たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

今年最後の稼働日が無事に終了しました

2020年12月28日 23時39分16秒 | 日記
 2020年、今年最後の稼働日が無事に終了しました。苦難の一年、なんとかここまで生き延びてきました。朝4月末で終了とさせていただきたい、そこまではお手伝いさせていただきますと伝えたので、年明けが月曜日からスタートすることなど今は考えず、少し気持ちを落ち着けて年末年始は過ごそうと思います。帰りがけに案の定頭下げられました。そういうことしてほしくないですが状況的に仕方ないですかね。もう少しお給料が高ければなあと思います。でも上がることはない、なら消費税さげてほしい、年金の天引きもうカンベンしてくれーとため息ですが、仕事があるだけマシですかね。へたに収入増えるとそれ以上に負担の方が多くなるという悲劇もあるからこれでいいんですかね、どうなんでしょう。

 緊張感から解放された夜、またイルミネーションを楽しんできました。

 

















 今年のお正月、東京宝塚劇場の宙組観劇と、上野の『ハプスブルク展』のために新幹線でやってきた時は、30年暮らした街がすごく遠くに感じられました。その時はまだ舞い戻ってくることが自分の中で現実味を帯びていませんでした。

 新幹線の中から富士山がみえたとき、隣の年配の女性が、雲が黒いのが気になるって言っていたことを思い出します。苦難の一年の前触れということだったでしょうか。晴れ渡った冬の空に浮かんだ富士山、きれいでしたけどね。この時からすごく長い時間が流れたような気もします。





 弟がマンションを買って家を出たらしく、30年前統合失調症を発症する前の母がはりきって建てた家はついに空き家となりました。瓦屋根をのせた二階建てのデカイ家が軒並み空き家になっている真っ暗な地域、車に乗らない人は住めないし、広い庭の雑草を管理していくのは大変なのでわたしは住めない、仕方ないでしょう。母が孫に囲まれて暮らす日を夢見て建てた家、母を待ち受けていたのは二番目の娘が死んでしまうというあまりにも残酷なものでした。誰も幸せになれなかった家、どういう因果なのか。母が亡くなった時一応私も名義にいれてもらっていますが固定資産税にいくら支払っているのかも知らない。妹の遺品を全部は自分の手で処分しきれなかったのが少し心残りですが、まだまだ大量にあった荷物のほとんどは台所用品と弟の荷物、お金で解決していくのでしょう。家財処分と壊すのにどれだけかかるのか。家は人が住んでこそ生きる、誰も住まなかったらあとはひたすら傷んでいくだけなのでしょうね。この家で最期を迎えたいとがんばってその通りに逝った母、母のための家で、もういないから必要のない家。父も母も自分がいなくなれば家は処分される運命にあるなど建てた時は片隅によぎることさえなかったでしょう。切ないですがこれでいいんだと思うことにしましょう。家族ってなんなのか、結局永遠に知り得ないですから・・・。

 明日は11月22日以来の日比谷、脳みそよじれているので、もっとずっと以前のことのように思えるぐらい、おかげさまで忘れています。だから新鮮に楽しめそうです。苦難の一年の締めくくり、笑いたい。笑って一年を終わりたい。うがいと手洗いをさらにマメにして、除菌シートも用意した方がいいかな。蓮つかさくん、上級生になってからのロケットは体きつかったことでしょう。ショーも復帰できてよかったです。密を避けるために、ほんとにがんばっているんですよね、宝塚。自分、無事に楽しめますように・・・。