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書評「国家と教養」(藤原正彦著)②問題意識と回答  文科系

2019年07月20日 10時51分39秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
この書の問題意識とそれへの回答


 この書評二回目の今回まとめるのは、表題の通りのこと、この二つそれぞれが全6章のうちの、初めの第1章と終章第6章とに書かれている。まず第1章の内容については、作者自身が端的にこうまとめているので、活用させて頂こう。
 なお、以下の重要語などの詳しい説明は次回③回目以降に譲り、今回は問題と結論に関わる著者の重要語の提起に留めておくということである。

『第一章で、1990年代後半から始まり小泉竹中政権で絶頂に達した、異常とも言える構造改革フィーバーの本質について、私自身長いこと気付かなかった、21世紀に入りしばらくしてやっと疑問を抱き始めた、と書きました。私は教養人と言えるような人間ではありません。ただ、規制の緩和とか撤廃がどんどん進むにつれ、弱者が追いやられているように感じ始めたのです。
 (中略)
 まず惻隠の情が働きました。弱いものがいじめられていると感じました。規則とは弱者を守るためにあったのだ、規則なしの自由競争とは弱肉強食そのものだ、まさに獣の世界ではないか、人類は何世紀もかけ少しずつそこから離れようとしてきたのではなかったか、などと考えました』


 そして、この問題意識に対する回答、第6章の主要部分は結局こういうことになっている。古代ギリシャも含めた今までの民主主義国家は、国民に教養がなかったから結局、衆愚政治になってしまったものばかり、と。この下りについては、20世紀の英国首相チャーチルの考え方として世に有名なこんな政治思想が展開されている。

『民主主義国家は、古代ギリシャから現在に至るまで、例外なく衆愚政治国家でした。一言で言うと民主主義とは、世界の宿痾とも言うべき国民の未熟を考えると、最低の政治システムなのです。ただ、フランス革命前のブルボン王朝、清朝、ヒットラー、スターリン、毛沢東、北朝鮮などを考えると、絶対王政や独裁制や共産制よりはまだまし、というレベルにあるのです』

 そこから作者は、国民のこの未熟を埋めていくべき「これからの教養」の4本柱を提起する。その部分を抜粋してみよう。

『まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まず長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。(中略)
 力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の習得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。それには先に詳述した、我が国の誇る「大衆文化教養」が役立ちます』

これが作者の問題意識に対する結論なのだが、ここに言う前3本柱の世界史・日本史的説明とか、これが世界有数であっても独裁・軍国主義を招いてしまった国、ヒトラー・ドイツや戦前日本はなぜそうなってしまったのかとかが、2~5章で展開される。この最後の問いからこそ、この書の何よりの特徴第4の柱「その国の歴史に刻み込まれた情緒とか形」とか、「大衆文化教養」が浮かび上がってくると書かれているのだ。


(続く)
コメント
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