たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

心の中にあるぬくもり

2015年04月08日 22時31分16秒 | 日記
朝から雨が降り桜吹雪と木々のみずみずしい緑とがしっくりと溶け合って、
新緑の季節へと移り変わっていこうとしていますが、冬に逆戻りしたような寒い一日でした。相変わらずの浮き草のような日々。
毎日、夜明日はこれをやろう、ここへ行こう、と決めてから眠るようにしています。

4月に入ったのだから何か新しいことをしたい、しなければ・・・と気持ちだけあせって、
先日冷静になれば自分でも信じられないようなつまらないものを一瞬信じて、手を出してしまいました。
幸いすぐに気づいたので軽傷ですみましたが、もう少し手前で気づくことだってできたはずなのに気づきませんでした。心が疲れて冷静な判断力を失っているとき、大きく隙間ができてしまっていました。妹が焦ったってだめだよと、教えてくれたのでしょうか。
私としたことがお恥ずかしいかぎりのことでした。

きっと私を心配して訪問してくださっていると思います。
ありがたいです。ひとりだけどひとりじゃない。
書きたまったきたので一度形にしてみてもいいかなとつらつら思ったりするこの頃。

昨日の夜は、一年ぶりに身体知プログラムに参加しました。
自分の体の声を聴くというセッションで、結果的に2013年6月9日にまっすぐに伸びる木というタイトルで書いたフォーカシング合宿の追体験となりました。
最初はすごく疲れていてきついと感じました。頭が痛くて、目の奥がガンガンしているのを自覚しました。左右ちぐはぐでバランスが悪くって苦しくって仕方なかったです。私裸眼だと左右の視力がかなり違うからなんですが、普段感じているバランスの悪さを一層強く感じました。
自分のことを言葉にして説明するのが辛いと感じました。この一年余り、ややこしい事情を話さなければならない場面が繰り返し繰り返し訪れてその度に心身が擦り減っていく感でした。だから自分のことを説明するのに、すっかり疲れてしまっています。
きつくなったので、坐ってひとり小さく鼻から吸って口から吐くを続けました。
こんなにきついんだとあらためて自覚、また涙が滲んでいます。
このままなのかなあと思いながら目をつぶって呼吸を続けていたら、「大丈夫?」と心配してくれた人が背中をさすって、悪いものが抜けていくようにと魔法をかけてくれました。
そうしたら不思議なことに、あったかい感じになってきて頭の上と体の中にランプがみえてきて、灯りがともっていました。
そのランプの形は、石巻にボランティアで側溝の泥出しに行った時に見た、津波でやられてしまった家の門に残っていた、コテッと横に傾いたランプ。
かつてはあたたかく家族を迎え入れた灯りがともっていたであろうランプの形。
自分の中にエネルギーが戻ってくるのを感じて、また自然と立ち上がることができました。
私、きっと大丈夫・・・。
自分を信じる気持ちを取り戻していこう。
今は大丈夫の確たる根拠がないので不安だけれど、きっと大丈夫・・・。
心の中にともった灯りには、ぬくもりと名づけました。

今感じている怒り、悔しさ、悲しさ等々の感情をないことにはできない。
一瞬横にちょっと置くことならできるかもしれないけれど、わすれることなんてできない。
人によってはそんなばかなことしていないで・・・、っていうことをずっと続けてきたのだけれど、気持ちの切り替えができていないのだけれど、自分の中にちゃんとあるものとして受けとめていこうとしています。受けとめて整理し直しながら、休み休み少しずついくしかない。浄化しながら少しずつ・・・。
ごはん食べていかないといけないのでどうしましょう。
そこを再構築できないかぎり人は認めないだろうし、私自身不安。
なんとかしていくしかないです。何かひとつ決められれば自分にご褒美をあげたいなあ。

文化村の「ボッチチェリとルネッサンス展」のことも書きたいですがまた次回。

心はプリンス・エドワード島へ帰りたいな。
ヴィクトリア村のかわいらしい灯台と青空。
ほんとに誰が撮っても、どこで撮っても、うーん、やっぱりきれい。