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改めて、「天才」前田大然を描く   文科系

2022年06月12日 13時04分25秒 | Weblog

 昨日に続いて、前田大然のことを書いてみたい。こういう人物をこそ希有な天才という話になる。前田が、世界サッカー界の今を時めくフランス人キリアン・エムバペになってくれないかという期待を込めて。

 まず彼の天才性をその成果として、いくつか。21年にJ1得点王になった時23歳というその年齢は確か、歴代日本人得点王でも2番目の若さであった。この若さで川崎ダミアンと並ぶ23得点をあげたのだが、ここ20年ほどの日本人でこれだけの得点を上げた人物は希有なはずだ。さらに、マリノスには19年のJ1得点王仲川も居たのであって、20年に期限付き移籍と完全移籍とを経たばかりの新参・前田がこの仲川を押しのけてFWの顔になっていたというのは、やはり異例な大事件と言える。こんな若さで、日本人得点王へと急台頭できたその訳を探ってみよう。

 サッカー論らしく言えばなによりも、ダミアンが川崎に嵌まったように、20年にマリノスに来たばかりの前田がチームのFWに「水を得た魚」だったということがある。当時のポステコグルー・マリノスと言えば、ハイライン・ハイプレスがその代名詞である。DFラインを押し上げて陣形を縦に詰めた高位コンパクトな陣形を作り、 敵ボールを奪ってショートカウンター得点。これによって、19年に川崎を押しのけて、J1優勝。このチーム戦術でこそ、21年には「J過去最高のチーム得点82」をあげたのであった。前田のどんな能力がこのチームに嵌まったのか。

 なによりも、前田大然の攻守にわたる走力、ダッシュの力こそ、歴代日本でも目を見張る断トツなものだ。ヨーロッパサッカーから移入された「ダッシュ力」を計る数値に、「1ゲームで、時速24キロ以上を1秒以上続ける回数」というものがあって、並みの選手のこれは良くて先ず30回までというところだが、前田のこの数値はその倍近いのである。得点王になった21年度間におけるJ全体の「1ゲーム・ダッシュ回数」ベスト20位を観てみよう。純粋な1ゲーム回数だから多い選手は何度も入ってくるのだが、1位~4位がすべて前田で、5位に古橋、6位~9位がまた前田で10位に札幌の小泊。以下20位まで含めても20人中16人が前田という凄まじさだ。ちなみに、このダッシュ力で有名なのが一時代の代表顔の一人岡崎慎司である。この岡崎のダッシュ力にしても良いときで50回台、前田のように何度も60回を超えるなどと言うことはなかったと思う。
 さて、このダッシュ力こそこういう力になる。まず、「何回も何回も敵ゴールに急迫する能力」や、岡崎が得意な「身方シュートにも、即ゴールに寄せてこぼれ球を狙う能力」。これらの回数自身が前田の場合、他FWの五割増しというほどにもなるのではないか。そして加えるに、これも岡崎が得意な「ハイライン・ハイプレスに必要なチームのトップで防御に走り回る能力」もある。つまり、先発に使いたいFWとしても、得点チャンスが増えていくのである。

 さて、「爆発的な走力によって凄まじい得点力」と言えば、ファンなら今や誰でも知っている「世界一高級取り」のフランス人、キリアン・エムバペ。w杯ロシア大会において、ペレ以来の「19歳出場、決勝得点」から、若手最優秀選手に選ばれた人物である。まだ24歳の前田も1歳年下のこの選手を懸命に研究しているはずだが、彼のような得点スタイルをなんとか身につけてくれないものだろうか。今やスコットランド・セルティックでまた再会したポステコグルー監督も、そんな前田を想像し、期待しているに違いないのである。

 

 今日の最後に、日本の有望サッカー選手を見る目について一言。「ボール扱い技術」ばかり観がちなのでは無いか。この傾向について、この点で断トツの天才である小野伸二が、中村憲剛との対談で、こんな趣旨の(謙遜)発言をしている。「憲剛さんの力はチームを強くできる力、僕のはまー個人技術」というような。これはオシムの言葉だが、「これからの日本サッカーは、スピード!」。伊東純也が久保を押しのけているのはこの点においてこそなのだ。伊東、三笘、前田と、この3人が揃った日本には、何を起こすか計り知れぬ力があると思う。

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掌編小説 「永遠の無」をめぐって   文科系

2022年05月25日 01時02分02秒 | Weblog

『メールありがとうございます。随筆拝見してとてもうらやましく思いました。下記の二つの内容に、とても感銘を受けました。
「特に老後を、設計した想定を遥かに超えるほどに楽しめてきた」
「今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している」
 私は、五〇才頃までは、自分のしたいと思うことができて、満足のいく毎日でした。しかし、五〇代から、苦手な分野(マネージメント)を担当することとなり、挫折しました。それまでの間(特に学生時代)に、鍛錬が足りなかったと思っています。現在は、「今までのことは頭から離して、残りの人生がより充実したものとなるように毎日を過ごしていこう」という風に、頭の中を整理しています。と言っても、過去のことを想い出すことが多いですが。』
  これは、六つ違いの弟から八十路を超えたばかりの次郎に出されたある質問に端を発して、以降もしばらくメール交換などがあった会話の一つの結末である。兄弟妹四人とその配偶者、併せて八人で持った約十年ぶりの会食だったが、この会話の発端になった弟の質問は、こういうものだ。「兄さんの死生観を一度聞かせて欲しかった、僕は今、死ぬのが怖くて仕方ないと思っているので・・・」。名古屋駅ツインビルの十二階、駅西が一望できる大きな窓が西の壁になっているような贅を尽くした和食の個室に通されて、長い和机を挟んで向かい合って間もなく出てきた質問だった。次郎はさしあたって、こう答えた。
「この怖さは僕もずっと抱え続けて来たもの。夜中にガバッと起きて、恐怖の冷や汗って、そんなことが何度あったことか。これがあったから大学は哲学科へ行き、以降ずっと生きがいを求めてきたようにも思う」
「それで、これについての今の心境とか認識とかはどうなっているの?」
「死は夢を見ない永遠の眠り。当人にとっては永遠の無だと考えている。かと言って、宗教などの力を借りなくとも、真善美のようなものはその反対物も含めて人間たちの生活の中に存在してきた。だからこそ、自分の生活もしかるべく納得できるものにしたいと考えてきた。五十歳前から現に今やっている老後生活諸活動を順に備えてきたのも、そういうことからだったと思う」
  当日の話はこのあたりで終わっていたのだが、それはよくあるようにどうも、弟がこの考え方を嫌い、一種憎んでさえいたからだと、次郎には感じられたものだ。
 さて、会食の翌日にはもうメールが届いた。ある本を送るから、その感想を聞かせて欲しいとある。「死を見つめる心」(岸本英夫著)という本で、文中「死後における生命の永存を信じるもの」という考え方を自分は取るが、これをどう思うかと問うていた。こう答えるしかなかった。
「肉体とは別に魂のようなものが存続すると考えれば、その魂の来し方行く末がある理屈で、肉体の世界とは別の神の世界が想定されることになるが、これはないと思う。」
 こういう意見を答えがてら、かつて所属同人誌に載せたこんな書き出しの随筆を送った。
『心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、意識していたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。』
 この文章冒頭で弟が「うらやましい」「感銘を受けた」と応えてきたのは、この随筆についてのことなのである。

  ところで、こういうやり取りの間中、次郎はまさに死を抱えていたのである。この月の初めに膀胱癌が発見され、それも「大きくてしっかりした癌で、モコモコしていなくってぺしゃっとしているから、悪性度も高いようだ」という宣告を受けていた。一応の全身転移検査は終わっていたが、その結果もまだ出ていないという状況だったのである。〈もし肺に転移していたら、余命数か月・・・〉と、そんな境遇の真っ只中にあったのだ。楽しい会食に臨んでこんな事は一切告げずに、気取られずに、普通の応対、対話をしている自分がいたということである。これも間違いなく「僕の人生の一つの結実」なのだろう。

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八十路ランナーの手記(417) 月180目標で67キロ   文科系

2022年03月11日 18時29分01秒 | Weblog

 昨10日の外走りで9キロジャストによって、3月は67.3キロまで来た。この日のデータは、アップダウン込み9キロのキロ平均6分50秒、ストライド83センチで、平均心拍数は134。この速度でこの心拍数というのは僕としてはとても低く、2月中旬の怪我休み以来ここまで心肺機能は順調に回復している証左。10日までで70キロと、僕として走り込んできた成果なのか、暖かかったせいなのか。

 この年になって長期間掛けてフォームを直したからいろいろ細かいことが気になるが、昨日気づいたことはこれだけ。
①暖かかった割にアップの時間が長く要った。3キロ近くまでは苦しかったのではないか。後半は見違えるように楽だった。
②左脚の使い方が悪かったのは、注意散漫が原因。しばらく走って改めて自己観察してみたら、左足を右に比べて前に出しすぎて離陸も早すぎ、それが原因で5キロほどまでタイムが上がっていない。ここから左右のリズムが悪く、最後4キロほどに修正したらキロ6分半を割っていたはずだ。
③後半の②修正には、左膝も曲がりすぎることも同時に直した。左右もストライド・リズム、両足の離着陸も微妙に揃わないとそうなるのだ。

 ランって、単純に見える動作だけど、その分奥が深いとつくづく思う。例えば、今定説になっている長距離の走り方なんて、初期の頃の日本マラソンランナーは誰もしていなかったはずだというように。それも当然で、人の二本脚歩行・走行って、哺乳類では人間だけの奇形動物のようなやり方なのだから。というよりも、二本脚で歩いて、走って、普通の猿とは全く違う今の奇形的身体(二本足が脳・頭の形や手の機能・形に与えた影響も含めて)を作りあげてきて、それがなお発展途上にある動物という難しさなのだろう。これはたとえば、頭が重すぎるから、上半身をちゃんと構え、上手く使って走らなければ腰背中などがすぐに痛くなるなど。

 例えば、短長距離では「地面をつついてその反発力で走る」という走り方の原理は同じでも、前脚の捌き方が全く違う。チーターのような短距離型猫族の走りと犬族のような長距離走との違いと言えば、これは走法二種の比喩というよりも走り方の構造の違いと言える。さらに、犬猫と違って人間は二本脚で走るのだから、二本脚で犬のようにちょこちょこと走る長距離と、チーターのように二本脚を大きき広げて走る短距離との違いということになろうか。この人間の長短距離速さの違いは犬猫と違って大したことない程度のものだし、人間の短距離は遅過ぎるから、人間は長距離動物なんだろう。例えばつまり、チーターと違って犬族のような長距離用循環機能を持っているということだろう。近ごろ、born to run と良く語られるが、その伝で言えば人間は長距離を歩き、走るように生まれてきたのだ。これを逆にいえば、活動していれば走り、活動がなくなって歩けなくなったら死ぬ時。長く活動しつつ長生きしたかったら走れ! というわけで僕は走って来たのだと思う。

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アメリカの孤立化   文科系

2022年01月18日 13時12分10秒 | Weblog

 日本にいるとマスコミの偏向もあって全く分からないのだが、今のアメリカは国連では鼻つまみ者になっている。中国を良く言うわけではないが、国連で中国と投票争いをする時などはすでに大敗の連続なのだ。そのことを改めて示してみたい。これあればこそ、アメリカは今国連無視に走っているのか。というよりも、イラク戦争など国連無視をし続けてきたから、これだけ嫌われているということなのだ。国際民主主義と言う視点から世界の物事を観るならば、国連無視の数々が示すことは無法者つまり暴力国家ということだ。19年11月15日に書いた旧稿を再掲する。

 このアメリカが今、その金融業が先頭に立って世界のSDG企業化を支配しようとしている。地球の未来をこんな連中に任せて良いのだろうか?? 以下文中にもある通りに、ここ数年来、株主資本主義は誤りが多かったから改めると言い始めた彼らなのだが?

 

【 現在、国連などで標記のことが急激に進んでいる。日本のマスコミではなぜか小さな記事扱いの事件でも、これらを集めてみると米国孤立化が鮮やかに浮かび上がってくる。こんな状況では、米自身が仕掛けている米中冷戦の行く先についても、とても成功はおぼつかないだろう。去年10月の日本自身の対中行動から、順に日を追ってここで扱った事件を書き連ねてみよう。
 
 10月26日に7年ぶりに、大代表団を引き連れた安倍首相訪中の、首脳会談。その「日中今後の3原則確認」がその後の日本政府部内で物議を醸すという事件があった。「競争から協調へ」「互いに脅威とならない」「自由で公正な貿易体制を発展」の3原則確認を国会でも強調した首相に対して、外務省などがこう反論したと報道された。「原則という言い方はしていない」と。対中制裁に急なアメリカの反発を予測した外務省の、対米配慮、沈静化の動きとも見えたのである。ちなみにこの前後から12月までの3ヶ月間におこった激しい世界的株安とともに、日本のGPIFで15兆円の損失が生まれるという大事件が起こった。僕はこの二つが無関係だとは思えないのである。日本が踏んではいけないアメリカ2本の虎の尾として「米軍基地の縮小」と「日本が、対中国で米の頭越しに行動すること」を上げ続けてきたのは、元外務省国際情報局長、孫崎享。

 明けて1月には、「18年度版韓国国防白書」が発表されて、その「近隣諸国の防衛協力相手」に、半世紀ぶり以上の重大変化が起こった。その協力国の筆頭が日本から中国へと書き換えられたのである。韓国が米日を差し置いて、米中等距離外交へと大転換を遂げたということだ。韓国その後のGSOMIA破棄も、ここに原因の一つがあることは明らかだろう。

 次いで8月19日、アメリカの大企業経営者団体「ビジネス・ラウンド・テーブル」が「株主利益の最大化、株主最優先方針を大転換」するという行動指針を発表した。事の真偽や今後の成り行き論議やはともかくとして、数十年ぶりのこんな「大転換」が、グローバリゼーションの核心部分に対する内外の悪評を意識したものであることは確かだろう。この同じ8月、国際決済銀行は、こんな発表をした。「世界の債務160兆ドル、リーマン前の1・6倍。特に新興国で増大」。

 そしてこの10月には国連の総会などにおいて、二つの採決にアメリカが大敗北を喫するという事件が起こった。

 先ず、米介入で話題を呼んできたベネズエラ問題。17日国連総会の全加盟国秘密投票によって、人権理事会理事国47国のうち14か国の選出が行われた。中南米理事枠2か国に対して3か国が立候補したのだが、ブラジルとベネズエラが選ばれ、コスタリカが落選したのである。「ベネズエラの人権問題が許せない」として立候補したコスタリカが落選したことが、国連で大きな話題になったのである。ちなみに、コスタリカを押して猛烈なロビー活動を展開したアメリカの権威失墜というこの結果について、アメリカ代表はこう述べたのだそうだ。
『人権理事会が破綻している揺るがぬ証拠だ』

 次いで29日には、アメリカが同じく人権問題を喚起してきたウイグル・中国を巡る国連委員会採択があった。31日の中日新聞記事の書き出しなどを抜き出してみよう。
国連総会で人権問題を扱う第三委員会は二十九日、中国の新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族などを弾圧しているとされる問題で、欧米や日本など先進国を中心とした二十三か国が中国に人権尊重を求めた。一方、二倍以上の五十四か国が中国の人権に対する姿勢を称賛。国際社会で影響力を増す中国を巡る対立の構図が浮き彫りになった。
 (中略)
 一方、中国を称賛する五十四か国には、ロシア、パキスタン、エジプトなどが名を連ねた。ベラルーシが代表で二十三か国の声明は「人権問題の政治化だ」と反論し、「ウイグル自治区ではテロや分離主義、宗教的過激主義が人々に甚大な損害を与え、重大な人権問題になっている」と中国の対応を支持。国数で優位に立った中国の張軍国連大使は「世界の人々は真実を観て判断している」と自賛して見せた。
(後略)』


 さて、現在アメリカが中国に仕掛けつつある関税戦争、経済戦争は米中冷戦の前哨戦だとは、世界のマスコミの常識。この冷戦の今後の成り行きに対して、上に観た世界情勢はアメリカの圧倒的不利を示している。アメリカが世界に吹聴してきた「人権問題」すら、国連では既に全く信用されていないのである。マッチョ・アメリカは今後、中国に対してどんな「戦争」を仕掛けていくのだろうか。まさか全面戦争はできないなかで、貿易戦争の累積大赤字という形で深まっていく敗北を、ただ待っているだけのじり貧ということはないはずだ。対GDPの国家累積赤字比率が、2倍日本の倍で4倍と、元会計検査委員長デイブ・ウオーカーから既に2015年に発表されていたアメリカなのである。だから今後の米中問題は何が起こるかと、」僕は怖いのである。】

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南野がリバプールのプレミア戦で得点  文科系

2021年11月26日 19時38分02秒 | Weblog

報知新聞社』

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八十路ランナーの手記(388) 初の月150キロもフォアフットのお陰  文科系

2021年11月25日 00時09分39秒 | Weblog

 月間走行距離目標なるものを初めて9月に120キロから、10月130キロ、11月には140キロとして、その24日現在127・0キロまで来ているので、この達成も見えた。12月目標は150キロになるが、この11月実績から観たら、達成目途は十分に立っている。それもこれも、長期間かけたミッドフット走法習得、そしてこの11月からフォアフット走法へとたどり着いてきたお陰。何歳になっても努力は報われるものと、充実した幸せの真っ最中である。なんせ、この走法改善から、今までほとんど1時間しか走っていなかった59歳入門の10キロ・ランナーが、少なくともジムマシンの時速8~9キロなら2時間でも走れて、このスピード程度なら中一日あれば十分連続して走れるというようになったのだから。中1日なら一か月15日、各10キロ走るだけでも、150キロ行けるのだ。

 ところで、リアフット、ミッドフット、フォアフットと走りの効果は何が、どう違うのか。若い「自然生えランナー」よりも59歳からのランナーである僕の方がうまく説明できるかもしれない。普通の本の説明と僕の説明とを対比させてみよう。僕のような若い頃長距離経験がない老人の場合はという限定を付けて。

・リアフットなどはよく「ブレーキが掛かる走り方」と書いてあるが、これは前脚の着地が突っ張ること以上に、両足の着地時間が、地面をポンポンと弾んでいく他二走法よりも長くなるからだ。さらには、大きく曲がった膝を伸ばす分、あと二つの走り方に比べて腰を持ち上げるために大腿部筋肉を無駄遣いしているから、普通の人や特に老人などでは疲れる走り方になるのだと思う。
・では、ミッドとフォアはどう違うのか。ミッドの方がフォアよりも地に踏み込んだ衝撃が大きくなりがちなうえに、ミッドの方が幾分ストライドも小さくなると愚考した。もちろん、フォアと同じ入力でそれだけの短所があるということだ。

 ただ、どの本にも書いてあるようにフォアフット走法が最も難しい。本などには短距離全力疾走のやり方でこれが身につくなどと書いてあるが、とてもとても。「前足前部で軽く地に触れた瞬間に踵をトーンと落として弾んだ力で離陸」という動作を、できるだけ短い両足着地時間でやるのが難しいのである。短距離全力疾走に比べて、ゆったりした長距離走では着地が多少長くなっても気づきにくく、両足の同一リズムも取りにくいからだ。ましてや年寄りはおおむね左右両足の力に差がある人が多くて、道路の白線上をスタスタ歩ける人も少ないはずだし。

 さて、これから12月150キロ、1月160キロ、2月170キロと月目標が上がっていくわけだが、どこまで行けるか楽しみだ。地面走を入れたら確実に短い距離になると思うから、当面はほとんどマシン走LSDでフォアフットのフォームを固めていくことになる。11月は24日現在11日走って、外走りは、2日計20・7キロだけだった。

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八十路ランナーの手記(384) 15キロ走った  文科系

2021年11月14日 09時05分44秒 | Weblog

 13日はジム(名古屋市の昭和スポーツセンター)でLSD、105分、15キロジャストを走って来た。僕として過去にほぼなかったはずのこれだけの距離を走って「明日も走れるな」という感触なのだ。ただし明日は、孫の付き合いで遠出をするから、走ることはできないのだが。
 僕の場合、ミッドフット走法よりもフォアフットの方が疲れないなと感じてきたが、こんな「どこまでも走れる感じ」を今日ほど得られたことはなかった。後の方60分ほどはほぼ8・8キロ時で通していたのに。

 この「疲れない」「どこまでも」は、フォアフット走法が板に付いてきたということだと解している。そしてこのフォアフットは、19年末からこの2年間苦労して身につけてきたミッドフット走法が「やっと完成したかな」という時のある日突然やってみて「使える。メリットも大きそう!」と分かったものだが、ミッドフット走法が出来上がると容易にフォアフットにも移行していけるのかも知れない。ミッドフットで地面をつついた時の衝撃をよりやわらげる様な走り方なのだから。

 とこうして、この13日には、11月月間目標140キロに対して72・5キロまで到達している。ジム4日、地面走りを2日でここまできて、1日平均12キロ走ったことになるし、1日15キロも楽に走れるようになったのだから、この140キロはもう達成できた様な気になっている。「12月もまた10キロ増やして、月間150キロ」
 
 ウオームアップ緩走行時間が20分以上必要などとどんどん長くなって体力そのものが急に衰えてきたかなという昨今、「後ろを蹴って跨いで走る走法」から「地面をつついてその反発力で走る走法」に換えてちょうど2年になる。こんなに長くかかるとは到底思えなかったという努力、苦労を重ねてきた分、今は本当に嬉しい時になった。まだまだ走れる。

 

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八十路ランナーの手記(379) 10月も130キロ走れた  文科系

2021年11月01日 00時07分03秒 | Weblog

 9月からランナーらしく月間走行距離目標を初めて作って120キロとし、121キロ行った。10月は130キロとしたのだが、31日ぎりぎりに134キロ。それも、29~31日と3日連続で24キロ(8キロ前後×3日)走ってやっとのこと。なかなか苦労の多いことだったが、当初定めた目標設定法通りに11月も10キロ増やして、140キロを目標としたい。月10キロずつ増やして、どこまで行けるかというそんな趣向を初めに思いついたのだから、この調子で一度は行けるところまで行ってみようと思っている。こういうランナーらしいやり方を採れば、急に衰えてきたと感ずる走力を少しは回復できるかなーとか、淡い期待もあっての発想なのだ。ただ、スピードを落としさえすれば初体験の3日連続の24キロを無理なく走れることも分かって元気が出てきたのである。

 さて、この10月は、15日走ったことになる。その内訳は、外走りが7日、ジムが8日だ。9月も13日走って僕としては多かったのだが、月15日も走ったのは間違いなく初めてのこと。はじめてやったランナーらしい月間目標設定がなせる技である。達成月間目標がどこまで行くかという興味も含めて、結構楽しんでいて、これが思いもしなかった楽しみだと気づけた。

 さて、こういう10月だったから、いろんな学びがあった。
①何よりもこの事。タイムを取るため最高スピードを持続する日は、多くとも月に2回程度としたい。そうでないと、その後最低2日は間を置かねば「普通並み近くの調子」にさえ戻らないことが分かったのである。
②僕のランニングフォームはまだまだ不安定、不合理である。2年前から始めた走法変更以前からそうだったと、最近になって認識した。その頃も走力に大きなムラがあったが、その原因が右足の着地時間の長さにあって、さらにその原因が左脚の弱さ、ストライドの短さにあったと。2年前もこれを感じてはいたが、この2年の走法変更を経て今改めてこれが重大なことと発見し直している。
③ ②への僕なりの対策は何度も書いてきたが、こういうもの。右足の膝下振り出しを少なくする。左足が外に流れぬよう、その着地点を右足の延長線上に近づけ、疲れぬ程度に「地面つつき」を強める。

 さて、以上の留意点を正すことができれば僕現在の場合は、スピードも距離も伸びると思う。意識してこれができているときは9・5キロ時ほどで5キロは走れる感じになっているのだから。それ以上長く走ろうとすれば時速8・5キロぐらいになるが、それでも先ず20キロは可能ではないか。というそんな左脚強化トレーニングを重ねれば、はて、フルマラソンが可能なのか? というところで思うのが、これ。フルマラソンの切り捨て・制限時間には全く不案内なのだが、5時間という大会があるのだろうか。 
 と、なんやかんやを語るよりも、とにかく一度、走れるだけの距離を走ってみよう。と、そんな楽しみまで湧いてきたのは、月間目標を定めて2か月やって来たその成果なのだ。

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お笑いにもならぬ「石油値上げ『解説』」   文科系

2021年10月21日 13時41分10秒 | Weblog

 昨日も本日も、ガソリンの7年ぶりの高値への値上げとかが、さかんにマスコミ話題になっている。そこでも、「専門家」らによってただ「現状維持なだけ」で「保守的」な、庶民レベルでないという意味で愚かすぎる「背景」論議がまことしやかに流されるだけだ。超短期の原因分析として、マスコミの偏向、世論ミスリードが示されているのだ。このように。

「コロナが終わり始めて需要が伸びたから、高くなった」???

 こんな馬鹿な論議だけを専門家がテレビで喋り散らしている。ちょっと考えて欲しい。今、原油埋蔵量世界1位と4位の国はどうなっている? ベネズエラとイランのことだが、二つともアメリカによる「経済制裁」、「経済封鎖」とかから、原油輸出がほぼできなくなっているはずだ。「反米」と言われるこの二国をこうしておけば、世界原油価格はアメリカの思うまま、ちょっと多く原油がいるときには大幅値上げができる。思えば、フセイン、カダフィ(イラクもリビアも、埋蔵量ベスト10の国だった)を殺したのも、こういう原油政策のため? そしてここ数年、ベネズエラやイランに戦争を仕掛けようとしてきたのも(思えばおそらく、経済制裁への布石であった)、この理由が第一ではなかったか。

 こういう原油高価格をごく短期視野の「需要と供給の関係」だけで説明する「専門家」って、どういう専門家なのか。こんな分析は石油がない工業国日本のためには全く駄目な解説なのである。さしずめ日本などは、ベネズエラとイランから安い原油がいつでも持ってこれるのだ。なのにこれをしないのは、アメリカの制裁が怖いから。こういうやり方で保たれている原油の「需給」関係って、どう形容すれば良い? と言うように、アメリカは世界の庶民の敵である。ベネズエラとイランの原油を解禁すれば、輸送費含めて世界中のすべての物価がどれだけ下がることだろう。これをしないことによって大儲けしているのが、米英石油メジャーと産油国・貴族国家なのである。

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八十路ランナーの手記(375)好不調の大波、なぜ?  文科系

2021年10月14日 22時16分21秒 | Weblog

 10月には月130キロという目標を立てて、14日までに何とか63キロまで漕ぎ着けた。ちょうど半分の7日走ったのは僕としてはよく通えたもの、ジムマシンが4日、3日が地面走。外走りはすべてLSDで、最長でも8キロ。そのキロ平均は7分14秒で、ストライド83センチの140bpmと出ていた。ジムでは14日に100分、14キロと頑張れたのだが、この日は好調で汗も疲れも少なく帰ってきた。途中で9・5キロ時でも15分ほどを楽に走れていた。
 この10月はどうも酷い日と好調な日が凄く波があると感じたのだが、走る前の食事が関係しているのかな。一度ハンガーノックというものを調べてみよう。年取ってギリギリで走っている身には、体内グリコーゲンとやらの量が少ないのかも知れないし、それよりも今気づいたが外走りでは途中で水を摂っていないのがいけないのかも知れない。なによりもまず、必ず水とバナナぐらいは摂ってから走ると決めることかも知れない。

 それとも、僕の身体がそろそろ走れるか走れなくなるかのギリギリの時点に差し掛かっているのか。それほど疲れるときがあるのだ。「もうランナー辞めようか」というほどに。でも、だからこそ、せめて水とバナナぐらいは摂って走れよなということだろう。

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「歴史探偵」の「統帥権」理解に反論する  文科系

2021年09月17日 13時16分34秒 | Weblog

 連れ合いが買ってきた半藤一利「あの戦争と日本人」をパラパラとめくっていたら、「第4章 統帥権と日本人」に見過ごせぬ箇所があった。司馬遼太郎の「統帥権」解釈に反論しつつ、誤った解釈を広げているとしか思えなかった。司馬の「(統帥権を)魔法の杖とふり回す軍部」解釈が正しく、半藤が誤っていると実証してみたい。

 そもそも、統帥権を低く観て、軍部独走の方を強調する半藤は、それゆえにこそこんな無理な問題意識を発している。
『統帥権それ自体が悪いのか、それとも統帥権が独立しているということが悪いのか。・・・もし統帥権そのものが悪いというんだったら、天皇が軍隊を指揮することが悪いんですから、これは明治憲法の全否定になります。・・・また、統帥権を独立させたということが悪いのならば、これは運営のしかたがまずいということになる。拡大解釈が悪い。つまり、統帥権そのものには罪がなくて、それを使う番人ども、つまり陸軍の官僚どもが悪い』(P102~3)

 さて、このブログでは太平洋戦争が決定された最終局面の史実を、岩波新書日本近現代史シリーズ10巻のうち、その6「アジア・太平洋戦争」(この巻の著者は、吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授)によって、こう描き出してきた。

【 本書に上げられたその実例は、(1941年)9月6日御前会議に向けて、その前日に関係者とその原案を話し合った会話の内容である。まず、6日の御前会議ではどんなことが決まったのか。
『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第1項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努」めること(第2項)、そして(中略)、が決められていた』
 さて、この会議の前日に、こういうやりとりがあったと語られていく。

『よく知られているように、昭和天皇は、御前会議の前日、杉山元参謀総長と水野修身軍令部総長を招致して、対米英戦の勝算について厳しく問い質している。
 また、9月6日の御前会議では、明治天皇の御製(和歌)、「四方の海みな同胞と思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗読して、過早な開戦決意を戒めている。
 ただし、天皇は断固として開戦に反対していたわけではない。海軍の資料によれば、9月5日の両総長による内奏の際、「若し徒に時日を遷延して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という永野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
 御上[天皇] よし解つた(御気色和げり)。
 近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
 御上 変更に及ばず。
 永野自身の敗戦直後の回想にも、細部は多少異なるものの、「[永野の説明により]御気色和らぎたり。ここに於いて、永野は「原案の一項と二項との順序を変更いたし申すべきや、否や」を奏聞せしが、御上は「それでは原案の順序でよし」とおおせられたり」とある(新名丈夫編『海軍戦争検討会議議事録』)。ここでいう「原案」とは、翌日の御前会議でそのまま決定された「帝国国策遂行要領」の原案のことだが、その第一項は戦争準備の完整を、第二項は外交交渉による問題の解決を規定していた。永野の回想に従えば、その順番を入れ替えて、外交交渉優先の姿勢を明確にするという提案を天皇自身が退けていることになる』
 こうして前記9月6日の「帝国国策遂行要領」は、決定された。つまり、対米交渉よりも戦争準備完整が優先されるようになったのである。続いて10月18日には、それまで対米交渉決裂を避けようと努力してきた近衛内閣が退陣して東条内閣が成立し、11月5日御前会議での開戦決定ということになっていく。この5日御前会議の決定事項とその意味などは、前回までに論じてきた通りである。】

(以上、この8月19日エントリー「太平洋戦争 四」から)

 

 このように解明された史実を前にした時、半藤の統帥権への上記のような問題意識はほとんど意味を持ちえない。天皇がここではっきりと「戦争準備の完整」を決意したからこそ、近衛内閣が東条内閣に入れ替わって戦争へまっしぐらになっていった。開戦は統帥権を持った天皇が決断する。これを言い換えれば「天皇にさえ決断させれば、開戦が決まる」。明治憲法自身がそういうものだったのである。この憲法の第一条・天皇統治と、統帥権とは、そのように合致している。ちなみに、大日本帝国憲法では、立法権、行政権、外交権などでさえ天皇大権なのであって、国務大臣の輔弼(補佐)に基づいて行使されることになっていた。だからこそ、国民は国民ではなく臣民なのだ。

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随筆紹介 ある出会い     文科系

2021年04月27日 00時10分10秒 | Weblog

  ある出会い     H.Tさんの作品(僕の所属同人で最長老、九十歳半という方です)

 西日の射すバス停で時刻通りに来ないバスを、私はいらいらしながら待っていた。朝からクラス会の話で呼び出され、幹事も決まらず、立ち消えになり落ち込んだ帰りだった。その時おずおずと中年すぎの婦人が近寄ってきて、「お名前は忘れましたが、N団地にお住まいの方では・・・?」と。うなづく私に、
「失礼ですが、ずうっと以前に私お世話になったことがあります・・・覚えていて下さいませんか?」
「・・・・・」
「もうつぶれてしまいましたが、近くの市場で私、味噌と醤油屋をやっていました。そこでお目にかかりました」とゆっくりと話し出された。私は務めの帰りその市場でよく買い物をした。やっと一人暮らしにも慣れた頃。もう一世紀も前のことで、ショッピングという言葉もなく、今のように袋入りの味噌はなく、量り売り。醤油は小さな壜で売っていた。八百屋も、魚屋の店も並んでいた小さな市場。
 私は少しの味噌を買い、若い元気な夫婦が仲良く働いているのを見ながら帰ったものだ。

 その家族には六歳の女の子と四歳の男の子が居て、私を〝おばちゃん、おばちゃん〟と呼んでくれた。女の子には友達も居たが、男の子はひとりで店の奥で遊んでいた。私を見つけると、
「おばちゃんだー」と言って、市場の人にも「ぼくんちのおばちゃん」と話すようになった。その子が進(しん)くんと言って、店の出口の階段に座り、「カチカチ山」や「一寸法師」の話や歌を歌って、楽しんだ。
 五歳になったある日、
「おばちゃんちへいく」と言って、やって来た。
 二人で夕ご飯、風呂。そして、一緒に寝た。
 もう何年前になるだろう。
 やがて私は近くの集合住宅に住み、地下鉄も開通し、そして帰りは、駅近くのショッピング・センターを利用するようになった。市場は、いつの間にかそのセンターの品物置場になった。
 あの時の味噌・醤油屋は、威勢のいい魚屋はと思い出すことはあっても、自分のことだけで精一杯の毎日だった。

 話しかけたその人が、
「かわいがっていただいた進の母親です」と言われるまで全く思い出せなかった。
「私はよくあなたをお見かけしました。地下鉄の中で、ショッピングセンターでも、散歩しておられる時も・・・」
「どうして声をかけて・・・?!」とおどろく私に、
「私は昔とすっかり変わりました。娘は婚家先から出て、二人暮らしで子どもはありません。進は大阪で大学を出て働いていました。そして結婚しましたがすぐに別れて、職も換わったようで、時々電話しますがすぐ切ってしまいます。今何をしているか分かりません」
 私は涙でいっぱいの話に返事もできなかった。「主人は八年前に亡くなりました。六年間病み、あっちの病院、こちらの病院と換わり、貯えも全部使って逝きました」
「・・・・・」
「今は、台所だけがやっとのアパートにひとりで住んでいます。今日、進におばさんに会ったことを電話してやります」
 私は、あんなに精いっぱい働いていた人なのにと思っただけで、何も言えなかった。
 やがて、遅れたバスがやって来た。
「乗りませんか?」と言う私に、「近くですから・・・」と頭を下げて振り返り振り返り、歩いて行かれた。

〝年月は人を待たず〟と言うが、あんなに変わるものだろうか。
〈若い夫婦、笑顔いっぱいで働いていたあの頃は、経済大国、高度成長、豊かな日本。そういう言葉が乱れ飛んでいた時代だったのに・・・・〉
 私は、バスの中でそっとつぶやいていた。

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豪「対中外交」変更が警告する日本の「明日」  文科系

2021年04月19日 09時14分48秒 | Weblog

 「マスコミに載らない海外記事」サイトの昨18日、標記内容の記事が載った。もう少し詳論すると、こういうもの。豪がアメリカに要求された対中外交変更が豪経済を疲弊させ、豪軍事を増強させてきたが、中国は豪から中への輸入物をアフリカから輸入へと換えただけというもの。重要な文章とて、以下全文を掲載する

【 自ら課したオーストラリアの経済的苦境は続く 2021年4月14日 ジョセフ・トーマス New Eastern Outlook

 最近まで、オーストラリアは、中国の台頭と共に経済成長を享受していた。キャンベラが、中国の反感を買って、ワシントンの指示に従い始めた時、このすべては変化し、手痛い自ら課した経済危機が、雪だるま式にふくれあがりつつある。現在、オーストラリアは、オーストラリアの組織的敵意に応じて、増大する貿易障壁が中国に築かれるのに直面しているだけでなく、一時的な貿易紛争だったものが、ゆっくりとオーストラリア輸入への依存を永久に排除する北京戦略に変わるのを見ているのだ。いったん始まってしまった後、オーストラリアが前の水準の儲かる中国貿易に戻る能力はありそうにない。

 オーストラリアが自ら課した経済破産

 2018年、中国の巨大通信企業ファーウェイを全国的な5Gインフラ契約を禁止しろというアメリカの圧力の下、オーストラリアは依然根拠がない「国家安全保障の懸念」を口実にあきらめた。「ファーウェイとZTEは、オーストラリアで5Gネットワークを禁じられた」という題名の記事でBBCがこう主張している。

「オーストラリア政府は、通信会社に適用される国家安全保障規則は、装置メーカーにも典型的に適用されると述べた。

「外国政府から司法管轄外の指示を受けかねない」企業は安全保障上のリスクになりかねないと当局は言う。

 BBCとオーストラリア政府は、「なりかねない」という単語をはっきり使っているが、MITテクノロジー・レビューのような欧米メディア自身の記事で、下記のように「NSA自身のハードウェアのバックドアは、依然「地獄からの問題」かもしれない」と暴露されたアメリカ製ハードウェアの安全保障上の確実な危険があるのだ。

2011年、以前、国家安全保障局と中央情報局両方の長官をつとめたマイケル・ヘイデン大将が、隠された「バックドア」があるコンピュータ・ハードウェアが敵に仕掛けられるという考えを「地獄からの問題」だと表現した。今月、漏洩文書に基づいたニュース報道が、NSA自身が監視の取り組みに資するため、アメリカ企業と協力して、秘密のバックドアを、チップや他のハードウェアに挿入して、この戦術を使ったと述べた。

 類似の禁止令が、アメリカ製ハードウェアに標的を定めるのには使われないのだから、不正アクセス可能なハードウェアの脅威は、中国企業に禁止令が突きつけられた本当の理由ではないのは実に明白だ。そうではなく、最もありそうな動機は、経済発展を鈍らせることを含め、中国を包囲し、制圧するワシントンのより広範な戦略と、欧米の競争相手を追い越す態勢にある個別中国企業を妨害することと一致する。

 最近、オーストラリアは、世界的なCovid-19問題の責任を中国のせいにする、アメリカが率いるプロパガンダ攻勢の先例に続いた。

 「アフリカの鉱夫とワイン生産者は、オーストラリアと中国のいざこざに乾杯」という題のロイター記事は、中国のこの動きを、オーストラリアとの、この増大する論争を永久に解決するため、より頼りになる友好的な貿易相手国を見いだそうとしていると指摘するだけでなく、キャンベラが「武漢でのCovid-19流行発生源の調査の呼びかけを率いた」時、この貿易摩擦が、最近どのようにエスカレートしたか説明しようと試みている。もちろん、これは中国がCovid-19流行に責任があるとほのめかし、結果として生じている世界的な問題にも責任があると、ほのめかすのを意図した政治的動機の調査だった。論理的に、たとえ中国が流行を発見し、隔離し、封じ込めそこね、国内中のCovid-19流行に責任があったにせよ、中国が、どうして、オーストラリアや、アメリカでの流行に責任があるか理解するのは困難だ。

 オーストラリアやアメリカ政府が、自身の国境内で、検出し、隔離し、ウイルスを封じ込めるのを、一体何が阻止したのか、中国がそうしなかった事実に関し、どれほど彼らが責められるべきだろう? この調査のプロパガンダ価値は、ここにあり、まさに中国がオーストラリア輸入に対して追加関税で報復した理由だ。貿易戦争は、北京と素早く和解しない限り克服不可能な形でオーストラリアを傷つけている。オーストラリアから中国に輸出される鉄鉱石の量は他国に変えることができない。どの国に同じ規模の産業基盤や、このような鉱石の需要があるだろう? どんな国もないというのが答えだ。

 更に悪いのは、下落する経済状態を埋め合わせるため、オーストラリアが探究している「経済対策」だ。オーストラリア国営メディアABCの「10億ドルの防衛製造計画の一環として、自国製誘導ミサイルを製造するオーストラリア」という題の記事は、こう主張する。

スコット・モリソン首相は今日遅く、計画を発表するが、「変化する地球環境」が主権能力を作り出す必要性を強調していると警告している。

 記事はこうも言う。

国防省は、製造設備運営の契約をする「戦略提携事業者」を選ぶ予定だ。

可能性がある業者には、レイセオン・オーストラリア、ロッキード・マーティン・オーストラリア、コングスバーグとBAEシステムズ・オーストラリアがある。

 兵器は、オーストラリアの税金を使って、アメリカや西欧を本拠とする武器製造業者のオーストラリア子会社に作られるから、武器製造の領域外では、現実的に、ほとんど技術を使わないか、全く使わないので、その過程で生み出される雇用は最小で、「主権能力」は全く発展しない。ミサイルは完成すれば、オーストラリアが中国に向けるか、同じく中国に、それらを向けるたろう、この地域の国々に売られる可能性が最も高い。武器への出費を正当化するために、中国に対し増大するオーストラリアの敵意に拍車をかけ、オーストラリア大衆の恐れを引き起こすプロパガンダ攻勢は、しばしばオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)などの政策シンクタンクから生み出されている。そのASPIは、まさに上に述べた、直接増大する危機から利益を得る武器製造企業レイセオンやロッキードから資金供給されているのは驚くべきことではない。

 もし貿易摩擦が十分ひどくなかったら、オーストラリア外交政策を動かす既得権益集団は、北京に対し、オーストラリアは信頼できるパートナーではなかったし、そうではなく、おそらく未来もそうではないという信号を出す、摩擦を拡大するだけの「解決」(や、より広範な紛争)を強化するのだ。

 中国は、オーストラリアなしで前進するのか?

 逆に、中国は選べる多数の選択肢を持っており、経済不安に対する防衛策として、何年も、それらを醸成してきた。だが、オーストラリアの敵意が今示している類の政治不安に直面して、北京に役立ったのは戦略だった。

 オーストラリアの中国-Covid-19調査を論じる同じロイター記事は、こう書いている。

だが、鉱業部門では、これまで10年間、中国は巨大な製造産業への原材料の流れを確保するため、アフリカでのプロジェクトを増やしてきた。

それら投資は今成果をあげており、オーストラリアを犠牲に、世界で二番目に大きい経済への輸出の後押しを得て、アフリカ原産諸国はロイヤリティを懐に入れている。

 記事は、広範な鉱石や鉱物や、中国がアフリカのパートナーのために、オーストラリアに対する依存から離れて多様化しようと努めている他の商品を報じている。記事は、わずか数年で、オーストラリアを犠牲に、アフリカ輸出業者が恩恵を受けるよう、既に、どれほど勢いが変わり始めているか述べている。この過程が終わってしまえば、オーストラリア政府にとって、自分が作り出した政治的損害の修復や、今や政治的に当てにならないと証明されたオーストラリア貿易に復帰するため、新しいパートナーをあきらめるよう北京を説得するのも非常に困難になる。

 オーストラリアが、その指揮に従っているアメリカ同様、オーストラリアは新たに出現している世界のパワー・バランスを受け入れ、世界の他の国々を犠牲にした欧米諸国の手中への不当な権力と富の集中を修正する基本能力のなさのため、自身を不必要に見当違いにしているのだ。インド-太平洋地域諸国間で建設的な役職を見いだし、中国の台頭を、この地域とグローバル大国として認めるオーストラリアの能力のなさ、逆に、地域における欧米の優位を再度主張する作戦で、ワシントンと組むのは、オーストラリアの没落を"もたらそうとしている"のではなく、既にオーストラリアの没落だ。オーストラリアがどこまで落ちるのか、また深みに落ちた後、完全に戻ることができるのかどうかは、キャンベラ次第だ。

 ジョセフ・トーマスはタイを本拠とする地政学誌The New Atlas編集長で、オンライン誌New Eastern Outlook寄稿者。】

 

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馬鹿が馬鹿やって、出入り禁止になるはず   文科系

2021年03月13日 14時18分15秒 | Weblog

■回答内容 - 2021/03/12 11:09 AM
goo事務局の本田と申します。
日頃よりgooをご利用いただき、誠にありがとうございます。

お問い合わせの件ですが、
goo blogに投稿いただいたご自身の記事に対し、
コメントができない状況でお間違いございませんでしょうか。

その場合、[ブログ・ユーザー設定]
https://blog.goo.ne.jp/admin/config)にございます
「特定のユーザーのアクションブロック」に
お客様のブログIDを登録いただいている可能性は
ございませでしょうか。

上記箇所にお客様のブログIDが入力されている場合、
削除の上、ページ下部の[変更を保存する]ボタンを押したのち
コメントができるかご確認いただけますでしょうか。

お手数ではございますが、ご確認のほどよろしくお願いいたします。
今後ともgooをご愛顧くださいますようよろしくお願いいたします。

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ガソリン車、エンジン車、電動車、EV    文科系

2021年02月12日 15時46分52秒 | Weblog

 これから10年、日本では標記のこんな区別に頭を悩ますことになる。本当は、エンジン車とEVだけで良いのに、何故こんなことが問題になるのか? 答えは簡単、電動車という概念を広めて、なんとかエンジン車(の一部)が通用する期間を長くしたいからだろう。エンジン車は、EVよりかなり高値になるというのに。モーターだけでエンジンの不要な車は、エンジン関係部品全てひっくるめて不要になる分とても安価に生産できるから、全く同型の車なら断然EV車が安くなるだろう。
 ちなみにこんな言い方もある。
「電気を化石燃料に頼る国は、EVでもCO2を出す」
 と言い張ったところで、ドイツのように自然エネルギー中心に換えてきた国では、「電動車」などという言葉を使う必要などあっという間になくなってしまうのである。エンジン車をあっという間になくせるからだ。

 CO2が問題になり始めた時代のアメリカを振り返ってみよう。ガソリン垂れ流しのでっかく高価なアメ車がステイタスシンボルの意味もあって、売れていた。その車が、ガソリン効率が良い日本車にあっという間に席巻されてしまった。それでもリンカーンコンチネンタルやキャデラックが日本においてさえしばらく売れていたのは、世界のステイタスシンボルという名前、習慣があったからだろう。今の日本で、そんな車「風習」がまたまた再生産されていないだろうか。家はなくとも、「ステイタス」シンボル。より安い新車よりも、中古のシンボルを! 所有する物で自分を「偉く」、金持ちに見せる野暮なスノッブ風習と言えるのではないか。

 一昔前のリンカーンコンチネンタルと日本車が、ちょっと後世の電動車とEV? そんなふうになって、日本の自動車産業が斜陽にならぬ事を祈っている。「雇用のためにも電動車とその補助金の継続を」などと言い出さず、自らの起業家精神そのもののイノベーションで早め早めに手を打って欲しいものだ。ちなみに、すぐに補助金というのは、社会主義国のやり方である。アメリカは今、中国のそれを批判している。さらに、ちなみに、原子力発電の廃棄物はCO2以上に始末が悪いはずだ。

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