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新自由主義経済の阿漕な仕組みいくつか   文科系

2017年09月14日 13時33分01秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 8月19日の中日新聞にこんな記事があった。東海東京証券会長・石田建昭氏が書いたコラムに。

 東証の取引高の60%は、ほとんど外資金融機関による高速取引絡みとあった。残りの内25%は、「デイトレーダーともいわれ、主にオンライン証券の機能を使う個人投資家の群」とあり、こちらは和製なのだそうだ。
 なんのことはない。東証取引高の85%が、マネーゲームなのである。ちなみにこの二つの投資家を取引所関係者は「ジョーズ」、つまり血に飢えた鮫と呼んでいるのだそうだ。

 実業の人々の命が懸かったような株を、意識して上げ「下げ」して儲けるということ自身が僕には何か随分邪なことに思えるのだが、これが典型的な新自由主義の遣り口というものなんだろう。というように、新自由主義の仕組みには、普通の常識では目に余るようなものがかなりあるようだ。
 例えば証券に掛ける保険では、その証券の持ち主でなくとも保険を掛けられる仕組みがある。
 ある家の持ち主でない人が、その家に保険を掛けることができたら、『燃えれば丸儲け、損もなし』ということから、『火事場泥棒奨励みたいなもんじゃないか』という人もいるのである。つまり、その証券の、例えばある会社株の、持ち主でない人がその株に保険を掛けることができたら、会社が潰れれば丸儲けという理屈なのだから。

 通貨危機というのも、随分阿漕なことができるもので、これには空売りという、僕に言わせれば阿漕な遣り口が絡んでいる。空売りとは、他人の証券などを大量に借りてこれを売り、この証券などを大幅に値下げさせえたときに大儲けできる仕組みである。
 人の命が懸かったような株を人為的に大幅に下げたときに儲かる仕組みって、果たしてこの人間社会で健全なものと言えるのだろうか。


 これら全て僕にはこんなようなものに見えるのである。8時間労働制が無かった時代の10数時間労働のようなものと。この僕のような「健全な感覚」の人々が、「マネーゲーム規制」つまり「厳しい金融規制」を世界に要求しているのである。これには日米など大国が反対し、中小国が賛成するのが普通だろうとも思う。
 新自由主義とはやはり、生き馬の目を抜く世界、いや、生きた人間の目を抜く社会なのだ。そして、このように10数時間労働などという生き馬の目を抜く事実、現実は常に先に進み、8時間労働制などの規制法などは後から追いついていくというのが、人間史の大変な悲しさである。

 こういう金融規制を後開発国などが求めるのは自然なこと。彼らにはこういうことが一定許されているのである。ただし、中国のように追いついてきた大国が、新自由主義の利用できる所だけは利用して、嫌なことは拒むということこそが、近年大いに非難されることになるのだ。アメリカが中国のここを猛烈批判していくのは自明である。


 なお、これらの経済仕組みについては、社会の1%と99%階層間で、情報の非対称性が酷く、大部分の有権者が正しい判断など出来ないようになっていると、僕は見ている。ここで民主主義が単なる形式と堕して、政治に対して正しく機能していないとも。
  
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掌編小説  「朋ありて遠方より来たる」    文科系

2017年09月14日 12時27分06秒 | 文芸作品
「何言ってるの、Tさん!? 君ほど『認められたい』が強い人も少ないと見たが……」
 Sから急に強い声が吐き出されたのは、僕が彼の作品批評でこう触れた時だった。
「Sさんの随筆や小説にも、キーワードとしてよく出てくる言葉だけど、これは良くないよ。ちょっとちがう。『同人誌などそもそも物を書くって、他人に認めてもらいたいから』」

 対する僕の応えも強い調子に変わって来るが、もう一人のKもいつもの微笑みで身を乗り出して来たなと、目の端に留める程度の余裕は持っていた。というのは、これが、どうしても説明仕切ろうと考え抜いてきた今日の話の最大焦点だったからだ。ここは都心のある酒場で、最近知り合った三つの同人誌それぞれの代表のような男性三人が互いの作品批評を目的に申し合わせた飲み会なのである。Sの著作に多いこの言わば「承認欲求」論こそ、僕がここに向けて最大焦点の一つと構えてきたことだった。
 
「ただの『承認欲求』を君は人生の本質のように語るけど、ただそれだけのことなら人生の目的なんかになるはずがない。こう考えてみたらいい。あらゆる読者相手に『承認欲求』を重視したら、どんな作品ができる? 僕がそういう作品からは最も遠い書き手だって、これは君にも分かってるはずだ!」

 とそう応えて準備した三枚一綴りを二人に手渡した。昔同人誌に載せた原稿用紙十枚程度の「僕の小説方法論」のコピーである。テーマ、構成、表現と三部構成の「テーマ」の中からごく短い一節を読み上げる。
〈人生で本当に大切なものは、押し詰めて言えばそう多くはない。…… 例え一~二%の読者相手でも。僕はそういう事柄を作品にしたい〉
「Sさんがそう語るのは、例えば、僕が自分の政治ブログにランニング、ギターなどの随筆までだしているからなのだろう。そこに「承認欲求」をまず見るのは、曲解だよ。僕は四十五歳頃から、活動年齢を長くしたいということと、何か一つ『音楽』活動とを思い立った。これらは、五十歳過ぎて準備した同人誌活動やその後のブログと並べて、ただ一度の人生を大事にしたいと色々考え、努力してきた結果なんだ。自分に大切な活動を同志と語り合いたいと思うのはこれまた自然な話。もともと少数の読者しか当てにしていず、売るための作品でもないのだから、敢えて文句を言う方がおかしいと思う」
 ここで、Sは黙った。「ごく少数相手に書く」という力点が応えたようだ。Kは、相変わらず身を乗り出している。「こういう話自身をしあえる人がそもそもほとんどいない」とは、さっきSの口をついて出たばかりの言葉でもあった。

「もう一つ聴くけど今年の同人誌に僕が書いた『金融世界支配の歴史、現状』は、多くの人が自ら進んで読む作品だと考える? そして、君はあれをどう評価する?」
「そうだな、原稿用紙五〇枚のあーいう経済論文を読み切ろうと臨む人はごくごく少数だろう。内容は、読んだことがないような広がりを有していて、多分世界の本質的なことの一つと読んだよ」
 僕の目をしっかりと見詰めて一種厳粛な表情で彼が語ったと、僕には受け取れたものだ。

 この夜の飲み会は、二、三次会のカラオケ、喫茶店までと、合計六時間を超えた。「朋ありて遠方より来たる。また、楽しからずや」。人生最大の充実した一時だろう。
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