たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(5)

2020年06月16日 01時03分05秒 | 宝塚
2020年6月12日:星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(4)

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/000bb20c967c82a9f61fca398340af9a


断片的な備忘録、書き留めておきたい恵尺のぞくっとする言葉。

一樹千尋さん演じる僧旻(そうみん)と共に物語の案内役となる、天寿光希さん演じる船史恵尺(ふねのふひとのえさか)は登場シーンからぞくっとさせてくれます。ライブビューイングでは見逃した冒頭の場面、オンデマンド配信で視聴してようやく物語の全体がわかりました。僧旻が恵尺の庵を訪ねるところから舞台はスタートします。

僧旻「達者なようだな恵尺」

恵尺「旻法師、あなたがわたしの庵をたずねられるとは・・・」

僧旻「たずねたのではない、迷いこんだというべきか」

恵尺「ハハハハハ、どうりで、あなたがここを訪れるはずはないと思いました。わたしをきらっておられましたから」

僧旻「ここはどこだ?」

恵尺「天命の時空、世のことわりから遠く離れた場所でございます」

僧旻「天命だと、ここでなにをしている?」

恵尺「あいもかわらず歴史を編んでおります。人の世の続く限り、わたしのつとめのようでございます。記すべきを記し、記すべからざるべきをすて、わたしはあったことをなかったことにする、なかったことをさもあったかのように記さねばなりません。実に厄介、ハハハハハ」

僧旻「ずいぶんと傲慢なものだな、歴史とは」

恵尺「それを力にかえるものもおります」

僧旻「そのかげでおとしめられるものがいる」

恵尺「すくわれるものもおります」

僧旻「やはり、わしとお前は相容れぬ」「どうやら訪れるべきではなかったようだ」

恵尺「まあまあ。空をご覧くださいませ、この星々と同様、悠久のときを与えられた我々のこと、法師、ひとつ歴史を編んでみませんか」

僧旻「わしに歴史を編めと」

恵尺「たまには立場をいれかえてみるのも一興、それにこのものについてはあなたの方がお詳しい」

僧旻「だれだ?」

恵尺「藤原鎌足(ふじわらのかまたり)」

僧旻「ことわる」

恵尺「鎌足のあなたの弟子ではありませんか、よくご存知のはずでは」

僧旻「わしをせめるのか?」

恵尺「責めてなどおりませぬ」

僧旻「もしもわしがとめておれば」

恵尺「もしもとめておれば、もしも出会わなければ、もしも争わなければ、もしも血が流されなければ、だがもしもはあり得ない、すべておきたことなのです、法師。過去はこんなにも力強い」「未来になんの値打ちがありましょう」

僧旻「それでは希望はどこにある?」「過去に希望はあるのか?人は希望がなければ生きてゆけぬ」

恵尺「その希望のためにどれだけの犠牲がはらわれたことになるのか、たったひとりの希望のために」「はからずも世はくつがえり、歴史はあらたにかきかえられる、希望と絶望ではつりあいがとれぬ」

僧旻「いいや、それは違う!」

恵尺「では、語ってくださいますか、証しだててくださいますか」

僧旻「ああ、語ろうではないか、全ては志からはじまったのだ」「あの夜、天から星がおちてきた」

 ここで紅ゆずるさん演じる鎌足が登場し、「大和はゆめのまほろば~♪」「たたなづく 青垣 山隠れる(やまこもれる) 大和しうるはし~♪」と主題歌を歌います。大和ってどんな国なんだろう、それを全部曲で表現している作曲の太田健先生すごいと思うとはナウオンステージでの紅さんのお話でした。

 冷ややかな表情で高笑いする恵尺、天寿光希さんに演じてほしいというのは生田先生のたっての希望だったとか。異色の存在で物語の黒幕のような不気味さたっぷり。冒頭わずか4分ほどのシーン、聴き取れていないところもあるのですが書き留めておきたいと思って、文字起こししてみたら深かった。ナウオンステージで紅ゆずるさんも話されていますが、史実と虚構が入りまじった物語。わたしたちが今史実として教えられていることが虚構で、虚構だと思っていることが史実かもしれません。ぞくっとするような面白さに美しく壮大な音楽。なんかいみてもやめられません。

 ライブビューイングで深く心に残った、物語の最後、自分の人生は何も残らなかったと病の体を震わせる鎌足の全てを肯定するあーちゃん(綺咲愛里さん)演じる車持与志古郎女(くるまもちよしこのいらつめ)の言葉も後日あらためて書き留めておきたい。およそ1300年前の日本が舞台。名前がむずかしいです。







自由ってたいへん

2020年06月14日 20時06分22秒 | 日記
 電気とガスの自由化に伴い、公団住宅への入居にあたり、自分でインターネットのサイトでシュミレーションしてプランを選ばなければなりません。自由って大変。東京電力と東京ガスのエリアをいったん離れてしまっているし、今は自分で契約していません。一昨年の11月分までの使用量のお知らせと領収書は廃棄してしまっています。使用量と支払った金額はエクセルに記録しているはずですがサイトでは現在の契約内容の入力を求められるのでやれないです。電気とガスとまとめて契約すればあとが楽は楽なのでしょうがそれまでのハードルが高い。でんきコンシェルジュなる相談窓口があるので電話してみるしかないです。プランありすぎて何を選べばいいのかわからない。こんなむずかしいこと、さらに歳をとってからでは一人でやれないなあと思います。今試練をうけておいた方がいいのかも・・・。分厚い冊子を読むこともなかなかです。

 本当にこれでいいのか、不安ばかり。

 いろいろな意味で郷里で暮らしていくことは無理だとわかったのだから、自分を信じてこのままひとつひとつハードルを越えていくしかないです。店に入るとがっと見られるのがいやでいやでね、地域性、ぜんぜんちがうんだなあと・・・。

「大草原の小さな家への旅」_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_芝土の家

2020年06月14日 16時30分40秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2019年3月5日:大草原の小さな家への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_芝土の家
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b98bd0d6ed77e05ebc5683f396545d25

 2013年9月6日(金)の朝、ミネソタ州ニューウルムのホテルを出発して、ドラマの舞台となったウォルナット・グローヴへと向かったバスの中からの光景だったかな。







芝土の家、二か所、訪れました。どちらが比較的新しかったのが忘れてしまいましたが、新しい所は家具調度品もそろっていて住めなくはないかな。煙突もありました。家に煙突があることはとても大切なことだというお話がありました。



























芝土の家を離れて、博物館などがあるウォルナット・グローヴの町に中心部に戻るとき、バスの中からみえた郊外の風景だったかな。







これはミネソタ州ミネアポリスの空港近くの夕焼けだったかな、残念ながら記憶が遠ざかってしまいました。



「大草原の小さな家」への旅日記、ようやく終わりました。この世にいる間、もう訪れることはないであろう広大なアメリカ大陸を体で感じた旅でした。いろいろ意味で無理しましたがこの機会を逃さなかったのは正解だったと思います。


宝塚歌劇団星組OG、麻央侑希さんのインスタグラムより

「アメリカではミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさん(46)が白人警官に押さえつけられて死亡した事件により、各地で抗議デモ(プロテスト)が拡大しています。」

https://www.instagram.com/p/CA9YDoAF4kj/










ミュージカル『ミス・サイゴン』より_「岩谷時子の訳詞と『ミス・サイゴン』

2020年06月14日 08時08分06秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年帝国劇場公演プログラムより)

「『ミス・サイゴン』の訳詞家である岩谷時子さんが、昨年10月に97歳でお亡くなりになりました。本作や『レ・ミゼラブル』などのミュージカルでも幅広く活躍された岩谷さん。1992年日本初演を前に、訳詞に奮闘する岩谷さんと、作業をともにした音楽監督・山口琇也が語る、岩谷時子と『ミス・サイゴン』。

♪訳詞の域を超えた表現

 僕が音楽監督として初めて岩谷先生とお会いしたのは、1984年の『デュエット』という作品。その後も何作かご一緒させていただきましたが、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』のブーブリル&シェーンベルク作品ほど訳詞に厳しい条件を与えられたことはありません。「1音につき1文字」、「出来る限り原詩と同じ母音を当てる」、「大事な言葉の位置は変えない」といった条件をクリアしつつ、日本語として成立させるために、先生と試行錯誤を重ねた日々を今でも昨日の様に思い出します。

 作業は開幕の一年以上前、我が家で始まりました。先生が毎日のようにいらして、正確なメロディーを確認しながら詞を書いてくださる。どうしても条件をクリアできない箇所が出てくると、「宿題」と言われて家に持って帰られて、翌日にまた作業を続ける。その結果として出来上がった詞を、僕が歌って録音し、イギリスに送って承認を得るのです。例えば、英語では1音で表される「DREAM」は日本語にすると「ゆめ」と2文字になりますが、それでも音楽が損なわれないことを、実際に聴いてもらうことで説得していったわけです。一方で先生は、訳詞の域を超えた表現も生み出されました。キムの歌う《命をあげよう》の「命”も”あげるよ」を、最後にあるメロディーだけ「命”を”あげるよ」としたのは、日本語ならでは、先生ならではの繊細な歌心だと感じました。

♪頭の中に辞書があった

 稽古が始まると、今度は演出家の注文に合わせて書き直す日々。芝居が明確になると必要な言葉とあてはまる位置がはっきりしてきます。しかし1カ所直すと前後の微調整も必要になりますから、作業は果てしなく続きます。不可能とも言える作業が可能になったのは、先生の頭の中には辞書があったから。語藁が本当に豊富で、選択肢が次々と提示されるんです。ただ下品な言葉だけは苦手でいらしたようで、《火がついたサイゴン》の曲中に出てくる言葉の訳詞の時には「こんなの書けないわ!」とおっしゃっていましたけど。

 先生は昨年お亡くなりになりましたが、僕の中には今もいらっしゃいます。譜面を開けば、そこに先生の姿が見えるんです。今年はロンドン公演での歌詞変更に合わせて訳詞も少し変わりますが、僕は「先生だったらどうするだろう」といつも考えながら新しい歌詞を音符にあてはめています。先生が作られた世界を壊すことなく、『ミス・サイゴン』を生まれ変わらせることができれば・・・そんな風に思いながら稽古をしています。」

 『ミス・サイゴン』初演時の《アメリカン・ドリーム》の岩谷時子さん直筆原稿は初演からエンジニアをつとめている市村正親さんの手元にあるとのこと。

 






 帝国劇場でキムがうたう「命をあげよう」を聴くたびに脳裏によみがえってくるのは初演のロングラン公演でキムをつとめた本田美奈子さん、涙がとまらなくなります。帝国劇場には今も美奈子さんの魂が息づいているように感じます。岩谷時子さんと本田美奈子さんが出会ったのは1990年、本田美奈子さん23歳、岩谷時子さん74歳の時でした。

「生まれたくないのに生まれでたお前が 

 苦しまないように命もあげるよ♪」

「神のこころのまま のぞむもの選ぶの 

 つかまえなさいチャンス 命もあげるよ♪」

「お前のためなら 命をあげるよ♪」





2016年1月20日;2015年10-11月日比谷シャンテ、本田美奈子30周年記念メモリアルパネル展
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9ca045760fe22193626634b2565e129a

2015年4月26日;なつかしの本田美奈子さん
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/07ac9127f0eaf4ac6a08d5245f4c4e59

茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より_仮想と現実のずれ

2020年06月13日 17時50分43秒 | 本あれこれ
2020年5月10日:茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より_神様を想像してはいけないの?
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/dc7b08a04a16359519385d73414fac6a

「この小説は、「仮想」と「現実」の関係についても、丹念に描いています。仮想と現実との関係についてのメタフィクションと言ってもいいくらいに。「メタフィクション」とは、それが作り話であることを意図的に気づかせることで、虚構と現実の関係について問題を提示することです。

「わたし、ダイヤモンドって、紫水晶みたいなんだって思っていたの。ずっとまえの、まだダイヤモンドを見たことがなかったころ。読んだことはあったから、どんなものか想像してみたの。それでかすかに輝いている、すてきな紫色の石だろうと思ったの。でもあとになって、女の人がダイヤモンドの指輪をしているのを見て、かっがりして泣いちゃったわ。確かにすばらしかったけど、わたしが考えていたダイヤモンドとはちがっていたんですもの」

 アンは、ここで本物のダイヤモンドを見てショックを受けて泣いてしまいます。これは、現実への異議も仕立てです。自分の想像していたダイヤモンドというものが、アンの中では非常に強いイメージとして存在していた。それは彼女にとってはほとんど実際にあるものに近かったので、現実がこのイメージを裏切るとは露ほども思っていなかった。それがみごとに裏切られるのです。石の価値はさておき、アンにとっては、少なくとも、無色よりも淡い紫色の方がはるかに素敵な色だと思えた。それが裏切られたのです。この場面は、仮想と現実との「ずれ」に対する心の機微を、非常によく表しています。

「仮想」の世界は、必ずと言っていいくらい「現実」に裏切られます。たとえば、日常的な例を挙げてみても、誰か初めての人に会う機会が訪れるとする。その人の顔はまだ見たことがない。けれどもその人の職業や、周りからの情報で、ある程度その人がどういう人かということを想像してから、僕たちはその場に臨むものです。全く想像もせずに人と会うということはまずない。しかし、そうして出会ったその人は、必ず自分の「想像」とは異なるイメージを持っています。思った通り百パーセントそのままということは、まず絶対にありえません。

 このような「ずれ」が、僕たちが生きていく人生には常に横たわっている。ここに「仮想というものの切実さ」が潜んでいるのです。

 たとえば、子どもにとってのサンタクロースも仮想の切実さを物語っています。ここに、サンタクロースが実在していると信じていて、自分なりのサンタクロース像を持っている子どもがいるとします。次に、その子どもの前にサンタクロースの格好をした、でっぷりと太った赤服に白い髭をはやしたおじさんを連れて行くとする。そこで、子どもに「サンタさんだよ」と言っても、それは心の中に大切に抱いていたサンタクロースとは別の何者かであることを子どもはしっています。そして、それは子どもたちの仮想の中にあるサンタクロースという存在に比べると、必ず小さいものになってしまう。現実とは必ず、仮想しているものより小さくなってしまうものなのです。

 「仮想」は、どんなに素晴らしいものであっても、必ず「現実」によって裏切られます。つまり、私たちにとって仮想というものが切実なのは、それがこの世のどこにも存在しないものだからなのです。」




今日も新幹線は走っていました

2020年06月13日 01時36分37秒 | 日記
 三列シートも二列シートも窓際の席に坐ることができて、隣は開いている新幹線、数字的にはきびしそうですが快適でした。往路は車内販売のコーヒーを久しぶりにいただきました。朝から蒸し暑い梅雨の一日、なんとか無事に公団住宅の契約をすませてきました。明日が期限でしたが平日でないとなにかあったときに困ると思い今日がんばっていったのは正解でした。いちばん肝心なことを事前の確認不足であせってしまったことがありましたが電話連絡でことなきを得ました。もうあとはないので危なかったです。色々と説明をうけてやることがありすぎておなかいっぱい、そのあと〇コモショップでWi-Fiのこともききたかったのでお茶ものめないまま何時間も過ぎてしまいました。無事に大きなやまをまたひとつこえました。7月1日に荷物をだして郷里を出発、家賃発生は2日から、実際の入居は3日からとしました。書類に緊急連絡先の記入を求められましたが空欄にしました。8年前母がいなくなったとき、てんがいこどくになっていたことにようやく気づいた帰省。家族を3人も見送って気がつけばひとりぼっちになってしまったわたしは、同級生がいうように気の毒なのでしょうか。子どもの頃の小さな家から、この大きな家に建て替えたときの母のはりきっていた元気な姿を30年以上が過ぎた今もよくおぼえています。すごくさみしいです。さみしいですけどここで生きていくことは無理だとわかったのでまた旅立っていきます。さらに歳をとって家賃払うの大変になったときは家賃安い県下に戻ってくるという選択肢はあるのかもしれませんが今は10両編成の電車が走る街に戻りたい、帰省して自転車に乗るようなったら(自転車に乗らないと身動きとれませんが)毎日めっちゃ歩いていたわたしがほとんど歩かない生活は心身のリズムをくずしてしまったようです。なんだかずっと体の中からエネルギーがわいてこない感。いろいろ考え始めてしまうと不安の渦、最後の最後は、最後の最後のとりでがあるから心配しなくていいと自分に言い聞かせて進んでいくしかないです。締め切りは今月中。なんとか間に合う予定となりました。今これ以上無理に断捨離しようとしなくても自転車も積めるとわかったので断捨離しようとしなければ荷物の準備は終わることができます。やることがたくさんありすぎてぱんぱん、メモって整理しながらひとつひとつクリア、これがわたしの人生にとってほんとうに正解なのか、わかりません。郷里近郊、田植えがはじまっています。大事なことです。家の庭先で小さな畑をやれたらという気持ちもありましたが帰省してしまってから早々にここは処分するからこんどはちゃんとマンション買えって言われたし手出し口出し、余計なことをしてはいけないのだとわかったし、今さらでした。馴染めなさすぎました。コロナで地方に移住したい、地元に帰りたいっていう方が増えている?覚悟は必要だと思います。わたしには覚悟がなかった、無理でした。30年間残してままにしていた本は断捨離、もう自分の荷物を残しません。今より必要以上にモノを増やすことなくこじんまりと生きていきたい。何年か先に処分するとき、大量の台所用品と家具、大変だろうなあ、父と母の荷物は帰省してわたしがほとんど処分、妹の荷物もかなり処分できたので気が済んできました。あとは自分のために生きればいいか。わたしがいなくなっても困る人はいない、この先何十年もあるわけではないので、やれる範囲でやれることをやっていけるところまでいけばいいか、あと3年がんばれば自分が今ささやかに毎月積み立てている個人年金基金がある、気がつくのが遅かったし安い給料から家賃を払い続けてきたのでたいしたものではないほんとにささやか、あとはどうなるんでしょうね、未来の不安に巻かれても仕方ない、これ以上ここにいても見動きとれないので進んでいくしかないのです。

星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(4)

2020年06月12日 00時30分48秒 | 宝塚
2020年6月7日:星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(3) 

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8e1124d523d2620094961e41caa82a87

 断片的な備忘録、

 ナウオンステージから鎌足を演じた紅ゆずるさん、「鎌足を主役にした物語は今までになかった、『ベルサイユのばら』の裏が『スカーレット・ピンパーネル』ぐらい、中大兄皇子や入鹿を主役にした物語に登場する鎌足の裏を描いている、どう演じるのか考えたとき、子役から演じて時間軸と共に成長していくのはむずかしく面白い、15歳から病気で亡くまるまで演じることはめったにないので挑戦」。

 昨年5月25日のライブビューイングでは見逃した子ども時代。代々神祇官を務める中臣(なかとみ)の家に生まれたことを厭い、父より課せられた修業を抜け出して僧旻の学塾に行く鎌足は父と対立。鎌足の父・中臣御食子(なかとみのみけこ)を演じたのはれんれん(如月蓮さん)、おひげをつけて鎌足を叱り飛ばす姿は、二幕で薄幸の有間皇子(ありまのみこ)を演じたとは思えない太さがありました。見事な、全く違う二役の演じ分け、『AnotherWorld』で阿修羅を演じていたのはれんれんだと知った時、れんれんのことがすごく好きになったのですがこういう一生懸命さが素敵。入鹿の父・蘇我蝦夷(そがのえみし)を演じた輝咲玲央さんも専科の華形ひかるさん演じる入鹿の父親ということで、ひげをつけて、絶大な権力を手にしてさらに大きな権力を手にしていくために、子でさえも道具に過ぎなかった冷酷な父親像、お見事でした。入鹿が皇極天皇が皇位を継いだことに不満をもつ山背大兄王(やましろのおおえのきみ)を殺めたと知った時、入鹿はすでに後戻りすることのできない道に足を踏み入れてしまっていました。とめようとする父に対して入鹿は「そう仕向けたのはあなただ」と。真逆の人生を歩むことになった二組の親子の、それぞれのすれ違いも描かれた物語。

 「星々の話をしよう」、唐で学んだ学問を教える一樹千尋さん演じる僧旻(そうみん)先生、学塾の悪ガキたちはあくびしたり木管で肩を叩いたりしてちっとも話をきいていないのに先生はきいてくれていると思って一生懸命話してくれているやさしい先生、勝者の歴史をつくろうと不遜な笑みをもらす船史恵尺(ふねのふひとのえさか)に対して、鎌足の生涯の生き証人として温かい眼差しを注ぎつづける役所でした。

 これも書き留めておきたいエピソード、皇極天皇の皇位継承に不満をもち、入鹿に殺されることとなった、ひろ香祐さん演じる聖徳太子の子息・山背大兄王(やましろのおおえのきみ)と、紫月音寧さん演じる妻・春米女王(つきしねのひめみこ)。入鹿に殺される立ち回りの中で、皇位継承者としての立ち居振る舞いから父親と母親というところから男女がみえて全てをみせてほしいという要求が演出の生田先生と殺陣の栗原先生からあった、その要求にこたえようと、役作りのために今日の朝なにをしていたかというところから入鹿に殺されるまで何をしていたかを毎日発表しあっていたと。短い出番の中でその要求に見事にこたえることができていたと思います。お二人の立ち回り、いろいろな想いがこめられていると感じたので、こんな役作りが裏にあったのかと大きくうなづきました。二人の子どもの役を演じていたのはごめんなさい、どなかたわからないのですが父と母に次いで「残しておくわけにはいかない」と入鹿に殺されてしまう子役もほんの一瞬ですが見事でした。

 紅ゆずるさん、華形ひかるさん、梅田芸術劇場ドラマシティ公演時の終演後のスカイステージレポートでも「子ども時代が全ての始まりなので大劇場公演とちがい子役ではなく自分たちで演じていることがとても重要」と口をそろえて話しています。

 僧旻先生の学塾に遅れていくと悪ガキたちから「中臣の子か、お前のすわる席などない」といじめられる鎌足を「席がないならお前たちが出て行けばいい!」とかばってくれたのは少年の日の鞍作(くらつくり)、のちの蘇我入鹿でした。鞍作は腐敗した大和の政治を変えたい、生まれに囚われない唐を見習って自分が大臣になり、大和をよくしていきたいという高い志をもっていました。中臣という生まれから自分になりたいと願う鎌足を鞍作は励まし、自分が大臣になったら「新しい名をつけてやろう」と大きな夢を描くのでした。綺咲愛里さん演じる10歳の与志古を交えて三人で猿岩の前で肩を組みあい、「志、志~♪」と誓う三人。皇極天皇を守るため危い道を足を踏み入れてしまった入鹿は、いさめる鎌足に対して「鞍作はもういない」「俺にはもう近づくな」と血で染まってしまった自らの死を予感するかのようでした。月日は流れ、父・蝦夷の傀儡(くぐつ)として入鹿が大臣となったことで少年の日のでっかい夢はついえたのでした。雪組の『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』と通じるものがあります。足を踏み外した入鹿を討ったのは少年の日、へっぴりごしで弱い鎌足に入鹿が手ほどきをしてくれたまさにその弓。「教えてやろう、上から引き下ろせ、そうすれば十分な力が矢にかかる、そして狙いをさだめてひといきに放て!」、この時の鎌足の凛々しいことといったらないのですが、少年の日の入鹿の声が鎌足の耳元でリフレインする演出になっていてなんともせつない。「これでようやく終われる、鎌足お前の勝ちだ、だが鎌足お前はこれからだ、人を斬ったものは己が斬られるまで斬り続けなければならない」ということばを遺して入鹿は息絶えます。二幕では入鹿の言葉通り鎌足は次々と人を斬っていかなければならなくなるのでした。






 長くなってきていますが、これもオンデマンド配信で視聴。

 スカイステージデラックス、中大兄皇子を演じたせおっち(瀬央ゆりあさん)と退団しているしーらん(壱城あずささん)との熱い星男対談、入団して星組に配属されたせおっち、今では考えられないぐらいあまりにも不器用でやりたそうだけどできなかったそう。そんなせおっちをほっとけなくて、(せおっちいわく)「首根っこつかまえてとにかくやれと叱ってくれた」、
しーらん「あれができればこれができない」「レゴって呼ぶぞ」というと「ほんまやレゴや~ナイスネーミングセンス」と返したせおっち。
しーらん「壱城あずささんと美弥るりかさんの二人でせおを育てようの会をつくった」
せおっち「二人にもっとほめられたい一心でやった」
しーらん「せおっちを教えた熱い(太王四神記の)自主稽古を忘れない」「育てることを教えられた」「スカーレット・ピンパーネルでようやくせおらしさで出てきた、少しずつ脱皮していくのがみえた」「自分の意見を言えているのが嬉しかった」
せおっち「もがき続けた役なのでそう言ってもらえると嬉しい」
しーらん「退団を決めていたので大丈夫やな、これで紅さんを支えてくれるはずやと思った」、「『阿弖流為』で瀬央ゆりあここにありと存在感を示した」
せおっち「動かない芝居を学んだ、位が高い役なのでただ立っているだけでこわいぐらい心が動いて涙がでてきた、出番は少ないけど舞台に想いが残り続ける」「壱城さんが退団されると思わなかった」
しーらん「退団を決めていたので男役として伝えていけるものがたくさんある作品で神様ありがとうと思った」「『食聖』でやっと素のせおに近い役がやってきて生き生きと演じているのが嬉しかった」「こんな素直な子が成長しないわけがない」と。

こうして芸は受け継がれ続けてきているのだと胸あつになった対談でした。



キキちゃんの「もっと男役道」

2020年06月11日 00時11分28秒 | 宝塚
 オンデマンド配信の視聴期限がせまってきたのでキキちゃん(芹香斗亜さん)が下級生に伝授する「もっと男役道」、備忘録。

 キキちゃんを前にすっかり乙女にもどってキュンキュンなっている下級生の男役3名は、優希しおんくん、真名瀬みらくん、亜音有星くん。

「役作りでは、最初に台本をもらった時のイメージを大事にする、稽古場でやっている時はその役の色、香り、まとっている空気感だけを考える、あとは一緒に演じる人との対話を大事にする」
「オンとオフの切り替え、舞台袖で直前まで違う話をしていても役のスィッチが入るとすぐに切り替えることができる」

『シトラスの風』でかつて湖月わたるさんが着たドラゴンの衣装を着こなし、ハットをかぶったキキちゃん、とてつもなくかっこよかったですが、「ハットをかぶるときはまず鏡をよくみて斜め具合を意識する、ツバは右目に少しかけ、左を斜めにあげるとツバの曲線がかっこいい、舞台ではかぶる瞬間もみられているぞと意識して無茶苦茶かっこつけて丁寧にかぶる、すぽんとかぶるんじゃなくて前からゆっくり・・・」「顔の形はそれぞれ違うのでかぶる角度の違ってくる、自分とのたたかい・・・」

 男役としての歩き方、「12年やっているので普通の歩き方を忘れてしまった」「男役は脇に卵をはさんで胸をはって、肩甲骨を斜め下におろしでも胃はださず、あばら骨をしまいかつ腰から歩く、少し歩幅を大きめに」「歩くだけでも男役として見られているぞという時間の使い方をする」

 燕尾服で「男役が出ているのは手だけなので、肩から指先までを手だと思って一番長く見える角度をさがす、指先まで伸ばす、燕尾服は上半身のスクエアと軸が大事」。

 真名瀬みらくん、「花組からきて最初の『ウエストサイドストーリー』での芹香さんのスーツの着こなしがすごくかっこよかった」。スーツは「衣装合わせがすごく大事、コスチュームものとちがい装飾がないのでラインの美しさにこだわる」「ポケットに手を入れるときはジャケットをちゃんとさばいてから入れることにこだわっている、ズボンのラインをくずさないようにそえるだけ」

 バックハグは「娘役さんを大事にする、思いやりとあたたかさをもって接する、娘役さんに恋している目でみてもらえるようにがんばっている、相手役が自由にしているのを受け入れる大きさを持っていたい」、キキちゃんのハグ実演付き、優希しおんくん、「焼き付けます」。『ハンナのお花屋さん』のアベルとハンナは愛し合って幸せな時を過ごした、そんなバックハグ」、『天は赤い河のほとり』のラムセスはチャラ将軍なのでバックハグも慣れた感じで、してる、オレ、みたいなのをみせるのがポイント」。


 優希しおんくん「芹香さんのよう普段からやさしい男役になりたい、芹香さんのような包容力のある男役になりたい」

キキちゃんにとって男役とは?「一生続けていけるものではない、期限があるからこそ輝けるもの。宝塚にいる間しかできない、期限の間はめいっぱいナルシストになっておもいっきりカッコつける、特にかっこよくきざるときはそれをおもいっきり楽しんでやっている」



『オーシャンズ11』でこのピンクがかった紫色のキラキラスーツを着こなして、電子タバコに火をつける仕草とチャラさ加減、ポーラにはめっちゃやさしいところ、真風涼帆さんとの並び、すべてにおいて最高でした。







「大草原の小さな家」への旅_カリフォルニア州ロサンゼルス

2020年06月10日 23時09分56秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2020年5月11日;「大草原の小さな家」への旅‗カリフォルニア州ロサンゼルス

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a0f1c8c82c0cec79385680049dbe3241


 20代の頃、雑誌『スクリーン』を愛読し、往年の名画を呼ばれる作品を上映している映画館に足繫く通いました。いつか行ってみたいと憧れたハリウッド。アカデミー賞授賞式の会場は思いのほかこじんまりとしていました。わたしが訪れた時は、階段の両脇のお店がCLOSEとなっているなどしてさみしい感がありました。時代の流れですね。











周辺の喧騒は、日本人にはとにかく「スリにご用心!」、一人ではこわくて歩けず、ショルダーバッグの口をおさえながら、ツアーでご一緒の方々と離れないようにとがんばりました。







夢をあたえてくれたハリウッドスターたちの手形。
訪れた時から7年が過ぎ、どなたのサインなのか、判別不可能となってしまっているものもありますがアップします。
お名前の判別、違っているかもしれません。









ジョン・ウェイン




グレース・ケリー




ハンフリー・ボガート



ジョン・トラボルタ



マイケル・ジャクソン






ポール・ニューマンと?



ピーター・フォンダ



ジェーン・フォンダ



ヘンリー・フォンダ



ドリス・ディ




 気がつけば、映画館は大型ショッピングモールの中で完全入れ替え制、単館の映画館は生き残ることが難しくなってきました。足繫く通っていた銀座のリバイバル上映の映画館も何年か前、久しぶりに行ってみたらなくなっていました。時代はうねり続けています。昔はよかったということではない、昨今の内外のニュースをみながらよくなっていくことを祈るばかり。

 PS.見返して違っていることに気づいたところを修正しました。それでも違っているかも、ごめんなさい・・・。



『マリー・アントワネット展』に行ってきました(3)

2020年06月09日 15時45分20秒 | 美術館めぐり
2017年1月2日:『マリー・アントワネット展』に行ってきました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/929eef729520b4d26f5e65c76b514b63


2017年3月12日:『マリー・アントワネット展』に行ってきました(2)

https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ac7b63bc71a4fdcdd15804c5add7102b

2017年1月2日(月)に訪れた六本木ヒルズ森タワー『マリー・アントワネット展』より、物販で購入した森永のビスケット「MARIE」の外箱。中はすぐにいただきました、ほどよい甘さでおいしかったです。
綺麗にたたむことができていませんが思い出整理としてアップ。

「お菓子が大好きで無邪気なマリー・アントワネットは、宮廷にビスケットの焼き窯を造らせ、技師たちに命じて優れた風味のビスケットの研究・製造に当たらせました。

そして開発されたビスケットのうち、特に大好評だったハードビスケットは彼女の名にちなんで『マリービスケット』と呼ばれたという説があります。
現在でも『マリービスケット』は、当時からの基本的技術を踏まえて、パリっとした歯ざわり、香ばしさ、素朴な味を特長とするハードビスケットです。

日本では、森永製菓が1923年に発売以来、長きにわたり「MARIE」の販売・広告活動を続けてきました。その実績が認められ、2004年に「MARIE」は森永製菓の登録商標(第492661号)になりました。」