随筆 日韓不幸の源
ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて愚考を開陳してみたい。
六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が韓国に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。
日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。これは、「ペリー来航・即首都への川をさかのぼり砲撃しつつ侵略」と言えるようなものであって、韓国にとっては大事件であった。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。日本軍隊が平時の常時外国多数駐留を認めさせたのも朝鮮が初だし、九五年には、こんな大事件も起こった。
夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた朝鮮の反日行動に対する日本側の憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕は思う。
安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、三五年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。
一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末なのである。併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいない。
(2015年6月、ここに初出)
ちょうど五十年前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。この七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出るようだ。去年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて愚考を開陳してみたい。
六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば六月一日の中日新聞が、二つの問題に集約できると述べている。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。韓国植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が韓国に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。
日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。これは、「ペリー来航・即首都への川をさかのぼり砲撃しつつ侵略」と言えるようなものであって、韓国にとっては大事件であった。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。日本軍隊が平時の常時外国多数駐留を認めさせたのも朝鮮が初だし、九五年には、こんな大事件も起こった。
夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた朝鮮の反日行動に対する日本側の憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕は思う。
安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、三五年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺しても、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。
一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末なのである。併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいない。
(2015年6月、ここに初出)
政府の意思に反する民衆の行動も、案外政府の「やり方の範囲」だったりして。これを使い分けるのが上手い外交ということなのでしょう。
いずれにしても、強制的慰安婦はあったわけで、ないものにはできない。そういう記念碑は残しておいた方が、世界の民主主義発展のためにはよいことだと思います。その伝でいえば、エントリー冒頭、管官房長官の「ハルピン安重根記念館」への「テロリスト」発言は、トロサの極地だと思いますね。ナイーブすぎます。ご本人は、「青少年教育のためにも・・」とか、大真面目かも知れませんが。そんなことの尻ぬぐいに高い金を払っていたら、税金が適わん!
難しい問題ですね。
①第二次世界大戦までの国際連盟は、これを認めない。自分らが満州事変リットン調査団報告採択を機に連盟から脱退しているからだろう。
②連盟を認めなければ確かに、それ以降太平洋戦争までの行動は、「国際法違反」とは言えないように見える。が、これはこういう弁護論と同じだ。
「俺は人を殺したが、日本人であることをやめると宣言したから、日本の法では裁けない」
③「戦勝国裁判」の実態はこうである。日本を満州事変から当時の国際法で裁いたのである。国際連盟を完全無視して行動した日独を、無視しなかった側がその法で裁いたとも言えるのだ。
④これと同じ論法で、現在の国連をも「戦勝国組織」として日本は面従腹背だけに見えるだから、今はこういう行動に出られるわけだ。国連を無視するアメリカにいつも同調している。イラク戦争しかり、G8からロシアを追い出してG7で国連の代わりをしようとしていることしかり。国連を差し置いてG7で行動すれば、中国も無視できるという論法である。
⑤これじゃ、世界が平和になるわけがないということだ。各国対等で世界の将来を決めるという道をはなから放棄しているのである。
⑥これでは、第一次世界大戦の前、つまり国際組織が出来る前に世界を戻すのと同じではないか。G7が打ち揃ってそういう行動に出ているのである。これで世界が平和になるのか。グローバリゼーション派に都合良い弱肉強食社会に戻り掛けているのである。