● 野田首相も「赤旗」も、これで交渉できると思っておられますか?
先ほどのテレビで野田首相はこう語っていた。「中国の一方的な主張は国際的にも受け入れられません」と。
全くその通り。しかし続く言葉は、「尖閣はわが国固有の領土。妥協することはありません」。
そしていま手にした『赤旗・日曜版』9/30号にはこうあった。
一面トップには赤色で大きく「尖閣領有は正当」とあり、記事にはこうあった。
「領土問題は存在しないと繰返すだけでは」駄目。「領土に関する紛争問題が存在することを正面から認め」なくてはならない、と。これも全くその通り。
しかし続く文言は、「日本の領有の正当性を堂々と主張」すべきというもの。
これで「外交交渉」を進めることが出来るでしょうか。
● 偏狭なナショナリズムのキー語である「固有の領土」
「固有の領土」という用語が多用されるが、それは縄文の世とは言わなくともせめて奈良時代には求めたい。
しかし尖閣も竹島も、ぼんやりと認識されたのはせいぜい百数十年前。
尖閣の記載のない中国地図、があるのと同様、
北海道(蝦夷)沖縄(琉球)は領土外、となっている江戸の地図も幾つかみられる。
『領土を国境線で区切るという発想がアジアに入ってきたのは、19世紀以降のこと。
それ故、あれこれの史実を出してお互いが争っても、水掛論になりがちです』(小熊英二)
● 火つけ人は、前原氏と石原氏。
「日本固有の領土」を確固たるものとして「領土問題は存在せず」を閣議決定した策士は、
管内閣の前原大臣。そしてこれを引き継いだのが石原都知事。
歴史の教えるところ、国内問題が行き詰まるとその出口として煽られるのが偏狭なナショナリズム。
● アメリカの影。
尖閣諸島のうち二つの島は米軍の射撃場。それ故、日本側も立ち入れないし、石原都知事も除外した。
この地域に緊張関係をもたらすようにそそのかしたのは誰か、いさかいが生ずると喜ぶのは誰か。
それは、覇権を手放すまいとするアメリカ。
だとすると、この問題は「日中関係」であると同時に、日米問題であり日台問題である。
そうだとすると、どちらの国が正しいかといったことではなく、どのような過程からこの問題は生じたか、
を考えることが要請され、その中から解決の道が現れてはこないか。
不十分、一時的なものではあったが、それが「この問題は次世代に任せよう」ではなかったか。
それを受けてこの近辺の漁民は、弁当を交歓するなどして、ともかくも数年前までは安定して漁業に励んで
いたのである。
先ほどのテレビで野田首相はこう語っていた。「中国の一方的な主張は国際的にも受け入れられません」と。
全くその通り。しかし続く言葉は、「尖閣はわが国固有の領土。妥協することはありません」。
そしていま手にした『赤旗・日曜版』9/30号にはこうあった。
一面トップには赤色で大きく「尖閣領有は正当」とあり、記事にはこうあった。
「領土問題は存在しないと繰返すだけでは」駄目。「領土に関する紛争問題が存在することを正面から認め」なくてはならない、と。これも全くその通り。
しかし続く文言は、「日本の領有の正当性を堂々と主張」すべきというもの。
これで「外交交渉」を進めることが出来るでしょうか。
● 偏狭なナショナリズムのキー語である「固有の領土」
「固有の領土」という用語が多用されるが、それは縄文の世とは言わなくともせめて奈良時代には求めたい。
しかし尖閣も竹島も、ぼんやりと認識されたのはせいぜい百数十年前。
尖閣の記載のない中国地図、があるのと同様、
北海道(蝦夷)沖縄(琉球)は領土外、となっている江戸の地図も幾つかみられる。
『領土を国境線で区切るという発想がアジアに入ってきたのは、19世紀以降のこと。
それ故、あれこれの史実を出してお互いが争っても、水掛論になりがちです』(小熊英二)
● 火つけ人は、前原氏と石原氏。
「日本固有の領土」を確固たるものとして「領土問題は存在せず」を閣議決定した策士は、
管内閣の前原大臣。そしてこれを引き継いだのが石原都知事。
歴史の教えるところ、国内問題が行き詰まるとその出口として煽られるのが偏狭なナショナリズム。
● アメリカの影。
尖閣諸島のうち二つの島は米軍の射撃場。それ故、日本側も立ち入れないし、石原都知事も除外した。
この地域に緊張関係をもたらすようにそそのかしたのは誰か、いさかいが生ずると喜ぶのは誰か。
それは、覇権を手放すまいとするアメリカ。
だとすると、この問題は「日中関係」であると同時に、日米問題であり日台問題である。
そうだとすると、どちらの国が正しいかといったことではなく、どのような過程からこの問題は生じたか、
を考えることが要請され、その中から解決の道が現れてはこないか。
不十分、一時的なものではあったが、それが「この問題は次世代に任せよう」ではなかったか。
それを受けてこの近辺の漁民は、弁当を交歓するなどして、ともかくも数年前までは安定して漁業に励んで
いたのである。