九州に台風がきているせいか蒸し暑くなってきました。博多座ではエリザベート前楽が無事に終演したようでよかったです。福岡は遠いのでツィッターをのぞいては楽しむのみ。わたしまだ九州に行ったことがありません。色々な意味で余裕があれば遠征したかったな。飛行機の往復で羽田から日帰りも可能と言えば可能だったみたいですが今の業務では無理過ぎる・・・。
アンサンブルで出演中の百千糸さんがツィッターで紹介してくれたこちらの動画。真央ちゃんが「I belong to me」(邦題「わたしだけに」にのってスケーティングする素敵な動画。
https://youtu.be/Fq18VcmTS8E
英語版の歌詞も気になってネットで検索してみました。いくつかパターンがあるようですが、こんな訳に出会いました。
I will not give up my own self.
Just to be with you.
I will not be glad just to do.
What I,m told to do.
I,m not meant to be your property.
No,I belong to me.
私はあなたと一緒にいるためだけに
自分自身でいることをあきらめたりはしない。
わたしはやれと言われたことを、
ただ喜んでやったりはしない。
そう、私はわたしのものだから。
英語からの日本語直訳を読むとすごい歌だなあとあらためて思います。もとはドイツ語の歌詞を、ミュージカルの『エリザベート』では芝居の流れのなかでメロディラインにしっかりのりながら成立するよに、かなりうまく意訳されているんでしょうね。(小池先生の手腕、すばらしい。)ただの少女だったシシィが番狂わせでオーストリアの皇后となり16歳で嫁いでいくも、皇后ゾフィのきびしいしつけと宮廷のがんじがらめのしきたりが待ち受け、夫である皇帝フランツに助けを求めるも皇族として育てられてきたフランツは母であるゾフィの前に、シシィを愛しく思いながらも母の言うことに従うよう助言する。フランツに見捨てられたと感じたシシィが、宮廷のしきたりには従わないで、母と夫の言いなりになんかならないで自分は自分よ、と決意して美貌を武器に生き延びて行こうとする歌。冷静に考えると19世紀としてはかなり急進的な女性ですね。
シングルキャストでシシィを演じていた頃の一路さんがオーストリアを訪ねるこんな動画も先週ですが見続けてしまいました。「エリザベートその光と闇」
https://youtu.be/bc7D-liW2Oc
一路さんの、全身をはって古いしきたりになんか負けまいと決意するシシィの「わたしだけに」を思い出しました。一路さんシシィの舞台映像も少し登場します。日本で初演から20年がすぎた今も少しずつ演出を変えながら、少しずつ歌のもつ意味も変わっていきながら、その魂が体現されていることを、史実のシシィはどんな想いでみつめているのでしょうね。史実のルキーニは、100年後にまさか自分の狂気を日本ではあごひげをつけた美しい女性やイケメン男子がミュージカルで体現し舞台の進行役までつとめることになろうとは思いもしなかったでしょうね。
番組の中でドイツ語でシシィを900回以上演じた女優さんが、どれだけやっても毎回つぎの課題がでてくると語っています。一路さんの歌唱力をもってしても、「わたしだけに」の最後が、最初の頃は声がひっくり返っていておそろしかったと語っています。それだけ奥が深い大きな作品だということですね。まだまだ噛みしめたいです。
夕方カフェでもう一つのブログを更新しました。思うように書けませんでしたが疲れてしまったし、今日はこれでおしまいです。お読みくださり、ありがとうございました。
アンサンブルで出演中の百千糸さんがツィッターで紹介してくれたこちらの動画。真央ちゃんが「I belong to me」(邦題「わたしだけに」にのってスケーティングする素敵な動画。
https://youtu.be/Fq18VcmTS8E
英語版の歌詞も気になってネットで検索してみました。いくつかパターンがあるようですが、こんな訳に出会いました。
I will not give up my own self.
Just to be with you.
I will not be glad just to do.
What I,m told to do.
I,m not meant to be your property.
No,I belong to me.
私はあなたと一緒にいるためだけに
自分自身でいることをあきらめたりはしない。
わたしはやれと言われたことを、
ただ喜んでやったりはしない。
そう、私はわたしのものだから。
英語からの日本語直訳を読むとすごい歌だなあとあらためて思います。もとはドイツ語の歌詞を、ミュージカルの『エリザベート』では芝居の流れのなかでメロディラインにしっかりのりながら成立するよに、かなりうまく意訳されているんでしょうね。(小池先生の手腕、すばらしい。)ただの少女だったシシィが番狂わせでオーストリアの皇后となり16歳で嫁いでいくも、皇后ゾフィのきびしいしつけと宮廷のがんじがらめのしきたりが待ち受け、夫である皇帝フランツに助けを求めるも皇族として育てられてきたフランツは母であるゾフィの前に、シシィを愛しく思いながらも母の言うことに従うよう助言する。フランツに見捨てられたと感じたシシィが、宮廷のしきたりには従わないで、母と夫の言いなりになんかならないで自分は自分よ、と決意して美貌を武器に生き延びて行こうとする歌。冷静に考えると19世紀としてはかなり急進的な女性ですね。
シングルキャストでシシィを演じていた頃の一路さんがオーストリアを訪ねるこんな動画も先週ですが見続けてしまいました。「エリザベートその光と闇」
https://youtu.be/bc7D-liW2Oc
一路さんの、全身をはって古いしきたりになんか負けまいと決意するシシィの「わたしだけに」を思い出しました。一路さんシシィの舞台映像も少し登場します。日本で初演から20年がすぎた今も少しずつ演出を変えながら、少しずつ歌のもつ意味も変わっていきながら、その魂が体現されていることを、史実のシシィはどんな想いでみつめているのでしょうね。史実のルキーニは、100年後にまさか自分の狂気を日本ではあごひげをつけた美しい女性やイケメン男子がミュージカルで体現し舞台の進行役までつとめることになろうとは思いもしなかったでしょうね。
番組の中でドイツ語でシシィを900回以上演じた女優さんが、どれだけやっても毎回つぎの課題がでてくると語っています。一路さんの歌唱力をもってしても、「わたしだけに」の最後が、最初の頃は声がひっくり返っていておそろしかったと語っています。それだけ奥が深い大きな作品だということですね。まだまだ噛みしめたいです。
夕方カフェでもう一つのブログを更新しました。思うように書けませんでしたが疲れてしまったし、今日はこれでおしまいです。お読みくださり、ありがとうございました。