原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

徳島阿波おどり累積赤字・破産、誰が一番“阿呆”か??

2018年03月06日 | 時事論評
 冒頭から、表題に関するネット情報を要約引用しよう。


 徳島市の夏の風物詩「阿波おどり」(8月12〜15日)に4億円余りの累積赤字が発生し、運営方法などをめぐって徳島市と主催者の公益社団法人・市観光協会の対立が深刻化している。 市は「観光協会に代わる新たな運営体制を作る」とし、債権者として協会の破産手続きを徳島地裁に申し立てた。 一方、観光協会は「協会に責任を押しつけている」と反発し、阿波おどりの単独開催も示唆する。 本番まで半年を切ったが、地元の混乱に市民やファンからは「今年の開催は大丈夫か」といった声も出ている。
 毎年120万人以上が訪れる阿波おどりは、観光協会と徳島新聞社が主催。 主要な業務は観光協会が担当し、毎年金融機関からの借入金などで運営しているが、事業特別会計は赤字が続いている。
 市と金融機関は観光協会が借入金を返済できないときは、市が損失補償する契約を結んでいる。 観光協会はこれを“担保”に金融機関から資金を借り入れ、年度末にいったん清算した上で翌年度にまた借り入れる形をとっており、事実上、借金を翌年度に回す形となって累積債務が膨らんでいる。
 市によると、観光協会の累積債務は平成9年度が2億2700万円、12年度が3億700万円、15年度は4億円を超えた。その後は一部を返済したため3億8千万円前後で推移したが、24年度に再び4億円を超え、28年度は4億3600万円にまで膨らんだ。
 市の損失補償の限度額は年度末に観光協会と協議して設定。 借り入れ増に伴い一時は6億円に設定したが、28年4月に就任した遠藤彰良市長はこの限度額を変更し、29年度は借入額と同じ4億3600万円に減額した。 市は「安易に赤字を増やさないように借入額に合わせた」と説明する。
 赤字解消策を探るため、市は昨年9月に観光協会と徳島新聞社の3者による協議会の設置を決め、観光協会に出席を呼びかけた。 しかし、観光協会は「市長が議会で所信表明する当日朝に一方的に協議会設置を通知してきた。まずは観光協会で過去の検証、対応策を検討することにした」として、協議会に出席しなかった。
 現金預金や貸付金などの資産を差し引いた阿波おどり事業特別会計の累積赤字は約4億2400万円。
 阿波おどり事業の25〜28年度の収益は有料演舞場、前夜祭、会期中に行われる「選抜阿波おどり」のチケット収入が約1億8600万〜約1億9600万円。広告看板や協賛金などの収入が約3400万〜約4400万円などとなっていた。
 経費は約2億6600万〜約2億8600万円で、主なものは演舞場の桟敷スタンド設置工事(約3500万〜約3600万円)、照明・電飾の設置工事(約4400万〜約4600万円)、警備費(約1900万〜約2100万円)。このほか、案内看板や広告看板の製作費があった。
 しかし25〜27年度の収支に関する契約書、請求書などの一部が保管されておらず、調査団は「裏付け書類の提出を受けないまま精算(支払い)を行っており、不適正な会計処理だ」と指摘した。
 一方、市による補助金は29年度は約7100万円で、内訳は阿波おどり事業のシャトルバスの運行や無料桟敷席の設営などに約2200万円。 残る約4900万円は「阿波おどり会館」で行う公演の経費や観光協会の人件費に充てられていた。
 なぜ赤字が発生するのか。 観光協会側の経費の使い方などを指摘する声もあるが、協会は演舞場桟敷の購入・改修・設置の費用のほか、雨で中止になったときのチケットの払戻金、シャトルバスの運行費、看板製作費、前夜祭の会場費などが要因としている。
 補助金打ち切り、指定管理も変更
 観光協会の事業は「公益目的事業」と「収益事業」に区分され、公益目的は阿波おどり事業や観光キャンペーン、姉妹都市交流などの観光振興事業。収益事業は「阿波おどり会館」と「眉山ロープウエイ」の管理運営事業、グッズ販売やレンタサイクルなどとなっている。
 収益の柱となる阿波おどり会館と眉山ロープウエイは市から年間8300万円の指定管理料が入っていたが、30年4月から5年間は、これまで担当してきた観光協会ではなく、徳島新聞社とその関連会社で構成する共同事業体が指定管理者に選ばれた。
 調査団は観光協会の組織・事業の財政的基盤といえる指定管理料が入らず、市からの補助金の打ち切りも予想され、3者による協力体制が維持できるかも懸念があるとして、「観光協会が累積赤字を解消しつつ阿波おどり事業を継続するのは困難」と結論付けた。
市と観光協会が別々に開催?
 調査結果を踏まえ、市は観光協会への30年度の補助金打ち切りを決定。さらに3月1日付で、観光協会の破産手続きを申し立てた。4億円余りの借入金を返済できなければ市が税金で負担することになるため、協会の保有財産が減る前に清算手続きを急ぐ方針だ。
 遠藤市長は「市に(協会の損失を)補償する義務があるのは承知している。税金をできるだけ使わなくて済むような方法を考えたい。(阿波おどりの)新しい運営主体を市がしっかり責任を持って作っていく」と述べる。
 一方、観光協会は市のこうした対応に反発。「今後、収支改善の余地はあり、破産させる必要はない」(協会関係者)として、清算手続きに入らず、協会を存続させる方針を決めた。
 近藤宏章会長は「市とはお互い信頼関係でやってきた。 市の要望も聞き、それで赤字が出たこともある。市、徳島新聞社にも責任があり、観光協会だけに押しつけるのではなく、(損失は)3者がそれぞれ負担すべきだ」と説明。 阿波おどりについては、「これまでのノウハウがあり、今年も継続してやっていく」といい、協会単独での開催も示唆する。
 累積赤字の解消、責任問題などをめぐって対立する徳島市と観光協会。 今夏の阿波おどりは例年通りの規模で実施できるのか。実施できたとしてどこが運営し、どんな内容になるのか、地元での動向が注目される。
 (以上、徳島阿波おどり累積赤字破産に関するネット情報を引用したもの。)


 原左都子の私見に入ろう。

 これ、現安倍政権下の膨大な「国家債務」及び、ゆくゆく訪れるであろう「国家破綻」と瓜二つの現象だ。
 いや、安倍政権下の「国家債務」の場合その赤字額が1000兆円突破しているらしいが。
 それに比べると “徳島阿波おどり”の場合、累積赤字額が4億何千万円とまだ可愛らしいもんだ。
 しかも平成に入って以降は、阿波踊り観光協会も徳島市も累積赤字額を認識し始め、今年になって破産手続きを申し出た事実は、安倍政権よりも数段“お利口さん”なのかもしれない。

 いや、そうは言っていられない。
 本年(2018年)度の“徳島阿波おどり”は中止、との報道も既にあるが、確かにここは一旦すべてを白紙に戻し、観光協会及び徳島市の今後の位置付けを見直すことからスタートし直すべきだろう。

 そもそも上記ネット情報を読むと、観光協会も徳島市も長年に渡り“どんぶり勘定”で阿波おどり大会を実施していたことが見え見えだ。
 その実態を、主催者、傍観者、連出演者、市民・県民のうち、誰一人として指摘しなかった事実がアンビリーバブルだ。
 そう言うこの私も当県出身者であり阿波踊りファンの一人だ。 この情報を得るまで、毎年8月お盆時期に開催される“徳島阿波おどり”がそれ程の累積赤字を抱えているとは、露知らなかった。 と言うことは、この私にも責任があろう。


 そこで、私なりの対策を練ってみた。

 まずは、観光協会と徳島市が責任のなすり合いをしてお互いの首を絞め合う以前の課題として、“阿波踊り”開催をめぐる「会計」実態を見直してみては如何か?
 億単位の累積赤字を抱えるレベルの団体に於いて、もちろんのこと専門力ある会計担当者が所属しているはずだろうが…。
 耳を疑うのが、累積赤字を抱えざるを得なかった一つの理由として、「雨で中止になったときのチケットの払戻金」を挙げている点だ。 100年以上の歴史ある“徳島阿波おどり”に於いて、そのような事態は特段珍しい事でもなかろう。 何故「引当金」で処理しなかったのだろう?  あるいは、「繰延資産」等「繰延勘定」の有効利用もあろうに。
(「経営法学修士」を取得し、国税庁より「税理士試験税法3科目免除申請」を通過している我が身にして、それしきのことは分かるのだが…)

 しかも、25〜27年度の収支に関する契約書、請求書などの一部が保管されておらず、調査団は「裏付け書類の提出を受けないまま精算(支払い)を行っており、不適正な会計処理だ」と指摘しているとの事実。 
 これじゃあ、現在開催中国会での「森友問題」公文書喪失、内容書き換え等、財務局の不審操作と同様の失策ぶりだ。
 やはり、阿波踊り観光協会の会計担当者の責任は問われるべきだろう。

 更には、徳島市側の「自分は債権者の立場であり責任はない。累積赤字を計上し破綻した張本人である観光協会が全責任を負うべき」と言わんばかりの“対抗姿勢”も大いに気にかかる。
 ただ、確かに徳島市が責任を負う事になれば、その財源である血税を支払っている市民にこそ大きなしわ寄せがくるのだろうが…。
 全国各地の何処の市町村も同様だろうが、たとえ観光名物とはいえども市民間のその関心度の落差は物凄いものがあろう。 阿波踊りを例にとっても、(元々ダンス好きの私はたまたま阿波踊りのファンだが)そうではない市民が圧倒的に多いのが事実だろう。 そんなものにカネを使うより、過疎化対策や子ども・高齢者対策等に血税を投じて欲しい!、と願う過疎地市民の皆様の思いもごもっともだ。

 そこで、少し踏み込んだ提案をするならば。

 お盆時期に開催される“徳島阿波おどり”を「完全民営化」するのはどうだろう。
 いえ、「民間企業」阿波踊り協賛はずっと以前より承知している。 それを発展させて、民間企業に運営を全面的に任せては如何かと考えるのだが…
 そうすることにより完全なる「企業会計」運営が導入され不透明さが払拭されるであろうし、また、民間ならではの新たな営利発想による事業展開が期待されよう。
 ただ難点は、開催日がたったの4日間との事実だ。 その4日間のみに、貴重な“ヒト”“モノ”“カネ”を導入せんとする民間企業が果たして現れるかどうかだ。

 そうすると、民間企業の「協賛」をもっと強力にする手も考えられるが。 「阿波踊り」に協賛してその見返りがある企業とは、その分野が限定されそうにも想像が付いてしまうし…。


 そうこう考察してくると、今回の“徳島阿波おどり累積赤字・破綻”事件に於いて、誰が一番阿呆だったかの結論を導くのが困難になってくる。
 ただ繰り返すが、私論結論としては少なくとも “徳島阿波おどり”開催に際する会計システムを進化・明瞭化するのが一番に実行するべく対策と考える。

 阿波踊りファンの私としては、夏のお盆時期の“徳島阿波おどり”がいつまでも活気付いていることを願いたいものだが。 ヤットサー♪♪

「いいね!」ゼロリセット騒動に一人芝居の4日間、ただ得るものはあった

2018年03月04日 | 自己実現
 上記表題の「いいね!」ゼロリセット事件に関しては、本エッセイを持ちまして必ずや“お開き”と致しますので、読者の皆様、今一度お付き合い下さいましたならば幸甚です。


 本日午前中、Facebook上に以下の文章を公開した。

日頃、Facebook原左都子ページをご訪問頂きまして誠にありがとうございます。
私ども、数年前より「原左都子エッセイ集」をgooよりFacebookにリンクしております。 
この度、gooの「常時SSL化」なる措置により、10年半の年月に渡り綴り公開し続け、総本数2000本に達しようとしているエッセイすべてに皆様より頂戴した「いいね!」が、0(ゼロ)リセットされてしまいました。
私なりに「いいね!」復活対処を試みましたが、大変無念ではありますが、どうやら喪失してしまった「いいね!」の復元は不能のようです。
貴重な時間を割いて「原左都子エッセイ集」をお読み下さり、エッセイ一本一本に「いいね!」を届けて下さったのに、それをすべて喪失する結果と相成りましたこと、ここに心よりお詫び申し上げます。
その我が“無念さ”に私なりの「オトシマエ」をつけるため、gooからの外部とのリンクをすべて解除致しました。 その措置により、goo画面上での「いいね!」が一切不能となりました。
ただし、Facebook上での「いいね!」は今まで通りに可能なようです。 今後共Facebook上での皆様からの「いいね!」の応援をお待ち申し上げております。
   「原左都子エッセイ集」 著者 原左都子


 やはり何と言っても、特に「原左都子エッセイ集」をFacebookへリンクした後の数年前からは「いいね!」をいただく機会はFacebookに友達登録を頂戴している皆様こそが多数だったであろう、と判断した故の上記文章公開だ。
 時には、我がFacebookへのリンク以上の「いいね!」が届けられたこともあった。 要するに、Facebook上で更なるリンクを発展・実行していただいたお陰だ。
 一言お詫びを申し上げねば気が済まない我が気質故に、Facebook上でも上記の対応を取らせていただいた。


 それに先立ち、gooブログに於いて10年来のお付合いがある“某旧友”(とは言っても、ずっとメル友関係等々のお付き合いが持続している方だが。)にも、この件に関してメールにて相談を持ち掛けていた。

 (某旧友を仮にC氏とさせていだだこう。)
 当該C氏の場合、ご自身のブログの特異的特質上、gooを超越した画面変革等を実施されている関係で、今回の我が「いいね!」ゼロリセットに関しては何ら“露知らぬ”立場であられたにもかかわらず…
 即刻gooブログ調査実施の上ご返答を頂いた。 「他のgooブログでも、私同様に数本前から『いいね!』がゼロリセットされている状態が確認できる」、等々の最新調査情報を3日に渡りメールにてお寄せ下さったのだ。

 実際のところ、このC氏による“メールにての応援”が一番の支えとなり、私は昨夜「外部サービス提携」をすべて削除するべく対応策に至った。


 本エッセイの最後に、今回の「いいね!」ゼロリセット事件に関する原左都子の“総括”を述べよう。

 本日午前中に公開した上記Facebook上の我が“謝罪文章”に関する反応は、現在のところ皆無だ。
 そういうものなのだろうと、これまた妙に実感させられる。

 要するに、皆様が「いいね!」をする動機に “さほどの意味合いが無い”のが大方の反応であることが正直なところなのだろう。
 (いえいえ、この私など、内容を自分自身が肯定せずして絶対に「いいね!」は“しない派”だし、今後もそれを貫く予定なのだが…)

 ただ世間一般の反応が、私が思っていた程の価値はなく“軽い”ものであった事実にも安堵させてもらえるとの事でもある。

 まあ所詮、たかがネット上の人間関係であり、これぞ現実というものでもあろう。
 そういう意味では、今回私が採用した「外部サービス提携」を完全に削除するとの方策が大正解だったと自己満足する次第だ。


 それよりも大事なのは、たとえネットから発生した人間関係であれ、上記C氏とのメールやり取りのごとく、有事の際に親身になって相談に乗ってくれる相手との関係を今後も続行することではなかろうか?
 その意味で、今回の「いいね!」ゼロリセット騒動も、私にとっては得るものがあったとの結論が導かれそうだ。


 昨夜公開しました通り、「原左都子エッセイ集」に於きましては、しばらく「外部サービス提携」削除状態を保持致します。
 

どうしても私自身が「いいね!」0(ゼロ)リセットのままでは許し難いため…

2018年03月03日 | 自己実現
 原左都子がこれまで10年半の年月をかけて綴り公開して来た2000本に近いエッセイ一本一本に、
 皆様より頂戴した「いいね!」がすべて0(ゼロ)リセットされてしまった現状に即し…



 どうしても、どうしても、「原左都子エッセイ集」著者である私自身が、その現状を受け入れ難いため…


 その対応策として、エッセイ末尾にあった「ソーシャルボタン」の削除措置をとりました。



 この措置により、おそらくgoo読者の方々より、今後「いいね!」を頂戴することが不能になるのかと想像します。



 そうしてでも、原左都子ファンの皆様より10年半の年月に渡り頂戴した数々の「いいね!」を喪失してしまった自己責任の “オトシマエ” をつけたく存じます。



 「原左都子エッセイ集」はこれまで通りに綴り公開する所存でおります。


 



皆様より頂戴した「いいね!」が0(ゼロ)リセットされた件の続報

2018年03月03日 | 自己実現
 表題に関し、前回のエッセイにて当該事件に関して記述した部分を以下に再掲載させていただこう。


 本日(3月1日)午前中、我が日々のルーチンワークのひとつである「原左都子エッセイ集」“昨日のPopular Entries 記事” の確認作業をいつものように行っていた。
 「あれ、おかしいなあ」と気付かされたのは、エッセイ末尾の「いいね!」がゼロになっていた事実だ。 (確か、このエッセイには「いいね!」を6個頂いていたはずなのに…)
 そうしたところ、他のエッセイも同様に「いいね!」が0(ゼロ)クリアとなっているではないか!
 もしや…。 と悪い予感がして、開設当初より10年半の年月に渡り公開した2000本近いエッセイをランダムに閲覧してみると。  やはり悪い予感は当たった。 最新エッセイ8本以外のすべてのエッセイの「いいね!」がゼロクリアとなっていた。
 (参考のため、本日午前中以降にバックナンバーに頂戴した「いいね!」はそのまま生きているようだ。)
 読者の皆様が貴重な時間を割いて我がエッセイをお読み下さり、頂戴した「いいね!」の数々は、一体何処へ忽然と消え去ったのか?!?
 (以上、前回エッセイより “「いいね!」ゼロリセット被害” に関する文面を再掲載したもの。)


 昨夜帰宅してメールボックスを開いたら、この件に関するgooからの回答返答メールが届いていた。
 以下にコピーして紹介しよう。

件名
-------------------------------------------------------------
gooブログのお問い合わせにつきまして


<お問合せの履歴>
---------------------------------------------------------------
■回答内容 - 2018/03/02 02:05 PM
goo事務局の〇〇と申します。
日頃よりgooをご利用いただき、誠にありがとうございます。

チャットにてお問い合わせの件ですが、
ご指摘の事象は常時SSL化対応の影響によるものでございます。

gooブログでは常時SSL化を段階的に実施をしており、
SNSボタンに関しても対象URLにおいてhttps化を実施した関係上、
Facebook いいね!/シェア数に関して、以前の数値とは
別カウントとして表示される状況です。

何とぞご了承くださいますようお願いいたします。

常時SSL化対応の詳細につきましては、下記ページでも
ご案内しておりますので、ご確認いただけますと幸いです。

■ご参照:【重要なお知らせ:追記】gooブログの常時SSL化実施前にお客様ご自身でのご確認のお願い
https://blog.goo.ne.jp/staffblog/e/b00e656c9b71b8d193a9c3a32941e91d

お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願いいたします。

今後ともgooをご愛顧くださいますようよろしくお願いいたします。

++-------------------------------------++
goo事務局
E-mail:info@goo.ne.jp

gooヘルプ https://help.goo.ne.jp/
++-------------------------------------++


 私見に入るが。

 う~~~~ん。 分かりにくい……
 何分、パソコン用語に疎い私だ。

 「常時SSL化」とは一体何なんだ??  それをgooが実行したのは今回が初めてではなさそうなのに、何故、今回に限り「いいね!」が0(ゼロ)リセットされてしまったのか???

 で、その実施前にブログ利用者(お客様)自身が確認作業ををするべきだったと?? 
 皆様のブログを拝見する限り、「いいね!」がゼロリセットされていないようなのだが、gooブロガーの皆様はそれをきちんと実行する事により「いいね!」の現在値を死守したのだろうか?

 結論としてはそれを実施しなかった私の場合、あくまで自己責任であり、失われた「いいね!」は永久に0(ゼロ)のままだという事か???


 とりあえず、今一度gooに問い合わせをしようと志しているが…

 まったくもって土曜の朝からろくでもない課題対策をなさねばならず、この世の無情が嫌になるなあ。 (ほんの冗談ですので、お気になさらないで下さいませ。)

 後にその結果を今一度公開させていただく考えておりますので、お付き合いいただけましたなら幸甚です。

 

高齢ブロガー男性の皆さん、ご自身を「爺」と卑下するのやめませんか?

2018年03月01日 | 自己実現
 本日のエッセイは、久々に“安倍晋三バッシング時事論評もの”を用意していたのだが。

 
 予定を大幅に変更したのには理由がある。

 本日午前中、我が日々のルーチンワークのひとつである「原左都子エッセイ集」“昨日のPopular Entries 記事” の確認作業をいつものように行っていた。

 「あれ、おかしいなあ」と気付かされたのは、エッセイ末尾の「いいね!」がゼロになっていた事実だ。 (確か、このエッセイには「いいね!」を6個頂いていたはずなのに…)
 そうしたところ、他のエッセイも同様に「いいね!」が0(ゼロ)クリアとなっているではないか!

 もしや…。 と悪い予感がして、開設当初より10年半の年月に渡り公開した2000本近いエッセイをランダムに閲覧してみると。
 やはり悪い予感は当たった。 最新エッセイ8本以外のすべてのエッセイの「いいね!」がゼロクリアとなっていた。
 (参考のため、本日午前中以降にバックナンバーに頂戴した「いいね!」はそのまま生きているようだ。)

 読者の皆様が貴重な時間を割いて我がエッセイをお読み下さり、頂戴した「いいね!」の数々は、一体何処へ忽然と消え去ったのか?!?
 私なりに、対処策を探ってみた。 例えば、外部サービス提携を再実行してみたり…、 
 その甲斐空しく、残念ながら「いいね!」は復活出来ないままだ。

 その後、この件につきgoo編集画面から「チャット問い合わせ」を実施した。 (gooチャット問い合わせは今回が3回目だが、即座の対応力があり利用価値は高い。)
 ただし今回の案件の場合、容易い解決可能とはならなそうだ。 現在原因調査中で、結果はメールにて頂けるとの返答。 gooさん、皆さんより頂戴した「いいね!」を必ずや復活表示出来るべく吉報を、心よりお待ちしております! 

 (もしもその手段・手法をご存知のブロガーの方がいらっしゃいましたら、メッセージ欄等からご指導を伝授頂けましたなら幸甚です。)


 さて、表題に話題を移そう。
 
 冒頭より我がブログ上に発生した「突発的事件」を綴ったついでと言っては失礼かもしれないが、日頃より皆様のブログを拝見しての我が所感を述べさせて頂こう。

 その一つが、表題に掲げた 「高齢男性が自らを“爺”と名乗っておられる」 現象だ。
 私の分析によれば、我が「原左都子エッセイ集」の読者・訪問者の約7割が「高齢男性」であられる。(この場合の「高齢」とはあくまでも私よりもお年上との意味合いだが。)
 その他の3割は、私より若い世代の男性、あるいは広い年代域の女性の皆様だ。 女性に関しては老若を問わず、実に様々な年代の方々にご訪問頂いている。

 今回焦点に掲げるのは、その「爺さま」達だが。
 いや、真にお孫さんに関する記事を公開されている方もいらっしゃる。 その場合は「爺」表現も違和感が無いのかもしれない。

 ところが「爺」を自称されている男性達のほとんどのブログのテーマが、決して「孫」ではないのだ。
 ある方は、ご自身のご専門学問の講座を日々公開されている。
 はたまた、政治問題等々の批判エッセイを力強く述べられる方々も複数存在する。
 美しい風景写真を日々公開されている方々がおられれば、国内外旅行記録を写真と共に綴られている「爺さま」もいらっしゃる。

 「爺」と言えば、その同義語として「古老」や「翁」があろう。
 「古老」を自称されている方をお見掛けした記憶はあるが、さすがにご自身を「翁」と名乗られる方とは未だかつて縁が無いなあ。(あれば是非、拝見したいものだ。


 同様に、ブロガー女性陣の自称「ママ」や「主婦」「おばさん」等々もよくお見かけするが。

 確かに、子育て記録を綴り続けている女性や、ご自身の主婦の立場としての自慢料理を表に出しているブログは数多い。
 その場合は「ママ」や「主婦」表現が活きるのかもしれない。

 ただ、正直に言わせて頂くと、私としてはやはり“違和感”の方が大きい。

 これらの現象に関して、敢えて極言させていただくならば。
 「私は既に爺域の人間なのだから」「ママ・主婦の立場なのだから」と自ら公に宣言することにより、それぞれが何らかの世からの加護を受けられるかのごとくの「特権意識」を表沙汰にして、身を守り責任逃れを目指しているとも捉えられなくはないだろうか?? 
 (あくまでも“極言”ですのでお気になさいませんように…)


 私自身はブログ公開当初より一貫して、ブログに関しては「原左都子」のペンネームを使用している。
 これが大正解と自負する10年半の日々だ。

 皆さん、様々なハンドルネームをお持ちのようだが。 
 「爺」はもちろん私にとっては無縁としても。
 「ママ」でも「主婦」でもない個人名を名乗る事こそが、我がエッセイ自由執筆を10年半の長期に渡り保障してくれているように日々感じる。


 話題を冒頭に戻させて頂くが。

 もしもこのまま、我が2000本に達しかけているエッセイ一本一本に頂戴した読者・訪問者皆様からの「いいね!」が復活不能とすれば…  そして、それが全面的に我が落ち度故だったならば…

 いやはや、悔やんでも悔やみ切れないなあ。

 とにかく、gooからのメールによる「チャット問い合わせアンサー」を待ちたいものだ。