たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

思い出したこと

2022年07月11日 12時13分43秒 | 日記
 特定の宗教団体、30年以上前身近に入信した人がいたことを思い出しました。元アイドルの結婚がググってみると1992年夏なので、それよりも前、まだ郷里で暮らしていた頃の話です。休日だったか駅前を歩いていると勧誘活動をしているらしき職場の先輩だった女性に出会いました。ぜひビデオをみてほしいと言うのを断ることができず、雑居ビルの中の一室に連れていかれて、ビデオをみせられました。その内容は思い出せません。チラシなども渡されたと思います。熱心でした。どうやって断ったのか思い出せませんがとにかく逃げました。先輩たちに話して、それが〇〇教会の勧誘だと知りました。

 女性は当時のいわゆる結婚適齢期を少し過ぎたぐらい。名前も顔もよみがえってきました。職場の男性といつしか公認の中となり、歓送迎会のあと二人で帰っていくことも当たり前になっていて、結婚間近とまで言われましたが結ばれませんでした。男性は東京の有名私立大学を卒業、女性の高校卒業の学歴では不釣合いだと男性の両親から反対されたという話でした。二人が破談したと噂された頃、男性の異動辞令が出て、他の営業店へとうつっていきました。歓送迎会の席で女性が涙していたことを思い出します。ほどなくして男性は短大卒業という学歴をもつ女性とお見合い結婚をし、結婚式の写真が社内報に掲載されました。一年間銀行に100万円預ければ6万円の利息がついた時代。多くの女性が高卒で働く地域で短大に進む女性はお嬢さまと言われました。短大はお嬢さまの腰掛、結婚に箔がつくといった風潮。派手な冠婚葬祭好きの地域で、今は葬儀場と化している豪勢な結構式場が乱立していた頃です。大きなウエディングケーキへの入刀がステイタスでした。

 それからほどなくして突然女性は職場に退職を申し出ました。年に一度の一週間の有給休暇をとり、休暇あけで出勤してきたタイミングの月末近くでした。引き留めたけれど退職の意志は固かったという話だったか。女性は休暇中、親には会社の研修だと偽り、実は宿泊を伴うセミナーに参加していたと休憩室で明るく話していたことを思い出します。そのセミナーが〇〇教会だと先輩たちからきかされました。危ないから声をかけられてもいってはいけない、気をつけなさいと言われました。その後なんどか駅前で女性が勧誘している姿をみかけましたが気づかれないようにしました。入口は女性も駅前で声をかけられたことがきっかけのようでした。心の隙間をつかれたのでしょう。この世にいるなら前期高齢者になっているはずですが、どうしているのでしょうか。

 自死した妹が同級生に声をかけられてしまい、からめとられて逃げ出すことができなかったのは単なるマルチ商法でカルト宗教ではなかったのか、わかりませんが、人生を狂わせられてしまったという意味では同じだと思います。警察官に来てもらうしかなくなったあと、玄関の前で座り込んだ妹に地元の交番の警察官が、こうして親を困らせている若い人がたくさんいる、もうこんなことをしてはいけないと話しかけてくれていた時の妹の背中を今も忘れることができません。大学の構内に行くと、宗教勧誘への注意喚起を呼びかけるポスターが掲示板に貼られているのは、若い人を狙った危ない勧誘が今も続いているということなんでしょう。長い間オウム真理教のことがあり、いつしか全く取り沙汰されなくなっていましたが、〇〇教会が名前をかえて脈々と続いていることを今回知りました。

 この世は闇、今回の件にも陰謀論が湧き出てきたり、わけわかりません。ワクチン接種反対とは全く別の話のはずなのになぜだかウクライナと同じでいっしょくたになり、頭をかかえてしまいます。いろいろとおかしいと思うことばかりで、なにか隠されているのではないかと疑いの目を持たざるを得ません。裏になにかあるに違いないと考えれば陰謀論の需要が一定数あるのも無理からぬことかもしれないとは思います。選挙結果は最初から決まっていたかのような出来レース、なにかおかしい、希望のない未来、いよいよ本当に暗黒時代、長居しない方がよさそうだとマジで思います。生まれる前からの股関節脱臼、どのみち長居できませんが・・・。

 写真は内容と全く関係ありません。痛み止めの副作用と加齢により、豪華なケーキをみても美味しいそうだと思えなくなってきたこの頃、少し前に味のわかったドトールコーヒーのミルクレープを食べてみたら美味しく食べることができました。美味しく食べられる時間も有限ですね、あとどれぐらいでしょうか。限りある時間の中で楽しめる時は楽しむ、ずっとメンタル限界なのに、危ないものにからめとられずになんとかここまで生き延びてきているのは観劇という心の糧があるおかげ。ヅカローみるまで死ぬわけにはいかん、それまでは生きていたい、それだけです。

 

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