父危篤の知らせから一週間、母のこともあり一週間実家に滞在したのもきついことでした。自分にとって生活の拠点ではない場所で、しばし心を慰めてくれる身近なものをなにも持たないままだったのできついことでした。叫びだしたくなるような心持ちでした。父とのお別れのあと、冷静に振り返ってみると試練の時が繰り返しわたしに訪れました。父との突然のお別れで、自分を守ってくれていた大きな柱がなくなってしまったような不安、登録型派遣社員として細切れ契約更新を繰り返しながら同じカイシャで働き続けていることへの不安とストレスはピークに達していました。生活の基盤をいつ失うかもしれない不安と背中合わせの生活の中で、父亡き後の諸々の手続き、母が統合失調症であること、母の病気を受け入れることができなかった自分は母と一緒に暮すことはできず弟に世話をまかせることになったことへの後ろめたさのようなもの・・・、諸々が折り重なって、カイシャでもプライベートでもわけわからなくなり、時には自分勝手になっていたところもあったように思います。母のことを大きく誤解していたとわかったのは母とのお別れのあとでした。
なんども同じことを書いているように思いますが、2010年9月父とのお別れ、2011年3月東日本大震災、2012年2月母とのお別れ、2014年3月カイシャからリストラ同然に使い捨てられる。その後カイシャに損害賠償を求めたら労働紛争となってしまい2015年3月ハケン会社にわずかな示談金を支払わせるかたちで労働紛争は終結。カイシャについた悪玉弁護士との闘いでズタズタにすり減ってすり減って、社会への怒りと悔しさのマグマを噴火させながら、気力が失せてどうにもならず、ただただ泣きながら社会から孤立する日々は今年の1月まで続きました。労働紛争の経緯はもうひとつのブログに書いています。黒を白というためなら権力をふりかざして、社会的弱者を攻撃し貶めるのがカイシャについた弁護士のお仕事でした。法律で人の心は救われないのだと学びました。
これでもかこれでもかと試練の連続。現在の就労先から繰り上げ採用されたことが正解がどうかわかりませんがあくまでも臨時なので、今年末をもってまた社会から孤立することになります。就労を開始したら試練が待ち受け、終わればまた試練の時。求人がないわけではないですが、時給の安い接客業ばかり。人がおそろしいので接客はもうやりたくない。接客業のつもりじゃなかったのに、ふたをあけてみたら接客業。いつどこからどんなクレームがつくかわからないのがおそろしいです。社会が劣化していることを感じざるを得ない毎日を送っています。さてこれからどうするのか。12月初めのマンションの契約更新の書類が早々に不動産屋から届きました。どうすればいいのか自分でもわかりません。福祉職の求人の窓口で、あなたの壮絶な体験の数々を理解できる福祉職はまずいないだろう、って言われたことあります。どうしましょうかね。
たぶんわたしをずっと支え続けてきたのは妹の分まで生きたいという思い。ただそれだけ。
安心して話せるハケン仲間はすでにカイシャを去り、ひとりぼっちのランチタイム。手帳に書かずにはいられませんでした。
「2010年9月28日(火)、雨
こうして会社にいると全てが悪夢だったように、夢をみていたかのように思える。夜になると淋しさがきてなかなか実感として受け容れられない。色々と思い出して、声がきこえてくるようで・・・。母のことも気がかりだし、でもあんまり気にしていると自分の気がふれそうだし、疲れが目にきていてチカチカして辛い。蓄積された疲れがきているのがわかって辛い。二人分働き続けなければならなかった疲れもきている。
2010年9月29日(水)、晴
夜になると色々な思いがこみあげてきてしまってすごくきつい。目の疲労と老眼が進んでいることでチカチカして見づらいし、ずっと1.5人分か2人分かわからないが働き続けてきた疲れと喪失感、さびしさ、母のこと、妹のこと、色々に重なりあって狂おしく、体がおもく、疲れがどっと押し寄せているのがわかる。本当はわあーっと叫びたい。もうヤダーッ!!
2010年9月30日(木)、雨
なんだかんだで時がすぎていく。家から母から物理的に離れることでなんとか自分を取り戻しつつある。会社の疲労とストレスが忘れさせてくれる。たぶんほんとはすごく疲れている。目がチカチカ。ずっしりと体がおもい。お金節約しないとなあ。かかりすぎている。
2010年10月1日(金)、くもり
ハードのコンタクトレンズが目の中で突然行方不明になり、カイシャの近くの眼科へ。
今朝も起きあがれなかった。疲れが本当に相当つもっているのがわかる。母のことを、全てを忘れたい。心の中は大変だ。忙しいことが今の私には幸い。カッと暑くなってくさいビショビショの汗が出るのは辛いが、すごしやすい季節になった。
2010年10月3日(日)、
教会でエンカウンターグループ。その後カウンセラーのY先生はお疲れのようだったので、一人でスパに行った。父のこと、家のこと、落ち着いて話せなかった。まだまだ自分の中できついんだということをあらためて確認した。今私にできることを精一杯やっている。書類から父を消していきながら、受け容れていかなければならない。
2010年10月4日(月)、くもり
朝起きる時体中がおもい。葬儀の疲れは仕事によって解消されたが、心身共に全身できついと思う。眠い。すごく眠い。何も考えず、何も恐ろしいこともなく、眠りたいなあ、ゆるやかに。会社にいると何事もなかったかのように思える。でも現実はそうじゃないんだ。きついなあ、すごく・・・。
2010年10月5日(火)、秋晴
体がおもい。手紙や葉書を書く気力はない。やっぱりきついんだと思う。喪中なんだよね。実感ないけど、色々考えてるときつくなる。おもくなる。ひょうひょうと淡々とやっていきたい。今はハケン会社も人のこともどうでもいい。私のやるべきことを粛々と進めていくだけだ。
2010年10月6日(水)、秋晴」
またまた長文失礼しました。きりがなく、今日はここまでにしておきます。明日と明後日は出勤。明日のお昼休憩は13時30分から。体のリズムがおかしくなります。ぞっ!!
なんども同じことを書いているように思いますが、2010年9月父とのお別れ、2011年3月東日本大震災、2012年2月母とのお別れ、2014年3月カイシャからリストラ同然に使い捨てられる。その後カイシャに損害賠償を求めたら労働紛争となってしまい2015年3月ハケン会社にわずかな示談金を支払わせるかたちで労働紛争は終結。カイシャについた悪玉弁護士との闘いでズタズタにすり減ってすり減って、社会への怒りと悔しさのマグマを噴火させながら、気力が失せてどうにもならず、ただただ泣きながら社会から孤立する日々は今年の1月まで続きました。労働紛争の経緯はもうひとつのブログに書いています。黒を白というためなら権力をふりかざして、社会的弱者を攻撃し貶めるのがカイシャについた弁護士のお仕事でした。法律で人の心は救われないのだと学びました。
これでもかこれでもかと試練の連続。現在の就労先から繰り上げ採用されたことが正解がどうかわかりませんがあくまでも臨時なので、今年末をもってまた社会から孤立することになります。就労を開始したら試練が待ち受け、終わればまた試練の時。求人がないわけではないですが、時給の安い接客業ばかり。人がおそろしいので接客はもうやりたくない。接客業のつもりじゃなかったのに、ふたをあけてみたら接客業。いつどこからどんなクレームがつくかわからないのがおそろしいです。社会が劣化していることを感じざるを得ない毎日を送っています。さてこれからどうするのか。12月初めのマンションの契約更新の書類が早々に不動産屋から届きました。どうすればいいのか自分でもわかりません。福祉職の求人の窓口で、あなたの壮絶な体験の数々を理解できる福祉職はまずいないだろう、って言われたことあります。どうしましょうかね。
たぶんわたしをずっと支え続けてきたのは妹の分まで生きたいという思い。ただそれだけ。
安心して話せるハケン仲間はすでにカイシャを去り、ひとりぼっちのランチタイム。手帳に書かずにはいられませんでした。
「2010年9月28日(火)、雨
こうして会社にいると全てが悪夢だったように、夢をみていたかのように思える。夜になると淋しさがきてなかなか実感として受け容れられない。色々と思い出して、声がきこえてくるようで・・・。母のことも気がかりだし、でもあんまり気にしていると自分の気がふれそうだし、疲れが目にきていてチカチカして辛い。蓄積された疲れがきているのがわかって辛い。二人分働き続けなければならなかった疲れもきている。
2010年9月29日(水)、晴
夜になると色々な思いがこみあげてきてしまってすごくきつい。目の疲労と老眼が進んでいることでチカチカして見づらいし、ずっと1.5人分か2人分かわからないが働き続けてきた疲れと喪失感、さびしさ、母のこと、妹のこと、色々に重なりあって狂おしく、体がおもく、疲れがどっと押し寄せているのがわかる。本当はわあーっと叫びたい。もうヤダーッ!!
2010年9月30日(木)、雨
なんだかんだで時がすぎていく。家から母から物理的に離れることでなんとか自分を取り戻しつつある。会社の疲労とストレスが忘れさせてくれる。たぶんほんとはすごく疲れている。目がチカチカ。ずっしりと体がおもい。お金節約しないとなあ。かかりすぎている。
2010年10月1日(金)、くもり
ハードのコンタクトレンズが目の中で突然行方不明になり、カイシャの近くの眼科へ。
今朝も起きあがれなかった。疲れが本当に相当つもっているのがわかる。母のことを、全てを忘れたい。心の中は大変だ。忙しいことが今の私には幸い。カッと暑くなってくさいビショビショの汗が出るのは辛いが、すごしやすい季節になった。
2010年10月3日(日)、
教会でエンカウンターグループ。その後カウンセラーのY先生はお疲れのようだったので、一人でスパに行った。父のこと、家のこと、落ち着いて話せなかった。まだまだ自分の中できついんだということをあらためて確認した。今私にできることを精一杯やっている。書類から父を消していきながら、受け容れていかなければならない。
2010年10月4日(月)、くもり
朝起きる時体中がおもい。葬儀の疲れは仕事によって解消されたが、心身共に全身できついと思う。眠い。すごく眠い。何も考えず、何も恐ろしいこともなく、眠りたいなあ、ゆるやかに。会社にいると何事もなかったかのように思える。でも現実はそうじゃないんだ。きついなあ、すごく・・・。
2010年10月5日(火)、秋晴
体がおもい。手紙や葉書を書く気力はない。やっぱりきついんだと思う。喪中なんだよね。実感ないけど、色々考えてるときつくなる。おもくなる。ひょうひょうと淡々とやっていきたい。今はハケン会社も人のこともどうでもいい。私のやるべきことを粛々と進めていくだけだ。
2010年10月6日(水)、秋晴」
またまた長文失礼しました。きりがなく、今日はここまでにしておきます。明日と明後日は出勤。明日のお昼休憩は13時30分から。体のリズムがおかしくなります。ぞっ!!