、搬送や救命の措置を取りやめることができるなどとしている。 さらに、その場合に備えて救命措置などを望まないという意思を救急隊員が確認できるよう、事前にかかりつけ医のほか、本人または家族の署名入りの書面を作成しておくよう求めている。
 日本臨床救急医学会の坂本哲也代表理事は「提言は強制的なものではなく、今後の議論のきっかけにしてもらうためにまとめた。人生の最終段階をどう迎えるか一人一人が向き合う時期に来ている」と話している。
 厚生労働省は、積極的な治療を望まない終末期の患者を救急搬送する際のルールを作るため、今年度、新たな事業を始めます。 
 この事業は全国10から15の自治体が対象で、在宅医療に携わる医師や、自治体、医師会、それに救急隊員などの協議の場を設け、終末期の患者を救急搬送する際に患者本人の意向をどのように確認するかや、情報共有のしかたについてルールを作ることにしている。 厚生労働省はこのほか、人生の終末期に積極的な治療を受けるかどうか考える際の参考にしてもらおうと、人工呼吸器や、栄養をチューブで送る「胃ろう」などの措置について生活にどのような影響があるかを解説する資料を作成し、自治体を通じて配布することにしている。
 終末期の救急搬送や治療をめぐっては、心肺停止になった場合にかぎらず、高齢者の意思を確認する取り組みを始めているところもある。 東京・八王子市の消防や自治体、病院などの関係団体が6年前に設立した「八王子市高齢者救急医療体制広域連絡会」では、病歴や服用している薬、かかりつけ医などの情報をあらかじめ共有できるよう、「救急医療情報」と呼ばれるチェックシートを独自に作成した。 チェックシートには救急搬送された場合、医療機関に伝えたい希望として、「できるだけ救命や延命をしてほしい」、「苦痛を和らげる処置なら希望する」、「なるべく自然な状態で見守ってほしい」などの項目にチェックを入れて意思を伝えることができるようになっている。
 これらの動向に対し、日本集中治療医学会は心肺蘇生措置の取りやめについて去年、全国の救急医などを対象に、医療現場でどのように判断が行われるのかアンケート調査を行った。
 アンケートでは、重い心臓病の患者のケースで、本人の希望によって心肺蘇生措置を行わないと主治医から指示が出ている場合、仮に病気の進行によってではなく検査の合併症で出血が起き、心停止したら、蘇生措置を行うかどうか質問した。 通常は措置によって回復するため心肺蘇生を行うべきケースで、8割の医師は実際に行うと答えたが、2割近い医師は行わないと答えた。 理由としては挙げたのは、患者が高齢であることや、運動機能が低下していることなど。 また医師の中には、心停止した場合に、電気ショックなどの心肺蘇生措置を行わないでほしいという意思表示をしているのに、心停止を起こしていない段階で心肺蘇生措置以外の酸素投与や栄養の点滴などを差し控えると答えた医師もいました。
 アンケート調査を行った学会の委員会委員長は、「心肺蘇生を希望しないという意思表示は、医療現場で誤用されたり不適切に拡大解釈されるおそれのあることが調査からわかった」と話している。 そのうえで、「助かる命を助けないという事態につながらないよう慎重に対応すべきで、国民全体がこうした意思表示について関心を持ち、考えることが大切だ」と話している。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上記ネット情報によれば、現在の医療界にても高齢者の終末期延命措置に関してある程度真摯に向き合っている姿勢を感じ取ることが可能だ。

 一方で、実際に親族に(認知症者を含めた)高齢者を複数抱える我が家の現状と、医療界が目指している「高齢者延命措置」感にギャップ感が否めない感覚も抱かされる。

 医療過誤による責任問題にびくびくする医療界の現状も理解可能だが、そんな事よりも優先して、実際に高齢者を抱える市民の現状もご理解頂けないだろうか、と私など言いたくもなる。 

 上記日本集中治療医学界による、「仮に病気の進行によってではなく検査の合併症で出血が起き、心停止したらどうするか」なる文言は、要するに医療過誤が起こった場合の事例を挙げている訳だが…
 元々、医療界は患者が高齢者であるか否かを問わず、「医療過誤」に関しては責任を負うのが鉄則だろう。 それは患者が高齢者であろうが誰であろうが変わりはないはずだ。

 結論としては、医療界は今後の課題として患者及びその家族ともっとコミュニケーションを持つ事に精進しては如何か、ということではかなろうか。 
 高齢者やその家族が延命措置を望んだ場合、患者が高齢者であるが故に「医療過誤」が発生し易い実態を誠実に伝え、その判断を患者及び家族に一任すれば医療現場の責任の程が軽減されるのではあるまいか?

 それにしても何らの医学知識の無い義母など、今尚 “お医者さま” 好きである事には変わりない。
 「私は延命措置などしないのよ!」と亭主と私に豪語しつつ、医学経験がある私が何をアドバイスしようが「私はお医者さまに看てもらうの!」の繰り返しで、私は義母の病院付添を(無駄に?!)実行させられ続ける日々だ。
 これ程に現在の「医療」を信じて疑わない可愛らしい義母を、どうか“お医者さま”達、守ってやって下さいませ。

社会人2年目の春

2017年04月06日 | 仕事・就職
 (写真は、我が家から1分で行ける東京・石神井川沿桜並木にて撮影した満開の桜。 本文とはさほど関係がありません。)


 冒頭の桜に関して少し説明しておこう。

 我が家は14年程前の冬に上記桜並木近くの集合住宅不動産物件に住居を買替え、この地に引っ越して来た。
 その物件販売の一つのセールスポイントが、この「桜並木」だったのだ。 
 「春になると石神井川沿いの桜が咲き誇りますよ。 それはそれは見事です!」
 なるセールスマンの言葉通り、確かに数㎞(?)と続く石神井川沿の桜並木の花々が一斉に開花する光景は、それまでに見た事の無い驚くべき絶景だった。

 
 毎年春が来る都度石神井川の桜の開花を堪能しつつ、早いもので既に14年の年月が流れ…

 14年前には未だ小学3年生との小さき子だった我が娘が、この地で毎春桜の開花をめでながら、現在23歳の大人に成長した。
 ここのところ当エッセイ集にて我が娘の話題をテーマにする機会が無かったが、お陰様で娘は本年度2年目の社会人として元気に頑張ってくれている。

 しばらく娘の話題に触れなかったものの、我が“サリバン業”は多少手抜きしつつも日々欠かす事無く続行していた。
 例えば、娘との「帰るCメール」やりとりは日々の日課だ。 娘には毎晩必ずや「帰るメール」をサリバンまで寄越す事を指南し、それに応えてくれる娘だ。 これは私が実母施設入居の際に幾度か郷里まで旅立った時にも強制した。 これぞ、サリバン(と言うよりも母として)娘の本日の“無事”を確認する唯一かつ一番の手段故だ。 
 日々時間は異なるが、娘から「今、某駅(勤務先最寄り駅)を出ました」(何故か昔からずっと母に対して敬語体でメールを寄越す娘だが)とのCメールが届くと、(よかった。娘は未だ生きている!)と実感する母の私だ。 (これ、大袈裟なようで、妙齢の娘が夜遅く夜道を歩く危険度を思えば、親として当たり前の感覚でしょう?!)


 そんな我が娘が社会人2年目初日(去る4月3日)に、サリバンとして懸念するべき「帰るCメール」を寄越した。

 参考だが、娘自身の勤務部署及び内部班内人事変動はなかったものの、班のリーダー氏がこの4月から替わったとの情報を娘より得ていた。
 娘のCメール情報に寄れば、その新リーダー氏に娘の仕事の瑕疵を責められ、関係者皆で瑕疵の検証作業をしたために帰りが遅くなる、との事だ。
 娘からのメール文言を見た当初、(わずか社会人2年目の娘に対して厳しいリーダーだなあ)なるマイナスイメージを抱いた私だ。 ただ、娘のメール内容のみでは状況が分かりにくいため、とにかく娘の帰りを待つこととした。
 いつもより2時間程遅く帰宅した娘が、玄関で開口一番“当該瑕疵内容の詳細”を私に告げようとする。
 「まあ、部屋に上がりましょうよ」と娘を促し、私がその詳細を更に聞き取ったところ…
 私(サリバン)としては、娘の話から班の新リーダー氏の正当な仕事ぶりを感じ取れたのだ。 そして娘に告げた。 「貴方はまだ社会人2年目と未熟者だけど、私が思うにその新リーダー氏は貴方の仕事上の瑕疵を今後の課題として指摘すると同時に、貴女の存在も尊重してくれていると私は感じるよ。 しかも、貴女の仕事に関わっている先輩職員の皆さんが貴女に付き合って2時間も残ってくれるなど、今時考えられない程に良き職場だね。」 
 このサリバン母の一言に、娘は大いに安堵したようだ。


 実際、我が娘は現在の職場人間関係に恵まれている事が一番のラッキーと、サリバン母は昨年よりプラス評価し続けている。
 通常、如何なる職場にも “嫌な奴” や “鬱陶しい奴” が必ずや存在するものだ。
 私事を述べれば、(元々天邪鬼気質で敵を作り易い原左都子の職場環境周辺は)そんな奴らで溢れていた記憶すらある。 
 いや、そうじゃないんだよ。 私の場合は、実は自分で積極的に敵を作るべく行動パターンをとっていたのさ。 と、今となっては反省材料だが、我が若かりし現役時代に於いて、自制的感覚に陥る必然性こそ無かった事と自己弁護しておこう。 (要するに、私が一生私らしくあるためには“自制的感覚”など今後共に一切無用という事だ。)


 さてさて社会人2年目とは、様々な意味合いで新社会人にとっては最初に経験する過渡期でもあるようだ。
 桜が開花する今時のネット上は、そんな“社会人2年目”に直面した未熟な青年達がそれにぶち当たり悩んでいる情報で溢れている。

 我が娘よ。
 貴方はもしかしたら、“サリバン母” が身内にいてラッキーだったのではなかろうか??
 “サリバン母”の立場から発言するのも手前味噌なんだが、娘である貴女と母の私の相性が抜群のような感覚が今尚私側にはあるのだ。
 
 そんな我々や世のせせこましい感情とは関係なく、今年も煌びやかに石神井川の桜並木の花々が開花したね!
 日々その桜並木を通って職場へ通勤している貴女の未来も、毎年花咲く桜のごとく貴女なりに輝かしくあろうと、サリバン母は信じこれからも見守り続けるよ。



   < お知らせ >

 去る4月5日(水)に、「原左都子エッセイ集」宛にメッセージをご送信頂いた Siori さんへ。

 私どものエッセイ集宛にメッセージを頂戴致しまして、誠にありがとうございました。
 リアルタイムアクセス解析「TOP100記事」をご覧になってメッセージをお送り下さったとの事、とても嬉しく存じます。
 その後、私どもよりご返答をさせて頂くと共にSioriさんのブログを拝見したく、gooを中心にSioriさん情報をあれこれと検索致しましたが、残念ながら未だSioriさんのブログを発見出来ないでおります。
 もし差支えございませんでしたら、SioriさんブログのURLを「原左都子エッセイ集」メッセージ欄より今一度お伝え頂けましたなら幸甚です。
 お待ち申し上げております。
 Sioriさんへの連絡方法に関し手立てが打てず、このような場でご連絡を差し上げた事をお詫び申し上げます。

「メンサ」

2017年04月03日 | 自己実現
 皆様は、「メンサ」をご存知だろうか?


 冒頭から話題が変わるが、先週木曜日の夜だったと記憶しているが、民放テレビ夜の時間帯に「クイズ・タイムショック」の特集番組があった。
 何でも3年ぶりの放送との事だ。 どおりで最近この番組を視聴する機会がなかったはずだ。

 実は私は、この「クイズ・タイムショック」の遠い昔からの大ファンだ。
 初代の司会者は俳優の田宮二郎氏だったと記憶しているが、その頃から好んで毎週視聴していた。
 様々なクイズ番組が昨今に渡り放映されているが、1分間に12の問題を聞きながら即答する「クイズ・タイムショック」の、その“スピード感”を好む故である。
 これぞ一番の脳の活性化に役立つ感覚で、いつもテレビに身を乗り出し、テレビの解答者に負けるもんか!との勢いでテレビ解答者よりも先に答える事に必死になる。 あの緊張感と正解した時の達成感に自己満足しながら毎週見ていた。

 その後、この「タイムショック」はバラエティ色を前面に出す等、邪道色が強まり始めた。
 あるいは出場者タレントのレベルに合わせて難易度を大幅に下げたりもしつつ、最近放映されなくなってしまった。

 さて、先週見た「タイムショック特集」は出題方式が初期の頃の初心に戻った感覚で、私の好むパターンだ。 ただし、出題が小中レベルの一般教養的な内容ばかりで多少の物足りなさをも感じた。
 一つ嫌気がさすのは、何故こんな低レベルクイズ番組に於いて、出場タレント達の「出身大学」を大っぴらにせねばならないのか!? との点だ。
 よくぞまあ出場タレント達もその措置を恥とも思わず、司会者より、例えば「東大出身の〇〇さんです!」などと紹介され、いい気になっている姿に滑稽感すら抱かされた。


 話題を表題の「メンサ」に戻そう。

 この「メンサ」だが、上記の先週放映された「タイムショック特集」に出場していた俳優の渡辺大氏が、自身の解答時にそれに関する情報を少し述べたのだ。
 渡辺大氏によれば、「メンサ」とは “IQが150以上の人達がそれを証明するために集う組織” ナンタラカンタラ……  と説明した。(正確でない点をお詫びするが。)

 
 ここで一旦、原左都子の私事に入らせていただこう。

 実はこの私も、昔 “IQ168” を誇っていた時代があった。
 それは、今から遡る事60年近く前の幼稚園時代だ。
 過疎地出身の私だが、どうやらその頃私が住む過疎地では、子どものIQを教師陣が大っぴらに公開していたようだ。 何でも母が幼稚園の面談に行った時に、その話を聞いたのだと言う。 「〇ちゃん(私の事)が今回の幼稚園でのIQテストで当該幼稚園過去最高の“IQ168”の記録を樹立したのだが、ご自宅で何らかの特別教育をされていますか?」 母は「いえ、何もやっていません」と応えたらしい。
 その後時が過ぎ、子どものIQを非公開にするべく学校教員指導がなされた様子だ。 にもかかわらず、相変わらず教員とはそれを口外したい生き物のようだ。 我が中学校卒業時点で同級生より「〇ちゃん(私の事)は県内有数の名門高校に進学する生徒の中で一番IQが高いと、担任が言ってたよ」と聞いた。

 それだけ周囲から私自身のIQに関して聞かされれば、私本人とて「私って、IQが高いんだ」と自覚するのは必然だったと言えるだろう。

 そんな私が大人になって(おそらく28歳頃に)付き合った男性とIQの話題になった。
 酒の席での事だが、「私のIQは168なのよ」と切り出すと、すかさず「僕のIQは172だよ」と来た。
 生まれて初めて、IQで負けた感覚もあったが、なるほど!と思い当たるふしもあったのだ。  彼は、当時大手企業に勤務しているSE(システムエンジニア)だったが、これ程までにパソコンが普及した今と大違いで、コンピュータ初期当時のSEと言えば新鋭花形職業だったと記憶している。
 しかも良き人だった記憶もある。 ただし何分結婚願望がない私故、通り過ぎて行った一人の男性として思い出すに過ぎないのだが……


 ここでウィキペディア情報より、「メンサ」に関して少し以下に要約して紹介しよう。

 メンサ(英: Mensa)は、人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。 高IQ団体としては最も長い歴史を持つ。 会員数は全世界で約12万人。支部は世界40か国。イギリス・リンカンシャーにあるケイソープ(英語版)に、本部(メンサ・インターナショナル)を持つ。
 イギリス人科学者で弁護士でもあるランス・ウェアと、オーストラリア人弁護士のローランド・ベリルによって、1946年10月1日にイギリスのオックスフォードで設立された。
 メンサの組織は、各国のナショナル・メンサとナショナル・メンサが存在しない国を統括するメンサ・インターナショナルからなる。 各国のナショナル・メンサの代表者とメンサ・インターナショナルの役員とから構成される国際評議会において様々な方針を決定している。 また資金管理団体としてメンサ・インターナショナル・リミテッドが存在する。
 メンサには以下の3つの目的がある。
 1.知性才能を、認知、育成し、人類の向上に役立てること。
 2.知性の原理、性質、そしてその適用などを研究することを激励すること。
 3.メンバーのための知的、かつ社会的活動を促進させること。
 その活動としては、一般会員向けの「International Journal」や、幹部会員向けの「Mensa World」、非会員向けの「Mensa Research Journal」などの発行が行われている。 成績優秀な学生のための奨学制度、学校に適応できない児童の支援、会員向けの旅行案内、金融機関と提携したクレジットカードの発行、レンタカーやホテルの割引、パズルや書籍の販売、就職の斡旋などの活動を行っている支部も存在する。
 メンサに入会するためには人口上位2%に属する知能指数(IQ)を有することを証明しなければならない。
各国基準が違い、それぞれの国の上位2%である。 試験問題もアメリカのメンサと日本のメンサでは違う。Flynn effect(フリン効果)を考慮せず、違う年齢の人間を同じ基準で比較する。つまり20歳でも50歳でも、ある一定以上のスコアを出せば入会可能。
 入会資格を得る方法として最も一般的なものは、メンサの実施する入会テストに合格することである。なお、受験回数には制限が設けられており、1年の期間を空けて、生涯に3度までしか受けられない。 日本はメンサによる入会試験と申請前1年以内に受けたwais-Ⅲ wais-IV wisc-III wisc-IVの検査証明書による入会を対象としている。 テストに合格しても会員となるわけではなく、入会する場合は年会費を支払う必要がある。 ジャパンメンサのように支部によっては入会しなければ合格そのものが取り消されることもある。


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 なるほどねえ。

 要するに「メンサ」会員になろうと志し試験を受けても、その後大したメリットがないという事だね。
 しかも「年会費」が必要!?!
 これ、単に「メンサ組織」が私利を得ているとの結論に達しそうだ。

 そんな事に会費を支払ってまで自分のIQを誇る必然性が無いばかりか、自分がIQが高いと信じた愚かさを会員になることにより暴露して、世からの信頼を失わないとも限らなそうにすら思える。

 日本の著名人の多くもこの「メンサ」会員になっているようだが…。

 いやはや一庶民の私は、今まで通りテレビでクイズを楽しむ事を堪能しよう!