◎横書きで表記されるようになった日本文
昨日の続きである。早稲田大学講演部編『明治維新の全貌』(早稲田大学出版部、一九三五)から、京口元吉の「明治時代の生活的展望」という文章(講演記録)を紹介している。本日は、日本文が、はじめて横書きで表記されるようになったという話を紹介してみよう。以下は、「一四」の全文である。
一四
これも保守的な風が永く支配した一例ですが、横書と云ふことも中々実現出来なかつた。元来が横と云ふのは邪しま〈ヨコシマ〉横著〈オウチャク〉などと云ふ横で、ろくでもないことだと云ふので気に食はぬ。だから明治初年の非常に開けた人々が早く文明開化にしなければいかぬ。それには英語を国民に知らせるに限ると云ふので単語帳を拵へた。それはグッド・モーニングと云ふのから始まるのですが、それに一々仮名をつけて発音が示してある。その仮名を英語の綴りとは反対に縦に書いてある。英語は横に書いて、仮名は縦、訳も縦に書いた。
私は慶応の初年に幕府で出版した辞書を持つてゐます。POCKET DICTIONARY of the ENGLISH AND JAPANESE LANGUAGEといふので『英和対訳袖珍辞書』と訳されてゐますが、袖珍辞書と申しながら菊版の横綴で厚さは三寸もある、こんな大きな本です。それにも訳を日本語だから縦書にしなければならないものと一途に思ひ込んだものか、縦書にしてゐます。堀越亀之助の序文には、ジェランド〔動名詞〕などを用ひまして、
The first edition of this work,published in the year of Nengo Bunkiuw,being entirely sold out,I was ordered to revise and correct it for a second edition.………
などゝ憎らしいほど達者な英文を書きこなすやうになつてゐながら、どうしたものか訳を横書にする気になれなかつたものと見えます。尤も封建思想から申せば、横は横着だの横暴だのといつて、正しからぬことに用ひられてゐます、邪【よこしま】のヨコでせうから、いけないものと思ひ込んだのでせう。
では横書は何時から始まつたのかと申しますと、明治十九年乃至二十年に数字の本から始まつたらしい。スミスの代数と云ふのがあります、それの反訳〈ホンヤク〉です。数学では式はどうしても横書にしなければならぬでせう。それを始めの間は本文は縦に書いて式は横書にして挿んだので、流石に〈サスガニ〉是が面倒臭いと分つたらしい。そこで総てを横書にしたのですが、その初めて横書にした時の文句が頗る〈スコブル〉面白い。
《抑々〈そもそも〉本書ニ於テハ解説ノ体裁是迄ノ教科書ニ異ルノミナラズ、余ハ一種ノ書キ方、即チ横書ヲ用ヒタリ。コレ余ガ平生〈へいぜい〉ノ持論ニシテ嚢ニ〈さきに〉英国「ウーリッチ」陸軍大学校数学試験問題集ヲ刊行セシ時此ノ書方ヲ用ヒシニ学者其〈その〉便ヲ感ゼザルモノナシ
蓋シ数学書ハ文中処々ニ算式ヲ挿入スルユヱ、言葉ヲ縦ニシ式ヲ横ニスル時ハ、閲読ノ際、或ハ縦ニ式ハ横ニ見、縦横転倒、其ノ不便ナルコト、譬フルニ物ナシ。
見ル者、書キ方ノ異ルヲ怪シム勿レ、
明治二十年五月、長澤亀之助識ス》
もつと大袈裟なのは、菊地大麓さんが幾何学の本を書きました時に、文部大臣の認可を受けて断然横書にしたといふのです。
《本書ノ体裁ニ就テ一言〈いちごん〉セズンバアラザルモノナリ。蓋シ横書ノ数学書ノ便利ナルハ多数ノ学者ノ認ムル所ニシテ、或ハ私ニ之ヲ為シ居ルモノアリ。然レドモ共ノ在来ノ慣習ニ戻ル〈もとる〉ヲ慮ル〈おもんばかる〉ニ由ルモノカ、印行書ニ於テ未ダ此方法ヲ用ヰタルモノアルヲ見ズ。今本書ニ於テハ、文部大臣ノ認可ヲ得テ、断然横書スルコトトセリ。》
これは明治二十一年のこと。吾々ならば直ぐに気が付き相なことを、長い間縦書して居つて、不便を知りながら、思ひ切つて改めることが出来なかつたのです。辞書は二十四年頃から横書に訳をつける様になつた。縦書と云ふことは中々抜け切らないことだらうと思はれます。