「へんないきもの」で取り上げられているいきものたちを、おおざっぱに二系統に分けると
(1) 形がへん
(2) 生き方がへん
となる。
←こじろうテスト終了~これでようやく年の終わりが見えてきた!?
メインはなんといっても(1)。DVDを見たときは当然のことながらビジュアルが中心になるが、本でもやはり、一項ごとに迫力ある絵がついていて、そして数ページの文章、というスタイル。
表紙になっている、大口が目立つ「へんないきもの」はオオグチボヤ。口だけがにょきっと生えているような、冗談みたいな図だが、別に空想上の生き物でもなんでもなく、ほんとうに深海にすんでいるいきもの。この大きな口からプランクトンとか食べてる…っつか取り込んでるらしい。
「へんないきもの」の中にはこの、「大口系」とでもいうべきいきものがいくつかあって、ウバザメとかムカデメリベとかイシガキリュウグウウミウシとか…とにかく、口が異様なでかさ。
でも、生き物にとって、「食べる」というのは基本中の基本だから、これをうまくやりとげるために…たとえば、プランクトンをたくさんすくえるように、あるいは、より大きい獲物を丸のみにできるように、口がだんだん大きくなるのは、理屈抜きで「そういうこともあるかな」とは思う。
あるいは、足ばっかり長い「足長系」の、ナガヅエエソとかメダマグモとか、さらには足ばっかりになってしまったウミグモ(胴体がないように見えてびっくりなのだが、消化器官や生殖器官などの必要物品は足にしまわれている!!)なんか、やや行き過ぎてしまって何がいいのかわからないけれど、とにかくなんらかの連続性を持ってここまで進んできた(あるいは進みすぎてしまった?)という想像はできる。
やっぱり、どうしても納得のいかない「へんないきもの」は、まったく道筋が思い浮かばないジャンプをしてしまったもの。
アカエラミノウミウシといういきものは、毒をもつ動物を平気で食べてしまうだけでなく、その毒をもつ「刺細胞」を体内に取り込み、さらに背中の突起に搬送して(!)自分の防御装置にしてしまうのだそうだ。どこからそんな発明!? トータルで一気にうまくシステムが開発できなかったら、即、死にそうである。
子どものころ読んだ科学絵本みたいな進化の話によれば、少しずつ変異がある中から、生存に有利なものが生き残った的なしくみが解説されていたけれど、そんなシンプルな仕組みではとてもじゃないけど納得いかない。
結局、昔(私が子どものころ)の科学者がわからなかった世界の謎って、ほとんどがこの21世紀でもわかってないような。この分じゃ、22世紀になっても、ドラえもんは無理かな(^^;;
わからないのは形態の変化だけではない。形態模写の達人(人ではないが)、ミミックオクトパスとか、疑似餌を使って釣りをするササゴイとか、どうやってそんな行動を思い立ったのか、どうやってそんな行動を伝えているのかさっぱりわからない。
ところで、この本を読んでいるあいだのあらかたの時間は、そうやって「へんないきもの」そのものに気を取られているわけだが、この本の醍醐味はそれだけではない。実はこの本の中に唯一、実在でない(少なくとも、確かめられていない)生物のことが載っている。それも破格の長さで。
「ツチノコ」。これは、日本人なら知らない人はいないし、かといって世界的にはまったく知られていないという中途半端な有名さをほこる生物。空想といいきるにはあまりに広く深く体験証言が分布しており、しかし写真も標本もけっきょくまったくなく実在とはとてもいえない。この現実と非現実の境に存在するようないきものと、それにフィーバーする人々の、この特異なあり方というものが20ページ以上にわたってつづられている。これが、人間というもの、日本の文化に深く想いをはせることができる名文なのだ。
そして、ツチノコの章を読み終えてから前に戻ってぱらぱらと読み返すと、この「へんないきもの」がそれこそいきいきと魅力的に(あるいは気味悪く)見えたのは、この軽妙な文章が支えていたからだということに気づく。そもそも…そういえば、いちばんの「へんないきもの」って人間だよね。
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メインはなんといっても(1)。DVDを見たときは当然のことながらビジュアルが中心になるが、本でもやはり、一項ごとに迫力ある絵がついていて、そして数ページの文章、というスタイル。
表紙になっている、大口が目立つ「へんないきもの」はオオグチボヤ。口だけがにょきっと生えているような、冗談みたいな図だが、別に空想上の生き物でもなんでもなく、ほんとうに深海にすんでいるいきもの。この大きな口からプランクトンとか食べてる…っつか取り込んでるらしい。
「へんないきもの」の中にはこの、「大口系」とでもいうべきいきものがいくつかあって、ウバザメとかムカデメリベとかイシガキリュウグウウミウシとか…とにかく、口が異様なでかさ。
でも、生き物にとって、「食べる」というのは基本中の基本だから、これをうまくやりとげるために…たとえば、プランクトンをたくさんすくえるように、あるいは、より大きい獲物を丸のみにできるように、口がだんだん大きくなるのは、理屈抜きで「そういうこともあるかな」とは思う。
あるいは、足ばっかり長い「足長系」の、ナガヅエエソとかメダマグモとか、さらには足ばっかりになってしまったウミグモ(胴体がないように見えてびっくりなのだが、消化器官や生殖器官などの必要物品は足にしまわれている!!)なんか、やや行き過ぎてしまって何がいいのかわからないけれど、とにかくなんらかの連続性を持ってここまで進んできた(あるいは進みすぎてしまった?)という想像はできる。
やっぱり、どうしても納得のいかない「へんないきもの」は、まったく道筋が思い浮かばないジャンプをしてしまったもの。
アカエラミノウミウシといういきものは、毒をもつ動物を平気で食べてしまうだけでなく、その毒をもつ「刺細胞」を体内に取り込み、さらに背中の突起に搬送して(!)自分の防御装置にしてしまうのだそうだ。どこからそんな発明!? トータルで一気にうまくシステムが開発できなかったら、即、死にそうである。
子どものころ読んだ科学絵本みたいな進化の話によれば、少しずつ変異がある中から、生存に有利なものが生き残った的なしくみが解説されていたけれど、そんなシンプルな仕組みではとてもじゃないけど納得いかない。
結局、昔(私が子どものころ)の科学者がわからなかった世界の謎って、ほとんどがこの21世紀でもわかってないような。この分じゃ、22世紀になっても、ドラえもんは無理かな(^^;;
わからないのは形態の変化だけではない。形態模写の達人(人ではないが)、ミミックオクトパスとか、疑似餌を使って釣りをするササゴイとか、どうやってそんな行動を思い立ったのか、どうやってそんな行動を伝えているのかさっぱりわからない。
ところで、この本を読んでいるあいだのあらかたの時間は、そうやって「へんないきもの」そのものに気を取られているわけだが、この本の醍醐味はそれだけではない。実はこの本の中に唯一、実在でない(少なくとも、確かめられていない)生物のことが載っている。それも破格の長さで。
「ツチノコ」。これは、日本人なら知らない人はいないし、かといって世界的にはまったく知られていないという中途半端な有名さをほこる生物。空想といいきるにはあまりに広く深く体験証言が分布しており、しかし写真も標本もけっきょくまったくなく実在とはとてもいえない。この現実と非現実の境に存在するようないきものと、それにフィーバーする人々の、この特異なあり方というものが20ページ以上にわたってつづられている。これが、人間というもの、日本の文化に深く想いをはせることができる名文なのだ。
そして、ツチノコの章を読み終えてから前に戻ってぱらぱらと読み返すと、この「へんないきもの」がそれこそいきいきと魅力的に(あるいは気味悪く)見えたのは、この軽妙な文章が支えていたからだということに気づく。そもそも…そういえば、いちばんの「へんないきもの」って人間だよね。
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