人になど到底聞かせられない下手な1人習いを経て、定年退職後に先生について16年になったクラシックギター。先日29日の発表会の出来も、かなり酷いものだった。フランシスコ・タレガばかり、「プレリュード10、11番」「エンディーチャとオレムス」「ゆりかご」を弾いたのだが、右手指が固まって弦に指がかからなかったり、逆に親指などは時に強くかかりすぎて音が割れたり。でもまー最後まで弾き切ったから、それなりに満足している。今では、心の弱さもさらけ出すのが発表会と心得て参加している。
こういう僕のギターにも、ただ二つの取り柄があって、これが意外に大きいことと近年ますます気付き始めた。一つは、今でもランニング10キロが出来る有酸素運動能力がギター生活にも生きていること。そして今一つが、大好きな曲、今で言えば大小26曲ほどを暗譜している暗譜群を持っていること。この二つの意味が、年を経るごとに大きいものになってきた。
有酸素運動能力は、あの不自然な姿勢で行うハードな長時間練習に耐えられるということ。今でも、2時間弾き続けても何ともない身体だから、まだまだギターを楽しめることになる。有酸素運動能力とは換言すれば、活動年齢を延ばす能力と言って良いと思う。
暗譜群の方は、年々取捨選択を重ねつつ、月に3~4回り弾いて保ってきたものだが、暗譜しているから下手なりに好きな曲をあれこれと自由に弾き回せるということ。長年定期的に弾いてきた曲だから、目を閉じていても弾けるというようなもので、まーとても幸せである。この年齢で月に3~4回り弾くだけではどんどん傷も増えて、下手にもなっていくけれど、1か月も弾き込めば発表会の曲に出来るものばかりということでもある。
そればかりか、この暗譜群に連なっていてここから過去に落とした曲の暗譜を復活させることもこの年齢で可能だと分かった。タレガの「マリーア」とか、バリオスの「郷愁のショーロ」とかがそれに当たり、これらは発表会でも弾くことになったもの。この2曲などは、「僕には難しすぎる。これを発表会で弾ける時が来るとは到底思えない」として、暗譜群から落とした曲なのである。
このようにずっと暗譜に拘ってきたせいなのか、今でも、大変な苦労をしても、新しい曲を覚えることが出来るのである。タレガの「ゆりかご」やリヨベートの「アメリアの遺言」が、最近覚えて暗譜群に加えた曲である。
こうしてつまり、この暗譜群と有酸素運動能力によってこそ僕のギター人生もまだまだ続けていけるという、そんな感じの幸せだ。
こういう僕のギターにも、ただ二つの取り柄があって、これが意外に大きいことと近年ますます気付き始めた。一つは、今でもランニング10キロが出来る有酸素運動能力がギター生活にも生きていること。そして今一つが、大好きな曲、今で言えば大小26曲ほどを暗譜している暗譜群を持っていること。この二つの意味が、年を経るごとに大きいものになってきた。
有酸素運動能力は、あの不自然な姿勢で行うハードな長時間練習に耐えられるということ。今でも、2時間弾き続けても何ともない身体だから、まだまだギターを楽しめることになる。有酸素運動能力とは換言すれば、活動年齢を延ばす能力と言って良いと思う。
暗譜群の方は、年々取捨選択を重ねつつ、月に3~4回り弾いて保ってきたものだが、暗譜しているから下手なりに好きな曲をあれこれと自由に弾き回せるということ。長年定期的に弾いてきた曲だから、目を閉じていても弾けるというようなもので、まーとても幸せである。この年齢で月に3~4回り弾くだけではどんどん傷も増えて、下手にもなっていくけれど、1か月も弾き込めば発表会の曲に出来るものばかりということでもある。
そればかりか、この暗譜群に連なっていてここから過去に落とした曲の暗譜を復活させることもこの年齢で可能だと分かった。タレガの「マリーア」とか、バリオスの「郷愁のショーロ」とかがそれに当たり、これらは発表会でも弾くことになったもの。この2曲などは、「僕には難しすぎる。これを発表会で弾ける時が来るとは到底思えない」として、暗譜群から落とした曲なのである。
このようにずっと暗譜に拘ってきたせいなのか、今でも、大変な苦労をしても、新しい曲を覚えることが出来るのである。タレガの「ゆりかご」やリヨベートの「アメリアの遺言」が、最近覚えて暗譜群に加えた曲である。
こうしてつまり、この暗譜群と有酸素運動能力によってこそ僕のギター人生もまだまだ続けていけるという、そんな感じの幸せだ。