近頃、僕の老いが凄く進んでいる。
「ステージ2か3の膀胱癌、全摘出しないと、そのどちらかも分からない」
そんな憂き目にあって以来2年4ヶ月。長年励んできて、術後の長い入院生活中からきちんと復活させてきたランニングも2年弱ほど前に禁じられてしまった。走ると、ストーマ・人工の尿袋に血が混じるようになったからだ。腎臓からストーマへ尿を導く尿管に入っているカテーテルがこすれて起こる出血と言われた。
運動・筋肉と脳との良(悪)相互作用循環関係は今や周知の科学的事実と証明されているけど、頭脳の衰えにも悩まされて意気消沈の昨今だ。いわゆる物忘れとか、文章創作などに関わる創造力、集中力の枯渇とかの形で。そんな84歳になる今、4年生の男孫に救われることが次第に多くなっている。
ある日、注文された即席ラーメンを作って、食卓へ持って行ってやると、こんな言葉を返された。
「ちゃんと火を消した?」
これは、最近の僕と婆とのやり取り大騒ぎの一つをよ―く聞いていたものだなーと、驚いたこと! そんな失態場面から爺婆の間でいくつか繰り広げられたその一つに出くわして、彼が目を皿にしていたにちがいないのである。なんせ、その口調までが婆に似ていたのだから。早速ガスレンジにとって返したが、消えていると告げつつ、僕は彼の目を見直したものだった。
さて、こんな孫に救われることも多いのである。たとえば、僕が最近買った自転車のワイアー錠を彼が弄っていて、こんなふうにつぶやいていた。
「これって確か、ジイの誕生日だったよね。5月24日だから、0524っと。ほら、開いた!」
この様子を端から見ていて、僕はもう、大喜び。自分が設定した開け方の番号を忘れてしまって、大枚3000円で買った頑丈なこれを「もう捨てるしかない」とがっかりしていたその翌日の「0524」だったのだから。彼は例によって、この番号を決めたときに僕の独り言・言動をそばで聞いていて、覚えていたにちがいない。「なんたる記憶力! なんたる幸運!」。そういう素振りが間違いなく彼には伝わったろうが、その意味まで伝わったかどうかは、分からない。僕はさりげなくまた番号を合わせて、ワイアーをほどいてみたもの。今後に家族誰かの誕生日を忘れたときなどは、こっそりと彼に聞くことにしよう。