たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

カウンセリングスクールのレポートより_コミュニティ心理学

2019年09月23日 19時50分11秒 | 祈り
「2008年7月21日 たんぽぽ

職場におけるストレスマネジメント―一般企業の非正規雇用労働者の場合

①問題解決のためには、いかなる介入・援助の方法が考えらえるか?

 現代は、産業経済の大きな変革期で構造改革が凄まじいスピードで進行中であり、職業性ストレスが増加している。それに伴い、うつ状態やうつ病、過労死や自殺なども増えている。一般企業(上場企業)の69%で心の病が増加し、一か月以上の休職者が68%に存在している(社会経済生産性本部、2005年)。2000年に心の労働災害に企業の安全配慮義務があるという判例が最高裁で出され、心の面でも企業に責任があるという考え方に変わった。8月に当時の労働省は、「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」を発表した。①セルフケア、②ラインによるケア、③事業場内産業保健スタッフ等(産業医、衛生管理者等によるケア)、④事業場外資源によるケア、基本的考え方として以上四つのケアをあげ、心の健康づくりにおいて事業場や労働者がとるべき対策を示した。2006年4月の労働安全衛生法の改正により全ての事業体が職員の「心身の負荷」を把握し、適切な措置を講ずる義務が課せられている。最近注目されているEAP(従業員支援プログラム)とは厚生労働省が定める四つのケアのうちの一つである事業外資源によるケアの事を指すものといえる。人員削減により一人当たりの業務量は増加している。過労死・過労自殺を生み出す長時間労働に対して、企業では法定労働時間(週40時間)を月100時間以上超え、労働の蓄積が見られる場合は労働者の申し出を受け、医師による面接指導を行わなければならないという法律(改正労働安全衛生法)が2008年4月より全企業体に適用されている。

 しかし、これらの施策は、正規雇用と非正規雇用(契約社員・パート・派遣社員等の有期期間契約雇用)の二極化が進行している労働の現場に十分に対応できているとは言えない。1986年の男女雇用機会均等法制定、労働基準法見直し、労働者派遣法の制定を契機として、女性労働の分野で正社員一般職から契約社員や派遣労働者による常用代替が進んできた。非正規雇用化は、若者を中心として男性にもかなりの勢いで広がっていった。1997年から2001年にかけて、正社員は170万人削減され、非正規雇用は200万人増えた。非正規雇用が正規雇用と競合し合っている職場は、「多様な就業形態の組み合わせと労使関係に関する調査研究報告書」(厚生労働省2001年)ですでに70%を超えている。特に細切れ契約が横行している労働者派遣は雇用主(派遣元)が労働法上の責任を負担し、使用者(派遣先)が派遣労働者に対する指揮命令を行い、労働時間や労働安全衛生に関する労働法上の責任を負担するという特殊な形態である。労働者派遣法では、派遣先が派遣労働者を雇用しないものを労働者派遣と定義しており、派遣先は雇用責任を負担しない。それゆえに、労働者の心身の負荷に対する責任は不明瞭なのが現状である。労働によるストレス被害は、気力低下から心身の障害に至るまでの健康被害、生命の喪失、さらには家族の崩壊や離職など、人間の生活の広範囲に及ぶ。非正規雇用労働者の場合には、同じ仕事をしていて、職場に貢献する度合いも同じであっても、ボーナス・退職金がないなど社員との格差、深刻な長時間労働の広がり、使用者の都合によって契約更新時に時給ダウンなどの条件の変更を余儀なくされる。契約更新されないといった弱い立場であるが故にもたらされる不利益が、意欲やほこりが削がれる精神的葛藤にさらに追い討ちをかけ、労働にも苦渋の度合いが強められる。個人でできることを精一杯試みても状況を打開できない、社会全体の課題として現れる非正規雇用労働者のストレスの増加という今日的な課題は、援助者の介入が必要な領域であると考える。

 コミュニティ心理学では、人間の行動は個人内の要因によって引き起こされるのではなく、環境要因と個人要因が相互作用することで生じると考え、個人の内的諸要因の改善だけでなく、その個人を取り巻く環境的諸要因への働きかけ、環境を人に適合するよう働きかけていくことが重要であると考える。即ち、治療的側面よりも、予防的で成長促進的な援助が重視される。介入に当たっては、労働者の内面的理解につとめ心理援助サービスを行うと同時に、労働者一人一人を生活者として社会システム全体の中で捉え、その人を取り巻く社会的環境とどのような関係をもち、困難な状況を創り出しているかを理解することがまず重要である。労働者ニーズを的確に把握し、関係諸機関の相談窓口(ハローワーク、各都道府県の労働局、日本労働弁護団相談窓口、NPO法人派遣労働ネットワーク、日本司法支援センター)との相互の連携のもとに援助を進めていく。非正規雇用労働者の場合には、職場の同僚者や上司の理解が得られにくく、孤立しがちであることから、ネットワークの中で支えていくという視点は重要である。そして、多様なニーズに応えるには、多領域で活動する専門的援助者、家族・友人・近隣の人々、職場の上司と同僚などの非専門的援助者に働きかけ、連携と協働を求めることが必要となる。

 非正規雇用労働者の増加は、現代社会が直面している深刻な貧困化を伴う格差の問題を伴っている。少子化、高齢化に伴う、社会保障制度のあり方、性差別といった問題も内包していると考えられる。現代社会が抱える問題を解決していくには、既存の法律・制度・政策といった社会資源では不十分であり、新たな資源の開発も必要になってくる。例えば、労働者派遣法
おいては、事前面接による派遣決定は禁止されている。しかし、企業は労働者を受け入れるとき、ほとんどのケースで事前面接を通じて受け入れを決定し、労働者を選別している。このような実態は、事業法としての性格をもう労働者派遣法の構造そのものに問題があると考えられる。これまであまり把握されてこなかった労働者派遣法が適用された結果や運用の実態を可視化していくことが重要であり、政策課題としていくためには、行政の合意が必要であり、その合意形成・理解を得るためには署名活動や啓発運動、関係者の集団行動による世論の喚起といったソーシャルアクションも必要になってくる。正規雇用の一定時間を超えたら産業医の指導や健康診断の実施によって対策を講じるというのでは、長時間労働などのストレスをもたらす
客観的環境を改善していくのは難しい。長時間労働をもたらす制度や環境への対策を重視し、正規雇用・非正規雇用という就労形態の枠組みを超えて現場で働く労働者が参加して分析と改善の為の多面的アプローチを可能にするシステムを構築することが求められている。


②介入・援助の成果をどう評価するのか?

 仕事は、社会の一員であるための大切で不可欠な条件といわれている。長時間労働が健康破壊をもたらすなら、正規雇用・非正規雇用を問わず、健康と生活仕事を通して社会に貢献し生活の営みを再生産するため(自分自身を更新する)ために必要な時間が、どれだけ「収入労働」のために制約され、奪われているかを可視化することも重要だ。仕事も職場も常に激しい変化にさらされている社会の中で、一人一人が、自立して生きていくことを可能にする社会システムの再構築のために、コミュニティ援助の重要性を共有する仕組みをどのように構築していくか、専門家は問われている。

参考

社会保険労務士吉田達事務所HP
中野麻美著『労働ダンピング―雇用の多様化の果てに』2006年10月、岩波新書。
社団法人産業カウンセラー協会『産業カウンセラー養成講座テキスト 産業カウンセラー入門』日本産業カウンセラー協会、2004年3月改訂2版。
精神保健福祉士養成セミナー編集委員会編『精神保健福祉士養成セミナー第6巻精神保健福祉援助技術各論』へるす出版 2005年1月改訂3版。
江花昭一『東京カウンセリングスクール専科研修講座 ストレスマネジメント』資料 2007年12月


講師評

きわめて危急かつ現代的な心理社会的問題をとりあげ、どのような問題解決のニーズが存在するのかを分析した上で、コミュニティ心理学の視点をふまえた介入方法を提示しているすぐれたレポートです。今後のさらなる展開を期待しています。」


 二十代半ばの時に母が統合失調症を発症したことと30代に突入して妹が自死したことを受け入れていくために心身を削りながらもがく人生となりました。大会社でハケンとして二人分労働しながらよくこれをまとめたもんだと我ながら思います。父も母もいなくなった今その時間はどんどん遠ざかりつつあります。それはそれとしてもう横において、援助職をまたやりたいという気持ちを失ってしまったわけではありません。わたしにできることがあるはず、という想いは幻想にすぎないでしょうか。郷里の車社会では無理。これからどこへ旅立っていけばいいのか。荷物はまだまだあるので断捨離、断捨離。妹が遺した手紙を全部ゴミ箱へ入れました。わたしが出した手紙も含めて読み返すのはもうやめました。父が遺した社員旅行で行ったと思われるタイ旅行の写真もごみ箱へ。スキャンしてもみないのでやめます。いつかは処分しなければならないもの。わたしの人生にも限りがあるのでずっと持っていることはできない。家壊す時にはどのみち全部ゴミだからさ、ごめんね・・・。

日比谷シャンテ宝塚ステージ衣装展_星組

2019年09月22日 19時32分37秒 | 宝塚
思い出の『エストレージャス』、『霧深きエルベのほとり』との二本立ては深く心に残る舞台でした。



















『キラールージュ』、『‘Another World』との二本立ては楽しすぎました。去年の6月に東京宝塚劇場で観劇し、7月には千穐楽ライヴビューイングを観たのですが、帰省で環境が大きく変わり苦しくなってしまったこともあり、もっともっとはるか遠くのことのように思えます。

綺咲愛里さん、横からみるとうすい、うすい。こんなに細い体であれだけのハードな舞台をこなしているとはすごい。


















紅ゆずるさんの袖、余っています。マネキンよりも腕が長い。










東京宝塚劇場、狭いので批判的な声をみかけますが、東京の一等地、帝国ホテルの向かい側で少し歩くと日比谷公園、帝国劇場、皇居のお堀端があるという地の利に専用劇場があり、しかもA席は5,500円で観劇できるなんて奇跡的な、ありがたいことだと思います。
だれもが本拠地に遠征できるわけではないので東の拠点は必要。維持していくためには大変な知恵と努力が必要でしょう。
20年余り建て替え工事を行っている時たびたび近くを通りました。現場事務を経験したことから、こんな大都会の真ん中の狭いところで大型の工事車両を搬入して大工事をするなんてすごいなあと通るたびに思いました。その頃某鍵メーカーでハケンとして働き、伝票に東京宝塚劇場の名前をちょくちょくみかけたのは都心で暮らした思い出。


9月13日(金)の東京宝塚劇場。



















お向かいのシアタークリエではまあ様、たーたん、彩乃かなみさん出演の『若草物語』を上演中。余裕があればこちらもみたかった。





 平日の疲れが押し寄せてつらい休日、眠るのが苦しい休日、しびれた脳みそでつらつらと思い出すのは笑いと笑顔と涙に溢れた舞台。ほんとに楽しかった。大劇場とは芝居が変わっていたし雰囲気も違うし、グレードアップしていたので行ってよかったです。13日の楽屋出をみることができた紅さん、あまりにも綺麗すぎて眩しすぎて至近距離からでは直視できず日比谷シャンテの前に移動しました。声は聞こえませんでしたがファンクラブの方々が何度も笑う場面がありすごく楽しそうでいいなあと思いました。笑いは救いですね。

 14日11時公演の『食聖』やり直しの場面、SNSでみかけたところでは、アイリーンが「満漢全席なんてつくれるの?」って言う前にホンが「クックパッドで調べるんだ」って言ってしまい、アイリーンがとまってしまったからなんですね。だから愛理さんがエッ?!っていう感じになっていたんだ。やり直しますから素で打ち合わせしてほんとにやり直すところがあまりにも自然すぎました。失敗も引き受けて客席引き込んで自分のものにしていくの、すごい。オケボックスにひらひらと落ちていったのは、ニコラスパパがふっていたハンカチだったようです。オペラグラスで追いきれませんでしたがこれまた楽しい場面でした。「俺は無理っていうことばがきらいなんだ」、「今いる場所で精一杯生きていればいつか大切な人に出会える」、シンガポールデートのホンはアイリーンにすでにひかれていてすっごく優しい表情をしていたのはカールでした。アイリーンは一言も一緒に写真を撮りましょうっていっていないのに「なんでお前と一緒に写真をとるんだよ」っていうの可愛すぎでした。「星なんていらない、星なんていらない、お前にくれてやる」。リーロンロンの肩をたたくときの音が、お前なら大丈夫だよ、まかせたよって響いていました。努力に努力を重ねてやっと手にいれた星を手放すホン。わかっていても涙がにじむ場面でした。魚をもって躍っているアイリーンもみたいし、目が足りないです。アイリーン、お衣装けっこう変わるけどずっとアイリーンで筋がとおっています。紫ピンクの髪色が似合うのはさすがです。

 『エクレールブリアン』、「ひとり星の上で」、毎回銀橋にさっと衣装の裾をひろげて歌うときの星を見上げている表情がすごく綺麗。何回みても綺麗。燕尾服で桜の花びらの娘役さんたちが最後床にぴたっとなり桜色のドレスがさっと広がった中に紅さんが立っているフォーメーションがすごく綺麗。娘役さんたちのドレスが美しく弧を描いて広がっているの、すごく綺麗。今回のショーでは娘役さんたちのドレスさばきの素敵さがより世界観を美しく彩っていたと思います。せおっちがマシュケンダロを銀橋で歌う時、両脇に立つ星蘭ひとみさんと水乃ゆりさんのはじけるような笑顔と整った顔立ち、そしてスカートさばきの美しいこと、美しいこと。他に5人の下級生の娘役さんが躍っているのプログラムで確認しました。せおっちがよりイケメンにみえる場面になっていました。舞台装置はシンプルで無駄をそぎ落とした清逸なショー。ボレロの場面、愛理さんだけがずっと舞台にいることに今さらながらに気づいたり、みればみるほど好きになるショー。

 退団公演としてかなり幸せな二本立て。ここにきて「端正」というワードをあてた小柳先生のセンスといいところをぎゅっと濃厚に絞り出した酒井先生のショーのセンス、まだまだ尽きませんがあとは大千穐楽のライブビューイング。いちばん近い所で当選するといいな。田んぼの中の映画館は最終手段。大劇場の千穐楽ライヴビューイング、東京宝塚劇場の地下の日比谷は激戦だったというマダムたちの会話がきこえてきました。先行抽選は全部はずれ、4館貸切となった当日券で入場できたとか。こういう時は人の少ない田舎の方が有利か・・・。

 

 

旅の思い出_秋田・盛岡・仙台(5)

2019年09月21日 16時22分46秒 | 小さな旅の思い出
「1984年7月15日(日)雨時々くもり

7:00 起床・食事

8:28 北屋敷より仙台駅前へバスにて・・・。

10:00 Eさんと仙台駅構内で会う。タクシーにて青葉城跡・瑞鳳殿へ。徒歩で仙台駅へ。
      Eさんのだんなさまと会う。三人で不二家へ入る。シーサイドグリーンを飲む。


13:48 ~ 15:47

   仙台から大宮へ 東北新幹線やまびこ22号

大宮から東京へ(京浜東北線)


17:24 ~ 19:25

   東京から▽▽▽へ 東海道・山陽新幹線ひかり163号

▽▽▽から▲▲へ

20:30 自宅着


帰宅後の記

楽しかった4泊5日の旅を終えた。
天気の方は今ひとつだったけれどいろんな人に会えたし、いい思い出ができた。Eさんにも会えて嬉しい。
秋田・岩手の方言は全くわからなかった。のんびりしていてのどかだなという気がする。人がいいんだな、親切だし・・・。
住むにはちょっと不便かな、バスも列車も少ないし・・・。
窓から眺める景色は爽快だった。
秋の紅葉の時期に来ると、もっと素晴らしいだろうな。
来年の秋には青森をじっくり回ってみたい。
九州一周もしたい。
仕事をやめなければ無理だろうな。
この旅の思い出は心の中にしまって、また今日からあらたな気持ちで頑張ろう、夢に向かって・・・。」


この旅の翌年、1985年10月には紅葉の青森・十和田湖周辺へ、翌々年、1986年9月には再び仙台、盛岡、そして遠野、花巻へと旅しました。龍泉洞も訪れました。東日本大震災でどうなったのかなあと気になるところが何か所もあります。こわくて調べられません。

この頃、自分は何を夢みていたのか、何に向かって頑張ろうとしていたのか、今はもう思い出すことができません。

家族は幸せなものだと信じていたころの記憶、人は本当に死ぬのだということをまだ知らなかったころの記憶はどんどん遠ざかっていきます。それでいいのかもしれません。






















無事に観劇、終わりました

2019年09月20日 23時08分07秒 | 日記
 わたしの中で本日無事に体が動き出勤してやらなければならないことをクリアできた時が、昨日の観劇の本当の終わりだと思っていました。高速道路、今回も帰りは事故で渋滞、平日の日帰りバスツアーは翌日出勤のプレッシャーと背中合わせ。年寄りと専業主婦をのぞけばみんな同じだと思いますがきついです。

 昨夜もたぶん4時間半ぐらいの睡眠。眠剤ないと眠れなくなってしまいました、眠剤あって眠れなくなってしまいました。昨夜も眠剤半錠で1時頃横になりましたが寝つくことができず2時頃さらに半錠。それからしばらくしたら寝つくことができたようです。6時前にお手洗いで目がさめてからはまたしばらく寝つけませんでした。気がついた時は7時半近く。だからたぶん4時間半ぐらい。すごく眠いはずなのに、観劇中眠かったはずなのに眠れませんでした。これでよく脳みそがしびれてくるような仕事をしているよなって自分で思いますが、書類はそれほど多くないのが幸いでなんとか休んだ分挽回できそうです。こうして無理に無理をかさねていることが正解なのか否かはわかりません。死を招いているんだろうなって思ったりします。どのみちこれらかさき何十年もあるわけではなし、観劇も旅も、スポンサーがいるわけではないのだから自分で稼がないと楽しむことはできません。楽しい時間はやっときたと思ったらあっという間で待ちわびながら苦しんでいる時間の方が圧倒的に長いです。それでも先はみえてきているのだから楽しいことはできるだけ自分で好きなように楽しみたいです。だから退団メモリアルブックもポストカードセットも無駄な買い物とわかりつつクレジットカード決済しましたよ。またしても散財。20年ほど前と同じようになんどもなんども同じ頁をめくってはひとりニタニタしていますよ。断捨離中ですが公演プログラムやら関連本だけは増えているのですよ。自分にとって必要なくなったら断捨離するので今は楽しみたい。20年ほど前に買って断捨離してしまったずんこさんの退団メモリアルブック、ネットで買い戻したいなあとか考えたりしながら今は楽しみたい。現実を忘れられる時間。そのためには収入が必要なのですよ。一度訪問なので外に出ることができる業務を経験してしまうと内勤はつらい。ずっと中にいるのはつらい。6時間稼働でも長い。脳みそしびれまくりのむずかしい内容なのでなおさら長くってつらい。来週が終わるとようやく4カ月が過ぎることになります。でもまだあるの、長いです。その先のことはまだ考えられません。昨日は酔い止めをのんだこともあり、ものすごく喉が渇いているし口の中が気持ち悪いです。また三連休。眠剤はお休みしようと思います。体と頭を休めつつ、断捨離、断捨離。やっと涼しくなりましたが、郷里近郊、電車の中も店も寒すぎて体がおかしいです。こわれませんように・・・。

 先週末の東京宝塚劇場2日連続観劇と昨日の宝塚大劇場日帰りバスツアー、無事に観劇を終えることができました。日比谷の二日間は懐かしく幸せだったし、昨日はラ・ロンドで公演デザート食べたし、幕間にノンアルコールドリンクのんだし、ぜいたくしました。二人のさゆみさんの男役最後の姿を無事に生で観劇することができました。吐きそうになりながら慣れない仕事をしている自分へのご褒美。ありがたきかな、天に感謝・・・。


花組『青い薔薇の精』『シャルム』_みりおさんは妖精でした

2019年09月19日 22時59分14秒 | 宝塚
 作品としては正直今一つかな。『ハンナのお花屋さん』と同じ系譜。みりおさん、エンディングに真っ白な衣装で登場するまではずっと同じ青い衣装だったかな。よくお似合いでした。リアル、妖精さん。人間感を打ち消しています。衣装は有村先生。さすがの美しさです。オペラグラスでみると生地もすごくきれい。華ちゃんはメリーベルでみせてくれたようにお芝居の人ですね。年老いて車椅子で登場した時の演技がすごく説得力ありました。同じツアーの人かな、幕間に「ねっちゃった」とか話している人もいて、エッ?!ってなりましたがSNSでもそんな書き込みをみかけて、ツアーのキャンセル待ちすら満杯の超チケット難公演なのになぜ?と思いました。東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング会場の数も半端ない、チラシをもって帰ってきましたがほんとにすごい数。

 ともあれみりおさん、たくさん夢をみせてくれてありがとう。少しほっぺたふっくらしたかな。安心しました。

 明日動けないかもしれませんが動かないという選択肢は許されないので動かすしかないです。休日にあらためてお写真などアップできればと思います。今は残念ですがこれにて・・・。

宝塚大劇場は青空

2019年09月19日 14時00分41秒 | 宝塚
あまり眠れていないのできついですがなんとかツアーバスに乗りやって来ました。明日動けないかもしれません。明日のことは明日。

歌劇の殿堂は並んでいたので諦めました。30-40分待ちとのこと。足腰痛むので無理はできません。


大劇場の看板、星組トップコンビは卒業しました。

 


はじめてラ・ロンドに入ってみました。

店内は舞台写真がいっぱい飾られていました。
自分や他のお客さんが映りこんでしまうのでなかなかむずかしいです。













眠れないのがいちばんつらい

2019年09月18日 22時24分20秒 | 日記
 眠れないのがいちばんつらい、眠れないとこわいので昨夜も眠剤半錠で就寝、3時頃かなお手洗いで目がさめたあとすごく眠いのにでもここでまた眠れないとこわいなぁと思ってしまいさらに半錠。結果眠ることはできましたが、喉が渇いて早めに目がさめてしまいました。まだあと最長時間近く眠っていてもなんとか間に合うぐらいの時間でした。結果たぶん5時間半ぐらいの睡眠かな。わたし勤めに出る平日はずっとこんなもんといえばこんなもんですが、歳をとってきたし、自転車に乗っていて集中力を失ってひっくり返って車にひかれるのいやだし、こんな無理を続けていたら死んでしまうなあと思います。それでも家にはいられないし、収入は必要。今日はお給料日でした。あっという間といえばあっという間? いやいや。2月からここまでとてつもなく長い時間が過ぎたような気がします。郷里で求人票をみて希望を抱いて2月に書類を送ったのは電話相談の仕事でした。運転免許証は必須条件にありませんでした。ただ運転免許証を有無を記入する欄は応募書類にありました。車の運転が必要な仕事ではないので、深く考えず有にまるしました。免許証をもっているかいないかときかれればペーパードライバーですが身分証明書がわりに持ち続けているので有にまるしました。車の運転が必要ない仕事なのになぜ運転免許証の有無を記入しなければならないのかに気づくべきでした。面節でこの仕事ではもったいない、前の仕事の経験を生かしてぜひ〇〇に力を貸してほしいと言われ、経験を生かして活躍できるのだ、必要とされるのだと嬉しかったのですが、車運転するのが当たり前という大前提があっての話でした。応募をすすめられた仕事は免許証必須だったり、結果的にその後振り回されることになってしまいました。ペーパードライバーなのだから運転免許証は無にまるすべきでした。そうしたら郷里から受ける傷はもう少し軽くてすんだのかなあ。過ぎたことを考えても仕方ないですが待たされた時間、一回一回一喜一憂することになった時間、すごくつらかった。想定以上に適応できない自分がいることに気がつき、怒りと憎しみでいっぱになっている自分がいることに気がつきつらくなりました。以来ずっとつらい。ここまでつらかった。

 明日大劇場遠征のために休みをとろうとしていたの、その分書類がたまってしまうので休むのやめようかという気持ちにもなってしまいましたが旅行会社にお金払っているので当初の予定どおり休むことにしました。最初の、あからさまに悪口言われているのきこえてきたことを思えば、いい空気ではないですが格段の進歩。わたしの努力でここまでやっとたどりつくことができました。ボランティア残業一時間弱。来週の水曜日が締め日。金曜日に挽回しなければなりません。脳みそがしびれてくる、吐きそうになりながらやらなければならない仕事ですが戻ることはできないところにきてしまいました。合わない仕事とわかっていても、通勤不安と背中合わせでおそろしくてもやれるところまでやるしかありません。

 星組のさゆみさんで燃え尽きてしまっているところが正直あって花組のさゆみさんの公演の前知識はほとんどゼロ、娘役さんの大量退団とか考えると複雑なものがありますが男役みりおさんはこれが最後。バスツアーでさえA席の超人気公演。大千穐楽のライブビューイングの映画館の数とてつもなく松竹系?まではいっている勢い、5年もの長きにわたりトップをつとめてきたみりおさんの花道。体がついていけるかどうかわかりませんがなんとか無事に往復できればいいなと思います。観劇の翌日が休みでないのはきついね。体と心がついていきますように・・・。




 

きびしい夏はまだ終わらない

2019年09月17日 23時01分58秒 | 日記
 郷里は今日も朝から強い陽射しが照りつけて日中は30度超え、電車の中やショッピングモールはわたしには冷房効きすぎで寒いのでこたえました。夕方になると風は涼しいですが路面があったまったままなので暑いです。しゅくねつじごくはようやく終わりましたが陽射しが照りつけるなか自転車でテーボーを越えていかなければならないのはきついくって仕方ないです。車社会に適応できず、「止まれ」の線を越えて車が飛び出して向かってくると突っ込んでくるのではないかという恐怖で今日も朝からなんども悲鳴をあげてしまいました。昔とちがってこんなに車がとばしている横を、通勤のために自転車で通る人なんていません。歩行者と自転車がいるなんて誰も考えていないでの飛ばしまくっている恐怖の道のり。睡眠不安から逃れられなくなってしまい、昨夜も結果的に眠剤一錠、なんとか6時間ほどの睡眠を確保しましたが緊張しすぎているからなのか、加齢からなのか、眠いのにそれ以上眠ることもできません。木曜日の朝7時間以上眠れたと思いますが以降はずっと6時間前後の睡眠。電車の中でじっと過ごして乗り換えたあとようやく持ち返ってきたパンフレットを読んで復習。5連休明け、吐きそうになりながらなんとか無事に終わり、また残日数が一日減りました。雨が多くて涼しかった6月から一転、しゃくねつじごくが訪れたのはいつのことだったのか、長い、すごく長くきびしい夏、まだ終わりません。眠剤のんで、お腹がゆるくなると正露丸ものんで、薬ばっかりのんでいるので喉のかわきがひどいし口の中が気持ち悪いです。こんなんで顔が見えない相手に対して声はりあげなければならないのきついなあって思いました。なんて頭が悪いのだろうと思ってもそんなことは言えないし、そこをわかりやすいように説明できるだけの技も知識もないので怒られてもどうしようもないです。ごめんなさいって思いながら職員だってそんなにすみずみまで知らないみたいだし、説明書きはあるわけでその通りなんですよね。全部を頭の中に網羅するなんて何年も同じことをやっている人でないかぎり無理なこと。顔のみえない、知らない相手から怒られるのって気持ち悪い、この仕事ほんと苦手って思いながらなんとか時間は過ぎていきました。いちばん忙しいときは過ぎ去ったのかな? 職員によってはお喋りしてたりもします。元来こんな感じ? わかりません。もしかしたら休まなかったら手があいたりしてしまうのかなあ、それもいやですね。とにかくむずかしい仕事。脳みそしびれてきます。明後日また休もうとしているわけで、休むためには吐きそうになりながらもやるしかありません。明日はようやく30度を下回るのかな。慣れない生活環境と慣れない仕事の両輪はきびしすぎました。長い長い夏・・・。

 一日も早く終わりたい、二度とやりたくないと思いながら、郷里近郊で次の居場所と収入の口を見つけたいという気持ちはもうないので終わる時は家を出るとき。まだまだ荷物があるので今すぐは動けません。出直したい気持ちを失わなかったら、自ずと次なる道は示されるのか、それとも結局お金も身元保証人もどうすることもできず動けないのか。いやここで生きていくの無理なんですよね、いらぬ恨みの感情が今さら沸き起こってきたりもするので離れた方がいい、家族はもういい・・・。

 今は明日も車にひかれないように気をつけて生き延びることだけを考えよう。そして明後日のためには早めに休むこと。今はそれだけ・・・。

幸せな二日間でした

2019年09月16日 23時03分07秒 | 宝塚
 14日の眠いのに眠れなかった病はつらかったですが久しぶりの日比谷で無事に幸せな時間を過ごすことができました。郷里は今日も高温注意報発令。東京は涼しかったので体にこたえています。いつこの世を旅立つことになっても、あの時いっておけばよかったと後悔したくない、その一念でひとつひとつ一回一回を過ごしています。叶えられることは叶えたいという気持ちで日々を生きています。昨日はのぞみの指定席をすんなりとることができたので早めに帰宅。最寄り駅から休日は二時間に一本の巡回バスに間に合いました。実は休日は二時間に一本だということを忘れていたので危なかったです。乗客はわたしだけ。わたしが降りたらあとは終点までカラです、ほぼ間違いなく。駅前は送迎車続々で、日曜日の夕方バスに乗る人なんてほとんどいない。それでもバスを運行しているだけまだありがたいと思うべきか。隣町は利用者いなくってなくなってしまったらしい。家で着くとドラッグストアで買い物するために自転車乗ろうとしたら、あれ前輪のタイヤの空気が抜けているではありませんか。気になる音がしていたのでパンクか。購入したホームセンターに電話すると営業時間内に持ちこめば明日の昼には修理が終わり、それまでの間かわりの自転車を貸し出しますとのこと。自転車を痛めないために分解して車で運んできてほしいみたいなことを言われましたが、わたしにはそのような手段はありませんと言うより他ありませんでした。ホームセンターまで歩いて30分ほど。送迎ドライバーはいないのでオラオラビュンビュン車が走るなかを自転車ひきながら徒歩。さっそく夢からさめました。他に選べる手段がない、これしかない、別に山奥じゃないけどここで生きていくのはきびしいのだという現実をまた突きつけられました。翌日休みというタイミングなだけ幸いでした。おそろしいです。観劇のために休みたいのでこんなことで休みたくない。結果的に虫ピンという部品の劣化でしたが他にないというのはほんとにきびしいです。

 昨年の11月半ばまでは日常だった街を旅人として通り過ぎました。バスから銀座や有楽町界隈を撮りました。懐かしかったです。こうして開けているのは、ほんの一部で日本の多くは郷里と同様、車社会なんでしょうね。










終演後帝国劇場まで歩きました。色々な想いを抱えながらなんどもなんども歩いた道のり。

帝国劇場はジャニーズでした。



日比谷駅構内に星組公演と相田みつを美術館のポスターが並んでいました。
相田みつを美術館は国際フォーラムの中にあり、十数年前、河村隆一の大晦日コンサートの前に入ったことがあります。



星組公演のデザート、宿泊場所の冷蔵庫で固め直してからお風呂あがりにいただきました。
普通に甘くておいしかったです。



劇場内の愛理さんのヒガシマル醬油の広告ともこれでお別れ。



わたしにとっては、大劇場とはまた違った夢空間。



 
 思い出すのは舞台上の笑顔と客席の笑い声。ライブビューイング含めて5回観たのに目が足りなくって終わってすぐからまた観たいと思いました。回していくのはたぶんかなりむずかしい舞台を得意のコメディ力を生かして全力で回していた紅さん。顔芸も大劇場よりグレードアップしていると思いました。表情筋がやわらなくて変幻自在。サングラス半分さげたままわなわなと死にそうになっているところとか、アイリーンの料理はヤバイぞ言われてから、「おれそんなにまずいこといったのか」から、アイリーンがつくった料理を「これはなにかなー」っていうところまでの少しずつ違う表情とかすごい。リーが満漢全席の説明するのを真似っこするときやミッキーが小林寺の厳しい修業を経なければ料理人にはなれない話をきいている時とか、少しずつ表情筋が変わっていくの、すごいと思いました。アナワの時くるくると表情が変わるの見事だと思いましたが今回もほんとにお見事。それだけでも楽しくってチケット代払った価値があります。14日は久しぶりに劇場の向かい側のカフェに入って遅いお昼をいただいたし、日比谷は幸せ時間でした。ぜいたくしました。

 このぼけた頭で明日また吐きそうになりながら、慣れない、脳みそしびれそうな仕事、お昼の電話当番。持ち返ってきた資料は結局全くみていないので電車の中でみるしかないです。大丈夫かな、自分。郷里に適応できず眠剤ないと眠れなくなってしまいました。明日もまだ暑いし、色々な意味であぶないです、自分。木曜日はまた休んで花組なんですよね。大丈夫かな、自分。その前に明日給料日のはず。交通費半年分もらってしまうのかな。長いね、先はまだまだ長い。今は日比谷の幸せ時間と無事花組を観劇することだけを考えよう。ヘンテコおばさんの日比谷の夢時間は終わりました。

旅の思い出_秋田・盛岡・仙台(4)

2019年09月16日 14時30分22秒 | 小さな旅の思い出
「1984年7月14日(土)くもり時々雨

7:10 起床・食事

8:40 ~ 9:00

 高松ノ池口より盛岡バスセンターへ

9:00 ~ 9:50

 盛岡バスセンターより啄木記念館前

渋民見学、啄木記念館、宝徳寺、歌碑

12:33 ~ 13:30

 啄木記念館前より盛岡バスセンターへ


盛岡市内直利庵でわんこそばを食べる(18杯)
盛岡駅まで徒歩30分余り。
途中民芸品を買う。

15;30 ~ 16;46

 やまびこ28号で盛岡から仙台へ

17;20 ~ 17:55

 仙台駅前から市営バスで北屋敷まで。徒歩1分、仙台道中庵ユースホステル着。


今朝は7時過ぎまでぐっすり眠っていた。疲れがちょっとたまっていたのだろう。ユースホステルを出てどこへ行くか迷っていたけれどバスセンターへ行った。
ちょうど渋民方面へ行くバスがったのでそれに飛び乗り、啄木記念館前へ。
啄木の歌碑をみたり、小学校をみたり、ゆったりと過ごした。あいにく、くもり空だったけれど、雨は降らなかったのでかえって過ごしやすかった。
バスセンターへ戻るときバスの停留所をまちがえたために、一本乗り過ごしてしまった。
30分後にあったからよかったけれど。
盛岡では念願のわんこそばを食べた。あまりおいしいものではないというのが正直なところ。
想像していたほどあわただしいものではないけれど、やはりそばはゆっくり食べるものだという気がする。
薬味もいっぱいあって、どれからとっていったらいいのかわからないほど。
いくら、くるみなども薬味として出された。
18杯ぐらいまでしかがんばれなかった。ちょっと胃の調子がおかしい。
また太田胃散を飲んでしまった。
開運橋付近の民芸品店で、ちょっと古くさいなまはげを見つけた。おみやげ品としてつくられたものではなく、昔からあるもののようだ。嬉しい。
他にも人形などあったけれど、これがいちばんよかった。
大切にしよう。
盛岡からは一路仙台へ。
ここ、仙台道中庵ユースホステルは農家風の造りで木と土の香りがいっぱいする。
ベッドは畳が敷いてあって木の枠。かべは全部土。
さっきトイレに入ったらなんと戸がきつくて開かなくなってしまった。
必死でがんばったけれど開かない。
仕方なく小窓から抜け出て外から回った。
こんなハプニングもまた楽しきかな。過ぎてしまえばこんなふうに思える。
今度の旅も終わりに近づいてきた。
明日はいよいよ帰る日だ。
なんだか帰りたくないような。
だんだん仕事のことが頭にもたげてきた。
明日を大切にしよう。
Eさんに会える日だな。
雨は一日降りそうだったけれど、降らなかった。
なかなかラッキーだ。
今日一日が無事に終わることを感謝。
そして明日も一日無事に過ごせますように・・・。

おやすみなさい。

PM 8;50 ユースホステルにて。」

この時買ったなまはげ、荷物の中で行方不明中ですがどこかにあります。場所をとるものではないからお守り代わりにもう少し持っていてもいいかな。子どもの頃、初めて海をみた日に買ってもらった置物は、心の引き出しに記憶してお別れしようと思います。少しずつ、お別れ・・・。

啄木記念館も渋民小学校も思い出すことができません。盛岡市内のこじんまりとした質素な新居はおぼろげに記憶の中によみがえってきます。
HPを検索してみると、渋民小学校は近代的な建物に生まれ変わっていますね。