中学生のときに、パーマをかけたことがあって、それで学校にいくと、友だちからも先生からも「似合う」といわれた。
←たかが服装されど服装
で、それはそれで満足したんだけど、以後高校を卒業するまで、再びパーマをかけることはなかった。「どんなものかやってみたい」という欲求はすでに満たされたし、パーマをかけるのはかなりお金(中高生にとっちゃ大金だ)と時間がかかるので、もったいないと思ったから。
パーマをかけるのは校則違反でもなんでもなかったし、パーマをかけるべきでないという空気も一切なかった。もしそういう決まりがあったとすれば、パーマをかけるという単なるファッション上の選択が、「イケナイことをする」という別の意味をまとって、それは私に対して、パーマをしないように働く場合も、パーマをするように働く場合(反発したい場合)もあっただろう。
母校の文化祭にいって、漫研で「実録四コマ漫画」というのをもらって帰ったら、「イメチェン」というタイトルで休み明けのイメチェンについて描かれており、ピアスも茶髪もOKとなっていた。制服がなく、ピアスも茶髪もOKとのことでどんな派手な学校かと想像して行くと、実際の生徒たちはなんか地味でふつうの格好をしていて拍子抜けしたという話を聞くが、結局そんなものかなと思う。
私はそういう学校を卒業したので、自分の服装や格好は外から決められるものではなく、自分が考えて決めるものだと思っている。ピアス禁止とかいわれたらそういうのは嫌、でも実際にピアス穴は空けていない。そういう感じ。
だから、こじろうの学校で入学の説明会のとき、服装規定についてなかなかやかましかったので、服装を決まりで縛ってしまうのって、学校の中の雰囲気はどうなんだろう、あるいは卒業してからどうなんだろう、とちょっと心配になった。もっとも、こじろう本人はしゃれっ気もなく、禁止である「バレッタやシュシュや派手な色のゴム」とも縁がないわけだから(笑)問題はないだろうけれども。
でも入学後にいろんな場面を見るにつけ、生徒たちは特にその縛りについて嫌だとは感じていないように見える。これは、服装規定について「は」厳しいという面が、校是校風と結びついてみんなに納得されている(入るときにすでに納得している)からかなという気もする。つまり「去華就実」というわけである。
そして、むしろ学校全体の雰囲気としては「ゆるい」。いろんな行動面が自主性に任されていて、決まりが厳しくない学校と感じる。つまり、校風校是としてゆるぎない「柱」があればあとはゆるくても大丈夫という考え方なのだろう。JGが、キリスト教精神があれば細かい校則はいらないと考えていたように。
文化祭パンフレットに「意識調査」というページがあって、この学校の悪いところは? という質問に対する珍回答として「文と武は両道するのに華と実だと片方しか取らない」というのがのっていた。珍回答どころか学校のあり方をよく示した名回答だろう。「悪いところ」と書いているが、そうやっておちょくりながら校風として愛されているのだと思う。JGで、服装規定がないことが誇りに思われているのと同じように。
まぁそんな具合に、両方が校風として成り立っているのだけれども、それぞれの中で育った人たちは違ったカラーを持つに至るだろう。そこがおもしろいところかな。
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今日の弁当
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/08/da3fc4c6f89226e36d05f768f3d498b4.jpg)
今日はゴージャス二色弁当。ホタテアスパラ炒めも入ってスゴイ!!
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で、それはそれで満足したんだけど、以後高校を卒業するまで、再びパーマをかけることはなかった。「どんなものかやってみたい」という欲求はすでに満たされたし、パーマをかけるのはかなりお金(中高生にとっちゃ大金だ)と時間がかかるので、もったいないと思ったから。
パーマをかけるのは校則違反でもなんでもなかったし、パーマをかけるべきでないという空気も一切なかった。もしそういう決まりがあったとすれば、パーマをかけるという単なるファッション上の選択が、「イケナイことをする」という別の意味をまとって、それは私に対して、パーマをしないように働く場合も、パーマをするように働く場合(反発したい場合)もあっただろう。
母校の文化祭にいって、漫研で「実録四コマ漫画」というのをもらって帰ったら、「イメチェン」というタイトルで休み明けのイメチェンについて描かれており、ピアスも茶髪もOKとなっていた。制服がなく、ピアスも茶髪もOKとのことでどんな派手な学校かと想像して行くと、実際の生徒たちはなんか地味でふつうの格好をしていて拍子抜けしたという話を聞くが、結局そんなものかなと思う。
私はそういう学校を卒業したので、自分の服装や格好は外から決められるものではなく、自分が考えて決めるものだと思っている。ピアス禁止とかいわれたらそういうのは嫌、でも実際にピアス穴は空けていない。そういう感じ。
だから、こじろうの学校で入学の説明会のとき、服装規定についてなかなかやかましかったので、服装を決まりで縛ってしまうのって、学校の中の雰囲気はどうなんだろう、あるいは卒業してからどうなんだろう、とちょっと心配になった。もっとも、こじろう本人はしゃれっ気もなく、禁止である「バレッタやシュシュや派手な色のゴム」とも縁がないわけだから(笑)問題はないだろうけれども。
でも入学後にいろんな場面を見るにつけ、生徒たちは特にその縛りについて嫌だとは感じていないように見える。これは、服装規定について「は」厳しいという面が、校是校風と結びついてみんなに納得されている(入るときにすでに納得している)からかなという気もする。つまり「去華就実」というわけである。
そして、むしろ学校全体の雰囲気としては「ゆるい」。いろんな行動面が自主性に任されていて、決まりが厳しくない学校と感じる。つまり、校風校是としてゆるぎない「柱」があればあとはゆるくても大丈夫という考え方なのだろう。JGが、キリスト教精神があれば細かい校則はいらないと考えていたように。
文化祭パンフレットに「意識調査」というページがあって、この学校の悪いところは? という質問に対する珍回答として「文と武は両道するのに華と実だと片方しか取らない」というのがのっていた。珍回答どころか学校のあり方をよく示した名回答だろう。「悪いところ」と書いているが、そうやっておちょくりながら校風として愛されているのだと思う。JGで、服装規定がないことが誇りに思われているのと同じように。
まぁそんな具合に、両方が校風として成り立っているのだけれども、それぞれの中で育った人たちは違ったカラーを持つに至るだろう。そこがおもしろいところかな。
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今日の弁当
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今日はゴージャス二色弁当。ホタテアスパラ炒めも入ってスゴイ!!
そしておっしゃる通り服装、頭髪以外は結構ぬるいですよね。
特に部活後お店でラーメン食べて帰宅する息子に「寄り道厳禁」の中学時代を過ごした私は唖然としました。
アンダンテさんのおっしゃるような校風校是を見失って、調子に乗った息子がお釈迦様の手から落っこちないかハラハラ見守る毎日です。
かつ結構難しい問題だなぁ...といつも思います。^^;
私も校則やら規則やらと あまり細かいことを言われるのは得意ではなく(苦笑)、
さらに子供達はもっと苦手なタイプなので、
娘は校則のない学校を選びました。
校則がないので、茶髪やピアスの子もたくさんいて、中には少々ルーズな着こなしの子もいたりしますが、
やはり、概ねみなさんまじめですね。
校則がないとかえって自分のセンスや見識を問われることになるので、
子供達はそれぞれ考えながらオシャレを楽しんでいるようです。
地味....ではないけれど派手でもなく、
学生らしいオシャレを楽しむのもいいものですね。^^
一方、息子の方は校則が厳しいけれど、運用はある程度ゆる~~い学校です。^^;
どこまでも自由人の息子に厳しい校則はどうかな?と最初は思っていましたが、
一つ言えるのは、校則があると思いのほか楽ですね..。
とりあえず校則に従えば文句は言われませんし、ただ従うだけなのであれこれ考える必要もなく、
さらに従っていれば予期せぬ問題やいざこざにも巻き込まれにくいからでしょうけれど・・
そう考えると、これでいいのかしら??とも思ったりして。^^;
もっとも、買い食い禁止令なんぞ出たもんなら暴動が起きそうだ(^^;;
運動系高校生男子の食欲をすべて学内で満たそうとしたらたいへんに違いない。
こじろうは、あんまり違反心(?)とかないらしいんですけど、とにかくひたすら勉強しないのがねー。ある意味どっぷり染まっているともいえるが(-_-;;
そうですよね。
ただ違反したくて茶髪ピアスというのではないですからね…
どういう装いを自分がしたいか考えるということで、まぁそのほうが王道だと思うんですけどね、個人的には。
ただ、こじろうが私服OKだと、華美に走るとかの心配はないけど、どんだけだらしなくなるかということを想像すると、学ランでよかったって気も(^^;;
社会人になって、また親になって多くの人と接するようになり感じたのは、やはり受けた学校教育・・・というか学校文化みたいなものが人間形成に思っていたより大きく影響するんだなと。
服装に関する考え方もそうですが、先日会社で会議書類の書き方について「和暦か西暦か」の話になり、ここで各人が「育った学校教育」のまま主張したのは面白かったです。勿論私は西暦派でしたが。
今4パターン書こうとして気が付いたのですが、JGの場合、
1.華も実もある人 2.華は無いが実はある人
の2パターンだけで、3.華はあるが実の無い人 4.華も実も無い人 は居なかった気がするのは、その後の長い社会人生活を体験をして奇特な人々の集合だったんだな、と改めて思った次第です。
はなひめも、「似合う」ところがみつかって、かつ、そこに行けるといいよねぇ。
JGは、濃いところですねいろんな意味で。今もやっぱり濃いようですが昔とは違う面もあります。