「ピアノを弾いてるときの幸せは音の消え際に宿る」派のアンダンテです。皆様いかがお過ごしでしょうか。
←幸福追求には調律だいじ。
私は、めるちゃんが調律したてなのでかなり幸せな状態のはずのところ、指の問題であまり弾けずにフラストレーションが溜まっています。
いい具合に調律してもらうとしばらくはうきうきで、すこーし音が狂ってくると幸せ度がだら下がりになっていきます。それでも弾きたいから弾くけど。
やまちゃんは、そうすぐは狂わない(注: とんでもない調律師が来たときは一度すぐ狂ったことあるけど)のでいいんですが、めるちゃんは半年に一度調律でもその期間の最後のほうはちょっとイマイチな感じになります。たとえばチャイコフスキーの「朝の祈り」の最初の和音をポーンと鳴らした瞬間に、あぁ濁ってる…って思います。
私は音程についてはうるさくないほうで、ぶっちゃけあんまりよくわかってません。
一音、ブーと鳴らされてこれは正しいドより高い? 低い? といわれてもさっぱわかりません。
ただ、和音とかいっぺんにいくつかの音が鳴っているときにそれがどのくらい幸せな感じかというのが気になります。
気になるとはいっても、耳は平均律にしっかり慣らされていて、別に純正に響いてないからといって許せないとかそんなことはないです。
平均律に調律されて、それがいい音色のピアノだったらばっちり幸せです。
前に、キルンベルガーで調律してもらったことがありますが、それ、調律したてのいい具合のときに、平均律第一巻第一番プレリュード(ドミソドミソドミ)なんか弾いたら悶絶もんの気持ちよさです。それはいいんですが、「ちょっと」狂ってきたときの、幸せ度の低下が平均律より大きくて、これはちょっと…
キルンベルガー調律にするのは、お抱え調律師が持てる身分になってから(←いつ?)と思いました。
「ピアノを弾いてるときの幸せは音の消え際に宿る」派にとっては、調律がどうなってるかはけっこう重要な問題でして、
なにしろこの点がことのほかいい具合であれば、自分がどうトチっても、わやくちゃなところは頭の中で全カットして、
きれいに響いたところだけに集中して、ピアニスト気分の幸せに浸れてしまうくらいです。
先日のホール練習のときみたいに。
渋谷のファツィオリに「せっかくのファツィオリなのにオーラがない」と愚痴ったら、
shigさん曰く、あれは調律が間違っているんだそうです。つまり、インハーモニシティをどう処理するか、何に何を合わせるのかというところが間違っていると…
理屈がさっぱりわかっていませんが、とにかく、調律がよくないと、音の消え際に宿るべき幸せがいまいちこぼれちゃうんです。オーラがない。
めるちゃんは、ファツィオリとかスタインウェイとかの高級ブランドものではないけれど、やればできる子なんです。調律がよければ輝く。
今回の調律は、内藤晃コンサートのときに、その楽器店で相談して、長年お世話になってたTさん(現在闘病中、復帰できるかどうか不明)の代わりに誰か推薦してくださいといって紹介してもらった方です。悪くはなかったけど、ビビビとは来なかったなぁ(好みの問題?)…とりあえず、実用上は「持ちがどれくらいいいか」も重要なので、様子見です。ピアノの幸せのために、調律師さん確保、めちゃくちゃ大事です。乱暴ないい方をすれば、ここから自分がうまくなるかどうかよりさらに大事。
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
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私は、めるちゃんが調律したてなのでかなり幸せな状態のはずのところ、指の問題であまり弾けずにフラストレーションが溜まっています。
いい具合に調律してもらうとしばらくはうきうきで、すこーし音が狂ってくると幸せ度がだら下がりになっていきます。それでも弾きたいから弾くけど。
やまちゃんは、そうすぐは狂わない(注: とんでもない調律師が来たときは一度すぐ狂ったことあるけど)のでいいんですが、めるちゃんは半年に一度調律でもその期間の最後のほうはちょっとイマイチな感じになります。たとえばチャイコフスキーの「朝の祈り」の最初の和音をポーンと鳴らした瞬間に、あぁ濁ってる…って思います。
私は音程についてはうるさくないほうで、ぶっちゃけあんまりよくわかってません。
一音、ブーと鳴らされてこれは正しいドより高い? 低い? といわれてもさっぱわかりません。
ただ、和音とかいっぺんにいくつかの音が鳴っているときにそれがどのくらい幸せな感じかというのが気になります。
気になるとはいっても、耳は平均律にしっかり慣らされていて、別に純正に響いてないからといって許せないとかそんなことはないです。
平均律に調律されて、それがいい音色のピアノだったらばっちり幸せです。
前に、キルンベルガーで調律してもらったことがありますが、それ、調律したてのいい具合のときに、平均律第一巻第一番プレリュード(ドミソドミソドミ)なんか弾いたら悶絶もんの気持ちよさです。それはいいんですが、「ちょっと」狂ってきたときの、幸せ度の低下が平均律より大きくて、これはちょっと…
キルンベルガー調律にするのは、お抱え調律師が持てる身分になってから(←いつ?)と思いました。
「ピアノを弾いてるときの幸せは音の消え際に宿る」派にとっては、調律がどうなってるかはけっこう重要な問題でして、
なにしろこの点がことのほかいい具合であれば、自分がどうトチっても、わやくちゃなところは頭の中で全カットして、
きれいに響いたところだけに集中して、ピアニスト気分の幸せに浸れてしまうくらいです。
先日のホール練習のときみたいに。
渋谷のファツィオリに「せっかくのファツィオリなのにオーラがない」と愚痴ったら、
shigさん曰く、あれは調律が間違っているんだそうです。つまり、インハーモニシティをどう処理するか、何に何を合わせるのかというところが間違っていると…
理屈がさっぱりわかっていませんが、とにかく、調律がよくないと、音の消え際に宿るべき幸せがいまいちこぼれちゃうんです。オーラがない。
めるちゃんは、ファツィオリとかスタインウェイとかの高級ブランドものではないけれど、やればできる子なんです。調律がよければ輝く。
今回の調律は、内藤晃コンサートのときに、その楽器店で相談して、長年お世話になってたTさん(現在闘病中、復帰できるかどうか不明)の代わりに誰か推薦してくださいといって紹介してもらった方です。悪くはなかったけど、ビビビとは来なかったなぁ(好みの問題?)…とりあえず、実用上は「持ちがどれくらいいいか」も重要なので、様子見です。ピアノの幸せのために、調律師さん確保、めちゃくちゃ大事です。乱暴ないい方をすれば、ここから自分がうまくなるかどうかよりさらに大事。
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