原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「結婚相手探しに苦労するため、女性は東大へ進学するべきでない」、何だこれ!?!?

2021年11月25日 | 恋愛・男女関係
 今の時代とは、「男らしい」「女らしい」なる言葉すら死語化していると日頃感じている原左都子だ。


 そんな私は先程、2021.11.22付 朝日新聞紙上にて時代錯誤も甚だしいと驚くべく記事を発見した。

 その題目は、「『男らしさ』『女らしさ』あなたの意識は」なのだが。

 別に見なかったことにして放置しておけばよいのだが…

 
 取り上げた以上、不本意ながら以下に本文を要約引用しよう。

 女性の社会進出の妨げになっている潜在的価値観に光をあてるのが狙いで、「結婚相手探しに苦労するため、女性は東大へ進学すべきでない」といった質問を入れたのが特徴。 伝統的な性別役割分担や家父長制度などの意識をみる質問も加えた。 「とてもそう思う」が1点、「全くそう思わない」が4点で32点満点。 合格点が低いほど保守的な考え方であることを示す。
 昨年3月、調査会社に登録した全国の男女約2400人を対象に調べたところ、平均は男性が14.73点、女性16.01点で、統計的に意味のある差がついた。 

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子自身も、この意識調査に回答してみたが。

 10問の問いに答えた結果、すべてが「全くそう思わない」に該当して、32点満点だった。


 私の観点で、特筆するべき質問に関してピックアップしてみよう。

 ② 女性の幸せは、仕事での成功に左右されない。

 ちょっと待ってよ。 私の人生など、それを目指してあえて婚期を遅くしたようなものであり、実際、仕事での成功を勝ちとった結果の「成功感」が強い人間だ。

 ⑤ 結婚相手探しに苦労するため、女性は東京大学へ進学するべきでない。

 一体どうしたというの?? いつの時代の話かと呆れるばかりだ。 今時、東大卒の女性など世にわんさか存在するだろうし、おそらく“引く手あまた”じゃないかな?

 ⑥ 高学歴は、女性がよいパートナーを見つけることの障害になる。

 これまた、とんでもない時代錯誤感覚だ。 私自身が「見合い結婚」だが、今時の見合い結婚とは、学歴や職歴で釣り合うことが必須条件であるとの印象を、我が身を振り返って持っている。 お陰で、私は高学歴、専門職種の相手と巡り会えている。

 ⑦ キャリアは、女性がよいパートナーを見つけることの障害となる。

 問⑥同様に、とんでもない時代錯誤的思考であろう。 むしろ今の時代は、女性とてキャリアも良きパートナーを見つけるに際して重要要件であろう。

 ⑧ 妻は夫に意見するべきではない。

 あり得ないなあ。 日々夫婦で意見交換をすることにより、家庭とは健全に築かれていくものだよ。


 原左都子として、多少迷った質問もある。

 ③ 妻は夫の3歩後ろをあるくべきという考えに共感する。

 これに関しては、あえてそうした方が夫婦仲が良好に保たれるかと計算することはあるなあ。 実際は後ろを歩く訳ではないが、妻側のその演技が一家を支えることはありか、とも思う。 
 (これって、結局は妻側が優位な地位にある証ともいえるよね。)

 ④ 女性の外見は、知性よりも重要である。

 「外見を繕う」こととは、私に言わせてもらうと“一趣味”の位置づけであろう。 「知性」と「外見」を同一線上に並べる必要もなければ、「外見」を繕ったから「知性」が疎かになることもあり得ないよ。


 
 今回のエッセイの最後に。

 「男らしさ」「女らしさ」についての意識を、数値で示す方法を思いついたらしき学者先生に申し上げたいが。

 本心から「女性が自由に羽ばたける社会になって欲しい」と望んでおられるのならば。

 ご自身の意識改革から、やり直されては如何だろうか??
 

長野県伊那市より、今冬も“サンふじりんご”のお歳暮が到着しました!

2021年11月24日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、昨日到着した伊那市のサンふじりんご。)


           
         


 このりんごの送り主は、「原左都子エッセイ集」にて既におなじみの、長野県伊那市で大規模農場を営んでおられるK氏です。

 K氏は、元々ブログを公開されていた方ですが、農業経営が多忙となり、2007年春頃ブログ界を引退されています。

 
 当時、「原左都子エッセイ集」の愛読者でいらっしゃった関係で、その後14年間の長きに渡り、農園にて収穫した農産物を宅配にて届けて下さっています。


 今年のサンふじりんごの到着は例年よりも早く、11月下旬に届けていただきました。

 早速いただいたところ、甘みと酸味のバランスが程よくて美味です!


 メールにてお礼を申し上げたら、こんなご返答を頂戴しました。

 さとちゃん(2007年からのブログ付き合いに於いても、K氏は私のことをこのように呼んで下さっていましたが。)は、“律儀な方”で感銘を受けます。 
 (以下略)

 まったくもって、何をおっしゃいますやら、だ。
 伊那市の大自然の中で日々大事に育てられた農産物を定期便にてお届け頂けるだけでも、実にありがたいことなのに。 

 いつも私のお礼メールに、必ずやご返答をいただける事に、こちらこそ頭が下がる思いだ。


 Kさん。
 
 初春のウド、アスパラガス、駒ケ根のヨーグルト。
 6月には、春のブロッ娘(ブロッコリー)。
 9月には、秋のブロッ娘 (同上)。
 そして11月には、サンふじりんご。


 今年も沢山のとれたて農産物の定期便を、誠にありがとうございました!😋 😃  


28年前の勤労感謝の日に、我が娘は息をしないでこの世に生誕した。

2021年11月23日 | 医学・医療・介護
 28年前のあの壮絶な1日を、私は一生忘れることはない。


 出産予定日は、12月6日だったのだが。

 それよりも13日早い11月23日の朝から。
 私はどうも体調不良感があった。

 義母にプレゼントしてもらったタワー物件に引っ越して、未だ2か月少しの頃だ。

 我が亭主の職場は土日は休みだが、祝日はいつも出勤していた。

 朝9時頃亭主が出掛けるに際しいつものように玄関先で見送った時に、私は既に体調不良感を抱えていた。 
 もしかしたら陣痛の前触れかと自己診断しつつも、亭主になるべく心配をかけたくないとの思いから、体調不良に関しては黙っていた。

 その後、 洗濯物を干し始めた頃から、これは間違いなく陣痛だと自覚して。
 とりあえず、原の実家に電話をかけた。
 あいにく義母が留守で、在宅していた義父が電話に出て「〇子さん(私のこと)、まず主治医に連絡しなさい。」と 的確な指示をしてくれた。
  そのすぐ後に郷里の実家にも電話を入れると、同じく「主治医に電話しなさい」との返答。 

 そして主治医に電話したところ、「何分おきに陣痛がおこっているか」を問うた後、「 本日は祝日のため手術(私の場合“高齢逆子出産”のため、最初から帝王切開予定だった) は出来ないが、私の予想では出産は明日になると計算します。 何か異常等があったら またすぐに電話して下さい。」

  そして昼が過ぎ、その後体調は悪化を続けたが、掃除や洗濯物入等々ルーチンワークは陣痛に耐えつつきちんとこなした後。

 夕方になりもはや起きていられる体調ではなくなり、ベッドに横たわった頃。 どうやら破水したようで、トイレへ行ったら大量出血した。 (この頃から娘の息が止まっていたと、後で考察する。)
  もはや動けない身体状態だが、その体で主治医に電話を入れると、「すぐに病院へ来なさい !!」との指示だった。 
 動けない体で、あらかじめ用意していた出産準備袋を取り出し、職場の亭主に電話をか けて「今すぐ帰宅して病院へ連れて行って!」と嘆願した。
  何とかタワー物件の玄関まで降りて動けないままうずくまっていたら、亭主が車で帰宅 して病院へ連れて行ってくれた

 その頃おそらく18時頃だっただろうか。 

 主治医が私を診るなり救急車を手配し、その救急車で大規模産科病院へ運ばれるはめになったが。
 救急車に乗り込むと、救急隊員が亭主に「電話番号を教えて下さい」と問ういうのに、亭主が応えられず。(転居後まもないため、未だ記憶していなかったか?? あるいは亭主こそがかなり動揺していたことと察する。)
 私がうめきつつ応えた後、救急隊員が私が意外やしっかりしているのを利用して、私の職業や何やらの確認をしているうちに。 もう本気で耐えられない私は大声でうめきながら、産院到着。

 すぐに手術準備室に運ばれ、もう産みそうなのだが、下から産んでいたので は娘の命が無いのは皆が承知で、「もうすぐお腹を切って出すからいきむな!我慢せよ !!」の声援だった。 

 やっと手術室で手術が始まるものの、とにかく医師も娘を生きて産ませようと必死で、麻酔が少しも効かないままにおなかを切られ始め。
 娘がおなかから出た時(午後8時6分)に、子宮が陰圧になるのが手に取るように分かり。 その後子宮と腹部を縫 う作業に入るが、一針一針が猛烈に痛くてそれは地獄を見る思いだった。
  手術室内は始終緊迫状態で、「脈拍いくら!! 血圧いくら!!」 そのデータを耳で 聞きつつ(私は死ぬんだ…)と朦朧と思っていたのが…
 悲しいことに、死にかけていたのは娘の方で……
 ただ一命はとりとめた様子で、その後保育器に入れられて。

 私が娘と初対面できたのは、出産後3日目だった。
 未だ体調絶不調の我が身であり、腹部切開のためベッドから起き上がることすら不能だった。

  それでもベッドの中で娘と初対面を果たすことが叶い、大感激の私だった。
 これが何とも可愛いこと! まだ目が開いていなかったが、色白で女の子らしい美人だった。

 後に私も起き上がって歩けるようになり、参院にずらりと並べられている赤ちゃん達を見比べたところ。
 うちの娘が、一番美人ではないか! (と、おそらく産婦は皆思うのだろうなあ~)😜 
 


 というぐあいに、娘の生誕場面を毎年娘の誕生日に嫌でも思い起こす私だ。
 あれ程壮絶な出産シーンとは、類を見ないのではなかろうか?

 いや世の中には、もっと不運な出産シーンも多々ある様子だ。  
 我が娘の場合、「死産」を避けられた事実に感謝するべきだろう。



 あれから28年の年月が経過した。

 私は娘の誕生日を迎える都度、娘の“発達障害”の責任を感じる。
 娘の発達障害の場合、その原因がこの出産時の「仮死産」であろうと私は特定している。

 元医学関係者として、どうしてそれを避けることが叶わなかったのか??
 28年の年月が経過して尚、自責の念に囚われてしまう。

 おそらくこの感覚は、我が人生に於いて一生抱えねばならない怨念であろう。

 ただその自責の念こそが、私が娘の母親として生きられる糧でもあろうと、自身を慰めつつ、毎年娘の誕生日を迎えている。


左都子も昔は左利き ー vol.3 -

2021年11月22日 | 自己実現
 今朝方、以下のネット情報を見つけた。
 早速、要約引用させていただこう。


 左利きと右利きの「空間認識力」決定的な差 

 著者の脳内科医・加藤俊徳氏によると、左利きと右利きでは「脳の仕組み」が違うといいます。それはいったい、どんな違いなのか……。「左利きの疑問」を解き明かすため、加藤氏と神奈川県相模原市で左利きグッズ専門店を経営する浦上裕生氏の特別対談を行いました。(構成・吉田瑞希)
 そもそも、なぜ「左利き専門グッズ」?
 浦上裕生氏(以下、浦上):私は、菊屋浦上商事という文房具屋の3代目です。左利き専門店になった理由は、実は弟なんですよ。弟がテスト前にこっそり紙工作をしていたんですね。 それで手を切ってしまって、親が怒ったんです。
 でも、なんで手を切ったんだろうって考えたときに、息子が左利きだと気付いていたのに、左利き用のカッターを渡してなかった。そういう人たち、いっぱいいるんじゃないのと。ただ売るのではなく、そういった個人に合った道具を売ることが大事なんだと気付いて、そこで初めてちょっとしたコーナーを作ったんですよ。
 ちまちまと売ってたものが、ポツポツと定期的に売れるようになって、2000年に専門コーナーになりました。 
 左利きの空間能力とは?
 浦上:加藤先生に質問したかったことの一つなんですけど、左利きの人って、よく空間能力が高いと言われるじゃないですか。数学で言う代数幾何だったり、要は三次元の頭の感覚です。アイデアがあるとかではなく、自分の頭の中で立体ピラミッドを描くことができると言われますよね。
 すでに引退されていますが、体操の白井健三選手はオリジナルの技を多く開発していて、それは左利きも関係しているんじゃないかと、私は思っているんです。左利きの人は実際に、空間能力が高いのでしょうか?
 加藤:そうかもしれませんね。脳科学的に言うと脳は右脳と左脳があって、手を使うと、空間認知機能を担う脳番地を刺激するんですよ。そして右脳は、目の前に広がる左右両方の空間を見ているんじゃないかという説があるんです。左脳は反対側だけを見てる。つまり右脳は、左右両方の空間に対して意識を向けているけれど、左脳は右側しか見ていない。
 これは難しい言葉で、半側空間無視という、主に損傷によって引き起こされる脳機能障害があります。目の前の空間の半分を無視するということで、それは左脳の損傷では起きにくく、右脳の損傷だと起こりやすいのです。
 右脳が両方の空間に対して注意を向けているので、右脳を損傷すると左側が見えない。一方、左脳が損傷したときは、右脳の働きに問題がなければほとんど空間は無視されません。
 このように左側の空間に注意を向ける能力が重要で、左利きの場合、この能力が必然的にアップするのです。
 左脳の役割を右脳でカバーする
 浦上:ある意味、左脳のパワーを右脳でカバーするということですよね。
加藤:そういうことですね。つまり右脳はもともと注意を向けることに、すごく関係しているんです。だから左手を使うことによって、目の前の視野に非常に注意がいく。ですから左利きの人は、意外に右側も注意してるんですよ。これは恐らく、本人、一人一人は自覚がありません。人はみんな自分と同じように注意を向けていると考えるからです。でも、ちがうんです。右利きの人は、右側により注意を向けてる意識はなく、でも実際は左側を見逃しやすいんです。
 私の場合は、強い左利きを書字だけ右手に自分で矯正しました。しかし、空間への注意は両サイド意識が強く、やはり左優位です。以前、食事の時は右手に矯正していたのですが、最近は、空間への意識を右側に強く向けたいときだけ、右手にしています。
 浦上:なるほど。スポーツ選手でも右利きなのに、左手を使って訓練して空間能力を高めてる人って結構いるんですよ。私が知ってるのは、ソフトボールの上野由岐子投手や宮里藍選手。宮里藍選手は、右で100回打ったら、左で30回打つそうです。そうすると左右のバランスができると。

 (以下略すが、以上ネット情報より一部を引用したもの。)



 私事及び私見に入ろう。

 私め原左都子が元々左利きだった事実に関しては、本エッセイ集バックナンバーに於いて幾度か公開している。

 思い出すままに繰り返すと。

 左利きを明確に指摘されたのは、幼稚園時の教員からだったが。
 
 その前におそらく3歳児頃、私は「左手大事件」を引き起こしている。
 ご近所の知り合いが、家屋新築に際しその落成式を執り行った。 我が親も含めて大人たちが1階で宴会中、子供は皆2階へ上がって遊ぶように指示された。
 そろそろ宴会も終焉の頃、新築主の奥方が2階へ子供たちを呼びに上がったところ、新築の壁や畳一面にクレヨンで落書きがなされていた。 そして、左手でクレヨンを持った私がいた。
 落書きの主が私だとバレたのは、その壁や畳一面に書かれた落書きとは、「我が氏名(ひらがな)」だったが故だ。 
 それを見た奥方は顔面蒼白(だっただろう😱 )で1階まで降り、「〇〇さんちの〇ちゃん(私のこと)が2階の壁や畳一面に落書きをした!!」と叫んだらしい。
 それを聞いた我が母は、「えっ?? うちの〇子は大人しい子で、そんなことをするはずはないのだけど…」と言いつつ2階へ上がって愕然とする!
 と同時に母が驚いたのは、ただの一度もひらがななど教えてもいない(実際何ら教育熱心で無い親どもだった)のに、壁と畳一面に書かれたその文字が正確、かつ美しかったらしいのだ。
 とにかく新築主に平謝りつつ、その字を消したとさ。(消えたのだろうか??) 

 その後私は4歳になり、幼稚園入園後も左利き生活は続いた。 
 私としては特につらかったのは、「はさみ」だった。 当時の我が過疎地の郷里には左利きのはさみなど販売されている訳もなく、左手で右手用のはさみが切れにくく困惑したものだ。
 我が親に関して言うと、そもそも教育熱心でも何でもなく、おそらく矯正指導が面倒くさいと感じたことと推測する。それでも幼稚園より矯正を指示されてしまっては、それに従わざるを得なかったことだろう。

 後になっても、私はとにかく初めて取り掛かる物事はすべて左手で執り行ったものだ。 例えば、小学校中学年時の編み物(かぎ針編み)なども左手だった。
 
 近年では、ガラケーはすべて左手で持って左手で文字入力した。 これが十数年続いただろうか。
 その後スマホに買い替えた際にも同様に左手を使いたかったが、我が腕にはスマホが重く落としそうで、どうしても左手持ち右手入力とならざるを得ず、未だに使い勝手が悪い。


 上記引用文に、話題を戻そう。

 <左利きの人って、よく空間能力が高いと言われるじゃないですか。数学で言う代数幾何だったり、要は三次元の頭の感覚です。アイデアがあるとかではなく、自分の頭の中で立体ピラミッドを描くことができると言われますよね。>

 あるいは、「左利きに天才が多い」の文言も巷でみかける話題である。

 原左都子自身も幼稚園4歳児のIQ(知能試験)検査にて、当時としては園始まって以来の最高得点であるIQ168を記録し、その旨が親に伝えられたという。 園長曰く「何か自宅で特別教育でもしていますか?」 親が応えて、「いえ、何もしていません。」
 全くその通りで子供に対して何らの指導・教育をするでもなく、共働き故に普段は祖母に子供を一任して、一貫して子供を放ったらかしの我が家だった。

 私の脳内で、“立体ピラミッドを描くことができて”いるかどうかはとにかく、確かに我が思考は確実に数理系であり、おのずと理系に進学したのは事実だが。


 「左利き論議」とは未だに結論が出ないというのか。
 現在に至っては「左利き容認論」が多数派となっていて、社会的にもそれを指示する方向に向かっているのは、元“左利き人種”としてはありがたくもある。


 でもね。
 電車の中で左手でガラケーを打っていた時にいつも思ったのだけど。
 ほとんどの皆さんが、右手で打ってるでしょ?
 私の左手がお隣りの右手打ち派の人の腕を直撃するのよ。
 それを迷惑がられたら。
 やっぱり“左利き”の私の方が悪いのか? と思ったりもしたな。😰 


雇用形態における “メンバーシップ型” v.s. “ジョブ型”

2021年11月21日 | 仕事・就職
 またまたしつこくも、朝日新聞「書評」ページよりの引用です。

 
 それでは早速、朝日新聞2021.11.20付 濱口桂一朗氏著「ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機」に対する、慶応大学経済学教授 坂井豊貴氏による書評「職場の椅子ごとに『値札』が付く」を、以下に要約引用させていただこう。

 日本では通常、雇用契約が職務に記載されない。 その組織で働くことが書かれているだけで、どんな職務に就くか分からない。 それは使用者の命令によって定まる。 こうした契約を「メンバーシップ型」という。 これと対照的なのは職務が記載されている「ジョブ型」だ。
 ジョブ型の募集とは、基本的にすべて欠員募集である。そしてジョブ型の契約に書かれた職務が、組織で不要となったときには解雇が起こる。 そもそも契約上、組織は労働者に記載された職務以外を命じることができないからだ。 一方、メンバーシップ型だと、他の職務への異動可能性がある限り、解雇は正当となりにくい。 このことは日本の長期雇用制度慣行を導いてきた。
 ではメンバーシップ型の方が労働者にやさしいのかというと、そういうわけでもない。 残業や配置転換の拒否を、懲戒解雇の理由として認めてきた。これはジョブ型が通常の社会では信じられないくら厳格な判断だ。 なお日本以外の国はジョブ型の雇用が通常だが、そのうちアメリカを除くと、相応の解雇規制がある。
 メンバーシップ型の雇用に親しんでいると、「ジョブ」の概念をつかみにくい。 それは値札が付いた椅子のようなものなのだ。 誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる。 そして会社の分割や事業売却で椅子が別の会社に移ると、そこに座っている人も自動的に移る。 労働者は会社に属しているというより、その椅子に座る権利を有しているのだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)


 今回の「書評」内の議論に関しては、原左都子としては実にとっつきやすい。

 というのも私め原左都子は、現役時代には一貫して“ジョブ型”雇用しか経験していない故だ。 要するに、雇用契約書に「職務」が明確に記載されている職種のみにしか就業経験が無い。

 まず最初は、医学部卒業後「臨床検査技師」国家資格取得を条件に民間医学関連企業に採用され、即戦力で細胞性免疫分野の研究開発・実務を経験した。 その後、本社に人事異動して、教育課にて社員に医学教育を実施したり、医学専門書を執筆した後、自らの意思で退社した。

 2度目の大学・大学院修士課程にて「経営法学修士」取得後、今度は公立高校へ高校教諭として就業したのだが、これも教職「社会」「商業」免許を取得していることが必須の採用だった。 

 あるいは、番外編として。
 私には2度目の大学時代の夜間に「コンパニオン」の職務経験があるが。 
 これなども、厳しい面接試験にて“それに耐えうる外見や所作力”を備えていることを条件として採用されたため、“ジョブ型”採用だったと言えよう。

 
 という訳で、原左都子には残念ながら“メンバーシップ型”にての雇用経験が無い。

 我が亭主に関しても“然り”であるし、はたまた我が娘も同様に専門職にて企業に採用されている。

 もっと言うならば、既に他界している我が父も専門資格を取得して就職していた。
 あっ、そうそう。 我が実母がもしかしたら“メンバーシップ型”での採用だったのかな。 そうだとしても公務員として就業していたため定年まで職務をまっとうし、何らの不都合もなく老後を過ごしている。

 という訳で、我が親族周囲を見渡しても“メンバーシップ型”就業の弱点を語る材料が何も無いなあ。
 (そういうのって遺伝かもしれない、などとも思えてきた。 親が資格を取得してそれを就業に活かしていたら、子供もそれを真似るのかな??)


 上記書評内に、以下の記述があるのを繰り返そう。

 メンバーシップ型の雇用に親しんでいると、「ジョブ」の概念をつかみにくい。 それは値札が付いた椅子のようなものなのだ。 誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる。 そして会社の分割や事業売却で椅子が別の会社に移ると、そこに座っている人も自動的に移る。 労働者は会社に属しているというより、その椅子に座る権利を有しているのだ。

 特に、「誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる」。
 メンバーシップ型雇用体系における、この記述が一番気がかりだ。

 そんな時代は既に退廃しているのに。 
 専門力に欠ける学生が未だその“メンバーシップ型”の“蜜”に引っかかってしまっている現状を。
 私は憂える…