たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

落ち込み・・・

2016年09月17日 21時50分16秒 | 日記
 歯医者さんに行ってみたら思ったよりも大変なことになっていました。金属の型が外れてからすぐに行かなかったのがいけなかったし、歯磨きが十分じゃなかったので外れてしまったということでした。知り合いの旦那さんがやっている歯医者さんでとってもよくしてくださってありがたいかぎりですが、あたらしく型を作り直すために一日分の給料より多い費用がかかることに・・・。払えないわけではないですが、ストレスに耐えながら一生懸命に働いていると、時間的にも心的にも余裕がなくなって、結局こういうことになるのかと思うとなんだか哀しくなってしまいました。わたし、前職のカイシャの完全オーバーワークの代償として歯がボロボロになってしまったんです。ストレスと空調アレルギーと疲労などなどで喉と鼻がやられて、カイシャにいる間ずっとのど飴をなめる日々を続けていたら虫歯だらけの金属だらけになってしまったんです。なんだかね、体を削るようにして一生懸命に働いてもいいことないですね。そう考え始めたらすっごく気持ちが落ち込んでしまいました。わたしなにやっているんだろう。あんなに心身をすり減らすように一生懸命に働かなければよかったと思います。こんなことやってられるかー、これ以上やれないよー、って机ひっくり返して暴れたいと何度も何度も思いました。そんなこと実際にやったらかなり危ない人なのでセーブしましたけどね、辞めると言い出すタイミングを逸してしまった自分、ほんとばかだったと思います。何度も何度もタイミングはありました。3.11のあともすごく迷いました。でも、生活という人質があるから、とうとう言えませんでした。そしたらただの使い捨て。どうせ使い捨てるならもっと早い時期にしてほしかった。正規雇用でもないのにさんざんあてにされて、頼りにされてやっているうちにずるずると続けてしまって、でも上はどんどん変わっていって結局だれもわたしの雇用に対して責任をもたないまま、いいように使われるだけ使われて年くってから何の補償もなく放り出された。年くったから放り出された。わたしが仕事をこなしてしまうのをいいことに使うだけ使ってきたカイシャにはなんの責任もなし。なにも残りませんでした。残酷なりや。今もね、まだ自分の中にどうやっておさめればいいのかわからなくってケリがつきません。だいぶついてきてはいるけれど心の血と汗と涙を流しながら心身を削って働き続けた日々はかんたんにケリがつきません。自己責任だけなのか、社会の仕組みはそうなっているけれど、なんで自己責任だけなのか、その方がカイシャにとって、巨大組織にとって都合がいいからですが、一人一人の人生なんてどうでもいいんだなって、一般PEOPLEの認識よりもはるかに社会はグレーなんだなってわかって、どうすりゃいいのさ。気力が失せました。だらだらとネットみています。明日も明後日も休みでよかったです。なんかね、今の業務も無理して続けて、だからどうなんだろうって思ってしまいます。終わったらお休みしたいな。遺品整理と断捨離やりたい。すこし旅にも出たい。一生懸命働いたってしょうがない。家に帰ろうかなという思いがよぎります。

 父の命日。裏山がほんの少しばかり秋色に色づいていることに気がつきました。

 休日だし、他のこと書くつもりでしたが、いつもと同じ長々とつぶやきのグチ日記になってしまいました。明日はフォーウインズのセミナー。気力うせていますがお金払っているから行かねば。W先生のお顔をみるとまた元気も出るかもしれません。麻酔がきれてきて治療したところが軽く痛みます。

 心のアルバムに刻まれた2013年レミゼ帝劇凱旋公演。千穐楽の舞台を観ることができたのは大感激でした。「一日の終わり」という、一日一日を生きるのびることに必死だった市井の人々の声を歌にした曲があります。英語では「The end of the day」。あらためてかみしめたいです。(レミゼの観劇日記は、ミュージカルのカテゴリーにあります。)