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書評「国家と教養」(藤原正彦著)④ 教養の3本柱と「情緒と形」  文科系

2019年07月22日 00時46分52秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 さて、以上のように国が売られて惨めになった21世紀日本に対して、著者は古代ギリシャにまで遡った教養の復興と、そこへの追加を一つ、叫ぶ。「民主主義は、国民に教養がなければ結局、自国も守れない衆愚政治になる」と。その下りはこんな風に。

『まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まず長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。(中略)
 力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の習得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。それには先に詳述した、我が国の誇る「大衆文化教養」が役立ちます』

人文、社会、自然と語られれば、人文科学、社会科学、自然科学という概念をば、日本の学問伝統を知っている知識人なら誰でも想起する。これが、旧制帝大以来ながく伝統であった大学の3学問部門、分類だったから。著者は、これがギリシャ以来人類に保たれてきて、ヨーロッパ・ルネッサンスでさらに花開き、西欧を近代させて時代の先頭に立てたのだと述べていく。

 ところで、この3つだけでは20世紀世界の二つの人類悲劇には対応できなかったというところで、4番目の柱を登場させる。20世紀にこれが強かった二つの国、ドイツと日本が全体主義国になり、あの酷い戦争を起こしてしまったという事実を重視して、そこから辿り着いた結論でもあると示されるのである。「情緒と形」とか、具体的には「大衆文化教養」とか「知情意」とかにも触れて説明されるものが欠けると、教養の上滑りが起こるというこの部分が、この著作の最大眼目と言える。

 この書のこの最大眼目は、著者が最も長くあれこれと説明しているところだが、はっきり言ってこの点は成功しているとは言えないと考える。少なくとも学問としては。敢えて言えば、数学者が愛国の義憤から仕入れた教養には、人文、社会両料学がまだ不足していると、僕は読んだ。なお、この点は著者も十分自覚していて、だからこそ、まさに自分のベース、土台からこの様に叫んでいるのである。この声は著者が好きなジェントルマンらしく、今の惨めな日本にとって大切なものとも思うが、
『私は教養人と言えるような人間ではありません。ただ、規制の緩和とか撤廃がどんどん進むにつれ、弱者が追いやられているように感じ始めたのです。』

 ちなみに、人文科学の20世紀世界最大の人物の1人ノーム・チョムスキーは、人文科学から社会科学へと晩年の研究を移していった感がある。最近では、世界的ベストセラー「サピエンス全史」を書いた若い人文科学者・歴史家、ユバル・ノア・ハラリもどんどんそうなっていくはずだと愚考している。

 金融独裁世界がもし出来上がってしまったとしたら、この世界は、「1984年」の中に描かれたまさにあのようなものにしかならないと、チョムスキーもハラリも言うだろう。藤原氏がこの本で見ているよりもはるかに深刻な人類世界、未来を今既に覗けるわけである。チョムスキーの著「覇権か、生存か・・・アメリカの世界戦略と人類の未来」とは、そういう意味である。

(終わります)
コメント (1)
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