たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

春のプリンス・エドワード島への旅の思い出

2015年04月22日 22時39分13秒 | プリンスエドワード島への旅
なんだかもやもやと落ち着かない季節の変わり目の日々が続いています。
こういう時はあまり無理をせず、できるだけ穏やかな気持ちで過ごしていくように
した方がいいのかもしれません。
焦ったところですり減った状態ではなにをしてもうまくいかないので、
もうしばらくこのまま過ごしてみようと思います。
本当にこれでいいのかわかりませんが、少しずつ、少しずつ・・・の回復のプロセスです。

今日は春のプリンス・エドワード島への旅で知り合った女性お二人と一年ぶりにお会いしました。おそめのランチをいただき、お茶もしながら話は尽きませんでした。
日常生活の中で人と話すことが少なくなっているので、久しぶりにたくさんおしゃべりをして息抜きできました。心遣いもしてくださって感謝です。

大手旅行会社のフリープランを利用しての島へのひとり旅。
乗り継ぎのトロント空港でお二人に声をかけていただいた時の私は、
休みをとるためにどっちゃり働いて、ようやく休みをとってカナダへとたどりついたので、
日ごろの疲れとストレスをそのままひきずって顔がひきつっていました。
お二人には、そのままを伝えて申し訳ないですとあやまりました。

でも島に着いた翌日、現地ツアーでPEIプリザーブ・カンパニーの庭を歩いていた時、
トロント空港とはうってかわって、私がすごく幸せそうな表情をしたそうです。
その私の笑顔を見たお二人は、ここはそんなに素敵な場所なんだと思われたそうです。
オーウェル・コーナー歴史村の草の上に寝ころんで、三人で見上げた島の高い高い空と
雲。大切な心の思い出です。すごく寒かったのになぜだか温かさを感じていました。
不思議でした。
旅の後半には、日ごろの疲れが出て、体が辛くなってしまった時もありました。
くやしいですが、旅に出たくてがんばって働いて、ようやく旅に出ると具合が悪くなってしまいました。そんなこともお二人はおぼえてくださっていました。

その年の九月には父親とのお別れが訪れて、その一年半余り後には母親とのお別れが訪れて、
いろいろと大きな人生の節目がいくつも突然やってきました。
この時の島への旅がなかったら、その後のことを乗り切っていくことはできなかったでしょう。お金だけではない、行きたいと思った時行ける条件がそろえば少し無理があっても行ってよかったと思います。

プリンス・エドワード島への旅は五年先までとっておいて、秋に一緒に屋久島に行きたいですね、と夢は尽きることがありません。島は島でも、日本ですが、今の私には高いハードルです。実現させたいものです。

カナダ本土からアンが島へやってきたのは春でした。
プリンス・エドワード島の春は六月。

『赤毛のアン』第二章「マシュー・カスバートの驚き」より、
アンがグリーン・ゲイブルズを始めて訪れる場面です。

The yard was quite dark as they turned into it,

and the poplar leaves were rustling silkily all round it,

"Listen to the trees talking in their sleep,'she whispered,

as he lifted her to the ground,

"What nice dreams they must have!"

Then,holding tightly to the carpet bag which contained

"all her worldly goods,"she followed him into the house.

 やがて二人は、どっぷり日の暮れた裏庭にたどり着いた。
まわりではポプラの葉が、さらさらと衣ずれのような優しい音をたてていた。
マシューが女の子を馬車から抱いておろすと、「ほら、木たちが眠りながら
お話をしているわ。耳を澄ましてみて」と、女の子はひそひそ声で言った。
「きっと、すてきな夢をみているのね!」
それから「この世での私の全財産」をしまったカバンを大事そうに抱え、
女の子はマシューの後について、家にはいっていった。

(L・M・モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社文庫より。)

写真は、銀の森屋敷の馬車の中からの眺めです。
パムさんが乗りなさいと言ってくれて、英語がよくわからなかった私は
なにがなんだかわからないまま馬車の中に少しだけお邪魔しました。