子供たちに勉強(の仕方)を教えていてうれしく感じるのは、その子が学校の授業でそれまでと違って先生の言うことが良く分かるようになったといって報告して来たり、もっと具体的にはテストの点が上がったり、成績評価が上がったりして子供自身が喜ぶ顔を見たときです。
私はよく「たかが勉強、されど勉強」と言いますが、子供たちにとっては、勉強することが即ち今の彼らの仕事です。この「仕事」の部分に「たかが」も「されど」も含まれています。上に書いた彼らの喜ぶ顔は、みなこの「されど」をしっかり完遂出来て初めて実現するものです。
というようなことを、私は以前勤めていた損害保険会社の研修で、当時副社長だった人の訓話の中で学びました。彼は常日頃からいろんなたとえ話や示唆に富んだ、仕事に活かせる話をしていて、私は大概これらを参考にして、ともすれば自堕落に陥りがちな会社生活を引き締めていました。彼は言いました。「たかが」で落として、「されど」でこれをリカバーすることに人間の進歩と価値があるのだと。
その時はぼんやりと話を聞いていたに過ぎなかったのが本当のところですが、さて、そんな私が今子供たちに向かってこれを言ったとき、はたして彼らの耳にこれがちゃんと届いているかどうか。