2022年『メトロポリタン美術館展』-レンブラント・ファン・レイン『フローラ』
ラファエロ・サンツィオ(サンティ)
「ゲッセマネの祈り」
1504年頃 油彩/板
20~21歳の作品、丘の上ではりつけにされようとするキリストが祈っている横で弟子二人が居眠りする光景、若きラファエロの繊細優美な画風、という解説でした。
ラファエロ・サンツィオ(サンティ)
「ゲッセマネの祈り」
1504年頃 油彩/板
20~21歳の作品、丘の上ではりつけにされようとするキリストが祈っている横で弟子二人が居眠りする光景、若きラファエロの繊細優美な画風、という解説でした。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオラ
(1576‐1622)
《聖エウスタキウスのいる風景》
1610年頃
油彩、カンヴァス
68.2 × 67.8 cm
(公式カタログより)
「17世紀初頭の優れたローマの風景画家のひとりの手になる本作品は、さまざまな理由から検討に値する。第一に、この作品は古典主義的趣味の風景画であり、自然と敵対するのではなく、遠くに広がる見事な構成物(町だろうか、それとも、城館だろうか)が示すように、人間の手でつくられた心地よい世界の中で、主役のエウスタキウスは動きまわっている。つまり、描かれているのは再構成された自然なのである。第二に、そこで演じられているキリスト教のドラマもまた、見事なものである。前景に描かれた犬に何やら指示を出していると思われる狩猟者は、今まさに馬から降りて地面に跪き、大鹿を凝視している。この鹿の角のあいだには十字架が見え、そこから光が発し、この人物を驚かせている。幻視の後、キリスト教に転向したアントニウス帝時代のローマの兵士であるエウスタキウスの姿をそこに見ることができるが、ヴィオラが描いたのはまさにその幻視の場面である。
この作品の図像学も単純ではない。対抗宗教改革という時代を考えれば、カトリックのイタリアにおいて、この主題は戦闘的意味を纏っている。ヴォラギギネのヤコブスとその「黄金伝説」を信じるならば、エウスタキウスは4世紀におけるコンスタンティウス大帝のキリスト教への改宗とそのローマ帝国における国家宗教としての同教公認以前の人物である。エウスタキウスの物語にこだわることは、すなわち、原始教会と最初期の英雄たちを全面に押し出すことを意味する(エウスタキウスはローマで殉教した)。特に、この作品はキリスト教の奇跡と異教のそれとの称賛に値する統合を打ち立てている。両者のあいだの視覚上、物語上の均衡も注目されよう。古典主義的絵画における超自然の表現は、古代とキリスト教的物語のあいだに立つヴィオラの本作品において見事に例証されている。」
2024年3月16日(土)『特別展中尊寺金色堂』、今年はじめての東京でした。年末から寒さでほとんど体が動きませんでしたが少し暖かくなって無事に上野を往復することができました。旅日記を振り返ると、若かりし頃平泉を訪れた時には展示が遠く修学旅行生でざわついて何も心に残りませんでした。時を経て父、母、妹がいなくなった今の自分で出会った仏様たちはとても穏やかで優しいお顔をしていて癒されました。360度閲覧できるようになっていたので横顔も後ろ姿も拝見できて足にはかなりこたえましたが幸せなひとときでした。父、母、妹はこのような世界に今いるのでしょうか、この世から去るときにはわたしも仏様に導かれて藤原氏が夢みた極楽浄土へいくことができるでしょうか。
最後に展示されていた金色堂の模型
ライトアップされた東京国立博物館、金曜日と土曜日は19時まで開けてくれていました。ありがたいことです。出た直後足がつらすぎてお茶のみながら座っていたら警備員さんに声かけられました。門も閉めるのでそりゃそうですよね、ご迷惑かけました。
出品リスト、展示室ではフリガナがふられていましたがさすがにリストにはないので漢字が読めません。
クロード・モネ
《ヴェトゥイユの教会》
1880年、ヴェトゥイユ
50.5 × 61.0
サウサンプトン市立美術館、
モネ 連作の情景 - 芸術広場 (geijutsuhiroba.com)
(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)
クロード・モネ
《モネのアトリエ》
1874年、アルジャントゥイユ
50.2 × 65.5
クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー
(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)
レンブラント・ファン・レイン「フローラ」
1654年頃 油彩/カンヴァス
ティツィアーノの影響が感じられる、サスキアがモデルと言われたが10年以上前に他界していた、という解説でした。
「レンブラントが描き続けた妻サスキア-
最愛の妻サスキアは、レンブラントにとって最も創作意欲をかきたてるモデルだった。婚約して3日目の素描から始まり、花の冠をつけた女神として、あるいは宝石を身につけて着飾った貴族のように、と次々と妻を描いていった。
『夜警』の制作中に、妻は寝込んでしまったが、レンブラントは病床の妻さえも描き続ける。そして『夜警』の完成とほぼ同じ時期に、サスキアは30歳で亡くなる。『夜警』に描かれた謎の少女も、サスキアがモデルだとする説は根強い。レンブラントはサスキアの死後は、その面影を継いだ息子ティトウスを描き続けることになる。」
(『週刊世界の美術館-アムステルダム国立美術館』より)
「連作-移りゆく光のドラマを描く
50代に入り円熟期を迎えたモネは、しだいにただ一瞬の「印象」を切り取るだけでなく、その「印象」が変化するさまをもとたえ、絵画として表現したい、と考えるようになる。そこから彼は、同じモティーフを、しかも視点を変えずに描いて何枚もの絵画を完成させるという独自の方法、つまり「連作」を編み出した。描かれるモティーフ、そしてそれをとらえる視点は同じでも、早朝から夕方へ、春から冬へと、時間帯と季節に応じて、その光景の「印象」は刻々と変化する。そのとき、田園地帯の積み藁のようななにげない風景でさえも、光のドラマの舞台となる。巨匠の眼と筆は、このドラマを克明にとらえて放さない。」
(『西洋絵画の巨匠モネ』より)
クロード・モネ
《エトルタのラ・マンヌポルト》
1886年、エトルタ
メトロポリタン美術館、ニューヨーク
(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)
クロード・モネ
《ラ・マンヌポルト(エトルタ)》
1883年、エトルタ
メトロポリタン美術館、ニューヨーク
(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)
「妖精の住処
アイスランド
2023年10月10日01時48分撮影」
「銀河のともし灯
東京都、三宅島
2019年6月27日00時12分撮影」
「天の川の渚
京都府
2022年11月19日00時00分撮影」
「夜明けのリフレクション
オーストラリア、タスマニア島
2024年1月13日16時56分撮影」
クロード・モネ
《ヴェンティミーリアの眺め》
1884年、ボルディゲラ
グラスゴー・ライフ・ミュージアム(グラスゴー市議会委託)
(画像は『モネ連作の情景』公式ツィッターより)