8月19日の中日新聞にこんな記事があった。東海東京証券会長・石田建昭氏が書いたコラムに。
東証の取引高の60%は、ほとんど外資金融機関による高速取引絡みとあった。残りの内25%は、「デイトレーダーともいわれ、主にオンライン証券の機能を使う個人投資家の群」とあり、こちらは和製なのだそうだ。
なんのことはない。東証取引高の85%が、マネーゲームなのである。ちなみにこの二つの投資家を取引所関係者は「ジョーズ」、つまり血に飢えた鮫と呼んでいるのだそうだ。
実業の人々の命が懸かったような株を、意識して上げ「下げ」して儲けるということ自身が僕には何か随分邪なことに思えるのだが、これが典型的な新自由主義の遣り口というものなんだろう。というように、新自由主義の仕組みには、普通の常識では目に余るようなものがかなりあるようだ。
例えば証券に掛ける保険では、その証券の持ち主でなくとも保険を掛けられる仕組みがある。
ある家の持ち主でない人が、その家に保険を掛けることができたら、『燃えれば丸儲け、損もなし』ということから、『火事場泥棒奨励みたいなもんじゃないか』という人もいるのである。つまり、その証券の、例えばある会社株の、持ち主でない人がその株に保険を掛けることができたら、会社が潰れれば丸儲けという理屈なのだから。
通貨危機というのも、随分阿漕なことができるもので、これには空売りという、僕に言わせれば阿漕な遣り口が絡んでいる。空売りとは、他人の証券などを大量に借りてこれを売り、この証券などを大幅に値下げさせえたときに大儲けできる仕組みである。
人の命が懸かったような株を人為的に大幅に下げたときに儲かる仕組みって、果たしてこの人間社会で健全なものと言えるのだろうか。
これら全て僕にはこんなようなものに見えるのである。8時間労働制が無かった時代の10数時間労働のようなものと。この僕のような「健全な感覚」の人々が、「マネーゲーム規制」つまり「厳しい金融規制」を世界に要求しているのである。これには日米など大国が反対し、中小国が賛成するのが普通だろうとも思う。
新自由主義とはやはり、生き馬の目を抜く世界、いや、生きた人間の目を抜く社会なのだ。そして、このように10数時間労働などという生き馬の目を抜く事実、現実は常に先に進み、8時間労働制などの規制法などは後から追いついていくというのが、人間史の大変な悲しさである。
こういう金融規制を後開発国などが求めるのは自然なこと。彼らにはこういうことが一定許されているのである。ただし、中国のように追いついてきた大国が、新自由主義の利用できる所だけは利用して、嫌なことは拒むということこそが、近年大いに非難されることになるのだ。アメリカが中国のここを猛烈批判していくのは自明である。
なお、これらの経済仕組みについては、社会の1%と99%階層間で、情報の非対称性が酷く、大部分の有権者が正しい判断など出来ないようになっていると、僕は見ている。ここで民主主義が単なる形式と堕して、政治に対して正しく機能していないとも。
東証の取引高の60%は、ほとんど外資金融機関による高速取引絡みとあった。残りの内25%は、「デイトレーダーともいわれ、主にオンライン証券の機能を使う個人投資家の群」とあり、こちらは和製なのだそうだ。
なんのことはない。東証取引高の85%が、マネーゲームなのである。ちなみにこの二つの投資家を取引所関係者は「ジョーズ」、つまり血に飢えた鮫と呼んでいるのだそうだ。
実業の人々の命が懸かったような株を、意識して上げ「下げ」して儲けるということ自身が僕には何か随分邪なことに思えるのだが、これが典型的な新自由主義の遣り口というものなんだろう。というように、新自由主義の仕組みには、普通の常識では目に余るようなものがかなりあるようだ。
例えば証券に掛ける保険では、その証券の持ち主でなくとも保険を掛けられる仕組みがある。
ある家の持ち主でない人が、その家に保険を掛けることができたら、『燃えれば丸儲け、損もなし』ということから、『火事場泥棒奨励みたいなもんじゃないか』という人もいるのである。つまり、その証券の、例えばある会社株の、持ち主でない人がその株に保険を掛けることができたら、会社が潰れれば丸儲けという理屈なのだから。
通貨危機というのも、随分阿漕なことができるもので、これには空売りという、僕に言わせれば阿漕な遣り口が絡んでいる。空売りとは、他人の証券などを大量に借りてこれを売り、この証券などを大幅に値下げさせえたときに大儲けできる仕組みである。
人の命が懸かったような株を人為的に大幅に下げたときに儲かる仕組みって、果たしてこの人間社会で健全なものと言えるのだろうか。
これら全て僕にはこんなようなものに見えるのである。8時間労働制が無かった時代の10数時間労働のようなものと。この僕のような「健全な感覚」の人々が、「マネーゲーム規制」つまり「厳しい金融規制」を世界に要求しているのである。これには日米など大国が反対し、中小国が賛成するのが普通だろうとも思う。
新自由主義とはやはり、生き馬の目を抜く世界、いや、生きた人間の目を抜く社会なのだ。そして、このように10数時間労働などという生き馬の目を抜く事実、現実は常に先に進み、8時間労働制などの規制法などは後から追いついていくというのが、人間史の大変な悲しさである。
こういう金融規制を後開発国などが求めるのは自然なこと。彼らにはこういうことが一定許されているのである。ただし、中国のように追いついてきた大国が、新自由主義の利用できる所だけは利用して、嫌なことは拒むということこそが、近年大いに非難されることになるのだ。アメリカが中国のここを猛烈批判していくのは自明である。
なお、これらの経済仕組みについては、社会の1%と99%階層間で、情報の非対称性が酷く、大部分の有権者が正しい判断など出来ないようになっていると、僕は見ている。ここで民主主義が単なる形式と堕して、政治に対して正しく機能していないとも。