原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「フェムテック」って、何??

2024年06月19日 | 医学・医療・介護
 早速、2024.06.18付朝日新聞夕刊記事より、この「フェムテック」に関して取り上げた小記事の一部を以下に引用しよう。


 最近よく耳にする「フェムテック」。 (原左都子の影の声だが、現役を引退している身にして、全く耳にすることがないなあ。)😶 
 女性(female)の心身の不調を指す。 経済産業省が旗振り役になり、大手企業も参入して市場は活気づき、今年も特に3月の「国際女性デー」の前後にはいくつものイベントが開かれた。 (またもや原左都子の影の声だが、この私は現役時代から 殊更「女性」を取り上げたイベントや会合を好まず、避けて通ってきた身かも?!?  と言うよりも そんな会合に頼らずとて、現役職業人時代を十分に専門能力による実力を発揮でき有意義に過ごせたと自負している。)😁 
 取材に訪れると、日本では長らくタブー視されてきた女性の身体や性に関するお助けグッズがずらり。 背広姿の男性たちも目立ち、ビジネスの種として、社会課題の一つとして、認知されてきたことを実感。 でも、何となく違和感も…。
 身体の問題にばかり注目が集まり過ぎ? 商機として捉えすぎ? これで女性を取り巻く諸問題が解決する?
 「telling,(テリング)」では子もモヤモヤをジェンダーと技術に関する研究を続ける某医科大女性講師さんにぶつけてみた。 すると「女性の労働市場への参画をフェムテックでどうにかするというのは、ズレています。」(中略) 「女性活動と言われても、それを拒む様々な事情があるのに、原因をあたかも女性の身体の問題だけに帰結させることには違和感を感じて当然」とバッサリ。
 男女の賃金や昇進の格差、育児との両立など、確かに課題は広く複雑だ。
 NHK連ドラ「虎に翼」では、主人公の生理痛も描かれてはいるが、彼女が今のフェムテックの現状を見たら何と? あの決め台詞「はて?」が聞こえてきそう。

 (以上、朝日新聞夕刊記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 この私も、現役職業人時代に「過多生理」に悩ませられ続けた事実に関しては、少し前のバックナンバーにて述べた。

 そのバックナンバー内でこの問題に関する一番の救いの出来事だったのは、医学関連職場に 私同類の「過多生理」女性が存在した事実だったものだ。
 何と言っても一番心強かったのは、同じ悩みを持つ同性女性と共に悩みを分かち合いその対策法を話し合えた事実だった。
 とにかくこの問題、男性には分かりにくい(一生分からないだろう)のは当然だし。 あるいは、生理が正常な女性達にも理解してもらえなかったかもしれない。  そんな中、同じ悩みを持つ女性と偶然巡り合えて、(特に業務時間中に於ける)その具体的対策を分かち合えたあの時の感動と力強い思いがあったからこそ。 私はその後閉経を迎えるまで、職業人として「過多生理」と面と向かい合いつつ、職業上の業績を積むことが叶ったと言える。


 そんな意味では、確かに例えば女性特有の「生理」に関してその経験が一切無い男性の見解など不要であることには間違いない!!
 
 「フェムテック」とやらが何を目指して存在しているのかに関しては、既に現役職業現場を去っている私にとって、二の次で良い話だが。

 なんでもかんでも男女をいっしょくたにすれば、男女平等理念が成り立つ訳でもあるまい。

 そんな意味で、原左都子としては。
 NHK連ドラ「虎に翼」内で主人公寅子の「生理痛」を取り上げたのも、私にとっては鬱陶しかった、というか。 そんな甘さで職業人として今後渡って行けるのか!?! との厳しい見解に立ちたいし。
 半面「過多生理」の場合、例えば仕事中に(自由にトイレへ行けない身にして)白衣を血液で汚してしまう等の混乱を抱える羽目になるのだが。 そんな時の上手い対策法などを、後輩である若き世代の女性達にご伝授頂きたくも思う。 (今時は 多量出血をカバー可能な多種多様な生理用品・例えば多量血液吸収型おむつ等 が販売されているのかな??)

 とにかく、今後同様のテレビドラマ等々で女性の「生理」による不都合を取り上げる場合、もう少し医学的観点より多面性や正確性を持って臨んで欲しいと考えている。


ブタの臓器をヒトへ移植する時代

2024年06月18日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2024.06.15付朝日新聞記事「提供者不足 ブタの臓器をヒトへ 異種移植 世界が着目」より転載したもの。)


         
 同記事より転載した「ブタの遺伝子操作のイメージとブタの臓器を使うメリット」。

         
 同じく同記事より転載した、「米国における遺伝子改変ブタを使った移植例」。



 日本国内で今年2月、ヒトへの臓器移植をめざして3頭の豚が誕生した。 米国では2年前に、重い心臓病の患者にブタの心臓が移植された。 臓器提供者の不足が課題となる中、世界的にブタからヒトへの「異種移植」の競争が激しくなっている。 (途中大幅略)
 何故、ヒトの異種移植にブタを選ぶのかと言うと。 ブタと人の臓器のサイズが似ているためだ。 ただ、ブタの血管の表面には「糖鎖」というブタ特有の「目印」がある。ブタの臓器がヒトの体内に入ると、ヒトの免疫がその糖鎖に反応し、「敵」と認識して攻撃を始め、あっという間に血が固まってしまう。 このため、ブタ特有の糖鎖をなくし、ブタにヒトの遺伝子を組み込ませた遺伝子改変ブタが生産された。
 今後の課題としては、遺伝子を改変した動物からの異種移植をするための指針の整備が求められる。 本来はヒトに感染しないような、新たな感染症の懸念もある。 引き続き十分な基礎研究が必要だ。

 1999年に、早期移植法のもとで日本初の心臓移植に携わった研究者は、異種移植の可能性や課題を探るためにも「研究は進めていくべきだ」とした上で、「現在の心臓移植は確立された医療で、まだ実験段階の異種移植にすぐ取って代わられると考えるのは、まちがいだ。」と指摘する。 (中略)
 移植直後の激しい拒絶反応は遺伝子改変で回避できても、その後も起こり得る拒絶反応を防ぐには免疫抑制剤が必要だ。 (中略)
 国際異種移植学会は2003年、臨床試験に進むには、十分にな実験データや国度による適切な監督と承認が必要だとする見解を発表。 「適切な科学データが示されることなしに、成功が約束されたと解釈されるような発言は慎まれなければならない」とも指摘した。 (途中大幅略)
 人それぞれに信じる宗教や考え方の違いもある。 ブタの臓器でも移植を受けて生きたいという人もいれば、「ブタの臓器を移植してまで」と考える人もいるだろう。
 移植と医療倫理に詳しい塚田教授は、「医療倫理は白か黒かはっきりするものではないし、全てが多数決できまるものでない。研究者や医療に携わる人たちは、社会に向けて説明し、理解を得ようとすることを、絶えず続けていかなければならない」と話した。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事と感想に入ろう。

 この私は医学関係者であり、主に「免疫学」関連の研究実験を日々繰り返してきたものの。 (他の医学業務も経験していますが、一番 長期に渡り取り組んだのは「免疫学」関連業務でした。)
 臨床現場での医療経験は乏しく、まさか「移植医療」に携わった経験は無い。

 そんな私が、今回この新聞記事を読んで思うに。

 ブタからの「異種移植」ねえ……

 いくら ブタの臓器を激しい拒絶反応が起きないよう遺伝子改変したとて。
 その臓器を体内に入れられることは、是が非でも拒絶したい気がする。
 いえいえ、それは自身が高齢域に達して尚健康体を維持できているが故であろう。
 これが、未だ幼い我が子がその身になってブタの臓器を体内に移植したら生き延びられる!事態となれば、考えは大幅に異なるような想像もつく…

 
 医学・医療の目覚ましいばかりの発展は喜ばしいが。

 上記引用新聞記事内にも、書かれているが。
 世界規模で考察した場合、移植材料として「ブタ」を使用することに関しては、「宗教」や「倫理」との大きな課題もあろう。

 まさに塚田先生がおっしゃる通り、この問題に関しては医療者や医学研究者は社会に向けての説明責任を負いつつ、世の理解を得ることを続行せねばならない立場であろう。


授業中の水分補給禁止は「マナー」で、飲む場合はいちいち教員の許可を得よ!だと!?!!

2024年06月17日 | 医学・医療・介護
 今時、こんな時代錯誤 かつ生徒の生命にもかかわりかねない“禁止事項校則”を生徒に強要している学校現場が存在することに、愕然とさせられる… 😱 



 早速、 ネットより 冒頭表題に関する情報を以下に引用しよう。

 授業中の水分補給禁止は「マナー」? 中学の校則が物議
 2024/06/17 05:30
  (毎日新聞)
 埼玉県桶川市の中学校で、ある校則が物議を醸している。教室での水分補給に関する「マナー」を定めたものだが、熱中症の危険性が指摘されるなど一部保護者の反発を招いた。専門家も「合理的な説明がつかないのでは」と疑問視する校則とは。
 この学校で今春、「生徒指導の変更点と確認項目まとめ」と題するプリントが生徒に配布された。物議を醸したのはそこに書かれていた校則の一つだった。
 原則、授業中やテスト中は(水筒で水やお茶を)飲まないことをマナーとする――。
 これを見た生徒の保護者(48)は「(熱中症で)生徒が命を落とすかもしれない。体調が悪くても『水を飲みたい』と言い出せない生徒もいるのでは」と訴え、撤回を求めた。学校は応じなかったという。
 この校則はなぜ作られたのか。教頭は取材に「教師が話している時も水筒を手に取るなど、生徒たちに節度がなくなっている実態があった」と経緯を説明。あくまで「原則」のため「どうしても飲みたい時は、挙手をするなどして教師の許可を得れば良い」と話した。桶川市教育委員会も「完全に水分補給を禁じているわけではなく、問題はない」との認識を示す。
 校則問題に詳しい名古屋大の内田良教授(教育社会学)は「かつては授業中の水分補給を禁じる小中学校がほとんどだったが、最近は自由にさせる学校が増えつつある。校則以上に大事なのは生徒の健康。熱中症対策という観点からも、教師の許可が無ければ水やお茶を飲めないことに合理的な説明はつかないのではないか」と指摘した。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 この問題、さすがに生徒の保護者よりも反発が出ているようだ。
 「(熱中症で)生徒が命を落とすかもしれない。体調が悪くても『水を飲みたい』と言い出せない生徒もいるのでは」と訴え、撤回を求めた。
 これに対する学校側の回答は。 
 教頭は取材に「教師が話している時も水筒を手に取るなど、生徒たちに節度がなくなっている実態があった」と経緯を説明。あくまで「原則」のため「どうしても飲みたい時は、挙手をするなどして教師の許可を得れば良い」と話した。

 原左都子の見解だが。

 水分不足による人体に於ける「脱水症状」の危険さを、どれだけ理解した上で、教頭はその発言をしているのか?!?
 腹立たしいばかりだ。 😡 
 
 アンタら教員は 教職員会議等々の際に水分補給するに当たり、「挙手して」その許可を会議長に申し出ているか?!??
 そうじゃないだろ! 机の上に出されている(近年は教員各自がそれぞれ自分で入れて机の上に置いてある)湯呑かコップに入った飲み物を各自が欲するままに、自由に飲んでいるに決っている!
 私が勤務した高校現場での教職員会議でもそうだったから、その実態はよく覚えている。 誰一人として、挙手して会議進行係に「すみません、脱水症状になりそうなのでお茶を飲ませて下さい」などと許可を得なかったものだ。😖 

 それが 一旦相手が生徒となると、何故に突然「挙手して(自分が持参した水筒の)飲み物を飲ませて下さい」と言わせねばならないんだ!?!?

 未だに、これ程までに学校現場とは「権威主義」から脱却できないでいる実態を知り、愕然とさせられるばかりだ。😵 


 冗談抜きで、「脱水症状」とは命に係わる症状だ。

 ここは学校現場は、まずは“人命優先”思考でお願いしたい!!

 保護者の方の御意見 「(熱中症で)生徒が命を落とすかもしれない。体調が悪くても『水を飲みたい』と言い出せない生徒もいるのでは」を、今後 学校側はどうか重く見て。
 
 特にこの真夏の時期だけでも、生徒が持参した水筒内の水分を各自が必要時に積極的に摂取できる体制づくりをして。

 今夏の暑さと児童生徒の脱水症の危険を、無事乗り切って欲しいものだ。



 (参考ですが、本エッセイは室温31℃状況の中 短時間集中で仕上げたため、かなりテンションが上がっています。) 😷 


「男女平等 日本118位 問われる本気度 G7最下位 政治・経済分野で遅れ」と言うが… 

2024年06月16日 | 時事論評
 (冒頭写真は、2024.06.13付一面記事より転載したもの。)


 早速、2024.06.13付朝日新聞より 表題の記事の一部を以下に引用しよう。

 世界経済フォーラム(WFF)は12日、世界の男女格差の状況をまとめた2024年版「ジェンダーギャップ報告書」を発表した。 日本は調査対象となった146か国のうち118位で、前年の125位からは改善したが、主要7か国(G7)では最下位だった。
 報告書は教育・健康・政治・経済の4分野で、男女平等の度合いを分析。 世界全体での達成率は68.5%で前年から改善した。 (中略)
 日本の達成率は66.1%で前年から1,6%上乗せした。 しかし、G7では87位のイタリアを下回る最下位。 06年に報告書が始まって以降、日本の順位は下落傾向にある。
 原因は経済と政治の両分野で特に男女格差の解消が進んでいないことだ。 企業での管理職・役員への女性登用の少なさなどを反映した経済分野の達成率は56.8%だった。 政治分野では、作秋の内閣改造で女性閣僚の起用などで改善したが、衆院議員の女性比率が約10%に留まる。
 韓国は94位、中国は106位で日本を上回った。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 
 原左都子の私事及び私見に入ろう。


 今回の朝日新聞記事内には、原左都子の元々の専門だった「医学分野」への女性の進出に関する話題やデータが一切無いのが残念だが。

 その医学分野で、ある程度長き年月に渡り業務に携わって来た我が感想を述べさせていただくならば。
 私が携わっていた医学の実験研究分野など、昔から女性の活躍度が比較的高かったし、年齢にかかわらず業務に励む女性も少なくなかったと言える。


 そんな環境下で、自身が培ってきた業績や実力を十分に発揮できたと自負している原左都子に言わせてもらうならば。
 
 何故、「政治・経済分野」にそれ程こだわり偏った情報をマスメディアは流さねばならないのか?
 はたまた、その分野で女性の活躍度が低いからと言って、それの改善を急ぎ過ぎることの弊害こそを危険視したくもなる。


 女性の「数」だけ増やせばよい、との問題では無いだろう!!
 
 私が培ってきた「医学」の実験研究分野に於いては、元々女性の志願者が多かったし。 その女性達が日々切磋琢磨して医学現場で確実に実績を上げ続けて来たからこそ、今尚医学分野にての女性数をさほど減少させない現状を貫けていると私は考えている。

 おそらく、政治・経済分野での女性の活躍とは、マスメディアによって世界規模で伝達され易く目立つのであろう。
 だからと言って、それに目を付けた国家がその分野での女性数を増やすとの事実が国家の真の発展にとって正解とは思えない気もする。

 政治・経済分野で女性の「数」を増やす必要が真にあるならば、国家や自治体はその方策を練ることを急げばよいのだろうが。

 付焼刃的に女性の「数」のみ増殖するとの手段では、いつまで経っても政治・経済分野で活躍できる真に能力ある女性の育成は難しいのではなかろうか!?!

 
 そもそも、「飾りじゃないのよ女性は!」と私など言いたいくもなる!!!



 個々の女性達本人が 本気でその道を目指し精進した結果でなく。

 単に「政治・経済分野」にて国際競争力向上のみを焦点に於き、 数値上「女性数」を増やそうとの。
 政府の歪み切った姿勢こそを、叩き直したいものだ!!!😡 
 

後悔や罪悪感を携えながら前向きに生きる道もある。

2024年06月15日 | 人間関係
 本日のエッセイ題材は、2024.06.15付朝日新聞「悩みのるつぼ」より得よう。

 
 早速、中学生時代に友人にいじめをしたと言う 30代女性の相談に対する、今回の回答者・文筆業 清田隆之氏による回答の一部を以下に引用しよう。

 中学時代のいじめ行為を謝罪したい。 しかし、相手が今どういう気持ちなのかはわからない。 すでに過去の出来事になっているかもしれないし、今なお苦しみの最中にいるかもしれない。 謝ったところで「何を今さら」と思われる可能性もあるし、逆効果に終わる可能性もある。 ・・・
 「謝罪論」との本を書いた哲学者の古田徹也さんは、その元となった論考の中で、謝罪を<当該の出来事をいま自分がどういうものとして認識しているのかを表明>した上で、<自分がこれから何をするかを約束する>行為だと説明している。 (中略)
 ただそれを、自分だけで進めるのは難しいかもしれない。 いじめ問題には家庭や学校、政治やメディアなど複雑な背景が絡んでいるし、自分を省みるにしても、他者の体験や専門家の地券知見を通して初めて気づくことが多々ある。 (途中大幅略)
 でも、公開や罪悪感を携えながら前向きに生きる道だってある。 

 (以下略すが、以上朝日新聞「悩みのるつぼ」回答より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 今思い出してみるに、この私も小6時にこちらが級友女子をいじめた経験があれば。 中2時に同じ部活動内で 1 対 集団 の形式で私一人がいじめに遭った経験もある。

 小6時の私がいじめ側だった経験を思い出してみるに。 特段その相手女子が嫌いだった訳では無く、今表現するならば“虫が好かなかった”との理由で、その女子との付き合いを拒絶したものだ。
 クラスの流れとは面白いもので、こんな状況が生じると級友たちが どちらかの見方(あるいは敵)に着こうとの乖離が自然と発生するのだ! 
 今でもよく覚えているのは、いじめ側の私を支持する級友が存在したことだ。 例えばA子ちゃん曰く、「私も絶対〇ちゃん(私の事)の味方だから、今後タックル組んで頑張ろうね!!」
 これで、私も少し目が覚めたというのか。 元々そんな大げさな気持ちではなく、多少虫が好かなかっただけなんだけどなあ… と思ってみたところで、既に遅かった。
 時が小6だったことが幸いして、この事件は卒業と共に我が心からも消え去った。


 あるいは中3時に、部活動(過去に全国優勝実績もある程に活動が厳しく活発なブラスバンド部だったが)内で、私自身が同学年女子集団よりいじめを受ける事も経験した。
 これに関しては、私側が既にその“いじめ”の理由を把握できていた。
 正直に言うと、その女子集団内で私のみが県内主要進学高への進学が叶いそうだったが故だと私は理解していた。 
 卒業まであとさほどの日数も無いし、とにかく“時間が解決してくれる!”と私は信じてその後卒業に至り、その後事なきを得ている。

 あっと、これに関しては後日談があるが。
 1,2年程前の事だが、その“いじめ”集団の一人だった女性(Aさんとしよう)から我が家に電話があった。
 その内容は国勢選挙活動協力だったのだが。 これに関しては、その政党とは「主義や主張が異なる」旨を告げ、きっぱりとお断り😡 した上で!!
 私側からAさんの近況を伺ったところ。 Aさんから返された答えは「私は地元大学卒業後ずっと幼稚園教諭をしています。 実は今尚 それを続行しています。」とのことだった。
 重々納得だ! Aさんとはリーダーシップ力に長けた人材だったと思い起した。 あのパワーの元、今ではおそらく幼稚園長にでも昇格して地元で大活躍の事だろう。



 話題を、冒頭の「悩みのるつぼ」相談に戻そう。

 過去の自身の「いじめ」の事実を無駄に後悔するよりも。
 その罪悪感を活かして、今後世の中で自身が有意義な活躍を成してはどうだろう?
 
 それぞ 過去にいじめた相手への一番の謝罪になりそうに、私は思う!!