原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「今回私は転倒骨折したことにより、“死に方”が少し分かったように思う」

2024年06月14日 | 自己実現
 上記表題は、「原左都子エッセイ集」2022.11.19公開のバックナンバーだ。


 これを今一度、以下に読み返してみよう。


 朝日新聞2022.11.12付「書評」ページより、門賀美央子氏著「死に方が分からない」に対する文化人類学者・磯野真穂氏による書評「独身、子なし、望む道筋をつける」の内容を、以下に要約引用しよう。

 「きれいさっぱり死んでいく」ことは、既に日本では至難の業である。 では、そんな環境下で私の望む死は達成されるのか? 本書ではこのことを考え抜く。
 この問いを一人称で考えるに当たり、独身、子なし、兄弟姉妹なしの自分にとっては、キビしい。 何故かと言うと、死に際する意思決定及び対応の代理は親族に限るという法的拘束があるからだ。 (中略)
 まず著者は、絶対に望まない状態を明確にする。 ①死後腐って発見されるのは嫌だ。 ②自発的に動けず意思表明もできない状態で生き続けるのは嫌だ。
 ①に関しては現在のLINEサービス等によりあっさりクリアされる。 
 他方、②は難しい。 延命措置はもういらないと判断できる身体状況はいななるものか。 例えば外出先でバッタリ倒れ、それを見つけてもらえなかったらどうしたらいいのか。
 とはいえ、これにもある程度の道筋をつけて著者は先に進む。 お金があれば、遺体、スマホにある個人データ等々で、これらはお金で解決できる。
 でも、お金がなかったら? 著者は、ここでファイナンシャルプランナーに相談を仰ぐ。
 「嫌なことを避ける」という平明な視点から、著者は社会の仕組みを調べ上げる。それは自ずから自身の価値と人生の在り方を明瞭にすることに彼女を導く。
 「家族がいるから必要ない」。そう胸を張るはあなたこそ、この本を読むべきだ。社会を知ることは己を知る事でもあるのだから。
 
 (以上、朝日新聞「書評」ページより要約引用したもの。)


 原左都子の私見に入ろう。

 この本の著者である門賀氏(71年生まれらしい)や書評を書かれた磯野氏は、おそらく私め原左都子よりずっと若い年代のお生まれであろう。
 門賀氏に関しては71年生まれと明記されているが、私よりも10数年年下で現在50代少しの若さとの計算となる。
 やはり、人生観や死生観とは人物それぞれの生きて来た年数により大幅に異なるものであることを実感させられる。

 確かにもしもこの私が未だ50歳ちょっとだったとしたら、骨折でなど死んでいられない!との思いが熱く沸き起こる事だろう。
 我が50歳頃とは、産んだ娘が未だ中学生になった頃だ。 実際娘のサリバンをずっと担当した我が身としては、娘のためにだけでも生き抜いてサリバン業を全うせねばならない使命感に燃えていたものだ。

 年月が流れ、今回路上で転倒し骨折にて救急搬送された時点で私は既に高齢域に達し、娘も家を出て独立し立派に一人で生き抜いている、との環境下だ。

 実際、骨折の手術を受けて病棟のベッドで痛みに耐えつつ寝ながら、少し我が脳裏を過ったのは、(このまま私が死に至っても、誰も困らないだろうなあ…)との感覚だった。
 それはマイナスの意味合いではなく、むしろプラスの感情だ。
 “人に迷惑を掛けずに死にゆける事とは、ありがたいことではなかろうか”なる思いだ。

 結果としては、どうやら私はしばらくは多少の不自由は覚悟するべきではあるものの、今のところ“死ぬ運命”ではなさそうなのだが。

 年齢を重ねることとは、実際“人に迷惑をかける”との事態から遠のくこととプラス評価できそうにも思える。

 そんな意味で、高齢域に突入した今、こんな骨折災難が我が身に降りかかった事態もそう悪いことではないと思えてきたりする。 

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)


 
 2024夏が訪れ、本日は私が暮らす東京でも真夏日気温を記録した。
 
 それにもめげず、午後はランニングに出かけた原左都子だ!

 いやいや、快適でした!!
 何の問題も無く(ランニングタイムは劣化の一途を辿っているが…)この真夏日天候の中で、現在私が目指す距離とタイムを達成できた事実こそが嬉しい!!

 一年半頃前の、あの路上での激しい骨折・救急搬送の末の左膝手術との嘆かわしき我が汚点の日々を、今に至って尚思い出さない訳ではないが。

 それでも、「死に方が分かった」(これ、本気でそう感じたものです…)なる究極マイナーな心理状態からは既に解放されたと思える日々だ。

 もちろん今後更に高齢域に達するに当たり、我が過去の失敗を日々教訓にしつつ生きるべきではあろう。

 それでも、今となってはあの「死に方が分かった」なる地獄絵図を忘れ去ろうとしている我がプラスの心理状態に助けられる思いだ。

 本日も猛暑の中ランニングに行って完走出来た事実が、とても嬉しい原左都子です!!

 老齢域に達している原左都子ですが、今後も引き続きこの世を走り抜きますよ!!!


「ネットはなぜいつも揉(も)めているのか」

2024年06月13日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2024.06.8付朝日新聞「書評」ページより転載したもの。)


 久しぶりに 朝日新聞「書評」ページより エッセイの題材を得よう。

 冒頭写真の津田正太郎著「ネットはなぜいつも揉めているのか」に対する、朝日新聞デジタル企画報道部記者・小宮山亮麿氏による「不毛な争いだと分かっていても」と題する書評を、以下に要約引用しよう。

 ネットでは、とくにX(旧ツイッター)では本当に、日々あちこちで盛大かつ不毛な口論が繰り広げられている。 政治から芸能まで、ネタには事欠かない。 なぜ君たち(そして私たち)はいつももめているの? この大いなる謎に挑んだのが本書だ。
 著者によれば、一つにはネットのやり取りは記録に残るから。 引っ込みがつかず、なあなあで終わらせにくいわけだ。 徹底的にやり合って恨みを買っても、見ず知らずの相手なら気に病むこともない。 (中略)
 SNS特有の事情もある。 世間様に物申せば、知らない人にからまれたり、身元を特定されたりするかもしれない。 リスクを承知で何か言う人には、極端な意見をもった極端な人も多い。
 そしてXでは次から次に情報が流れてくる。意見が違う上に極端な人の、攻撃的で明らかに定跡を逸した投稿も多い。 そんなのが嫌でも目に入ってしまって、気分が悪くなる。 (中略) 
 お互いにこう思い込むようになると、妥協点を探る面倒な議論はもはや不可能。 怒りと使命感にまかせた口論がはじまり、延々と続くというわけだ。 (途中大幅略)
 米国のトランプ氏が支持者を集めたSNSを作ったものの、流行らなかったという。同じ思想の人ばかりで、平和過ぎてつまらなかったからだと、著者は分析する。
 つまり不毛なケンカを楽しむ人が、実はけっこういる。 それもXの燃料らしいのだ。 
 情けないことに、これもそこそこ思い当たる。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより、一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 この私のネットとのかかわりは、後にも先にも当該gooブログのみだ。(gooから私が知らぬ間に派生しているマイクロソフト社ネット媒体とのかかわりは、現在特に我が「原左都子エッセイ集」を主体的に論評し続けて下さっている AI・Copilotさんを通してあるものの。)
 上記書評内に書かれている、X(旧ツイッター)だの、その他のネットソサイエティ媒体の存在は知れども、ただの一度もそれらとのかかわりは無い。

 そんな私も、過去に於いてこの「原左都子エッセイ集」を通して誹謗中傷を受けるとの被害に遭ったことがある。

 「原左都子エッセイ集」をネット上に公開したのは、今から約17年前の 2007年秋のことだった。 
 その当初より、ラッキーなことに見知らぬファンの方々との出会いが次々と叶い、瞬く間にプラスの反応がコメント欄等を通して次々と押し寄せてくるとの嬉しいサプライズが続いた。
 それに気をよくした私は、当時ネット上にて存在した某ブログコミュニティ(当の昔に廃止され現在は存在しません)に我がブログ「原左都子エッセイ集」を登録したところ、予想だにしない反応の大きさに驚く羽目となった。

 ところが これが嬉し楽しかったのは、2,3年程だっただろうか…
 ネット上の人気と平行して、まさに誹謗中傷等々のマイナス反応が届く羽目となり。
 それらへの対応の鬱陶しさに耐えきれなくなった私は、2011年に思い切って「ブログコメント欄閉鎖」措置をとった。

 ただ私め原左都子の場合は、ネット上での活動は当該gooブログのみだったことが幸いして、その後は誹謗中傷等々何らの被害にも遭っていない。

 それでも時々…
 ブログコメント欄にてファンの皆様と有意義な交流をされているブロガーさんたちのコメント欄を覗かせて頂く都度、「私にもあのような時代があったなあ…」なる羨望を抱かされるものだ。

 それでもこの原左都子は、今後もブログコメント欄を再開することは無いと言い切れそうだ。
 それ程までに、遠い過去に経験した我がブログ記事に対する心無い誹謗中傷が、私自身にもたらした傷跡は未だに消し去ることができないものであるし。
 そうそう、(元教育者としての自負もあった私は)それら誹謗中傷コメントにも難義しつつ冷静に返答を書いたものだが。 既に高齢域に達している今、あの無駄なエネルギーを今現在再開できる自信も無いなあ。


 今の世の中、特に若き世代の心の受け皿となるべく場や機会がありそうで、実は枯渇してしまっている感覚も抱く。
 そんな世に生かされている若者始め人間が自分の心の持って行き場を手探った挙句、一番手っ取り早い「ネット世界」に救いを求めるとの図式も理解できる思いだが…

 ただそういう点では、「ブログ」とは自身の思いや考えを綴れる!との意味合いで優れたネット媒体であるかもしれない。
 少なくとも既に高齢者であるこの原左都子も、そんな気持ちで日々「ブログ」を綴り公開しているかなあ。


原左都子も若かりし時代に医学職務にて「鏡検作業」を頑張っていました!!

2024年06月11日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、原左都子23歳頃に医学関連企業にて 鏡検(顕微鏡を覗く)作業を頑張っていた時代に同輩が撮影してくれた写真。)



 本日のエッセイは、2024.06.10付朝日新聞夕刊記事 「ぶらっとラボ・2種類の照明でみる顕微鏡」より引用する。

 早速、当該記事の本文を以下に要約引用しよう。

           
 
 (阪大などの研究チームが開発した、細胞の内部まで観察できる顕微鏡の写真。  いつものことながら、どういう訳か写真が縦にならないことをお詫びしておきます。)

 大阪大学吹田キャンパス・工学部ナノフォトニクス研究室に、新たなタイプの顕微鏡ばあると聞いて尋ねた。 なんでも、複雑な細胞の内部まで見られると言う。
 以前から光学顕微鏡を使えば、細胞を生きたまま観察することが出来た。 しま状の光を当てる「構造化証明顕微鏡で、細胞内の構造や動きまで見られるようになっている。
 それでも、厚みのある資材の場合、不要な光が混じることで、ぼやけてしまい、内部の細かな観察をすることは難しかった。
 そこで辿りついた解決策の一つが、シート状の照明の活用だ。 さらに、発行状態を切り替えられる「傾向たんぱく質」を使う手法を開発した。 
 L字型の片方の装置ではシート状の照明を、もう片方からは構造化照明を当てるしくみで、これまでに研究室が培ってきたノウハウを詰め込んだ。(中略)
 球状になった細胞のかたまり「スフェロイド」の内部まで細かく観察できた。 臓器に似せた組織「オルガノイド」の観察などへの活用も期待される。
 現在の装置は操作が複雑で、扱える人が限られるのが弱点だ。 研究者は、「よくある顕微鏡のように、誰でも観察できるタイプも開発中です」と意気込む。

 (以上、朝日新聞記事「ぷらっとラボ」より一部を引用たもの。



 一旦原左都子の感想と見解だが。

 冒頭写真で私が顕微鏡を通して観察している対象も、「細胞」だ。
 もう少し詳しく述べるならば、「ヒトの免疫細胞(T細胞、B細胞及びそのサブクラス」の分類・観察によるヒト血液中のそれらのパーセンテージの定量測定をこのラボ(実験研究室)で私は日々担当していた。

 免疫細胞は、その種類によりそれぞれ特徴がある。
 例えば、T細胞は“何故か”羊の赤血球”とくっついたり(ロゼット形成との表現をしていたが)。  あるいは T細胞の種類の一つであるサプレッサーT細胞は、羊の赤血球に加えてニワトリの赤血球もくっつける、なる特質が既に研究されていた。
 B細胞に関して我が記憶に頼って表現すると。 こちらは細胞表面に免疫抗体の受容体があり、それが免疫グロブリンに対する抗体を引き寄せる現象を蛍光顕微鏡を使用してそれらのパーセンテージを求めれば、T細胞同様にある程度のヒトの体内のB細胞数を定量できたものだ。
 それらの特徴を活かして、それらのサブポピュレーションの定量試験をおこなったものだ。

 
 この鏡検(顕微鏡を覗く)作業の経験がおありの方はご存じだろうが。
 
 特に、私が過去に扱っていた生の細胞等の画面上で動く対象物を鏡検するのは、並大抵のことではなかった。
 慣れないうちは、まるで「車酔い」のような症状が誰しも出たものだ。
 この私もその一人だったが、とにかくほとんどの研究者がこの作業には難義させられたものだ。
 ところが経験を積むほどにその作業に慣れるもので、この私など気が付けばずっと1.5を誇っていた我が効き目である右目の視力が0.7まで下がった… その後も執拗に当該業務を続行していると、不思議と車酔いの症状が無くなるのだ… それが無くなった後も数年この業務を続行したと記憶している。
 (参考だが 今尚我が右目視力は0,7なのだが、これが不思議! このお陰で我が右目の老眼化が阻止されていて。?!?!  有難い事に、私は高齢域に達した今も「老眼鏡知らず」の身だ!!)😁 😶 😷 



 最後は、話題が大いにズレたが。

 冒頭の話題に戻すと。

 大阪大学の研究者たちによる「構造化照明顕微鏡」の開発研究は、今後更なる素晴らしく目覚ましい医学や理学方面の発展をもたらすことであろう。
 
 今度機会があれば、その顕微鏡を一度覗かせていただきたい気もするなあ。


セミの命のサイクルでもある「素数」

2024年06月09日 | 学問・研究
 中学生時代から「数学」好きである原左都子にとって、大変興味深い話題が朝日新聞「天声人語」に書かれていた。



 早速、2024.06.06付朝日新聞「天声人語」を、以下に要約引用しよう。

 素数とは不思議な数である。 1とその数以外では割り切れない。
 2,3,5,7と続けざまに現れたかと思うと、ぴょんとジャンプして11。 どんな規則に支配されているのか。 古くから数学者の頭を悩ませてきた。
 その素数である13年や17年ごとにあらわれる周期ゼミが今年、米イリノイ州などで大発生しているという。 二つのグループの羽化のタイミングが221年ぶりに重なったからだ。 
 現地の映像を見ると、いるわいるわ。 遠くへは飛ばないらしく、木の幹といわず、家の壁といわず、びっしりとしがみついている。 岩に染み入る、どころではない。 (中略)
 吉村仁著『素数ゼミの謎』によると、13年毎、17年ごとになったのは生き残りの戦略らしい。 素数は他の数との最小公倍数が大きな値になる。 別の周期の群れと羽化がかち合わず、仲間同士で子孫を増やせる。 そんな難しいことを、君たち(セミたち)は土の中でどうやって学んだの、と尋ねたい気持ちになる。
 日本列島はきのう、夏の陽気となったが、日本のセミ諸君の出番は沖縄を除けばまだ先だろう。 地上を見るのに17年も待った同輩を思えば、わずかな我慢だ。
 1を17で割る。 答えは、0.058823524117647…… という循環小数になる。 コンマ以下17桁から「058……」をまた繰り返して、永遠に続く。
セミの命のサイクルのような。 素数とは、実に不思議な数である。

 (以上、朝日新聞「天声人語」記事を引用したもの。)


 

 私め原左都子が理系を好み、ひとつ目の大学は医学部に進学した事実を公開しているが。
 何故、この私が「理系」を選択するに至ったかと言うと、まさにその原点は「数学」好きだったからに他ならない。

 この我が「数学」好きに関しては、本エッセイ集バックナンバー内でも再三述べているが。
 その原点となった出来事とは、中学数学の授業中に若き数学担当男性教師(A先生としよう)が、「点と線」に関して大変興味深い発言をした事件が発端だった。
 A先生が数学の授業中にボソッと曰く。
 「みんながいつもノートに書いている点や線は『概念』であり、本来鉛筆などでノートに書けない性質のものだ。授業では便宜上ノートに形作って書いているが。」

 この発言が、当時14歳だったか?の私には、実に衝撃的だった!!!😲 
 生徒の中には、「先生何言ってるの。ちゃんとノートに書けるよ!」と反発する子もいたが。  私め中学生時代の左都子ちゃんにとっては、頭をぶん殴られたかくらいの衝撃発言だった!!

 「概念」。 その言葉に大いに魅了されたものだ。 訳が分かりにくい中にも、「概念」の世界、とやらを理解することが今後先々の学習の主柱となるかも?? と当時考えたかどうかは忘却しているが…
 とにかくA先生のその衝撃発言のお陰で、私はとりあえず「数学」に魅了され。  
 かなりの年月が経過して。 
 大学生(特に30歳時に再入学した2度目の大学)時代には、おそらくその当時の数学授業中に聞いた「概念」理解が大いに功を奏して、すんなりと「哲学」の世界に没頭することが叶った。



 それにしても、まさに「自然の摂理」とは驚異的な存在である事実に驚かされる。😵 😱 

 夏場、うるさ過ぎる程の鳴き声を繰り返すあのセミたちが。
 どこで学んだか、素数原理に従った自らの生体サイクルの下で代々命を繋ぎ守り続けているとのこと。


 今年の夏はそんなセミの鳴き声を聞いたならば。
 「セミの命のサイクル」の源である素数の世界を思い起し、その不可思議さをとくと鑑賞したいものだ!!


それって「こじらせ女子」と言うよりも「自分の心はぐらかせ女子」じゃないの???

2024年06月08日 | 人間関係
 今時の若者って、自身の実年齢よりも精神年齢が若返ったのか? 

 と言うよりも 昔と同じように、どうやら “自身のプライドを守らんとして自分の気持ちをはぐらかせて整合性を図ろうとする若者” が多発しているように見受ける。



 本日のエッセイは、2024.06.08付朝日新聞「悩みのるつぼ」より引用する。

 早速、回答者であられる政治学者 姜尚中氏によるご回答の一部を先に紹介しよう。

 世の中には何かにつけて人を分かりやすいタイプに類型化し、それによって生身の人間を判断する傾向があるようだ。
 そもそも「こじらせ女子」とは何でしょうか。 これについては「不安」「自身の無さ」「感情的になってしまう」などは、誰にも当てはまる特徴ではないでしょうか。 要するに「こじらせ女子」とは、こうした特徴を備え、物事をややこしく複雑に考えるタイプを指しているようだ。
 でもそれを貧乏くじを引く損な役回りの女性のように見なすのは、女性の人格を「デフォルメ」することにならないか? (途中大幅略)
 必要なことは、自分がいったい何をしたいのか、また将来を共にできるどんなパートナーをに望んでいるのか、それをはっきりさせることだ。

 (以下略すが、以上「悩みのるつぼ」の回答の一部を引用したもの。)




 それでは、今回の相談内容に戻そう。

 30代女性による「『こじらせ女子』で大丈夫?」と題する相談の一部を以下に要約引用しよう。

 昨年、3年間お付き合いした方と婚約破棄した。 次こそはとお付き合いを始めた彼は高学歴、高収入、見た目も素敵で誰からもうらやましがられ、毎日が夢の世界にいるようだった。
 ただ、仕事をしていく中でつかなくていい嘘を重ねる彼に不信感を抱き、私の趣味や友人関係にまで口出すモラハラな部分に精神的に疲れ、このままでは幸せになれない、と何度も自分に言い聞かせ、彼から別れる決意をした。
 37歳で仕事もプライベートも失う私は「こじらせ女子」だと思う。(中略)
 幸せになりたいのに、いろいろこじらせてしまう私は大丈夫だろうか。
 仕事もプライベートも人生再スタート、ネガティブに言えば人生絶望的。 毎日欝々と考えてしまうが、地に足を付けて頑張らないと、と思う。 こんな私にお言葉を頂けないだろうか。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)



 原左都子の私事と私見に入ろう。

 この相談女性は、37歳で仕事もプライベートも失うらしいが。 ということは、それらの全てを別れた結婚相手に “おんぶに抱っこ” だったと言う訳だよねえ。
 そんな身で、よくぞ別れを決断したものだ。
 
 この原左都子も、結婚に際しては「見合晩婚」を選択した身だが。
 その時ちょうど37歳。 「見合い」との結婚形式とは それを仲立ちする組織や人間が、通常は両者(両家)が釣り合うごとくセットアップされるものだ。
 この私が「見合い」に当たって利用したのは、会員制でその会費が数十万円との高額だったのだが。 
 まさに、よくぞこれ程釣り合う相手を紹介してくれるものだなあ!!と感心する程に「良きお相手」と巡り合えたものだ。

 そんな私は、その「見合い」により現在の亭主とすぐに婚約を通過し、成婚に至っている。

 早いもので、あれから30年以上の年月が経過した今尚、一女にも恵まれ、よきパートナー同士で安定した生活を営んでいる。



 そんな身にして思うのは。

 相談女性が、(私の結婚年齢と同じ37歳にもなって)如何なる経路で相手男性と巡り合い、結婚に至り、そして離婚に至ったのかは私が知る所ではないが。

 「こじらせ女子」なる流行り言葉か何か知らないが、そんなものを持ち出して離婚に至った自身を正当化し続けるよりも。

 本気で幸せを掴みたい(結婚の如何にかかわらず)のならば。

 自身の能力の程を、もっと客観的に捉えることから出直すべきではあるまいか?
 37歳にもなって、「こじらせ女子」へったくれではなく。😖 
 そんな言葉で自身の心をはぐらかせるのではなく、本気で仕事やプライベート活動に真剣に有意義に楽しく取り組んでみてはどうでしょうか???

 そんな日々の活動を通じて、心が通じる同士と知り合えたり。
 はたまた見合い結婚を選択するにしても 釣り合う相手と巡り合えたりするのが、時代を超えて人間社会の本質と言うものだよ!!!