15日近辺になるとあの戦争の真実が赤裸々にマスコミを賑わす。その中でも驚いたのは帝国海軍の上級将校達が昭和55年から12年もの間113回も「海軍反省会」を持ち、米国との開戦への経緯から極東軍事裁判対策まで思い出話のような調子で話し合った内容であった。今回そのテープの一部がNHKで公開された。
宣戦布告という国家の最高意思決定が軍令部という政府や国会を超越した一機関で負けるのは判っていたが決定されたという驚くべき事実が出てきた。軍令部の将校達はえり抜きのエリートであり、情報も充分持っていたので日米戦えば負けることは承知していながら最高責任者が皇族の出身であるために反対できなかったと証言した。
また、連合軍による戦犯を裁く極東軍事裁判対策として元海軍関係者による組織が結成され、最高責任者の東条英機元首相に全責任を取らせ、海軍出身のA級戦犯には極刑が下されないように工作し成功したことも反省会で明らかにされた。
その時の反省会の中で裁判の焦点「人道に対する罪」をめぐり中国人住民虐殺や捕虜虐待などジュネーブ条約違反を海軍軍人が何故やったのかという話も出てきた。日露戦争では捕虜の扱いが模範的だった海軍がどこから間違えたのかという議論の中で、「それは日中戦争から踏み外し、いつの間にかそれが普通になってしまった」という、あらためて戦争の狂気が明らかにされた。
宣戦布告という国家の最高意思決定が軍令部という政府や国会を超越した一機関で負けるのは判っていたが決定されたという驚くべき事実が出てきた。軍令部の将校達はえり抜きのエリートであり、情報も充分持っていたので日米戦えば負けることは承知していながら最高責任者が皇族の出身であるために反対できなかったと証言した。
また、連合軍による戦犯を裁く極東軍事裁判対策として元海軍関係者による組織が結成され、最高責任者の東条英機元首相に全責任を取らせ、海軍出身のA級戦犯には極刑が下されないように工作し成功したことも反省会で明らかにされた。
その時の反省会の中で裁判の焦点「人道に対する罪」をめぐり中国人住民虐殺や捕虜虐待などジュネーブ条約違反を海軍軍人が何故やったのかという話も出てきた。日露戦争では捕虜の扱いが模範的だった海軍がどこから間違えたのかという議論の中で、「それは日中戦争から踏み外し、いつの間にかそれが普通になってしまった」という、あらためて戦争の狂気が明らかにされた。