たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

またきこえてくる救急車のサイレン

2024年05月11日 18時46分03秒 | 日記

 藤江さん調べるによると暮している自治体の4月の死亡者数が大変なことになっているようです。鹿先生の解説動画がツィーターに流れてきたのでみてしまいました。高齢者がワクチン接種から時間差で大量に死に始めているのではないか、4月の死亡者数激増はこれから起こることの前触れではないかと。バス通りにでれば右にいっても左にいっても急患受け入れの病院がいくつもある場所、異常なほど救急車のサイレンを聴くし、外に出れば救急車が走り回っているのをみます。鹿先生の見方が正解かどうかわかりませんが、事実として何かが起きていると感じます。背筋がこおりつきます。高齢者ではないけれど2回、3回と接種している人は身近とかミュージカル俳優さんとか作家とか写真家とかいます。接種しましたというツィートをみるとこれまで作品にどれだけ惹かれてきていたとしてもフォロー外したのでその後気づかず4回、5回と接種したかどうかはわかりません。タカラジェンヌはどうでしょう。食塩水のロットにあたっていて何も起こらなければいいですが心配です。私自身は接種していませんがこれからどうなるのだろうと思うと非常に落ち着きません。


神戸新聞しつこい

2024年05月11日 17時29分00秒 | 宝塚

 地元紙なので宝塚歌劇団をあたたかい眼差しでみていてくれると思っていたら真逆だということが今回の件でわかりました。故人に希死念慮をひきおこしたのは抗精神薬あるいは(接種していたのであれば)コロワクチンだと思っています。コロワクチンによってうつになることは先日の小島名古屋大学名誉教授によればウィルスを調べることでわかってきている。事実として10代・20代・30代の死亡が増えている、死因の一位は圧倒的に自殺という話でした。

 集合日に退団者2名発表は驚くようなことでは全くないし、天彩峰里ちゃん、週刊誌とご遺族代理人に吊るし上げられた上級生の名前がなくてほっとしています。ヘアアイロン事故が自殺の引き金になったなんてあり得ません。故人が辛かったのは記事が出てしまったこと、上級生と下級生に分断が生まれ、宙組内話し合いで記事に触れられることが相当耐えがたくなっていたであろうことが報告書からは読み取れました。いろいろな力が働いて劇団はパワハラありましたと言わないと宙組を再開できないところまで追い込まれたのではないでしょうか。

 週刊誌に内部のことを話してしまった生徒さんがいるのだろうかと考えると宙組をどんな気持ちでみたらいいのうだろうという思いがないわけではないですが、無事に公演が再開できることを祈りつつ見守っていきたいと思っています。

峰里ちゃん、キキちゃん、まっぷーさん、堂々と舞台に戻ってきてください。

 

 

2024年5月8日神戸新聞、

宝塚・宙組公演が6月再開 ファンら疑問の声 パワハラ認定も加害者処分なく「見切り発車」 退団も相次ぐ|社会|神戸新聞NEXT (kobe-np.co.jp)

「宝塚歌劇団(宝塚市)宙組に所属していた俳優の女性(25)が昨年9月に急死した問題で、歌劇団が中止していた宙組公演を6月に再開するとしていることに、ファンからも批判が上がっている。歌劇団側は3月、上級生らによる女性へのパワハラを認めて遺族に謝罪し、問題に一定の決着がついたと判断した形。だがパワハラに関わったとされる個人の処分はなく、「見切り発車」「時期尚早」などの声が出ている。さらに宙組そのものも俳優の退団が続き、舞台の土台が揺らいでいる。(小尾絵生)

 歌劇団は問題を受け、5~8月に予定していた宙組による宝塚110周年の記念演目を見送った。しかし4月に入り、宝塚大劇場での宙組公演については6月20日から再開すると発表。公演は通常ミュージカルとショーの2本立てだが、半年以上休演していたことから、今回は「ショーのみ」という異例の興行とした。

 再開の報に、インターネット上では「待ってました!」「半年間舞台に立てず、つらい状況に耐えた下級生を思えば再開は喜ばしい」と歓迎する声がある一方、疑問視するファンもいる。目立つのが、パワハラの加害者とされる団員らの処分がないことへの疑問だ。」

 

 


『氷点(下)』より‐千島から松

2024年05月11日 01時26分51秒 | 本あれこれ

「その日は暑い日曜の午後だった。陽子は林の中の木の株に腰をかけて、よみかけの「嵐が丘」を読んでいた。林の中は涼しかった。

 小説の主人公ヒースクリッフが捨て子であるということが、陽子の感情を刺激した。ヒースクリッフの暗い情熱が陽子にのりうつったような感じだった。陽子は息をつめるようにして読んでいった。捨て子だった主人公が、兄弟のようにして育ったキャザリンを愛し、キャザリンが人妻になっても執着し、遂には死んでしまったキャザリンの墓をあばき、キャザリンの幻影をいだきながら死んで行く激しさが、生みの親を知らない陽子には共感できた。

(親に捨てられた子は、ヒースクリッフのように、両手をさしのべていつまでも自分の愛するものを、〈ただひとつのもの、かけがえのないもの〉として老い求めずにはいられないんだわ。自分が親にとってさえ、かけがえのない者ではなかったという絶望が、こんなに激しく愛する者に執着するんだわ)

 読みながら陽子は、自分もまた、激しく人を愛したいと思っていた。そして愛されたいと思っていた。

 時々釣竿を肩に、小さなバケツを下げて、林の中の堤防を子供たちが通った。だが陽子は小説に熱中して気づかなかった。まして、陽子の思いつめたような横顔に、じっと視線を当てている青年が、チモシーの茂る小径に立っていることなど、気づくはずはない。

(すごいわ。ヒースクリッフは床をみても、敷石をみても、どの雲も、どの木も、キャサリンの顔に見えるんだわ)

 陽子はヒースクリッフがうらやましかった。死んだ愛人の墓をあばいて、その後もなお面影を求めつづけるヒースクリッフこそ「かけがえのない存在」を持った人間なのだと陽子はうらやましかった。

 (でも、彼はキャサリンにとって、〈かけがえのない存在〉ではなかったのだわ)

 陽子は本から顔をあげたまま、思いつづけた。

 (恋愛をするのなら、わたしもこんなに激しく真剣な恋愛をしたいわ)

 その時、陽子の足もとをリスが走った。おどろいて立上った時、白いワイシャツに黒ズボンの青年が、陽子をじっとみつめているのに気づいた。」

(三浦綾子『氷点(下)』昭和53年5月20日第1刷発行、朝日新聞社、147~148頁より)