十月に入り朝と夜は冷えを感じるようになりました。
お昼間はコミュニティハウスで、ちっちゃい子たちが元気に走り回ったり、いたずらしたり、好奇心いっぱいの瞳が輝く姿を見ながら、お裁縫の真似ごとのようなことをしたり、おしゃべりしたり、しばしゆったりとした時間を過ごしました。
心の隅っこに罪悪感をまだ持ってしまうのは、ずっとお勤めをしてきた者の性分で、なかなかまだ抜け切れないのも仕方ないですね。平日はどうしても人にヘンな目で見られているんじゃないかと思ってしまう自分がまだいます。
でも今はお勤めだけじゃない、いろんな生き方をする人たちが出てきているんですね。
平日の昼間、赤ちゃんを連れたお父さんを見かけます。図書館で現役世代の、パソコンでお仕事をしているらしき人を見かけます。コミュニティハウスでいろんな方と出会うことができました。ずっとお勤めが続いていたら、出会える時間はなかったので出会うことはなかったであろう方たちばかりです。きっとこれはわたしに必要なことだったんですね。ようやく少しずつそう思えるようになってきました。
誰もがどこかにお勤めをしてお金をいただく社会は幻になりつつあるのに、残念ながら社会の仕組みはいろんな生き方にまったく追いついていないこともあらためてわかりました。お勤めしてお金をいただくのは、本当に身をすり減らしていくような苦しい日々でした。楽しいこともありましたが、今はまだ苦しいことばかり思い出してしまいます。それほどつらかった、苦しかった、がんばった、そんな日々がありました。
そんな生き方にまた戻ることに希望を見い出せない。弱い立場の人を振り落として行く仕組みに希望を見い出せない。これからどこでどうやって生きていけばいいのか、今はまだわからず辛抱の時は続いていきます。
都心の大学で、グリーフケアの講座を聴講しました。
妹とのお別れの後辿ってきた自分の心の軌跡はまちがっていなかったし、ここまでやってこれただけの力が私にはある。かけがえのない時間を過ごしてきた。たくさんのことを妹におしえてもらった。乗り越えるのではなく、これからも共に生きていく。一生懸命に生きていく。
この大きな体験を発信していくことは大切な役割なのではないかと感じる気持ちが強くなってきています。誰かの悲しい、苦しいと同じ気持ちになることはできないけれど、ささやかでも自分にできることがあるんじゃないかとおこがましくも考えたりしています。私よりももっともっと大変な思いをしてきている方々もたくさんいらっしゃいます。比べられるものではない、本当に人それぞれです。
これから私は何をしていけばいいのか、何をするべきなのか、家賃あるので苦しいところです。今はまだ答えを見つけられません。もう少しの辛抱、このまま辛抱していれば見えてくるのか、混乱の中に今はまだいます。
ちひろ美術館での写真から一枚です。
お昼間はコミュニティハウスで、ちっちゃい子たちが元気に走り回ったり、いたずらしたり、好奇心いっぱいの瞳が輝く姿を見ながら、お裁縫の真似ごとのようなことをしたり、おしゃべりしたり、しばしゆったりとした時間を過ごしました。
心の隅っこに罪悪感をまだ持ってしまうのは、ずっとお勤めをしてきた者の性分で、なかなかまだ抜け切れないのも仕方ないですね。平日はどうしても人にヘンな目で見られているんじゃないかと思ってしまう自分がまだいます。
でも今はお勤めだけじゃない、いろんな生き方をする人たちが出てきているんですね。
平日の昼間、赤ちゃんを連れたお父さんを見かけます。図書館で現役世代の、パソコンでお仕事をしているらしき人を見かけます。コミュニティハウスでいろんな方と出会うことができました。ずっとお勤めが続いていたら、出会える時間はなかったので出会うことはなかったであろう方たちばかりです。きっとこれはわたしに必要なことだったんですね。ようやく少しずつそう思えるようになってきました。
誰もがどこかにお勤めをしてお金をいただく社会は幻になりつつあるのに、残念ながら社会の仕組みはいろんな生き方にまったく追いついていないこともあらためてわかりました。お勤めしてお金をいただくのは、本当に身をすり減らしていくような苦しい日々でした。楽しいこともありましたが、今はまだ苦しいことばかり思い出してしまいます。それほどつらかった、苦しかった、がんばった、そんな日々がありました。
そんな生き方にまた戻ることに希望を見い出せない。弱い立場の人を振り落として行く仕組みに希望を見い出せない。これからどこでどうやって生きていけばいいのか、今はまだわからず辛抱の時は続いていきます。
都心の大学で、グリーフケアの講座を聴講しました。
妹とのお別れの後辿ってきた自分の心の軌跡はまちがっていなかったし、ここまでやってこれただけの力が私にはある。かけがえのない時間を過ごしてきた。たくさんのことを妹におしえてもらった。乗り越えるのではなく、これからも共に生きていく。一生懸命に生きていく。
この大きな体験を発信していくことは大切な役割なのではないかと感じる気持ちが強くなってきています。誰かの悲しい、苦しいと同じ気持ちになることはできないけれど、ささやかでも自分にできることがあるんじゃないかとおこがましくも考えたりしています。私よりももっともっと大変な思いをしてきている方々もたくさんいらっしゃいます。比べられるものではない、本当に人それぞれです。
これから私は何をしていけばいいのか、何をするべきなのか、家賃あるので苦しいところです。今はまだ答えを見つけられません。もう少しの辛抱、このまま辛抱していれば見えてくるのか、混乱の中に今はまだいます。
ちひろ美術館での写真から一枚です。