戦争に対して、抵抗力が多い時代と、これが少ない時代というものがあるように思う。そして、こういう知識は少なくとも100年ほどの世界史を見て来なければ、分からないものだとも。以下のように。
戦争への抵抗力が少ない時代とは、やはり失業者が多く、生きていくのが苦しくって、個人も集団、国も競争、追い落としが激しい時代。1929年前後の世界大恐慌時代とか、2008年のリーマンショック前後の大消費不況から今も打ち続くマネーゲーム、超格差、慢性的失業者などの時代がこれに当たるだろう。激しい競争のために、人間性も損なわれていく時代とも見うるのではないか。
戦争への抵抗力が大きい時代の時代内容とは、戦後一時期あったような弱者にこそ社会の目が向けられた民主主義発展の時代。
この二つをケインズ流に言うと、こうなるのだろう。供給サイド経済の時代(金融本位の時代)と、需要サイド経済の時代(給与生活者本位の時代)と。ここで経済というのは普通の意味とちょっと違うのであって、世界の人々が普通に食っていけること、そして子どもを二人以上生み育てられて、その将来にも安心できそうだという時代。そんな程度の意味なのだろう。
今は全くこんな時代ではなくなっている。世界全体もそうだが、日本は特に。若者に失業者(「完全失業率の発表」が落としている潜在的失業者を含む)、不安定雇用者があふれて、結婚も出来ない少子化時代というのがその証拠だ。「景気が良くなるなら何でもやってくれ」という機運に満ちた1930年代は08年以降の今に似ていると言われてきたが、30年代は軍事大拡大の時代であり、ヒトラーや、満蒙・侵略・開拓の日本が出現した。出現しただけではなく、人々は彼ら、その施策を熱狂して迎えた。
こうして、今英米が作ってきた新自由主義時代とは、本当に悪い時代なのだと思う。そして、歴史の当事者がこれを分からないことが人間の悲しさだとさえも。イラクで関連死含めて50万人とか、シリアでそれを上回る死傷者が出て、南欧、アジア、アフリカ、南米では失業者をあふれさせている時代! 特に若者の失業者大群の時代! 右派が国粋主義を唱い、軍拡も進んで行くような時代! 物が有り余るようなこんな豊かな世界が一体何故、どうして??
歴史は時代に浸かっている目では何も見えて来ないと思う。浸かっていない目で少なくとも百年程度は見て、今を客観視できる目が大切ということではないか。アメリカのように国連さえ見ない、無視するのであれば、何をか言わんやだが。
1990年までは冷戦の時代であった。これは、軍拡競争に敗れたソ連ゴルバチョフが降参と両手を上げたから、無事に終わることが出来た。その直後に起こったのが湾岸戦争であり、中東の時代。やがて「テロとの戦い」の時代が始まった。アフガン戦争、イラク戦争、シリア内乱戦争などは膨大な死者、難民を出し、いまなお三つとも戦乱下にあるのだが、早くも次の戦争の時代、仮想敵国が現れたようだ。米中問題を含む北の核問題として。
こうして僕は北の核問題をば、9・11や「イラク大量破壊兵器」、「シリア政権の化学兵器使用問題」などと並べて考えてみるのである。すると、米中の経済・軍事・政治的な競り合いという次の時代が見えて来たような気がする。
すると次には、こんなことに気付く。冷戦、アフガン、イラク、シリア、そして北、中国と戦争の相手、場所は変わっても、「こちら」は全ていつもアメリカなのだと。それも、自国だけではなくその都度参戦国仲間を募って、そこも軍拡させてきた。結果として、戦後50年続いた厳しい米ソ冷戦時代に比べてさえ、今の米軍事費は2倍になるに至っている。
はて、こうして歴史を長い目で見てくると、こんな疑問が湧いてくる。「邪な敵」がいるから軍事費を増やすのか、軍事費を増やし続けるために常に新たな敵を作ってきたのか。アメリカはもちろん前者を吹聴しているが、僕は後者のように思えてならないのである。いわゆる「産軍複合体」が政治をも巻き込んでいく自己増殖運動。
思えば、第二次世界大戦直後に今を予言し、警告を鳴らした大統領がいた。第34代アメリカ大統領アイゼンハウアー。警告を発したのは1960年頃のことである。大戦が終わっても相変わらず自己増殖に励んでいた軍事関係者に、時の大統領自らが脅威を感じたことは明らかなのである。
戦争への抵抗力が少ない時代とは、やはり失業者が多く、生きていくのが苦しくって、個人も集団、国も競争、追い落としが激しい時代。1929年前後の世界大恐慌時代とか、2008年のリーマンショック前後の大消費不況から今も打ち続くマネーゲーム、超格差、慢性的失業者などの時代がこれに当たるだろう。激しい競争のために、人間性も損なわれていく時代とも見うるのではないか。
戦争への抵抗力が大きい時代の時代内容とは、戦後一時期あったような弱者にこそ社会の目が向けられた民主主義発展の時代。
この二つをケインズ流に言うと、こうなるのだろう。供給サイド経済の時代(金融本位の時代)と、需要サイド経済の時代(給与生活者本位の時代)と。ここで経済というのは普通の意味とちょっと違うのであって、世界の人々が普通に食っていけること、そして子どもを二人以上生み育てられて、その将来にも安心できそうだという時代。そんな程度の意味なのだろう。
今は全くこんな時代ではなくなっている。世界全体もそうだが、日本は特に。若者に失業者(「完全失業率の発表」が落としている潜在的失業者を含む)、不安定雇用者があふれて、結婚も出来ない少子化時代というのがその証拠だ。「景気が良くなるなら何でもやってくれ」という機運に満ちた1930年代は08年以降の今に似ていると言われてきたが、30年代は軍事大拡大の時代であり、ヒトラーや、満蒙・侵略・開拓の日本が出現した。出現しただけではなく、人々は彼ら、その施策を熱狂して迎えた。
こうして、今英米が作ってきた新自由主義時代とは、本当に悪い時代なのだと思う。そして、歴史の当事者がこれを分からないことが人間の悲しさだとさえも。イラクで関連死含めて50万人とか、シリアでそれを上回る死傷者が出て、南欧、アジア、アフリカ、南米では失業者をあふれさせている時代! 特に若者の失業者大群の時代! 右派が国粋主義を唱い、軍拡も進んで行くような時代! 物が有り余るようなこんな豊かな世界が一体何故、どうして??
歴史は時代に浸かっている目では何も見えて来ないと思う。浸かっていない目で少なくとも百年程度は見て、今を客観視できる目が大切ということではないか。アメリカのように国連さえ見ない、無視するのであれば、何をか言わんやだが。
1990年までは冷戦の時代であった。これは、軍拡競争に敗れたソ連ゴルバチョフが降参と両手を上げたから、無事に終わることが出来た。その直後に起こったのが湾岸戦争であり、中東の時代。やがて「テロとの戦い」の時代が始まった。アフガン戦争、イラク戦争、シリア内乱戦争などは膨大な死者、難民を出し、いまなお三つとも戦乱下にあるのだが、早くも次の戦争の時代、仮想敵国が現れたようだ。米中問題を含む北の核問題として。
こうして僕は北の核問題をば、9・11や「イラク大量破壊兵器」、「シリア政権の化学兵器使用問題」などと並べて考えてみるのである。すると、米中の経済・軍事・政治的な競り合いという次の時代が見えて来たような気がする。
すると次には、こんなことに気付く。冷戦、アフガン、イラク、シリア、そして北、中国と戦争の相手、場所は変わっても、「こちら」は全ていつもアメリカなのだと。それも、自国だけではなくその都度参戦国仲間を募って、そこも軍拡させてきた。結果として、戦後50年続いた厳しい米ソ冷戦時代に比べてさえ、今の米軍事費は2倍になるに至っている。
はて、こうして歴史を長い目で見てくると、こんな疑問が湧いてくる。「邪な敵」がいるから軍事費を増やすのか、軍事費を増やし続けるために常に新たな敵を作ってきたのか。アメリカはもちろん前者を吹聴しているが、僕は後者のように思えてならないのである。いわゆる「産軍複合体」が政治をも巻き込んでいく自己増殖運動。
思えば、第二次世界大戦直後に今を予言し、警告を鳴らした大統領がいた。第34代アメリカ大統領アイゼンハウアー。警告を発したのは1960年頃のことである。大戦が終わっても相変わらず自己増殖に励んでいた軍事関係者に、時の大統領自らが脅威を感じたことは明らかなのである。