原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

宇宙の終わり頃にこの世に生まれたなら…

2021年11月20日 | 学問・研究
 書評好きの原左都子にして。


 本日も、朝日新聞2021.11.20付「書評」ページから。

 ケイティ・マック著「宇宙の終わりに何が起こるのか」 に対する東京大学教授・宇宙物理学 須藤靖氏による書評「最新理論で説く五つのシナリオ」を、以下に要約引用させていただこう。

 宇宙論は観測データと理論を駆使し、誕生から現在に至る宇宙の進化を解明する学問だ。 20世紀以降、宇宙論は精密科学として長足の進歩を遂げている。
 これに対して宇宙の未来の予言は困難である。 天候、経済、政治と同じく、わずかなゆらぎが劇的に異なる結末を引き起こすからだ。 ましてや1千億年以上も先の宇宙の最期となると、多種多様の可能性がある。
 本書では、現代宇宙論が予想する五つの宇宙終末シナリオが紹介される。
 現在の膨張が転じて収縮してつぶれて終わる「ビッグクランチ」。 永遠の膨張の末すべての活動が停止する「熱的死」。 膨張がさらに加速するため時空間がズタズタに切り裂かれる「ビッグリップ」。 より安定な真空状態に落ち着く過程で完全消滅してしまう「真空崩壊」。 収縮の最期の瞬間に跳ね返る「ビッグバウンス」の結果、膨張と収縮を繰り返す宇宙版輪廻転生。
 どのシナリオも怪しさ満載でホンマかいなと眉に唾つけられそうだが、我々の未来はそれらのどれかに運命づけられている(多分)。
 未来を予言するには、最新の物理学理論が必要となる。 ビッグバンの残光として宇宙を満たす電波、宇宙のインフレーション、加速膨張する宇宙と宇宙定数、ダークマネーとダークエネルギー、ブラックホールとエントロピー、標準素粒子模型とヒッグス粒子、時空間のさざなみである重力波。……
 残念ながら宇宙の未来はバラ色と言い難い。 とは言え今から約50億年もすれば地球は膨れ上がった太陽にのみ込まれ既に消滅しているはず。

 (以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)



 この書評を読めば誰しも理解可能だろうが。
 要するに、人類をはじめとする生命体は宇宙の終わり頃まで生き延びることは叶わず、そのずっと以前に滅亡の道を辿っていることだろう。


 私は昨年の秋頃、「ノーベル物理学賞受賞者」かつ現在東京大学教授をされている梶田隆章氏の著書、「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」の一部を本エッセイ集内で取り上げさせていただいている。

 その一部を、以下に引用しよう。

 ニュートリノは観測するのがとてもむずかしい粒子です。
 何かにぶつかっても止まったり曲がったりせず、地球すら貫通して飛んで行ってしまうからです。
 そのニュートリノは雨あられと地球上に降り注いでいて、太陽から地上にやってくるものだけでも、1平方㎝当たり毎秒660億個もあります。
 だからといって、地球全体をいつも見張っていて反応をチェックすることなどできません。
 代わりに、決まった場所に大量の物質を用意して注意深く観測していれば、いつかは反応を捕まえる機会があるはずです。
 本書で詳しく説明する「スーパーカミオカンデ」という装置は、岐阜県飛騨市神岡町の鉱山の地下深くにつくられた、直径約40m、高さ約40mの水槽を5万トンの水で満たした大がかりなものです。
 この装置で、ニュートリノが水中の陽子や中性子や電子と反応したときに発生する「チェレンコフ光」を観測することができます。
 このような大がかりな装置を使ったニュートリノ研究が世界のあちこちで続けられているのは、ニュートリノが宇宙で起こった様々な事件の情報を、私たちに伝えてくれるからです。
 たとえば、突然現れて明るく輝き、やがて消えてゆく「超新星爆発」。
 「新」という呼び名とはうらはらに、太陽の何倍も重い星が一生を終えるときの最後の姿です。 この爆発のエネルギーの99%はニュートリノとして放出され、地上の実験室では絶対に再現できない、大量の物質が超高温・超高密度になったときの情報を、そのまま持って地球にやってきます。
 ニュートリノがいちばんたくさんつくられたのは、宇宙の始まりすなわち「ビッグバン」のときと考えられています。 宇宙空間は開闢以来、すみずみまでニュートリノで満たされていると言っていいでしょう。 ニュートリノは宇宙でいちばんたくさんある、最もありふれた粒子なのです。
 ここから得られる「ビッグバンから約40万年後」の情報が、現在の私たちにとっていちばん古い宇宙の情報です。
 もし、宇宙を満たすニュートリノを観測することができたら、私たちは宇宙マイクロ波の観測よりもさらにビッグバン直後にまで遡る情報を手に入れることができます。
 しかし残念ながら、このニュートリノはエネルギーが低すぎて、今のところその観測方法すら分かっていません。
 ニュートリノ研究は1930年代以来今に至る歴史を持っています。
 本書では、主に1980年代半ば以降、現在につながるニュートリノ研究、中でも特に世界の研究に果たした役割が大きかった、岐阜県飛騨市神岡の鉱山の地下で行われてきた研究を中心に書いていきます。 
 私(梶田氏)も大学院生の頃から、この研究にかかわってきました。
 史上初めて私たちの太陽系の外から飛んできた「超新星ニュートリノ」を観測したのは「カミオカンデ」という実験でした。2002年に小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞したのは、主にこの業績によってです。 
 また「スーパーカミオカンデ」では、「質量があるかあるいはきわめて軽い」と考えられてきたニュートリノに「質量がある」ことを世界に先駆けて発見しました。 (まさに、梶田隆章氏はこの業績により2015年に“ノーベル物理学賞”を受賞されているが。)
 ニュートリノ研究は、まず理論がその存在を予言し、それを実験が確認して出発しました。 これとは逆に、実験から予想されなかったような結果が得られ、それを説明するために新たな理論が生まれることもあります。
 科学にはこのように、理論と実験が手を携えて発展していくのが常です。
 にもかかわらず一般向けの科学の本には、理論に重心を置いた書き方のものが多い気がします。 
 私は実験を専門にしているので、この本は実験に重心を置いて書いていきたいと思います。

 (以上、梶田隆章氏著「ニュートリノで探る宇宙と素粒子」より“前書き”部分を要約したもの。)

 
 宇宙物理学者であられる梶田氏は、昨年日本学術会議会長に任命されたがばかりに。
 当時の政権だった菅政権より貴重な研究時間を大いに割かれ、学術会議への歪んだ対応に時間を取られるとの被害に遭われている。

 実際あの光景をニュース報道にて見せられた身として、元科学者の端くれである私は、どれだけ悔しく歯がゆかったことか!
 政権を担う政治家に少しでも科学に対する知識と良識があれば、あんな事態に陥らなかっただろうに、と。


 とにもかくにも、科学とは「宇宙科学」に限らず人類の発展においてなくてはならない人類の生業(なりわい)である。

  科学者のみならず政治家や一般国民皆が、宇宙に生きる生命体として“ユニバーサルな思考”の下に活動することに期待したい。


被害者は 加害者と安易に仲直りするべきでない

2021年11月19日 | 人間関係
 書評を読むことを好む原左都子だが。


 本日も、朝日新聞2021.11.13付「書評」のページより。
 大坪庸介著「仲直りの理(ことわり) 進化心理学から見た機能とメカニズム」に対する 坂井豊貴氏による「加害者を許せば被害者も癒える」と題する書評を、以下に要約引用しよう。

 先日、ある人からひどい目に遭わされ、後で謝罪されたが、私はその謝罪を受け入れられない。 関係は修復した方がよいのだろうが、赦す気になれない。 
 そんな時、書店でこの本を目にした。 著者は心理学者で、謝罪と赦しを論じている。 本のページを適当に開くと、太字で「またひどいことをしそうな相手は赦さない」と書いてあった。 わかる。 そういうことだ。 私が感じているのはそういうことだ。
 私は相手がまた同じことをするから、赦す気になれない。 それは感情の働きだ。 ただし私は合理的に思考して、赦さないという判断をしてもよかったはずだ。 容易に赦すと、相手は再度同じことをしてきそうなのだから。
 ここで興味深いのは、私が合理的な思考なしで、自動的な感情で「赦さない」と思えたことだ。 人間はこうした、赦しについての様々な感情を、進化の過程で獲得してきた。 その仕組みはよくできていて、自分にとって価値が高いほど赦しやすい。 (中略) 
 それでも効果的な謝罪は簡単ではない。 いくら口で悔恨の意を示しても、相手が信じるとは限らない。 そこで重要なのが謝罪にコストをかけることだ。分かりやすいのは被害の補償だが、工夫や手間暇もそれにあたる。「ここまでしてでも謝罪したい」とのシグナルが、相手に誠意として伝わり、癒しがを導くからだ。
 被害者は、加害者を許さねばならないわけではない。 ただし、癒しは自分の傷を癒す。 許さずとも、赦そうとする態度をもつだけで、ストレスは軽減されるのだという。 

 (以上、朝日新聞2021.11.13付「書評」より一部を要約引用したもの。)



 私め原左都子には、一生に渡り絶対に許せない人物が存在する。
 それは、20数年前に絶縁した現在米国暮らしの実姉である。

 いや、他にももっといるかもしれないが、既に縁が切れていて私側がすっかり忘れ去っている相手に関しては、もうそれでいいし、どうでもよい。

 実姉に関しては、こちらは絶縁しているにもかかわらず、あちらが妹の私に対して未練たらたららしいのだ。
 これに辟易とさせられる。 実母も私の姉に対する絶縁の壮絶な思いを理解しているにもかかわらず、「どうか気持ちを入れ替えて、私が死んだ後は米国の姉と復縁してくれないか?」と事あるごとに嘆願してきては。
 私から「絶対に復縁などあり得ない!! 妹の私があの姉から長年(絶縁宣言をしたのが40代前半期故に、その長き年月に渡り私は姉からいわれなき虐待をされ続けてきた訳だが。)どんな目に遭わされたのかを、親として少しは分かってものを言え!」と私から吐き捨てられている。 

 確かにそうだよなあ。 書評者が書かれている通り、もしも姉が多額の補償金でも積み上げて「ここまでしても謝罪したい」と頭を下げてきたならば…
 
 いや、私と姉との関係に於いては、それすら意味を成さない。
 姉のカネなど一生涯一切要らん!し、私とて食うに困っている訳でもなし。

 とにかく、姉が私側の絶縁要望に応えて一生涯私との間の縁切り状態を死守し、私の前に絶対的に姿を現さないことが、私のとっての最高の謝罪だ。

 
 「仲直りの理(ことわり)」。
 良き題名の著書だ。

 世の中には、加害者を絶対に赦せない、というよりも“赦してはならない”との二者関係もある。
 まさに、「またひどいことをしそうな相手」と長年に渡り顔を突き合わせねばならない“地獄”を味わわされた人間もこの世にいるものだ。

 どうか、そのような関係に長年苦しんだ人間も存在することに配慮しつつ、「仲直りの理(ことわり)」に基づいて。
 
 “絶対的に許せない”人間関係もある事を、ご理解いただきたい。
 

グランマ・モーゼス ー 素敵な100年人生 シリーズ ー vol.5

2021年11月18日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞愛読者プレゼント“グランマ・モーゼス 素敵な100年人生シリーズ より「収穫期」。)


 朝日新聞愛読者プレゼント「グランマ・モーゼス “素敵な100年人生シリーズ」は、今回で第5回目の配布となる。


 今回届いた作品のひとつは、「収穫期」。 

          
 早速、作品の解説を引用しよう。

 種をまき、収穫する。 その繰り返しこそが人生であることを、グランマ・モーゼスは農婦としての生活を通して体得した。 本作には、そうしたサイクルのクライマックスともいえる場面が描かれている。
 日々の糧となるパンを焼くために欠かせない小麦の収穫。 刈り取られた麦束の黄金色は、まさに生命の輝きだ。 それぞれの労働にいそしむ人々と家畜たち、楽し気に駆け回る子供たちと犬。 前景の大きな麦わらの山の傍らで、2人の人物が手を休めて語り合っているのだろうか。
 豊かな実りを与えたまう、大いなる自然への信頼と感謝が、画面の隅々にまで満ちている。


 もう一枚は、「川を渡っておばあちゃんの家へ」。

          
 こちらも、解説を引用しよう。

 いてついた冬景色の中、橋を渡って進んでいくそり。
 その先には、感謝祭を祝うため祖母の家に集まってくる親族たちや、豪華なディナーが待っている。
 本作のテーマは感謝祭に歌われるアメリカ民謡「川を越えて森を抜けて」から採られている。 零下25~30度になるのも珍しくない極寒においても、そりを走らせる人々の心は、厚い高揚感に踊っているのだろう。 凍った川面では、ホッケーのような遊びを楽しむ人々の姿もある。
 川の流れは視線を画中へと引き込み、肌を刺す清らかな冬の大気が見る人を満たす。
 再会を喜び合い、天の恵み、すべての豊かさに対して神を賛美し感謝する、その素朴で信仰深い思いが、画面に凝縮されている。



 原左都子が子供の頃に住んだ家の南側が、国鉄の線路を挟んで見渡す限り田園地帯だった。
 面白いのは北側は街として開けていて、すぐそばに市街中心部までつながっている主要道路があり、そこからバス乗車で市街中心部へ行けたものだ。
 
 南国だったため、南側の田園地帯が雪で覆われる景色は見たためしがない。 その代わりと言ってはなんだが、台風被害で田畑一面が大海原になる風景は何度か経験している。
 ある時、その“大海原”に心が弾み、友と2人でそこまで「冒険」に出かけたことがある。 そうすると面白いことにがちょうが数匹流れ着いていて、大感激した思い出がある。
 後で考察するに、実に危険な“友との大冒険”だったものだ…😱 



 先ほどのことだが、本日の朝日新聞記事内に「グランマ・モーゼス展」のお知らせ記事を見つけた。

 その記事内に掲載されていた、グランマ・モーゼス氏の写真を以下に転載する。

          

 何だか絵画っぽい映像だが、これは「写真」らしい。
 1946年に、オットー・カリアー氏が撮影した映像とのこと。


 そのグランマ・モーゼス氏の展覧会が、東京で開催されるとの朝日新聞の記事だ。

 おーーー、是非行きたい! と一瞬思ったものの…

 世田谷美術館での開催とのこと。
 実は我が家から遠い…
 過去に2度程行ったことがあるが、都内にしてバス経由とのその“辺鄙”さ加減に、これ無理かな?? と考えている始末…
 
 あしからず…


ブログ上の原左都子の19歳のお友達

2021年11月17日 | 人間関係
 原左都子の場合、現在に至ってはコメント欄は閉鎖措置を採用し、ブロガーの皆さんとのやりとりも積極的に行っていない立場だ。


 そんな私だが、当エッセイ集開設当初から2011年終わり頃にかけては多くの愛読者の皆様に恵まれ、コメント欄も大盛況だった。


 つい先程、そんな時代に交わしたコメント欄のやりとりを偶然発見し、感慨深い思いに浸った。


 2007.12.29公開の「続 ブログ私観」に頂いたコメントと、それに対する原左都子よりの返答を、以下に再掲載させていただこう。 

 ども、kuisinです。 (kuisin)2007-11-30 18:19:12こちらでは初めまして。   

 私のブログより引用して頂いたようで、いやはやなぜか申し訳ない気分です。まだまだ文章力が未熟な私の言霊にそれほど力があるとは思えてなかったので・・・。
・・・というか、原さんて娘さんいたんですか!!し、知らなかった・・・。
これからもよろしくですよ。では。

 ようこそ、kuisinさん! (原左都子)2007-11-30 19:49:47kuisinさん、当ブログにお越し下さってありがとうございます。

 kuisinさんは、小説家を目指しているだけあって、kuisinさんの言霊に私は引きつけられますよ。今回の“ブログは通り過ぎてゆくもの”のフレーズはまさに私の今のブログに対する思いを的確に表現してくれていて感激しました。
私にはkuisinさんとあまり年の違わない娘がいますが、kuisinさんのような豊かな感性を育みつつ成長して欲しいと願っています。
kuisinさんのブログはまた拝見しますね!

 (以上、本エッセイ集2007.11のコメント欄より引用したもの。)



 このkuisinさんとのお付き合いは、本エッセイ集公開当初時に登録した某ブログコミュニティに於いて始まった。

 kuisinさんは、上記のごとく小説家を目指し精進されている当時19歳の学生の方だったと記憶しているが。
 とにかくその若さで、まさに“言霊に力がある”青年だったことを記憶している。
 原左都子の場合、ブログの内容が気に入れば年齢無関係でお相手のおっかけをさせていただいたものだが。(今でもそうだなあ。)

 kuisinさんとは当該ブログコミュニティが閉鎖して後、残念ながら音信不通となってしまっている。
 現在30代前半になられ、小説家として大成し大活躍されていることとであろう。


またもや義母が「別の高齢者施設に転居したい」と泣きついてくる…

2021年11月16日 | 医学・医療・介護
 この義母からの訴えは、今回が初めてという事ではない。


 少し前の本エッセイ集内でも、同内容の義母からの訴えを取り上げた。
 その時の義母の訴えでは、自身が住んでいた地の近くに過去によく通った内科医院があり、そこの院長先生に親切にして頂いた。 その医院に付属高齢者施設があるからそこに入居したい、との訴えだった。

 その当時は義母の息子である亭主が、始めから義母の訴えを拒否したものだった。 その理由としてはその施設が存在する地が都心部であり、入居に高額を要する、というのが第一義だった。


 さて一昨日のことだが義母から電話があり、亭主が出た。
 別室で聞いていると、どうも電話の内容が深刻かつ複雑そうだ。

 後に亭主がその電話の内容を私に告げるには。

 「またもや、母が別の施設へ転居したいと言ってきた。 今度は、我が家の近くの施設に住みたいと言う。 理由はともかく、母が何度も同じことを訴えてくるので自分なりに考えてみた。 現在90歳だが、自分の推測では後数年で母は死に至るのではないだろうか? もしも、月々の費用が同等程度で初期入居金が不要な施設があれば、転居させてやってもいいのか?とも思い。 早速近くの高齢者施設へ電話で問い合わせをしてみたところ。 ちょうどその条件に合う高齢者施設が近くにあり、空室があって入居可能だとの返答だった。」


 ここから、私の激しい反論だが。

 「それは約束が違う。 そもそも我々夫婦は見合い結婚だが、義母からの要望で“子夫婦とは一生一緒に住まない”との契約で合意している。(要するに孫の面倒は一切見ない、とも解釈可能だろう。それは、こちらこそが快く同意したのだが。)  今回の義母の“我が家の近くに住みたい”との要求とは、すなわち我が家と頻繁に行き来したいとの意味合いだろう。 今更、それは私としては絶対的に勘弁願いたい。
 加えて、貴方(亭主)の予測は甘過ぎる。 現在義母は90歳だが、歩行がおぼつかなくて怪我の危険性は高いが、身体に難病等何らの疾患をも抱えていない。私の診断では貴方の母は100歳を超えて生きそうに予測する。 そうした場合、施設入居費に関してもそれ程甘くはないと考えるべきだ。
 それにしてもこの件に関して、私は言いたいことがある。 義母という人物とはそもそも主体性が無い人物では無かろうか? 
 若き頃には生まれ持っての美貌を活かして男にうつつを抜かしつつ、自身の趣味に励んでいたようだが、どうも私の判断では、本気で物事に取り組むとの経験が義母には不足しているように見受けられる。
 それが証拠に、義母の趣味(のはずだった)「料理」を現在の私の年齢よりずっと若い時点でやめて、高齢者宅食に切り替えているし。
 施設入居後は、何らの主体的行動を実施していないし。 
 新聞すら当の昔に読まなくなり、(難聴故に仕方がないのだろうが)テレビにすらまったく興味が無くなってしまい。 元々読書の趣味が一切無い義母は、もっぱら職務で多忙な施設の担当者を捕まえては話し相手をせがんでいる有様だ。 あれじゃあ、スタッフに嫌われて当然だろうし、邪険にされる運命にあるのだろう。
 だからと言って、施設を転居すれば“理想の世界”が待っている訳もない事実を、息子の貴方こそが義母に説得するべきなのに。
 義母の言うなりになって、我が家の近くの高齢者施設を探したなど、到底私は許容不能だ!!」


 その後、亭主とはこの話題に関しての話し合いは途切れているが。

 亭主も実に考えが甘いと感じるのは、現在義母が入居している高齢者施設へ支払っている費用額だ。
 当初、1000万円程の初期入居金(施設の主張では、その減価償却は既に終了していて残高無し、要するに退所時に返金無しとのこと。)に加え、月々30万円超の実費を収めている。 
 それを亭主も認識しているはずなのに、義母の転居わがままを聞いてやるとはあまりにも親孝行が過ぎるというより。


 過去に母親にお世話になった“息子”の特質なのか?? とも思えてくるなあ。

 娘の立場としては実母への思い入れなど何もないどころか。

 “死んだら骨ぐらいは拾ってやるよ” 程度のものなのだけど…