◎農村がやせるほど都会には金が集まる(高田保馬)
昨日の続きである。高田保馬の『社会雑記』(日本評論社、一九二九)から、「都会討伐」という文章(初出は、一九二六)を紹介している。本日は、その二回目。
年々の租税も中央に吸収せられて、その小部分しか田舎の方には帰つて来ない。これなどはまづ大体已む〈ヤム〉を得ないとしても、愛国婦人会や赤十字社、武徳会などといふものゝ寄付が半ば強制的に徴収せられる。これらの金も多くは上方のぼりをする。
これで農村がやせ細らぬ道理がない。農村がやせるほど都会ことに都会ことに東京、大阪の大都会には金が集まる。富の集中がそこに生ずる。そんな大富豪でなくとも、大抵の者が大都会にゐれば何とかして金をためる、貧民窟の人口は都市の人口全体に比すれば話にならぬほどの割合である。そこで都会には贅沢が流行する。新聞や雑誌でこれをきゝ、たまたまの見物で之を見る田舎ものがまねたがる。そこで彼等の財布はますます空〈カラ〉になる。
徳川時代の学者の書き物を見ると、国民の生命を支へて行く所の農村が一向繁昌しないのに、何物をもつくらず、売買の上前〈ウワマエ〉をはねてくらす町人がいよいよ財産をふやしてゆくのは、困つたことであるといふ意味のことがいくらも述べてある。しかしこれらの学者の意見も実際上に何の効果もなく、都会ことに大阪における富豪の集積は進むばかりであり、農民の疲弊は加はるばかりであつた。このことが大正の今日やはり引きつゞき行はれるのみならず、かへつて激しくなつてゐる。【以下、次回】
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