行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

明治150年、恩讐の彼方へとはいかない内戦の重み

2018-10-25 22:08:20 | 政治
安倍内閣は明治150年記念行事を祝い事として行うようだが、東北地方ではあの150年前の内戦を引きずっており、祝う気持ちにはならないようだ。私の学生時代の日本史では明治維新は会津、函館と幕府軍の抵抗があったが、薩長を中心とする官軍があっさりと制圧し、日本の近代化が始まったと習った。ところが最近のいろいろな書物では、薩長の官軍と長岡、会津、仙台と言った奥羽列藩同盟軍との凄惨な闘いぶりが紹介されている。確かに、江戸城無血開城で江戸の街は彰義隊が籠もった上野以外は平穏無事だったし、肝心の将軍は水戸へ蟄居済みだった。そこまで平和的解決にたどり着きながら、その後の内戦は何故避けられなかったのか大きな謎であり、150年記念行事で大いに解明してもらいたい。先日放送された西郷ドンでも、そのあたり注目していたが、長岡、会津侵攻したが東北地方での内戦ほとんど触れずに明治新政府に舞台は移ってしまった。
 
当初和平を目的とした奥羽列藩同盟は官軍の強行策で会津が落ちると、仙台藩を中心に戦端を開き、悲劇的な結末となる。朝日の特集によると、仙台市では、この6月「戊辰の役、150年全殉難者慰霊祭」行い記念碑の序幕を行おうとしたが、地元議員から新政府軍(薩長の官軍)の戦没者も含むのは問題だという意見が出た。山口、鹿児島両県から自治体レベルで自発的反省やお詫びがあってからだと言う見解だ。県議の一人は今もって「長州の言いがかりに近い卑怯なやり方に義憤を感じる」とさえ述べている。
 
150年たっても恩讐の彼方とは行かない戊辰戦争には教科書レベルでは判らない複雑さが改めて感じられる。

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