まだ明治は始ったばかりです。でも国家としては、国民と国境を定めないといけません。1875年に、ロシアと千島と樺太を交換して北の国境を確定します。続いて台湾も清との交渉(かってに侵略したのではありません)をして、また琉球もと、これで南の国境が確定します。さて問題は、朝鮮半島の李氏朝鮮でした。ロシアはひたひたと満州方面への侵略が始り出します。そこから朝鮮半島への野心が見えてきます。それが征韓論の始まりですね。
アメリカも19世紀終末の頃、ハワイも併合し、フィリピンをメキシコから取ります。
そして1899年シナへの門戸開放を宣言します。とうとうこの極東に新興の帝国主義者であるアメリカと旧の帝国主義国が揃い踏みしたわけです。それが日清戦争(ただし三国干渉あり)を終えた日本の近隣というか状況だったのです。シナ・満州を何処が、朝鮮を何処が、ついでに日本もどうかと・・。そして20世紀、イギリスは、ボーア戦争に追われています。ロシアの満州・朝鮮への侵略の意図はありありとしてきました。英国もご存知のように、ロシアの南下防止政策は、地中海、インド洋などは抑えてきましたが、この朝鮮・満州・シナへのロシアへの進出を抑えないといけません。それが、日清戦争で勝った日本を同盟国に選んだ理由でしょう。二つの国の国益が合致したのです。所で満州は漢族の国ではなく台湾同様に化外の地であり、満州族である清の故郷でしたし、清は満州へ漢人を入れないようにしてきました。満州は、当時、がら空きで誰が収奪しても良い地と言って良いでしょう。
いよいよ李氏朝鮮も国内が混乱し始めます。日本へついたりロシアへついたりと、民衆は貧困の極みにあり、統治力は、もう限界にきていました。ただ、ただ初めて日本の後押しで1897年大韓帝国として、シナ帝国の長い長い服属国の位置から独立します。
そして、いよいよ日露戦争へと。今年は、日露戦争戦勝100年でした。
やっとこれで日本は、欧米に、やっと国家(近代)として認められるのです。これまでの道には明治維新での内戦による犠牲者、日清戦争・日露戦争による犠牲者によって達成されるのです。当時、戦争は嫌いですなんて言っていましたら、この国は、列強の植民地というか、悪くとも列強に分割統治されていたでしょう。
日露戦争勝利の結果、日韓併合は、必然として生まれたものです。これは当時、国際的に十分認められたものです。非難した国はありません。そして起きてきたのがアメリカ各地でのシナ人移民の禁止とか日本人移民への排斥運動の激化です。これは、洲でやっている間はまだ良かったのですが、連邦として制限と排斥をし始める、何故、東洋人(有色人)は駄目なのかという人種差別の様相になってくるのです。確かに、日本人とし考えるなら、アフリカ・アジア・南米などの殆どが植民地になって収奪されているということに、同じ有色人としての憤りを持ったことは、極めて、倫理性の高いものでした。なお欧米はの植民地と日本の朝鮮・台湾統治とを同じものと、見ない方がいいです。これは是非、当時の統治状態を書いた本が、幾らでもありますから読んで見て下さい。ではここまでで。
アメリカも19世紀終末の頃、ハワイも併合し、フィリピンをメキシコから取ります。
そして1899年シナへの門戸開放を宣言します。とうとうこの極東に新興の帝国主義者であるアメリカと旧の帝国主義国が揃い踏みしたわけです。それが日清戦争(ただし三国干渉あり)を終えた日本の近隣というか状況だったのです。シナ・満州を何処が、朝鮮を何処が、ついでに日本もどうかと・・。そして20世紀、イギリスは、ボーア戦争に追われています。ロシアの満州・朝鮮への侵略の意図はありありとしてきました。英国もご存知のように、ロシアの南下防止政策は、地中海、インド洋などは抑えてきましたが、この朝鮮・満州・シナへのロシアへの進出を抑えないといけません。それが、日清戦争で勝った日本を同盟国に選んだ理由でしょう。二つの国の国益が合致したのです。所で満州は漢族の国ではなく台湾同様に化外の地であり、満州族である清の故郷でしたし、清は満州へ漢人を入れないようにしてきました。満州は、当時、がら空きで誰が収奪しても良い地と言って良いでしょう。
いよいよ李氏朝鮮も国内が混乱し始めます。日本へついたりロシアへついたりと、民衆は貧困の極みにあり、統治力は、もう限界にきていました。ただ、ただ初めて日本の後押しで1897年大韓帝国として、シナ帝国の長い長い服属国の位置から独立します。
そして、いよいよ日露戦争へと。今年は、日露戦争戦勝100年でした。
やっとこれで日本は、欧米に、やっと国家(近代)として認められるのです。これまでの道には明治維新での内戦による犠牲者、日清戦争・日露戦争による犠牲者によって達成されるのです。当時、戦争は嫌いですなんて言っていましたら、この国は、列強の植民地というか、悪くとも列強に分割統治されていたでしょう。
日露戦争勝利の結果、日韓併合は、必然として生まれたものです。これは当時、国際的に十分認められたものです。非難した国はありません。そして起きてきたのがアメリカ各地でのシナ人移民の禁止とか日本人移民への排斥運動の激化です。これは、洲でやっている間はまだ良かったのですが、連邦として制限と排斥をし始める、何故、東洋人(有色人)は駄目なのかという人種差別の様相になってくるのです。確かに、日本人とし考えるなら、アフリカ・アジア・南米などの殆どが植民地になって収奪されているということに、同じ有色人としての憤りを持ったことは、極めて、倫理性の高いものでした。なお欧米はの植民地と日本の朝鮮・台湾統治とを同じものと、見ない方がいいです。これは是非、当時の統治状態を書いた本が、幾らでもありますから読んで見て下さい。ではここまでで。