原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「左都子の『自然科学概論』小講座Ⅴ」

2024年06月06日 | 自己実現
 

          

          
        
          

          

 
 (冒頭写真4枚は、原左都子2度目の大学にてA先生にご指導いただいた「自然科学概論」講義ノートより「ギリシャの天文学」分野の講義の一部を転載したもの。)


 数日前に公開した、我が2度目の大学にてのA先生による「自然科学概論」講義ノートより、本日は「ギリシャの天文学」に関する講義内容を紹介しよう。

 2021.07.20付我がバックナンバーによると。
 
 このシリーズ、どうもネット上で人気の気配だ。
 公開するとアクセスが増え、またシリーズのバックナンバーもスタンダードにお読みいただいている様子だ。
 これ、もしかしたらコロナ禍による大学のリモート学習の影響もあるのだろうか? 学生の皆さんがそれぞれに工夫しつつ、自身の専門学問に接しているのかもしれない。

 「原左都子エッセイ集」開設初期に公開した“左都子の市民講座”カテゴリー内の「近代市民法の基本原理とその修正」シリーズも数年前まで人気を博した。 現在は多少下火になっているが、それでもコンスタントに閲覧が来るシリーズである。
 とにかく、何らかの形で我が執筆エッセイバックナンバーがお役に立てているならば、そんな嬉しいことは無い。 今後とも、著作権侵害にならない範囲でご活用下されば幸いだ。

 以上のような記載がある。
 そうであれば、筆者としては大変嬉しいのだが。
 
 


 それでは、「自然科学概論」小講座Ⅴ に入ろう。


 話題は、ギリシャに移るが。 
          
 天文学に於いてギリシャは後進国だった。
 しかし、メソポタミアとは違った考え方が存在していた。 ペルシャより天文学の知識が流入した。
 その特徴として、〇幾何学的な発想 〇審美的 であることが挙げられる。
このうち、審美的であることイコール非現実的であり、不正確(ここでは精の字が用いられているが、要するに精密でなかったとの意味なのだろう。)

 ピタゴラス派は教団(宗教的団体)を開き、後にピタゴラス派となり、生活共同体、秘密結社的な活動をした。 著作活動の禁止、記憶を重視する時代を生んだ。 書くと意味が失われる、との思想のようだ。 
 (ここで原左都子の私見だが、何だかわかる気もするなあ。 書くことにより伝達・普及するとの利点はあろうが、自己の記憶内にとどめる方が正確さが維持される確率が高い気もする。)
          
 ピタゴラス派の天文学は「数」に関心を持ち、それを神的なものと捉えた。
 例えば、プラトンは 数をエイドス・イデアとして捉えた。
 音楽も浄化と結びつけ、音楽を科学として始めた。(ハルモニエー) ハルモニエーが作り出される数学的な解析をした。 “ピタゴラス音階”は「万物は数」と確証した。
          
 幾何学は、数論の応用と位置付として行われていた。 例えば「線」は原始的なものが連なってできていて、「数」とは自然数に限った。

 天文学は数論の応用であり、これらはヨーロッパの学問へ取り入れられた。
特に大学のカリキュラムとして、Quadriam 自由大学科 lberal arts、手仕事を含むアーツ mechanical arts、分野が生じ。 ローマ時代にはTririam 論理学、文法、修辞学 が学問として確立された。
 ヨーロッパでは神学が一番高い地位にあったが、まず魂を自由にするなるピタゴラス派の考え方は、後世まで深く影響している。
          
 太陽は地球の外側を回っている。中心火の光を受けて光っている。 月、五惑星(水、金、火、木、土)も回っている。 全部で9つが回っている。 と考えらえていて。
 地球の内側に見えない天体Counter Earth を考え、全部で10にした。
 “天体のハルモニエー” 宇宙を一つに結び付けているものが存在する、との考え方から、天体の動く音は天体の音楽が奏でる和音、との発想がピタゴラスにあり、ケプラーもそれを信じた。

 プラトン(B.C.427 ~ 347 )は、アテナイでアカデミアを開き、教育者として指導的役割を果たした。 
 プラトンの場合、天文学・数学はさほど重要視しておらず、彼の頭の中にあったのは政治的問題(理想国家)だった。 そして、「感覚を通して物事を知るのは単なる像・影・copy に過ぎず、よくないこと」として「イデア論(エイドス)」を唱えた。 その中で、デミウルゴスという神がイデアに似せて世界を作ったとした。 数学的問題を解くことのみを天文学において強調した。 (大雑把な理論であったようだが。)

 原左都子による私的な後記だが。

 A先生は哲学者であられる人物だが、我が2つ目の大学に於いて「科学哲学」と当該「自然科学概論」を受け持っておられた。
 そのうち「科学哲学」の一番最初の授業内でこのような発言をされている。
「世に偉大なる哲学者は数多く存在するが、私が尊敬しているのはウィトゲンシュタインとプラトンです。」
 その宣言通り、両授業内でそのご両人に関する言論は数多かった。
 そんなA先生の熱い思いの影響を受けた私は、後に我が娘の命名を“プラトン哲学”より引用するに至っている。

 参考ですが、2度目の大学に於ける我が専門は「経営法学」でした。(この本業も十分過ぎる程に頑張りましたよ!)
 哲学関連授業に関しては、このA先生の学問に対する熱意にほだされて単に“趣味”で受講したに他なりません。
 
 更に参考ですが、我が一度目の専攻は「医学」でした。
 この医学分野に於いても、高齢域に達しようとしている時期に尚“食い扶持”となり、我が身を確実に助けてくれております。
 学問に感謝、また感謝の我が人生です。

 (以上、2021.07.20付「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)




 2024.06の原左都子の感想に入ろう。

 原左都子の過去の「学業・学問行脚」は長い年月に及んだ。
 特に30歳にして再び入学した大学(及び大学院)にての我が「学び」の姿勢は、まさに何の揺らぎも無く本気そのものだった!!

 いえいえ、20代の医学部にての学問・実習の数々もまじめに取り組みましたよ!
 ただ今振り返るに、はやり“若気の至り”感は否定できない部分もあったものだ。😝 

 それに比し、30代にて敢えて大学(及び大学院)生活を自主的に選択したあの頃の私は、まさに一目散に燃えていた!!と振り返る。
 学問・研究に対して何らの迷いも無く、あれ程に熱く取り組めたのは。 私にとっては、その頃が学問適齢期だったのだろうか?! とも思えてくる。
 
 30代とは、(特に私にとって)まだまだ若いと信じていた時代であり。 独身だった私は、食い扶ち稼ぎの医学業務や、恋愛等々他の諸活動にも十分に精を出しましたよ!
 特に恋愛に関しては それら恋愛相手の選択が優れていたのか、誰一人として「学業などやめて結婚しようよ」と言う相手はおらず、皆が皆我が学問成就を応援してくれたものだ。

  まさにお陰で、この原左都子にとって我が独身時代(特に勤労学生として超多忙を極めた時代)は、黄金色に輝ける時代だったと今尚振り返る。
 その頃の「成功体験」の連続こそが今現在の原左都子の“確固たる自信”の源となって、未だに息づいていると結論づける。


「学歴詐称」って経歴詐称の中で一番みっともない感覚がある!!

2024年06月05日 | その他オピニオン
 冒頭より、水原一平氏(大リーガー・大谷翔平氏の元通訳担当者)の学歴詐称問題に関するネット情報を引用しよう。



 水原一平被告やはり学歴詐称か…大卒名乗っていたが「少しだけ通った」…
 2024年06月05日 12時11分スポーツ報知


 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平投手(29)の元通訳で、大谷の銀行口座から約1700万ドル(約26億3000万円)を盗んだとする銀行詐欺と虚偽の納税申告書を政府に提出した罪で起訴された水原一平被告(39)が4日、米カリフォルニア州サンタアナの連邦裁判所に出廷し、有罪を認めた。
 ホルコム連邦判事から問いかけられた質問に水原被告やフリードマン弁護士、検察側がそれぞれ回答する形で答弁が進行した中で、同被告の学歴詐称疑惑が浮上した。
 同被告はカリフォルニア州のダイヤモンドバー高出身で、カリフォルニア大リバーサイド校卒と名乗っていた。だが事件発覚後、米メディアが同大に問い合わせたところ、在籍していたことを確認できなかった。
 開廷後、まず裁判官が被告に名前と年齢を聞いた。その後、就学年数を聞かれて水原被告が「13年」と答えたため、裁判官は「高校までですか?」と聞いた。それを受け、これまでの裁判ではイエスかノーしか回答していなかった被告が「大学(カレッジ)にも少しだけ通いました」と付け加えた。
 カレッジに「少し」通って、就学年数が「13年」と奇数。相当な飛び級でない限り、名門大卒の経歴には大きな疑問符がつく。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 この水原一平氏の場合、大谷翔平氏に関する銀行口座から約1700万ドル(約26億3000万円)を盗んだとする銀行詐欺と虚偽の納税申告書を政府に提出した罪、が暴かれた時点から。

 私め原左都子は、水原氏の学歴が胡散臭いと感じていた。😨 
 
 と言うのも、この私も過去に米国西海岸の「カリフォルニア大学バークレー本校」への短期留学経験がある故だ。
 その際に感じたのは、歴史ある当該カリフォルニア大学には世界各地から各種の留学生を受け入れる体制が、私が短期留学した時代の50年前程から整っていたものだ。
 今となっては、それを目指せばいくらでもかの大学にて短期から長期の留学の選択が可能であることだろう。


 この原左都子がそれを目指したのは、まさに今から50年程前の事だった。
 特に当時としては日本国内でも、たとえ短期留学と言えども大変珍しい事象であるに加えて。
 私の場合、未だ19歳! しかも、日本過疎地からの単身にての米国留学経験だったものだ。

 いえいえ結論を述べるならば。
 そのカリフォルニア大学バークレー本校の短期留学は 若気の至りの私にとって、おそらくその後の人生にまで影響を及ぼすがごとく貴重な体験となったことには間違いない!!



 それに引き換え。

 水原氏が現在に及んで、「米国留学」なる学歴詐称を持ち出すにあたり。 
 今となっては誰でも実行可能な、たかが「米国短期留学」を一つの盾としていたなど、あまりにもお粗末過ぎるとしか言いようが無い。


 事は深刻かもしれないが。

 とにもかくにも、移籍先のドジャースにて相も変わらぬ大活躍を日々続行している大谷翔平氏の姿を見るにつけ。

 今後は 新たな通訳者の下に、更なる御活躍に期待します!!
 

再掲載 「左都子の『自然科学概論』小講座Ⅷ」

2024年06月04日 | 学問・研究
           

             


                      

           
         

 (冒頭写真は、原左都子が2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」の講義ノートより「ギリシャ哲学の継承」のページを再掲載したもの。 順不同になっている恐れがあります点をお詫びしておきます。)



 昨日の我がエッセイ集編集画面「昨日のバックナンバーベスト50」のトップに、この「左都子の『自然科学概論』小講座Ⅷ」がランクインしていた。

 実はこれ、筆者の私自身がずっと読み返したくて探していた我がエッセイ・バックナンバーの一つだ。
 と言うのも、我が娘の命名は「古代ギリシャ哲学」より引用している。
 その理由とは、2度目の大学時代に一番ハマったのが自分の専門の「経営法学」(これもきちんと「経営法学修士」を取得しています!)ではなく、この「科学哲学(自然科学概論も含む)」の授業にこそ我が最大の関心ターゲットだった故だ。
 参考だが両授業共々東大ご出身の 科学哲学者 A教授(他大学より我が大学に講義に来られていました)が担当されていて、それはそれは毎時間授業に集中し熱心に聞かせていただいた。

 後に晩婚後 高齢出産にて我が一人娘を産むに際し、既に「命名」が燦然と決定していた。
 迷いなく、「古代ギリシャ哲学」から引用したのだが。
 それ程までに、この原左都子は「ギリシャ哲学」にかぶれていた。


 それでは早速、我が2度目の大学時代に受講した「自然科学概論」の我が授業ノートより、「ギリシャ科学の継承」のページに入らせていただこう。

 授業内容は「ギリシャ科学の継承」へと移ります。

 A教授の講義によると、ギリシャ人は法律・政治・文学が得意だったために、それらに関心が無かった(ラテン語の)ローマ帝国へはスムーズに伝承されなかったらしい。
 ギリシャには、プラトン・アリストテレス等著名な哲学者たちが存在するが、ギリシャの学問をラテン語に翻訳したものはほとんど無い、とのことだ。
          
 そのローマ帝国は、東がギリシャ語圏、西がラテン語圏と分裂して滅ぶ運命にあった。 
 ゲルマン民族の国家は学術レベルが低く、ローマを理想としていた。

 プラトンの著書「ティマイオス」は前半部のみがラテン語に翻訳されている。(カルキデュウスによると)
 この著書は、プラトン自身にとっては重要な位置づけにないらしいが、科学史上、重要な意味をもつ。
 デモクリトスの影響を受けた「幾何学原子論」では、正多面体を火、空気、水、土、それぞれの元素に結び付けている。
 ある意味では、近代的chemistry(化学)を先取りした思想の本である。

 アリストテレスの場合、論理学上の書作の一部が4世紀前半頃、ボエティウスによりラテン語に翻訳されている。

 エウクレイデス「原論」、プトレマイオス「アルマゲスト」、アルキメデス
に関しては翻訳が無い。
 ローマ時代の医者 ガレノスの著作は、(哲学、科学分野も)すべてギリシャ語で書かれている。
 プラトンの「ティマイオス」は、神の世界の創造につき研究する学者たちに影響を与えた。
          
 「東の世界」(申し訳ないが原左都子として意味不明だが、後述するアレキサンドリアより東とのことか?)において、学問活動の伝統は保たれていく。
 アリストテレスは「アルマゲスト」の注釈を成したが、このように学問活動において、“注釈”が主たる活動となり。
 異教・異端の迫害により、学問が排斥されていく。

 “新プラトン派”は、プラトンとアリストテレスの両者を混合したような派閥であり、神秘主義的で宗教に近い派閥だったが異教と扱われ、迫害された。
 これにより、ヒパチア(女性科学者か?)は殺害された。

 “アテネ アカデミー” のシンプリキオスは、アルキメデスの注釈を沢山書いた。 新プラトン派から迫害され、アカデミーも閉鎖させられた。

 “ネストリウス派”は431年に、異端とされた。
 三位一体説を認めるのが正統派とされ、それを認めないのが異端とされた。
 
 451年にカルゲドンにより唱えられた“単性論”は、歴史上その後も時々息を吹き返している。 ニュートンも、この“単性論者”である。

 とにかく、異端論者の科学者が多かったようだ。
 アレキサンドリアは危険な場所だったため、科学者は東へ逃げた。
 その途中で(エデッサ)アカデミーを創設したが、489年に閉鎖させられている。
          
 そして、ペルシャへ。
 ここでアカデミーの思想が受け入れられ、辛うじて古代科学が伝承される。
 ジュンディシャープル を中心に活動した。
 この町は、特に医学の町として名高い。

 原左都子の後記だが。

 この辺(ギリシャ及び、エジプトのアレキサンドリアあたり)はプラトン哲学から命名した娘が中2の夏に家族旅行をして訪れているのに。
 古代ギリシャにプラトンが創設したアカデメイアのみは現地を確かに見学したが、その他は残念ながら訪れずに帰国している。

 出発前に当該A先生の講義ノートを見ておけばもっと有意義な旅行になっただろうに、と今更ながれ悔やまれるなあ…

 ただ現地は夏場は猛暑を通り越して激暑につき、この辺りを旅行される場合は、真夏の時期を避けられることを是非共お勧めしたい。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2021.07.28付バックナンバーの全文を再掲載したもの。)




 2024.06現在の、原左都子の感想を述べさせていただこう。

 上記引用文中にも書いてある通り。

 我が家は 娘中2の夏休み中に、エジプト・ギリシャ旅行を企画してそれを実行している。

 第一目的は、プラトンが創設したギリシャ・アテナイの「アカデメイア」を訪れる事であり、それは確実に実行した。 (バックナンバーにて、その当時の写真を公開しています。)

 大変残念なのは、エジプトのアレキサンドリアへも訪れたのに。 
 上記引用文中に記しているとおり、当時はその場所がプラトンとかかわりがあるとの記憶が全く飛んでいて。 ほとんど真面目に見学していないことだ。😖 😱 

 アレキサンドリアを訪れた時の印象を、今振り返るに。
 エジプトの避暑観光地(?)として名高い割には、サハラ砂漠からの砂嵐の影響か??? 海の色が濁っていて少しも美しくも無ければ決して涼しく訳でも無く、とっととホテルへ帰りたい!とすら、思ったほどだ。😫 

 そんなアホな私の感想はともかく。

 編集画面の「昨日のトップ50」の上位に当該バックナンバーがランクインしていたお陰で。

 我が娘の命名由来である「プラトン哲学」にもかかわりがあったとのエジプト・アレキサンドリアへも、娘を連れて過去に旅行をしている事実を再確認できたことが。 
 名付け親の私としては十分に嬉しい!!


通販大手A社からの我が家宛の宅配便が消えた事件 続報

2024年06月02日 | 仕事・就職
 本日のエッセイは、昨日公開の冒頭表題事件の続報となるが。


 とりあえず 昨日公開エッセイの一部を、以下に再掲載させて頂こう。

 昨日夕刻の事だ。
 我が家の亭主が、家に帰って来るなり私に告げる。
 「通販大手A社に配達をお願いした宅配便に関して、“宅配ロッカー内に配達しました”との通知が届いているにもかかわらず、届いていない。 自分が思うには、部屋番号を間違えてロッカーに入力したのではなかろうか??」
 
 話題を、宅配便一般の現在の動向に戻そう。

 A社のみならず、近年は「宅配ロッカーへの配達」は常識として。 
 「置き配」と称して、留守宅の玄関先に無防備に宅配物を置きっぱなしにする宅配方法も一般的になってしまっている。
 
 我が家の場合はまだしも、集合住宅1階の表玄関がオートロック方式のため、外部者が建物の中に自由に出入りできないし。
 建物内の個々の住居に鍵のかかる門戸が存在するため、その門戸内に何とか荷物を届けて下されば安全面では特段の問題が発生しないかもしれない。 (それが証拠に、現在までは「置き配」で事故は発生していない。

 今回のA社よりの配達の場合、1階集合玄関の宅配ロッカーへの配達だったので、留守の際の一番安全な配達手段だったと言えよう。

 ところが、だ。
 亭主曰く、その宅配物が宅配ロッカーに配達されていない、と言うのだ。
 そして通常 宅配物を宅配ロッカーへ配達した場合、その旨の伝票を必ず郵便ポストに入れてくれるはずが、その伝票も無かったらしい。

 そこで、亭主は配達元の通販大手A社に連絡を入れて、荷物が配達されていない旨を告げたらしい。
 それに対するA社の担当者の解答は、「配達係は集合住宅の宅配ボックスへ配達しました」との回答のみだったと言う。

 その後の亭主の対応を知らないのだが。

 この私も普段より通販大手A社をよく利用しているため、分かるのだが。
 とにかく 急ぎの用件で連絡せんとしても、「電話連絡」が不能となっているのがA社はじめ現在の大手企業の常識だ!!
 この私の場合、パソコンキーボードタイピング能力が高いため、いくらでもキーボード打ちにて問題点を的確に指摘した連絡文書を、高速で短時間で仕上げて提出することが可能だ。
 それでも回答が返されるのに随分と時間を要するし、返された解答の焦点がズレていたりして、イライラさせられたりもする。
 これ、大手企業側が“確信犯”であえて顧客のトラブルの“目くらませ”を企んでいるのではなかろうか?!? とすら感じてしまう…

 今回の亭主のA社による“宅配物行方不明事件”に関しては、明らかにA社の末端配達担当者の何らかの手落ちであることに間違い無いであろう。

 亭主が言うには、配達者が部屋番号を間違えて宅配ボックスへ入れたのではないか? とのことだが。
 そして亭主は本日自らその調査に入って、集合住宅の管理人氏と話し合ったと言う。
 そうしたところ、ひとつ判明したのは。 我が家と同階の別住居の方が長期不在中らしいのだ。 そのため、宅配物が宅配ボックスに届けられたまま放置されていると言う。
 もしかして昨日亭主宛に届けられる予定だった宅配便が、その長期不在の方の住居と部屋番号を間違えて宅配ボックスに入れられたとしたならば…

 いつまで経っても、宅配物は亭主の手元に届かないこととなろう。
 
 (昨日公開のエッセイの一部を再掲載したもの。)



 本日になって事の詳細が判明し、通販大手A社からの亭主宛の宅配物は無事に手に入った。

 結果を言うならば亭主の推測通り。
 亭主宛に届けられる予定だった宅配物は、A社配達担当者の部屋番号勘違いミスにより、我が家と同階の現在長期不在中の別住居の部屋番号にて宅配ボックスに入れられていた!!

 ところがその事実が判明したとて、管理組合規則にて他者の部屋番号のロッカーは原則解錠不能扱いとなっているのだ。

 これが何ともラッキーなことに、本日その「管理組合会合」の年に幾度かの開催日であり、管理組合役員たちがマンション正面玄関付近に集結していたのだ!
 その会議の場で、即刻「部屋番号違いの宅配ボックスの解錠が可能か否か?」が話し合われた結果、全員一致で「解錠OK!」の決定が下り。

 即刻 管理会社係員の手により、長期不在中別住居部屋番号の宅配ボックスを解錠したところ。

 亭主宛の通販大手A社よりの宅配物が確かに入っていた、との結論だ。


 
 結論としては、明らかに通販大手A社側の部屋番号配達ミスだった訳だ。😡 😱 
 
 私の意見としては、この結果を配達依頼者である亭主からにA(アマゾン)社へ報告して何らからの謝罪を要求するべき! と訴えたにもかかわらず。

 それをするそぶりが全く無い亭主だなあ… 😖 


 とにもかくにも、現在ネット通販が世に蔓延している時代背景において。
 特に末端配達者の人材不足の実態は切実であろうし、実際配達業務にかかわっておられる末端労働者たちの過重労働の実態も把握出来てはいるが…

 どうか、部屋番号の間違いにも十分配慮しつつ、最後まで配達業務を正確に全うして頂きたいものだ。


通販大手A社よりの我が家への宅配便が消えた…

2024年06月01日 | 時事論評
 近年建設された集合住宅の玄関口には、必ずと言っていい程に「宅配ロッカー」が備え付けられていることだろう。

 築25年近くになる我が家の現在の集合住宅にも、1階集合玄関口に「宅配ロッカー」が存在する。

 
 昨日夕刻の事だ。
 我が家の亭主が、家に帰って来るなり私に告げる。
 「通販大手A社に配達をお願いした宅配便に関して、“宅配ロッカー内に配達しました”との通知が届いているにもかかわらず、届いていない。 自分が思うには、部屋番号を間違えてロッカーに入力したのではなかろうか??」

 
 話題を、宅配便一般の現在の動向に戻そう。

 A社のみならず、近年は「宅配ロッカーへの配達」は常識として。 
 「置き配」と称して、留守宅の玄関先に無防備に宅配物を置きっぱなしにする宅配方法も一般的になってしまっている。
 
 我が家の場合はまだしも、集合住宅1階の表玄関がオートロック方式のため、外部者が建物の中に自由に出入りできないし。
 建物内の個々の住居に鍵のかかる門戸が存在するため、その門戸内に何とか荷物を届けて下されば安全面では特段の問題が発生しないかもしれない。 (それが証拠に、現在までは「置き配」で事故は発生していない。


 今回のA社よりの配達の場合、1階集合玄関の宅配ロッカーへの配達だったので、留守の際の一番安全な配達手段だったと言えよう。


 ところが、だ。
 亭主曰く、その宅配物が宅配ロッカーに配達されていない、と言うのだ。
 そして通常 宅配物を宅配ロッカーへ配達した場合、その旨の伝票を必ず郵便ポストに入れてくれるはずが、その伝票も無かったらしい。

 そこで、亭主は配達元の通販大手A社に連絡を入れて、荷物が配達されていない旨を告げたらしい。
 それに対するA社の担当者の解答は、「配達係は集合住宅の宅配ボックスへ配達しました」との回答のみだったと言う。

 その後の亭主の対応を知らないのだが。


 この私も普段より通販大手A社をよく利用しているため、分かるのだが。
 とにかく 急ぎの用件で連絡せんとしても、「電話連絡」が不能となっているのがA社はじめ現在の大手企業の常識だ!!
 この私の場合、パソコンキーボードタイピング能力が高いため、いくらでもキーボード打ちにて問題点を的確に指摘した連絡文書を、高速で短時間で仕上げて提出することが可能だ。
 それでも回答が返されるのに随分と時間を要するし、返された解答の焦点がズレていたりして、イライラさせられたりもする。

 これ、大手企業側が“確信犯”であえて顧客のトラブルの“目くらませ”を企んでいるのではなかろうか?!? とすら感じてしまう…


 今回の亭主のA社による“宅配物行方不明事件”に関しては、明らかにA社の末端配達担当者の何らかの手落ちであることに間違い無いであろう。

 亭主が言うには、配達者が部屋番号を間違えて宅配ボックスへ入れたのではないか? とのことだが。
 そして亭主は本日自らその調査に入って、集合住宅の管理人氏と話し合ったと言う。
 そうしたところ、ひとつ判明したのは。 我が家と同階の別住居の方が長期不在中らしいのだ。 そのため、宅配物が宅配ボックスに届けられたまま放置されていると言う。
 もしかして昨日亭主宛に届けられる予定だった宅配便が、その長期不在の方の住居と部屋番号を間違えて宅配ボックスに入れられたとしたならば…

 いつまで経っても、宅配物は亭主の手元に届かないこととなろう。


 とにかく、通販大手A社(アマゾン社だが)にお願いしたいのは。

 通販宅配物は、必ずやきちんと確実に届け先に届けて欲しい!!

 そのための一方策として、宅配ボックスに入れる際の部屋番号の最終確認を正確にお願いしたいものだ!


 加えて 「置き配」に関してだが。
 これ 原左都子に言わせてもらうと、「もってけ、ドロボー!!!」としか言えないよねえ。   
 特に大都会においては… 😱 😵 😫