
(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
最初の質問
最初に、絵本というものについての考え方を少し柔軟にしていただきたいと思ってまずは、2つの絵本を紹介します。またこの夏に出版されたばかりの「最初の質問」。私の大好きな詩人の長田弘さんの詩に画家のいせひでこさんが絵をつけた作品です。どういう詩なのか、一部を読んでみます。
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
最初の質問
最初に、絵本というものについての考え方を少し柔軟にしていただきたいと思ってまずは、2つの絵本を紹介します。またこの夏に出版されたばかりの「最初の質問」。私の大好きな詩人の長田弘さんの詩に画家のいせひでこさんが絵をつけた作品です。どういう詩なのか、一部を読んでみます。
今日あなたは空を見上げましたか。
空は遠かったですか 近かったですか。
雲はどんなかたちをしていましたか。
風はどんな匂いがしましたか。
あなたにとっていい一日とはどんな一日ですか。
「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。
雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を見たことがありますか。
樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ち止まったことがありますか。
街路樹の木の名前を知っていますか。
樹木を友人だと考えたことがありますか。
このまえ、川を見つめたのはいつでしたか。
砂のうえに坐ったのは、草のうえに座ったのはいつでしたか。
「うつくしい」とあなたがためらわずに言えるものは何ですか。
こうして、ずーと続きます。最後のところだけ読んでみます。
あなたにとって、あるいはあなたの知らない人びと、
あなたを知らない人びとにとって 幸福ってなんだとおもいますか。
時代は言葉をないがしろにしている-あなたは言葉を信じていますか。
とても哲学的で人生論的で詩作に富んだ深い深い意味のある詩だと思います。
長田弘さんは非常に知性派の詩人で、東西文化様々な本を紹介する上で長田さんの本に関するエッセイは素晴らしいものがたくさんあります。皆さん、今読んだ詩を聞きながら自分の心に問いかけたでしょうか。例えば、「あなたにとっていい1日とはどんな1日ですか」というこの2行の文章。あるいは「ありがとうという言葉を今日あなたは口にしましたか」という文章。そう問われた時にみなさんが自分の心に問いかけ、その都度どこまで追いきれたか、考えきれたかを振り返ってみると、とても難しい詩だな、深い詩だなと思いませんか。この詩は小学校の教科書にも出ていますが、これを絵本にしないかという編集者の企画があり、画家が協力して2年半ぐらいかけてひとつひとつの言葉にどんな絵を添えたらいいのか、というとても苦しい問いかけを受け、悩んで悩んで作ったのがこの絵本なんです。全部を紹介すると時間がかかるので、ほんの一部紹介します。
「今日あなたは空をみあげましたか 空は遠かったですか 近かったですか」こういう冒頭の言葉があります。どんな絵をつけるのか。単に空を描くだけでいいのか、遠い空、近い空を描けばいいのか、それではせっかくの言葉の詩情、詩のフィーリングを即物的にしすぎてしまう、どうしたらいいのだろうか、これは最初の問いかけです。朝起きて窓を開ける、あるいはドアを開けて外へ出る。その時にあなたは何をみるのか。ああ、今日は晴れて青空がきれいだとみるのか、それとも頭の中は今日の仕事でいっぱいなのか、問いかけを考えるにあたって、絵描きはこんな絵を考えました。すがすがしい燕の飛ぶ姿、かすかに見える様々な鐘、どんな音楽をならしているのか、譜面の載っていない譜面台を描いている。絵は、しいて解説など加えない方が良いと思っていますが、今日の講演の必要上説明しますと、この譜面台に譜面が載っていないということは、まだ始まってない、今これから譜面台を用意して、演奏する人がここに譜面を載せて始まるという、その始まりの前のいわば象徴的な図柄として出したのではないかなと。朝起きて空を見上げるかどうか。まして、原発事故がおきた福島だと外に出ること、それが放射能汚染の濃い地域など怖いわけです。空が自分にとって守ってくれる大きな世界ではなくなってしまった。でも今日という1日を始めなければいけない。その中でどんな絵を描くのか、これは空が遠いか近いか、どんな空かということ。雲が出ているか出てないか。すべての始まりの時間。そんな意味で朝の祈りを知らせ鐘が鳴る。そして、小鳥たちがすがすがしくはばたく、譜面台がまだ演奏される前のかたちである。そんな意味を込めて絵描きは表現しているんだろうなと思うんですね。そして、雲はどんな形をしていましたか。風はどんなにおいがしましたか。この言葉にこういう絵を添えています。
私は子どもの感性はものすごく鋭くてすばらしいと思っています。胎児期からの心の成長や抑圧や様々な問題を考えるときに、なぜ子どもは胎児の段階から心が成長したり抑圧されたり、あるいは出産直後生れてすぐこの世に出て、温かく抱きしめられる環境と冷たい家庭環境、あるいは暴力を振るわれる環境によって赤ちゃんの心の発達が左右されるのか、裏返していえば赤ちゃんはすでに生きる上で大事なことをしっかりと感じとる力を持っていると思うんですね。子どもの頃、水たまりの中に足をじゃぶじゃぶして遊んだりすると、きれいずきなお母さんは「汚れるからだめじゃない」と𠮟るけれど、子どもにとってそれはファンタジーの世界に近いんですね。水たまりの中に入って覗いたそこに木が映っていたり、あるいは雲が映っていたりする。それは無限のファンタジーの世界、イマジネーションの世界につながっていきます。実際この絵描きに聞きますと、5歳児の水たまりの中で見つけた積乱雲・入道雲のすごく発達した姿、それは水の中で見ると地面の中に無限に深く深く入って行く世界でもあるわけです。その記憶は忘れがたく焼き付いているというんですね。それを描いているんです。雲はどんな形をしていましたか 風はどんな匂いがしましたか。
これは人が家を出て戸外に出たときにまず感じること、その世界です。子どもにとって外に出て歩くということは無限に世界がひろがっていく第一歩でその世界には水たまりもあるでしょう、池もあるでしょう、川もあるでしょう、あるいは森や公園もあるでしょう。そういう中でひとつひとつ子どもは素晴らしい世界をファンタスティックに描いている、7、8歳くらいまでは子どもにとっては想像の世界、ファンタジーやイマジネーションの世界とリアリティーのある世界との境界がなく、それが一体となって、あるいは行ったり来たりするような形で融合されて世界が形成されていくわけです。その中で水たまりをのぞいた時に発見したこの世界、これはもう感動というか大人でいえば感動でしょうけど、子どもでいえばもうファンタジーの世界そのものであると思うんですね。
雲はどんな形をしていましたか、風はどんな匂いがしましたかっていうのは外に出て空を眺めると同時に飛び込んでくる環境全体のことを表現しているわけで、それをどれくらいみずみずしく感じ取っているのか、あなたたち大人たちを忘れていませんか。どういうみずみずしい感覚を忘れていませんか。そんなことを問いかけていると思うんですね。そして少し先ですけれど、大きな木の下に少年が立っています。
樫の木の下で、あるいは欅の木の木の下で、立ちどまったことがありますか。
街路樹の木の名を知っていますか。
樹木を友人だと考えたことがありますか。
なぜかこの少年は泣いていますね。よく見ると右手で目を覆って、涙をぬぐっている。何があったんでしょう。その前には樫の木か欅の木か、大きな木がある。よく言われるように木は人類とともに古くから人間を育てたり、支えたり、そして人間が生きていく環境を守ったりするとても大切な存在であり、そういう木の存在が大きく描かれています。この少年に何か辛いこと、悲しいことがあったんでしょう。でも、少年を守ってくれる何か大きなものがある、樹木を友人だと考えたことがありますかという言葉で象徴的に人間と植物あるいは環境との関係を描いているのです。
学問の中に植物学という単に植物の研究をしているだけではなくて植物人類学、エスニックポタニズムという分野があります。これは人類が歴史のなかで植物とどういう関係をもってきたのか。人間が植林したり、あるいは工業生産や農業生産の効率をあげるために森を伐採したり、さまざまなことを人間は営んできた。その中に人類と植物の関係性の歴史がいろいろと見えてくる。あるいはその世界の主な都市を見ても東京、ニューヨーク、パリ、カナダのトロンなど町の風景が違います。そしてその中における植物や花やその存在も違っています。それはやはりその国の人柄、その国の国民性というものによって、植物との関係性を大事にする民族だったり、あるいは違ったりすることを象徴的に示していると思うのです。いずれにしましても私は田舎で育ちましたから、田んぼや山や林が自分の少年時代の心の形成発達にとても大きな意味をもったと思っているのです。そういう思いでこの絵を見ると本当に深いことを表現しているなと感じます。
もう一画面、紹介しましょう。これは雪が降る中、小鳥が止まっていますね。あれはヤマセミといって、山の方にいる仲間ですね。ここを読んでみます。
いまあなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。
沈黙はどんな音がしますか。
じっと目をつぶると。すると何が見えてきますか。
詩人だなあと思うんですね。問いかけをしている。人間それぞれ個性があって、視覚障害の方もしれば聴覚障害の方もいる。あるいは身体の障害をもっている方がいる。様々な障害をもっている方々がいらっしゃいますけれど、健常人といわれる人たちは往々にして障害をもっている人たちを非常に不便で、あるいは不幸で気の毒だと思いがちです。これは健常者の思い上りだと思うのです。例えば、「見えなくても大丈夫?」という絵本があります。主人公のマチアスは目が見えないけれど、不自由なく夜でもトイレに行けるし、あるいは街にも行ける。市場に行って果物を買う時に手で触れてリンゴは熟れているかどうかをすぐに察知することができる。街を歩いていて、喫茶店から流れる音楽に耳を済ませ、ああモーツァルトだなと感じることができる。ところが、目が不自由なくて見えていると、世の中全て見えているという思い込みしかなくて、街に流れる音楽も耳に入ってこなければ、リンゴを見ても熟れているか食べてみないとわからない、夜は電気をつけないとトイレに行けないなど目が見える人の方が不自由なところがあるわけです。そういう絵本です。それを読んだ小学生がお便りをくれて、「いったい目の不自由な人の生活ってどうなんだろう」と、タオルで目隠ししてしばらく家の中や外へ出てみて手探りで生活してみた。そうしたら主人公のマチアスのようにリンゴに触っても熟れているのかどうかわからない、トイレ行くのも手探りでものすごく大変った。なんて素晴らしい感性、感覚を発揮して生活しているんだろうとわかった、というお便りをくれたんです。素晴らしい気付きをする少年でした。見えているがゆえに何かわかった気になって思いこんでしまう。そういう世界からいっぺん離れてみて、目を閉じてみる。例えば街角で目をつぶってみると様々な音が聞こえてくる。ツバメの鳴き声、お店から流れる音楽、遠くを飛び飛行機の音、車のクラクション、遠くに走るパトカーのサイレン、いろいろな音が耳に入ってきて、それぞれを識別できる。ところが目を開けていると聞こえているけど聞いていない、こういうことを発見するわけです。私たちは、いかに思い込みの中で過ごしているかということを象徴的に示しているわけです。
こういう一編の詩に絵をつけた詩人と絵描きのアンサンブルによって、とても深い問いかけをする絵本ができています。この絵本を小学生に読み聞かせすると目を皿のようにして絵を見つめ、そして耳から読まれる詩の言葉をたどっていきます。絵本というのは、まだ言葉が発達していない子どもに絵を添えて、やさしくわかりやすく説明する本だと思いこんでいる方が大半ですが、実は違うんです。4、5才くらいから読める絵本。それは絵描きや文章を書く作家からするとものすごく時間をかけて考えて、選びに選びぬいた形で表現している。問題はそれを読む大人が感性を問われているんですね。そこからどれだけのものを読み取るか。子どもの頃からそんな深く読まなきゃいけないってことではないんです。人間は成長するにしたがって様々な経験をし、その経験を重ね合わせることによって言葉や絵の深い意味を味わったり、感じ取ったりすることができる。絵本はそういう素晴らしいメディアなんです。だから私は人生に3度読むべきことだとよく申し上げているんです。1回は自分が子どもの時、2回目は子育てをする時、そして3回目は自分自身のために人生の後半、忙しい毎日の中でふと足を止め、自分の感性や思考力を問い直す形で、絵本を読んでみるとそこから深い深い何かを読み取ることができる。その人ならではの人生経験の中で、絵本の語りかけを深く読み取ることができるようになる。」