たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

思いはつきることなくいつまでも

2014年10月18日 22時47分12秒 | 日記
昨日はまた一カ月ぶりに自死遺族の会に参加させていただきました。
自分の体験をまたお話させていただきました。
お別れからまだそんなに日がたっていない方のお話をきかせていただくと、
ずっと同じ悲しみ・苦しみが続くことはないことを話さずにはいられなくなります。
本当に状況は人それぞれで比べるものではない。
厳しい状況の中で、それでも人は生きている、亡き人と共に生きていく、人にはその力があることに、あらためて心が震えます。

21年前はこうした当事者同士の分かち合いがなかったし、あまり人に言ってはいけないような心持ちで長い間過ごしてきました。
気がついたら今はもう自分の体の一部になっているので、このトータルの私で生きていくしかありません。
受け入れられない所には行けないと思います。

先に逝った人の分まで自分が一生懸命生きている。それが大切なことですね。

終わってからはまた一カ月ぶりに、パスタランチ、お茶をゆっくりいただきながら、
日常生活へと戻っていきました。

あとで書き足すかもしれませんが、今はここまでです。


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今日は『赤毛のアン』を原文で読むセミナーに出かけました。
マシューが孤児院から汽車に乗ってやってくる「男の子」を馬車で迎えに行く場面など、
心が揺り動かされましたが、またあらためます。

終わってから親しくなった方が私を気遣って、お茶しませんかと声をかけてくださいました。いろいろとお話させてもらって、元気をもらいました。
ここ数カ月の間にいろんな方との出会いがあり、いろんなことを知ることができました。
人との出会いによって人生は変わってきます。ほんとに感謝です。
かなり弱ってきていてきついですが、乗り越えられる人にしか神様は試練を与えない、
妹が守ってくれていると信じてこのまま行くしかありません。

「実に理解しにくいことではあるが、しかし一旦それを理解すると、われわれの思考全体がそれによって大きな影響を与えられるのは次のような考え方である。すなわち、いきいきとした幸福感は、つねにただ新しい悲しみを迎えるための元気づけや知識となるべきものであり、一方、つらい試練や意気消沈はいつも新しい、より大きな洗浄と神の力とが加えられるための入口だということである。これが分かれば、不幸に出会っても落ち着きを失わず、幸福であってもまじめで思慮深くなる。」

(ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳、『眠られる夜のために第一部』岩波文庫、307頁より引用しています。)