アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

赤ちゃん取り違え事件のこと

2017年10月01日 | 生活
トレンドから離れすぎた話で失礼します。たまたま、文化祭の古本市で「赤ちゃん取り違え事件の十七年 ねじれた絆」をゲットしたもので。

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私は昭和41年(1966)に東京郊外の個人産院で生まれました。そのころ、赤ちゃん取り違え事件については話題になっていたとかで、私の母は(父も)生まれたばかりの私を穴のあくほど見つめてその特徴を目に焼き付けたといいます。

当時は母子別室が当たり前で、生まれたすぐから私は新生児室で世話されていて、母はまったく赤ん坊に触れることなく(!)ガラス越しに見るだけで入院期間の一週間を過ごしたそうなのですが(今から考えればびっくりですね)、生まれて数日経ったときにこんなことがありました。

母が新生児室を見に来たとき、私でない赤ん坊(一日違いで生まれた女児)が、母の名前のついたベッドに寝ていたんです。

母が慌てて看護婦さんに尋ねると、「あぁ今ちょっと置いただけだから(わかっているから)大丈夫」とのことだったそうですが…

まぁ要するに、識別は腕輪・足輪のようなものではなく、「親の名前のついたベッドに寝かせる」ということで行われていたのに、そのベッドは日々の業務の中で(沐浴とかおむつ替えとか)融通きかされていたというわけですね。いつ何が起こっても不思議ではない状況だと思います。怖。。

赤ん坊取り違えの事故というのは、まさに私が生まれたころの日本で「よく」起こっていたもので、それには必然性がありました。つまり、それ以前、自宅にお産婆さんを呼んで出産ということであれば取り違えの起こりようもないのですが、急速に病院出産が増えた時期なのです。新しい清潔なスタイルでの出産が好まれ、体制(看護婦配置など)は追いついていないので、間違えも起こりやすかったのです。私が生まれたようなローカル個人産院でも満員御礼、もっと大きな病院ではもっと次々に赤ん坊が生まれるわけですから。

昭和48年に発表された論文(赤石教授による)では、取り違え事件の発生数を32件と報告しつつも「種々の事情のため、この統計に入っていないものが、私の知る限りでも、少なくとも3件ありますので、実際の発生件数はもっと多いことは確実です」といっている(で、実際何件あったのかはさっぱりわからない)。

この「ねじれた絆」で詳細に取り上げられている沖縄での事例もこの統計には含まれていない。

ということで、そういった事例の全貌はまったく明らかでないけれども、単に個別の事例であるこの記録は、長期にわたり(取り違えられた赤ん坊が大人になるまで)取材したこと、裁判もあったことなどから、たいへん興味深い(説得力のある)ものとなっている。

取り違え事件の中には、産院を出るときに「この赤ん坊は私のではない」と母親が主張して早速騒ぎになったようなものもあるけれど、この事例の場合はまず何の疑問も抱かずそれぞれの家で育てられていた。取り違えは早い時期に起こったらしく、入院期間中、親が直接初めて赤ん坊を抱いたとき以降は取り違えられていない(だから気づかなかった)。

なぜ取り違えのタイミングがわかるかというと、事件が発覚してから古いカルテをひっくり返して調査したところ、体重の不可解な増減があってそれがぜんぜんありえないような数値であるためご丁寧に「改竄」が行われた形跡があったからだ。つまり片方の赤ん坊はかなり大きくもう片方はかなり小さく、毎日のように体重測定する入院中は取り違えによって奇妙なグラフができた…しかしそれに気付いてもデータを改竄して済ませ、取り違えしていないか確認することには至らなかった。ヒドイ。

この事例では、小学校入学の直前に血液型を調べ、それが両親からは生まれるはずのない血液型だったために発覚した。

ABO式でわかる範囲で「違う」ということが言い切れる組み合わせだったということである。もちろん、他人の子であってもぜんぜん問題ない組み合わせもふつうにあるわけで、そしたらまだずっと気が付かなかったということになる。

この時期に気付いたことは幸か不幸か…!?

この病院はいちおうの「誠意」を持って調査と謝罪をしたんだけれども、幸い(?)小学校就学前であるから、夏休み期間に互いに遊びに行かせるなどして慣らして秋(就学半年前)から交換したらいいんじゃないですかね的な無責任な提案をして、そんな犬や猫の子じゃあるまいし(というか犬猫でもそう簡単ではないだろうけど)逡巡し煩悶する家族たちが決断できないでいると病院側は、そんなにぐずぐずしていると面倒見切れないみたいなことを言い出す始末で(おまゆう)。

そんなこんなで訴訟に発展したんだけれども。

いったいこの、取り違えによる「損害賠償」「慰謝料」はいくらが妥当なんですか?

いくらもらえば納得できますか? あなたなら。

仮に理不尽に命を奪われた場合でも数千万ということを考えると、それ以上になりようがないけれども。
一生引きずる苦しみと悩みを抱えつつ生きてゆかねばならない(ともかく子どもを育てねばならない)重みは一億もらったからどうにかなるものじゃない。亡くなった場合ともまた違う。

裁判の結果は、戸籍の訂正と、両家合わせて1900万円の慰謝料だった。

両親はそれぞれ、交換したくない気持ちも強かったようだが、流れ(親戚からの圧力含む)に押されて結論は交換ということになった。
しかしそれは大人のロジックにすぎず、子どもがそれで納得できるわけはない。

0歳じゃなくて6歳だよ…!? 無理でしょ??

ここから先の両家の格闘は、あまりに生々しくつらくてここに要約できるようなものではない。

結論からいえば、最終的に片方の子は新しい家にある程度馴染み、もう片方は頑として産みの親を受け付けず育ての親のほうしか認めない状況のまま成人し、でもどちらの親にも経済的には頼らないで自立したいという思いを強く持って社会人になった。

あなたならどうします? 子どもが六歳になって取り違えが発覚したら。

もちろん何をどうしたって納得のいく結論なんか出ようがないんだけど、強いていえば子どもの交換はしないまま近居するかな…!? 相手側の合意が必要だけど。
しかしどういう方法を取ったところで、曲がらない子育てをする自信はないよね。子育てのいろいろな局面で、何が正しいともいいきれないのっぴきならない場面というのは必ず存在するし、そこで「他人に育てられた我が子」であれ「自分が育てた他人の子」であれ、自分の子育てポリシーを信じてがんと行っていいのかどうかいつも反問しちゃうと思うもの。


今の世の中ではもうこんな事件は起こっていないと信じたいけれども。取り違え防止というのはなかなか一筋縄でいかないらしく、たとえば足輪のようなものをつける決まりにしていた産院でも取り違え事故はけっこうあった。ずっとビニールの足輪をしているとかぶれてしまうとかで「それを外して沐浴」するルーチンになっていたりね…沐浴シーンが事故多発シチュエーションなんだからそれじゃ意味ない。

前述の赤石教授によれば、手首・足首に標識、足紋、血液型など七つもの識別法を行っていたにもかかわらず取り違えた事例があったそうで、いくら完璧な識別方法があってもそれがきちんと運用されていなければ漏れるということだ。カンガルーケアの安全性について話題になったことがあったけど…まぁあれをするかどうかはさておき、生まれたらろくに見せないで引き離し、新生児室にまとめるようなことをしていると完全な防止は難しいかなと思う。母子同室の流れは取り違え防止にも役立つということだよね。

うちの子どもたちは助産院(入院期間が重なった人は一人もいない)と自宅で生まれてるから取り違えはないよ(^^;;


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